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2004年11月

2004.11.28

干拓事業

 早島潮というハンドルは、戦国時代頃まで吉備の穴海に浮かぶ早島という島を取り巻いて流れる潮は流れが速かったというイメージである。
 児島半島として学び児島湾として学習した海も実は、児島という島であり、湾は瀬戸内海と通じる吉備の穴海であった。
 宇喜多秀家が岡山を統治した時代から早島の干拓事業がはじまり、前潟、帯江、豊洲等と新田が次々に開拓されていったのである。農業立国であった昔は農地を増やすことが即ち領国を繁栄に導く有力な手段であった。 
 今では諫早湾の干拓については生態系に悪影響を及ぼすということで干拓事業も見直される時代となったが、日本でも干拓事業では先駆者である岡山県の干拓事業に関する素晴らしいサイトを見つけた。ゆっくり研究して先人の苦労の跡を追ってみたいと思っている。
 本日より畏友の橋田健氏と一緒に壱岐、対馬の旅にでる。

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2004.11.27

藺草と畳表

 早島駅に降りたつと「畳表の早島」という大きな看板が目につく。幼少の頃は町の過半の人が何らかの形で藺草や畳表と関わりのある仕事に従事していたと記憶する。そして農家は競って藺草を栽培したものである。藺草は市況商品であったから、作付け面積の動向に市場価格が影響される。今年良かったからというので翌年多く植えつけするとその反動で価格が下落し、米を作っておけばよかった等と後悔する大人達の話はよく聞いたものである。

 ところで藺草と畳表で発展してきたような早島も今ではそのお株を熊本県の八代に奪われて久しい。子供の頃何の疑問もなく藺草は古来、この地方だけで栽培されていたと思っていたし、社会科の時間には藺草は庄村二子という部落に自生していたものを、古代に貴人がこの地方に来場し病の床に伏された時村人が、稲藁製の筵の代わりに藺草で畳みを織って献上したのがそもそも畳み表の起源であると聞いていた。先生が授業で教えるくらいだからこの説は通説だろうと思っていたがウエッブで検索した限りでは検証できない。比較的よく纏まっている藺草と畳表の起源に関する考察にリンクを貼っておく。また文献に現れた畳みについての資料にもリンクしておく。
その後、知人から教えられて検索したら両後神社という説明を見つけた。この神社境内に茣蓙と神宮皇后の関係についての説明書きがあるらしい。

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2004.11.26

千島・南樺太を含む国境線の策定を迫れ

 ロシアのプーチン大統領が北方領土問題について歯舞、色丹両島の日本への引き渡しで最終決着したいとの意志を表明したと伝えられるがとんでもない話である。大体ロシアという国は信義のない国である。1941年4月に締結した日ソ中立条約があるにもかかわらず、日本の弱みにつけこんで1945年8月8日、この条約を破棄して火事場泥棒的に宣戦布告して参戦してきた国である。僅か8日の参戦で千島、樺太を奪還しただけではなく歯舞、色丹、択捉、国後の四島までも日本から略奪した国である。そのうえシベリアに日本兵捕虜を長期にわたって抑留し強制労働に従事させた国である。

 日本の外交戦略を180度転換して、11月26日産経新聞で伊藤憲一氏が提唱する如く、次のように主張すべきである。

1. 日本の千島と樺太の一部放棄を定めたサンフランシスコ平和条約第二条C項は、ソ連の署名拒否によって死文化しており、日露間においては択捉、国後、色丹、歯舞だけでなく、千島、南樺太についても領土問題は決着していない。

2. そして1941年締結の日ソ中立条約第二条が「両締約国ハ相互に他方締約国ノ領土ノ保全及ビ不可侵ヲ尊重スベキコトを約ス」と定めていたのにこの条約を一方的に破棄したのはソ連である。

3. したがって千島、南樺太も日本の領土である。

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ままかり

 郷里の同窓会出席の余韻がまだ続いている。倉敷の観光を終えた後、新幹線の出発までの時間を利用して岡山城の宇喜多秀家没後350年展を見て後楽園を散策した。

夕食にはどうしても「ままかり」を食べたくて後楽園から岡山駅までの道を歩きながらままかりの食べられそうな店を探したがなかなか見つからない。中華料理やラーメン店、焼き肉はそこここに看板をみかけるのだが何故か寿司屋が見つからない。岡山駅近くでやっと寿司屋を見つけてままかり寿司を頼んだ。だが焼きままかりの酢漬けは置いてないという。酢漬けしたままかりの握りを一人前平らげたが瓶詰めのままかりのような味で今一であった。新幹線入り口近くのレストラン三好野で焼きままかりの酢漬けを見つけて注文した。これぞまさしくままかりの味だと思った。ままかりは焼きままかりの酢漬けに限る。岡山ではままかりで通っているが一般には「さっぱ」で「魚編+制」の字が当てられていてニシン科の硬骨魚で北海道以南の産であることを知った。参考までにままかりについて

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2004.11.25

倉敷の歴史

 小中学生の頃、倉敷の大原美術館へは何度かきたことがあるが江戸時代に天領が置かれて栄えたという位の知識しかなかった。今回の町並み探訪でこの文化遺産を保存していく上での住民の大変な努力のことを知って興味を持ち、多少倉敷の歴史を調べてみた。約400年程前には当時妙見山と言われた現在の鶴形山周辺に集落が形成されていた漁師町で当時古禄13軒と称される住民が住んでいた。江戸幕府が開かれた頃には干拓も進みやがて近隣各地から人々が移住してきて1746年には幕府の代官所が開かれた。元禄時代には人口も急増しいつしか新禄と称される住民が羽振りを効かせるようになっていった。大原家もこの新禄の中に入っている。昭和の初期に大原孝四郎氏が倉敷紡績他の事業を起こし更に発展するが、現在の美観地区に住んでいる人々は大東亜戦争後移住してきた人々が過半で古禄の人々は居らず、新禄の人達も少ない。戦後、町家をそのまま考古館や民芸館として使う試みがあり、これがアイビースケアを生みだしやがて美観地区として整備されていったのである。ドイツの中世の古都ロッテンブルグがイメージされていたらしい。ごんべさんのサイトから当時の事情を知った。美観地区の住民
きみゅー氏のサイトから
美観地区の町並みの写真にリンクさせて戴いた。

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2004.11.24

倉敷

倉敷は今から350年程前、江戸時代には天領として栄え、倉敷川には米や綿花の集散地として大小の舟がひっきりなしに往来し、大変賑わっていた。その面影を色濃く残す美観地区の町並みは建築規制もあり、白壁の家屋敷、なまこ壁の倉、焼き板の外壁、低い二階建ての長屋等江戸の佇まいを今に伝えている。大東亜戦争では、県都岡山市が空襲で焼け野原と化したのに倉敷は空襲の被害を受けず、歴史的な文化遺産を現在に伝えることができた。

何故倉敷は空襲を受けなかったかについては大原美術館があったからだという説がある。京都市が空襲を受けなかったのと同じ理屈である。大原美術館といえば、大原孫三郎氏をはじめとするその後継者達のことを忘れることはできない。倉敷紡績はじめ多くの事業を起こして倉敷の発展に貢献したが、会社の社章には「二」の字と「三つの点」を組み合わせたものを使用している。「一」の字を使うと驕る心が生まれるからこれを戒めるために敢えてこの社章にしたという。いい話しを聞いた。

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2004.11.23

同窓会をめぐるさまざまな思い出⑦ボランティア

同窓会は楽しいものであった。別室で二次会のカラオケ大会となった。おとなしくて人前で話しも出来なかった男がマイクを握って熱唱したり、勉強はあまり得意でなかった女が濃艶に歌い回すのも新しい発見であり、それぞれに66年の人生があつたのだなと痛感した。

翌日倉敷の古い街を散策した。地図を片手に鶴形山へ登って町中を俯瞰していると七人の初老の男女のグループがいて青年のガイドが説明をしている。話しの様子から察してボランティアのようである。仲間へ入れてくれと頼むと快く受け入れられた。このグループは千葉からきた兄弟姉妹会であることが判った。そしてガイドはこの兄弟姉妹会に近づいてきてガイドを買ってでたのだという。小堀遠州が作庭としたと言われる商家の奥の庭とか醸造所の倉の中とかなかなか人の知らない所謂穴場とか美味いもの店等も案内してくれて倉敷の昔の姿まで垣間見ることができた。観光に関する企業化を密かに考えているようであった。日本国内は沖縄を除いて殆ど全ての観光地は渉猟し尽くしたと豪語していたが人柄といいその該博な知識といいただものではないボランティアのガイドであった。何れ有名人になりそうな雰囲気を湛えていた。

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同窓会をめぐるさまざまな思い出⑥飾る心

鬼の城を見た後、雪舟が小僧の頃柱に縛られてこぼす涙で鼠の絵を描いたという故事で有名な宝福寺へ行った。この禅寺は今まさに紅葉の見頃の時で静謐な空間と部屋の中から庭の土塀越しに見られる紅葉は実に見事であり荘厳であったと思う。
宝福寺の写真
翌日早朝早島町へ赴き墓参を済ませてから同窓会の会場へ行った。中には55年振りに合う顔もあったが、年老いた中にも昔の面影が残っており名前が自然に口をついてでてくるのには我ながらびっくりした。幼い頃の記憶というものはパターン認識さえできれば思い出すものだということを知った。

ところでいい年をして飾る心ばかり表面にでてきて明らかにホラと思える自慢話をとくとくと語る旧友には哀れを覚えた。群馬県に牧場を買ったとか銀行に30億円融資を申し込んだら断られたのでその銀行とは取引をやめたなどと語るのである。みなりはブランドもので飾り立て、これ見えよがしに万札を数枚財布から取り出して寄付だと言って幹事に渡していた。定時制夜間高校へしか進学できなかった劣等感の裏返しの飾る心が見え透いているだけに可哀相な奴だと思った。そのうち誰も相手にしなくなって彼が近寄ると逃げ出す人が次第に増えていった。年の経過と共に謙虚になりたいものだとつくづく思った。

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同窓会をめぐるさまざまな思い出⑤国の備え

鬼の城は標高400mの吉備高原の最南端に築かれている。かつて朝鮮半島に進出していた大和政権は天智2年(663)白村江の海戦で唐・新羅連合軍に大敗した。敵軍の侵攻に備えるため大和朝廷は西日本の要所に大野城を始めとする朝鮮式山城を築城したことが日本書紀天智4~6年の条に記されている。一方記録には残っていないが朝鮮式山城と同種遺跡と考えられている古代の山城が16城あり鬼の城もその一つと考えられている。

総社市教育委員会がこの城の史跡整備に平成13年から着手し、現在西門が復元されて威容を誇っている。この周辺には市民のハイキングコースが幾つもひらかれている。ただ起点となる駐車場まではマイカーがなければお手上げである。幸い妹夫妻と出会った幸運に恵まれてこの史跡をハイキングがてら一周することができた。朝鮮半島の海域で敗戦したのが契機となってこうした山城を沢山築いて国の備えとした古代日本人の国を守る気概には壮たるものがあると思った。中国の潜水艦に領土侵犯された事件がつい最近あっただけに尚更のこと古代人の国を守る気概には感慨一入であった。
変人さんのサイトから鬼の城の写真にリンクさせて戴いた。

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同窓会をめぐるさまざまな思い出④二人の男の子

妹夫妻はこの近隣の町に住んでいる。今日はたまたま、朝の仕事が片づいたので泊まりかけで遊びにきている二人の孫を連れてこの足守地区へドライブし、帰りしなに筆者を見かけたというのである。孫は8才と6才の男の子である。初対面の子供達である。

つい先日この子の親達の結婚式に出席したような気がするのにその子達が、はやこんなに大きくなっているとは・・・何れも活発で利発そうな子達である。二人が池の鯉に餌をやりながら戯れている姿は微笑ましい。記憶は更に遡る。一番下の妹夫婦が東京の勤務を終えて岡山へ帰るとき都内のホテルで一席設けたことがある。その時二人の男の子を連れてきた。これがまた活発な子達で御馳走はそっちのけにしてテーブルの下へもぐつたりしながら戯れていた姿と重なった。年格好は似たような頃であったと記憶する。その彼等も適齢期を迎えているのである。子供達の成長ははやいものだとの思い一入であった。
侍屋敷、近水園、木下利玄生家、足守文庫、歴史公園と見学して当初の予定は終了したが、妹夫婦が車を出して鬼の城と宝福寺を案内してくれることになった。

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同窓会をめぐる様々な思い出③奇遇

目的地とする足守藩の史跡のある集落までおよそ4㎞、足守川の堤防を歩く。小春日和で長閑な田園風景が続いている。裕福そうな農家が並んでいて老婆、老爺が野良仕事をしているのを見かけて道順を尋ねてみると岡山弁で丁寧に教えてくれる。歩くのもそう苦にはならない。どこまでも長閑である。

やがて中之町へ到着した。足守プラザ、備中足守まちなみ館、商家藤田千年治邸と歩を進めた。美しい町並みが続いている。残念なのはカメラが使えないことであるが、カメラ付きのフィルムを買おうかとも思ったが、DPAを始めとする事後処理の煩わしさを思うとその気にもならない。第一写真屋が見当たらない。しっかり脳裏へ焼き付けておこうと思いながら見学した。
足守観光案内

足守プラザで手に入れた案内図を眺めながら侍屋敷近くの駐車場近くを通りかかった。すると前方から来た車が止まって「おーい」と言う声がする。人違いだろうと思っているとまた「おーい」と言いながら運転手が降りてきた。そこではじめて声の主が妹の配偶者であることに気がついた。妹とその孫二人も一緒に乗っているではないか。

今回の旅のことは妹には話していない。全くの偶然である。確率を考えてもこんな偶然は何百万分の一くらいであろう。

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同窓会をめぐる様々な思い出②カメラが使えない

朝早く新横浜駅をでて岡山駅経由足守駅へ向かった。予めインターネットで調べたところによると岡山駅での乗り換え時間は7分しかない。これに乗り遅れると一時間またなければならない。吉備線のホームは一番端にある。列車がホームへ到着すると一目散に吉備線へ急いだ。昔大学受験の勉強をした頃祖母と過ごした備前一宮を通りながら懐旧の想いにひたっていた。やがて足守駅に到着した。

下車すると辺鄙な場所である。バスはあるが時刻表を見ると一時間も待たねばならない。ウォーキングを兼ねて歩くことにした。駅前に観光地図の看板があるのでデジタルカメラに納めておいて道案内にしようと思い撮影した。ところが「No card」の警告。メディアが満杯になったので画像をPCにとりこんだ後、カメラに装着するのを忘れていたのである。バッテリーの充電のことに関心が向いていて、メディアの装着の確認を忘れてしまっていたのである。普通なら予備のメディアを必ず持っているのだが、今回はそれさえも入れ忘れていた。大きなチョンボ。前途が思いやられる旅のスタートとなってしまった。

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同窓会をめぐる様々な思い出①個人旅行の非効率

 郷里の早島中学校の同窓会が11月20日開催されたので出席した。紅葉のシーズンなので両親の墓参も兼ねて近隣の観光地をぶらりと散策するつもりで二泊三日の予定で出かけることにした。

 最初は津和野、萩、山口を廻れないかと計画してみたが、公共機関の乗り物を利用しての旅は時間的にも経済的にも大変非効率的なことが判明した。先ず第一に電車やバスの運行回数が少なく移動に時間がかかりすぎるため必然的にタクシーを利用せざるを得ないこと。第二に離れた観光地には公共の交通機関が運行されていないケースが多いこと。第三に電車(旧国鉄)の駅は概ね集落から離れた辺鄙な場所に駅のあるケースが多いこと。

 旅行社のパックツァーのパンフレットで調べてみると津和野、萩、山口、宮島を組み込んだツアーがあり、単独で旅行する場合に比べ半額以下で旅行でき、しかも食事と宿泊場所の心配をすることがないこと。

 そこで津和野、萩、山口は将来パックツァーに参加することにした。そして公共交通機関の利用だけで廻れる場所のみ訪問することにした。

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2004.11.19

拉致事件の責任

 北朝鮮による拉致事件被害者の横田めぐみさんの写真が三枚提供された。がこの写真について一枚は合成されたものらしいし、一枚は金正日大学構内で高級車ベンツを横に置いて撮影されたものらしいとの疑問が投げかけられている。写真自体に信憑性がないものや生存を憶測させるもので先方の言う死亡説には疑念が高まる一方である。嘘に嘘を塗り固める犯罪者金正日は厳しく断罪されなければならないのは勿論であるが、問題をここまで歪めた一つの原因は金正男が日本の空港で拘束されたときに、これを腫れ物にでも触るような態度で咎めることなくあっさり送還した時の外務大臣田中真紀子女史の責任は大きい。
 明らかに日本の法律をやぶりしかも金正男でないと本人が主張したのであるから、徹底的に絞り上げて拉致家族奪還のための外交交渉の日本側のカードとしなければならなかったと思う。残りの人道支援の食糧は即刻支援凍結すべきであるし、経済制裁を断固実施すべき時であると思う。

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2004.11.18

歴史教育

 今年日露戦争戦勝百周年記念ということでいろんな出版物がでているし、テレビ番組でも取り上げられる。翻って思い出してみると小学校、中学校で日露戦争のことについて教わった記憶がない。高校では日本史と世界史を選択したが、現代史周辺は時間も残り少なくなっており、駆け足で素通りしたという感じで日露戦争の歴史的意義等については授業では触れられなかったように記憶する。我々が育った時代そのものが、東京裁判史観、自虐史観に禍されていた時代で教師の中にも日清戦争、日露戦争、満州事変、支那事変、大東亜戦争については腫れ物に触るような態度で授業していたような記憶がある。
 筆者が中学に入学した頃には既に専従として東京へ赴任していたが、後年悪名を轟かせた日教組の委員長槙枝元文氏が若き頃、在籍して社会科の教鞭をとっていた中学である。小学校5年か6年の頃、中学校の運動会で槙枝元文氏が徒競走で走っている姿が記憶に残っている。学校で教わらなかった日清、日露戦争のことを今勉強しているところだ。

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2004.11.17

紅葉狩り

 古都鎌倉の紅葉狩りハイキングに行ってきた。在京の高校時代の同窓生が、男四人女四人集まり鶴岡八幡宮、建長寺、円覚寺、源氏山公園、銭洗い弁天、長谷大仏、長谷観音、江ノ島と快晴の中を歩き回った。日頃運動は心がけているつもりでも山道の上り降りはかなりのきつさであったが、旧友達と会話しながらの道行は苦しさよりも楽しさの方が上回っていた。
 まだ日程的に一寸はやかったのか紅葉した景観を鑑賞することができなかったのは残念であったが天候に恵まれたことは最大の幸運であった。ウイークデイにも関わらず初老の人達と課外授業の児童や生徒が多かったのも小さな驚きであった。それでも出発が9時と少しばかり早かったので鶴岡八幡宮、建長寺の境内では静謐な空間をゆったりと時間がたゆとうているのを堪能することができた。問わず語りに語ったある友人のアルツハイマーに罹った配偶者の介護の苦労はお気の毒の一語に尽きる。人の世話にならぬよう何時まで自律していけるか、そしてPPKを全うできるか、等と体力保全の習慣化を切実に考えさせられた一日でもあった。  

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祝賀会

15日に国の褒章の伝達式があって友人のN氏の奥さんが20数年調停委員を務めた功績が認められて、藍授褒章受賞の栄誉に浴された。大阪から受賞式に上京するとの連絡を受けていたので在京の懇意な友人四家族が或る者は夫婦同伴で或る者は単身で計八人が集まりささやかな祝賀会を催した。
全国で藍授褒章は47人の方が受賞されたそうであるが、藍授褒章は最高裁判所で受賞者に褒章が伝達された。昼食後、皇居に参内し天皇・皇后両陛下に拝謁する栄を賜ったとN氏夫人は感激を新たにしてその日の状況を語ってくれた。それぞれの場所で伝達式に臨んだ各賞受賞者とその配偶者達はバスで皇居に集まり、全員が揃ったところで両陛下がおでましになり受賞者の前を会釈されながらおよそ5分間歩いて廻られたということである。オリンピックで金メダルを獲得した選手達も出席していたようでとても感激の瞬間であったとも語った。このような友人を持てたことを誇りに思える祝賀会であった。下世話な質問に答えてくれたところによれば、上京に要した往復の交通費と宿泊費は受賞者分だけ後日支給されるということであった。

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2004.11.15

元国家公安委員長が白昼渋谷の繁華街で四人組みの警官に職務質問を受けた経緯

 元国家公安委員長であった政治家の白川勝彦氏が白昼渋谷の繁華街で四人組みの警察官に職務質問をうけた経緯がこのサイトに掲載されている。犯罪多発国家に堕してしまった日本、テロリストに狙われる日本において「自由と取り締まり」に関して色々考えさせられた。

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なんとなく億劫な時

 昨日、囲碁仲間との月例会があった。六人集まり総当たりで一日対局したら頭も疲れ果ててしまった。戦績は四勝一敗であるから概ね満足である。負けた一敗も盤面ジゴで黒番だったため反目負けということである。寄せで一目儲けていれば全勝だったのにとも思うがまあそれは欲張りというものであろう。
 対局後の杯を傾けながらの放談会もイラクの内乱、中国潜水艦の領土侵犯、北朝鮮の拉致家族問題等とあちこちへと広がりを見せまさに談論風発の趣があった。酒の徳利も相当数空にした。
 帰宅して直ちに床に入ったがまさにバタンキューの状態であった。快眠し夜半に目が覚めたら、びっしょり汗をかいている。どうやら昨夜過ごした酒精が体内で燃焼しそのせいで体温が上がり汗をかいたものと思われる。
 今朝、何時もの時間に目が覚めたが何となく起き出すのが億劫である。数えてみると睡眠時間は8時間はたっぷりとっていた。やはり昨夜の痛飲の影響が残っているのだろうか。今日は散歩は止めにしようか、止める口実はないか等と考えている。しかし、意を決して起き出すとあとはなんでもない。何時もの通り部屋の掃除、洗顔、読経を済ませて明けそめた空を見ながら公園へ向かった。何時ものコースを廻り終えたところで一滴、二滴雨が落ちだした。シャワーで汗を流しながら億劫な気持ちに打ち勝って散歩できた自分を誇らしく思った。

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2004.11.13

断りの口実

 昨夜のテレビでは、今日は木枯らしが強く吹いて気温が下がるとの天気予報であった。風が強いと艇を出すことが出来ない。果たして今日は練習になるのだろうかと思いながら家をでた。漕艇場に着くと風も和らいで絶好のボート日和となった。肩と腰を痛めて漕ぐことの出来ない先輩がコックスを務め、漕手のそれぞれの漕ぎに適切なアドバイスをして貰った。年齢に見合った漕ぎ方のアドバイスはなかなかよいものであった。オールもよく合って気持ちよくスピードも上がった。とてもよい練習ができた。
 練習後楽しみにしている昼食会に同期の三人が今日は出られないという。病気で療養中の同期の仲間を見舞いかたがた彼の自宅近くのビアホールで飲むのだという。筆者には住まいが遠いので連絡しなかったのだという。しかし、どうだよかったらこないかと誘いがかかった。その療養中の友人とは多少些細なことで感情的なトラブルがあったこともある。そんなことを思い出して誘いに乗るか否か暫く迷ったが、突然のことだったのでやはり断ることにした。孫が遊びにくることになっているという口実をつかった。この年代になるとこれを口実にすることが一番抵抗なしに受け入れられる。これでうまく収まるだろう。双方に配慮して波風たたないように処理するということ。これが農耕型社会で生きていく生活の智恵である。

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2004.11.12

スティグリッツ教授のグローバリゼーション再考を読む

 知人から最近の編著作を贈られ早速読んでみた。「非対称情報下の市場経済」の研究でノーベル賞を受賞したコロンビア大学のスティグリッツ教授が早稲田大学へ招聘されて行った記念講演の講義録である。題名は「スティグリッツ 早稲田大学講義録」、光文社刊となっている。
 この本の表紙に書かれている文章から引用すると「早稲田大学で多くの聴衆を魅了した。彼の歯に衣着せぬ情熱的な講義を収録すると共に、その裏側にある理論的背景を丁寧に解説する。グローバリゼーションが人々の反感を呼び、不平等が生じ続けているのはなぜか。IMFが推奨する自由化政策の矛盾と、アメリカ型資本主義の問題点を明らかにし、相互依存が深まる世界における国際機関の改革を訴える。・・・新しい政治経済システムを構築するための貴重な論考である。」
 講演者の論理的で明快な講義は勿論のことこれを翻訳した人の日本語もよくこなれていて翻訳物らしさを感じさせない判りやすい優れた一般向けの講義録であると思った。第二部以降の編著者の解説も簡にして要を得て、素人には難しい国際経済学にもさしたる抵抗感なく馴染んでいける文章になっていると思った。

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2004.11.11

明けの明星

 昨日明け方に公園に散歩に出かけた。ふと空を見上げると上弦の三日月がでていた。そしてその下の方には大きな星がある。更に三日月の右手上方にも大きな星が輝いている。星の名はなんというのだろうと考えていた。宵の明星とか明けの明星というのは金星のことだということは聞き知っていたのでそのどちらかが金星だろうと推定することはできた。だがあと一つはなんだろうか。あんなに大きな星だから太陽系の星だろうと考えられるが悲しいかな天文学の知識がない。火星か木星かもしれないと勝手に決め込んでいた。通常はそれで終わるところであった。
 ところが本日朝刊を見ると木星と金星と月が一直線に並んでいる写真が載っているではないか。何年かに一度しか起こらない天文ショーであったことを知った。たまたまこの天文ショーを目撃できた幸せを記録しておこうとサイトを検索してみるとこの星図が公開されているのを見つけた。

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2004.11.10

中国四川でも十万人規模の暴動

 中国四川で十万人規模の暴動が発生した。この前に河南省でも暴動が発生したことが、宮崎正弘氏のメルマガで紹介されている。更にこの直前には重慶でも5万人規模の暴動が発生している。なにしろこの国は黄布の乱、赤眉の乱、白蓮教徒の乱、太平天国の乱等と農民暴動で国が滅んだ歴史を持つ国である。更に国内のあちらこちらへ飛び火することも予想される。今後の動きを注目しなければならないと思う。

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武士道について

 本屋の店頭で河出書房新社発行の文芸別冊の武士道入門という特集号を見つけて買ってきた。新渡戸稲造の著作「武士道」や山本常朝の「葉隠」を題材にして武士道について各界の著名人が随筆を書いたり考察したりしていて、多面的な角度から武士道を考え直してみるのに重宝である。葉隠については昔三島由紀夫が解説をしている入門書を読んだことがあるが、この特集の中にも取り上げられていて懐かしい思いであった。
 葉隠の中には「武士道とは死ぬことと見つけたり」という有名なフレーズがあると思えば、「人間一生は誠にわずかの事なり好いた事をして暮らすべきなり」とか「恋の至極は忍恋と見立て候、逢ひてからは恋のたけが低し、一生忍んで思ひ死することこそ恋の本位なれ。歌に、恋死なん後の煙にそれと知れ、ついにもらさぬ中の思いは・・・」等と含蓄のあるフレーズが書きつらねられている。こうしたフレーズの意味をこの特集の中では著者がそれぞれの立場から解釈して一説をなしている評論がいろいろと展開されている。武士道について考えるのによい参考になった。

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2004.11.09

明日の一時の楽しみのために

 平凡な毎日を過ごしていると人は何のために生きるのか等ということを考えることがある。所詮は明日の一時の楽しみのために生きているのではないかという気がする。毎日が日曜日の生活をしていると何日か先に予定されているゴルフコンペとか囲碁会とか同窓会とか旅とか非日常の生活が楽しみで待ち遠しく感じることがある。いざその日が来て楽しく一時を過ごしてしまうとあれほど楽しみにしていた行事はそれで終わり、想い出の中に格納されることになる。そして次に控える明日の楽しみをまた待ち望んでいる。
 毎日の日課を考えても一瞬の楽しみのために生きているところがある。朝、散歩にでると汗をかく、早く終えてシャワーを浴びたいと思いながら所定の距離を我慢して歩く。歩き終えて帰宅しシャワーを浴びる。とても気持ちがよく爽快であるが長時間シャワーを浴び続けているわけにもいかない。一瞬の快楽である。この運動後の汗を流す快感のために人は散歩をする。このような一瞬の積み重ねが人生だと言えるのではないかと考えている。

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2004.11.08

戦争や革命による死者の数

 20世紀は戦争と革命の世紀であった。この世紀の戦争と革命で一体どれくらいの人々が犠牲になったのだろうか。産経新聞11月8日朝刊「新・地球日本史」から数字を拾ってみると
1.第一次世界大戦 戦死者 900万人、民間犠牲者 50万人
2.第二次世界大戦 戦死者 2,700万人、民間犠牲者 2000万人
3.ナチスの強制収容所 ユダヤ人を中心に500万人
1997年にフランスで発行された「共産主義黒書」の中でクロトウは20世紀の共産主義によって殺された人々の概数を次のように示した。
・ソ連 2000万人 ・中国 6,500万人 ・ベトナム 100万人
・北朝鮮 200万人 ・カンボジア 200万人 ・東欧 100万人
・ラテンアメリカ 15万人 ・アフリカ 170万人
・アフガニスタン 150万人 ・国際共産主義運動と政権についていない共産党 約1万人 これらの合計は9,436万人で両大戦による犠牲者を遥かに凌駕している。
イラクの内戦では果たして何人が犠牲になるのだろうか。痛ましい限りである。

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2004.11.07

ボートを漕ぐ

 小春日和の一日、ボートを漕いだ。8人のオールがリズムよく揃った時には気持ちのいい程スピードがでる。昨日は満ち潮時で風もなく水面は鏡のように滑らかだった。両岸には釣り糸をたれる太公望達が沢山でているので釣り糸をオールにひっかけないように川の中央線を漕いだ。
 船台を蹴りだしてから四人漕ぎ、六人漕ぎとウォーミングアップを重ねるうちに体も暖かくなってきて動きが次第に滑らかになる。いよいよオールメンでノーワークに移行する。頃合いを見計らってコックスよりオールメンライトパドルの号令が飛ぶ。背筋を伸ばしてハンザウエイしてからシートを移動させてオールがエントリーし水を掴む、フィニッシュに向けて水中を長く力一杯フィニッシュへ向けて引く、脚はストレッチャーを力一杯蹴っている。艇のバランスがいいと気持ちの良い程にスピードが上がる。
 最近は毎週一回乗艇練習しているのでクルーの呼吸もぴたりと合うようになってきた。およそ5㎞ほど漕いで本日の練習を終えた。昼食に飲む最初の一杯のビールの味はまた格別である。

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2004.11.06

スパムメール

 毎日のようにスパムメールが大量に飛び込んでくる。ヴィールス対策としてワクチンを入れているので、出会い系の淫猥な画像はシャットアウトしてくれるが、まあ出会い系サイトの数のなんと多いことか。中にはワクチンをかいくぐるためにか、画像抜きでメール文中にURLを記入して送りつけてくるものもある。文面から内容はどんなものであるか判断できるので概ね直ちに削除しているが、中には巧妙な手口のものもある。アフリエイト制度を利用してサイトにバナーを貼り付けてある手口だ。ついうっかりクリックしてしまい出てきた画面を眺めると利用規約と書いてある。どんなことが書いてあるのかと試しに開いてみるとこのサイトは有料であると書いてある。テストだと思って入場してみた。すると氏名、住所を登録する欄がある。登録する意志は毛頭ないのでログアウトした。すると自動受け付けになっているのかメールの着信音がして先刻のサイトから登録済みのメールが入っていて三日以内に料金を振り込めと書いてある。人間の好奇心につけ込んだ卑怯な詐欺商法である。ヴィールスも怖いがスパムメールにも十分注意が必要だと思わされた一日であった。

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2004.11.05

日記を書くということ

 幼い頃、学校の先生に指導されて日記をつけるようになった。だが続かない。長じるに及んでも今年こそはと意気込んで元旦から新しい日記張に綴りだしたがやはり半年位で終わっている。大学に入学して新しい友人が自己紹介の時に中学生の時から毎日日記を書き続けていると言ったのを聞いて、彼に尊敬の念を抱いたのを今でも覚えている。
 日記というものは、人にも言えない心の秘密までも書くものだという認識があった。従って赤裸々な心の有り様も書くものだと思っていたが、実際に書き始めてみるとどこか頭の中で何時の日か誰かに見られたときという意識が働いている。
 翻って考えてみると徒然草、方丈記、枕草子、増鏡などと日本文学史に輝きを放っている作品は何れも日記である。またウエッブの世界でも日記書き屋さんが沢山それぞれに綴ったものを公表している。中にはこんなことを書いてもいいのかと首を傾げるような閨房の秘事を書き綴る猛者もいる。
 まあ他人の日記も参考にしながら継続は力なりを信条として書きながら日記とは何かを考え続けていくこととしよう。

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2004.11.04

尾形光琳の技法

何気なくスイッチを入れたテレビでNHKが尾形光琳の作品について最近発見された技法のことを放映していた。今まで定説となっていた「尾形光琳作の国宝紅白梅図屏風は金箔を貼って作られた。」が科学的な調査で覆されたという解説はとても面白かった。

蛍光撮影法で撮影した写真を蛍光金属分析という手法で分析してみると紅白梅図屏風は布の上に「かりやす」という植物染料と金泥を混ぜ合わせた顔料で下塗りし、その上に型紙を乗せて構図を作り金泥や顔料を塗って仕上げたものであることが判明したというのである。また流水の図も同じように銀箔を貼って作られていたという定説がやはり覆されたのである。こうした手法を「擬作」と名付けていたが尾形光琳の後世の鑑賞家をも騙し続けた技法の高度さに感心したものである。因みに紅白梅図屏風を見ることの出来るURLを示しておく。

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2004.11.03

体内時計

 家人が留守なので飼い猫の世話をしている。世話といっても砂場の糞尿の片づけと餌をやることぐらいである。あとはかまうことをしないで放置している。
 猫には一日二回しか餌をやらない。朝と夕方である。 
 夜、砂場を確認してから就寝する。夜中に尿意を催して起き出して猫の方を見ると畳みの上でうずくまって寝ている。寒い時には猫ハウスの中で寝ている。
 明け方になると猫の鳴き声で目を覚まされる。まだ戸外は暗い。時計を見ると3時半である。昨日夕方の餌を与えたのが午後3時半であったから丁度12時間経っている。眠たい中を猫に催促されて餌を与えてから再び布団へもぐり込む。ひと寝入りしてから目が覚めると空も白んで夜明けである。
 毎日規則正しい生活をしていると決まった時間に目が覚めるようである。旅にでていても朝5時には必ず目が覚める。猫と同じで食事も一日二食と決めている。猫の体内時計は12時間ごとに鈴がなるらしい。筆者の体内時計は朝5時に鈴がなるようにセットされているようだ。 

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香山証生氏斬首の映像

 イラク武装勢力に殺害された香山証生氏の斬首の場面の画像がウエッブサイトに公開された。テロ行為の卑劣、残忍さを憎んでもあまりある。故人の成仏を祈りたい。

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2004.11.02

香田青年の遺体を覆った星条旗

 イラクで武装勢力に惨殺された香田青年の遺体は星条旗に包まれていたと最初報道されたが、どうもこれが偽情報だったらしい。マスコミの誤報か。為にする謀略か。それにしても香田青年の生死に関わる情報は出鱈目なものが多すぎた。

何故か毎日新聞のこの記事のリンクがデッドリンクになっているので前文を以下に引用する。



2004年11月02

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記事全文

イラク邦人殺害:
遺体頭部は星条旗でくるまれ
 【カイロ小倉孝保、斎藤義彦】香田さんの遺体は、バグダッドのナツメヤシ畑で発見された。遺体頭部は血塗られた星条旗(米国旗)でくるまれ、日本の「米国追従」を批判する犯人たちのメッセージが読み取れる。「イラクの現状が見てみたい」。香田さんの率直な思いを実現するには、イラクの現状は厳し過ぎた。

 毎日新聞助手の取材によると、遺体が発見されたのは、ハイファ通りとウタイフェイア地区の間にあるナツメヤシ畑の中。市中心部にあって電灯がなく、誰でも入れることから、普段は若者が隠れて酒を飲む場所になっており、周辺には酒瓶が転がっていた。旧政権時代も殺人事件などが発生した場所だ。

 ハイファ通りは旧フセイン政権時代、隣国シリアから政治亡命した人たちが多く住んだ地域で、今は外国から流入する過激派の潜伏場所になっている。米軍が連日の掃討作戦を実施し、バグダッド市内でも最も治安の悪い地域だ。

 その周辺住民からバグダッドの中央救急センターに「アジア系の男性の遺体が放置されている」と連絡があったのは、30日の日没直後(日本時間31日未明)ごろ。イスラム教の断食明けの食事(イフタール)が終わった後だった。

 同センターのジャワッド・カードム所長(42)は直ちに救急車を急行させた。救急隊員のラエド・アブドルマジッドさん(27)によると、遺体は首の部分で切断。うつぶせにされた背中に星条旗にくるまれた頭部が置かれていた。星条旗と首の周りには、血がべっとりと付いていた。

 遺体はベージュのTシャツ、ジーンズ姿で黒の中国製下着を身に着けていた。脚は白いひもで縛られ、長髪で薄いひげがあった。下着などに血痕が付着していたが周辺には血はなく、別の場所で殺害され運ばれたようだった。アブドルマジッドさんは遺体の状態から、「30日午後4時半(日本時間同午後10時半)ごろ、殺害されたのではないか」という。

 遺体はその後、近くのカルク・ジョムホリ病院に運ばれ、医師は集まったイラク人ジャーナリストらに「(遺体は)テレビで見た日本人人質と同じだ」と語った。

 遺体は午後11時(同31日午前5時)にバグダッド市内の検視センターに運ばれた。同センターによると、顔にかすり傷があったが、撃たれたり、拷問された跡はなかった。31日午前10時ごろ日本大使館員が訪れ、検視に立ち会った。遺体の指紋は、香田さんのものと一致した。

毎日新聞 2004年10月31日 20時27分

毎日新聞速報から

イラク邦人殺害:遺体頭部は星条旗でくるまれ 20:27
イラク邦人殺害:自衛隊撤退拒否を強く支持 米国務省声明 19:35
イラク邦人殺害:市長が香田さん家族を見舞う 福岡・直方 19:33
イラク邦人殺害:仏TVも報じる 19:25
イラク邦人殺害:福岡県警が国内で捜査 警察庁も支援 19:22



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人命について考える

 中越地震では沢山の方が犠牲になられ、衷心よりお悔やみ申し上げる。中でも皆川さん母子三人が崩壊した土砂に車ごと埋もれた事件は痛ましかった。テレビに張りついて見た優太君の救出劇は感動的であった。しかし残念なことに姉のほうは、遺体の手が見えているにも関わらず搬出することができず、二次災害発生の虞れから一旦作業は中止された。そして昨日から時間と莫大な費用をかけて搬出作業が始まった。ここで敢えて搬出と書き、救出と書かなかったのは、遺体はもはや生命の宿っている人間ではなく単なる物質にすぎないと思うからであるし、生存している人を助け出すことが救出であるというのが正しい日本語の用法であると思うからである。
 不謹慎の誹りを免れないが、もはや物質と化してしまった遺体を人間はかくも莫大な時間と費用をかけて危険を冒してまでも搬出しなければならないのであろうか。搬出されたとしても葬儀の後はまた焼かれて再び土の中に戻されるというのに。この行為の中には暗黙の前提として遺体がこのままでは霊魂が浮かばれないという思想があると考えなければ理解出来ない。また皆がそう思っているから、搬出作業に対して反対運動も起こらないのであろうか。保守、革新を問わず日本人の死生観が表現されている。

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2004.11.01

橋本大二郎知事の辞職勧告決議

 高知県の橋本知事が県議会から辞職勧告されたらしいが、この記事の意味はどういう意味なのだろうか。まるで論旨が通っておらず支離滅裂。

橋本大二郎氏(57)の辞職に伴う高知県の出直し知事選(28日投開票)をめぐり、県議会が橋本氏への辞職勧告を決議したことに県民の半数以上が反対し、6割近くが橋本氏の辞職を支持していることが1日、共同通信社の世論調査で分かった。知事選は11日告示され、1年前と同じく橋本氏と元高知市長、松尾徹人氏(57)の一騎打ちになる公算が大きい。

 太字の部分の意味は橋本知事辞めるなという意味でしょう?

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震撼した10月

 今日からいよいよ11月である。秋も深まり、一昨日からは暖房を入れた。思えば過ぎた一ケ月は世間を震撼させる事件が相次いだ。先ず台風の襲来。本土へ上陸した台風だけでも10月までに10個を数えた。台風でも各地で被害がでたが、それを上回る驚天動地の地震が中越地方を襲った。テレビは毎日被害地の状況を放映し続けた。そんな騒然とした中にも車に閉じ込められた三人の親子のうち優太君が奇跡的にも生還するという嬉しい知らせもあった。

 台風と地震の被害で多忙を極めている政府、行政関係者に香田という無軌道な青年がイラクで武装勢力に捕まり、首をはねられるという悲劇も起こった。あまりにも非常識な行動には同情の余地もないが、無辜の旅人を非常冷酷に殺害してしまうザルカウイ一派は憎んでもあまりある存在である。イラクの人々も外国から入ってきたこの気違い集団には内心困っていることだろう。はやくイラク人が立ち上がってこの気違い集団を追い出すことを願うのみである。

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