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2004年12月

2004.12.31

ショートコース

 まさか一昨日の雪の影響があるとは思わなかった。12月29日関東地方には牡丹雪が降ったが平野部では積雪には至らなかった。天気予報では30日には晴れるとのことであったから、皆がゴルフ場のクローズのことは予想していなかった。予定の時間に打ち合わせの場所に集まった。皆が揃ったところで、幹事が目的地のゴルフコースは積雪のためクローズだという。昨夜の内に情報が入ったが取り敢えず年一度のコンペであるし、朝集まったところで相談しようというのが幹事の腹だったらしい。衆議一決、とにかく現地へ行って他にプレーできるコースを探してプレーしようということになり、君津市のアカデミヤヒルズゴルフクラブへ集まった。クラブを宅配便で予め送った人もいたのでクラブを受け取るためにもここへ集まる必要があった。到着してなるほどクローズになった理由が納得できた。コース一面銀世界である。平地では全然積雪を見なかったのに僅か150メートル高度が上がっただけで積雪があるのだ。近隣のゴルフ場22箇所に電話して貰ったが、北関東のゴルフ場がクローズになったためゴルファーが千葉方面へ代替のコースを求めて、大挙押し寄せたため普段は、がらがらのコースまで超満員なのだという。諦めて中止にしようかというムードになった時、ショートコースでプレイしようと妙案を思いついた人がいる。練習場に併設されている9ホールのショートコースでパー28である。照会してみるとすぐプレーできるという。皆、あまり乗り気ではなかったが折角来たのだからやってみるかということで全員11名で押しかけた。これが意外な優れ物でグリーンがよく整備されていて全員が、満足し充分堪能することができた。特にア゚ローチの練習にはもってこいのコースであった。木更津市のサンライズというショートコースである。

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2004.12.29

運命

 今年の特徴を一字で表現すれば、「災」ということだとは新聞の報じるところである。中越地震で避難生活を余儀なくされた人達もやっと避難所から解放されて仮設住宅や自宅へ戻り、それぞれの年の瀬を迎えようとしている。
 クリスマスから正月にかけて海外のリゾート地でのんびり自然を楽しもうとプーケット島へ渡った人もいる。そんなところへ突然襲いかかったのが、スマトラ沖で発生した海底地震による津波の災害である。インド洋に面する国々では本日現在4万6千人規模の死者が出たと報じており、更に被害者は増えるだろうとの見通しもある。日本人旅行者も27人が行方不明といい、安否が心配されている。中には新婚旅行で訪問した先で被災した人もあろう。業績優秀で選ばれて褒美として会社からプレゼントされた海外旅行に喜び勇んで参加して遭難した人もいるようだ。お気の毒である。これはその人の持って生まれた「運」としか言いようがないようにも思う。人の生死を司る運命の神様は非情である。

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2004.12.28

天気予報

 天気予報も概ねよく当たるようになった。特にゴルフコンペのある時には天気予報が頼みである。多少雨が降ってもプレイするのがゴルフである。しかし、雨の中のプレイほど嫌なものはない。眼鏡をかけていると眼鏡が曇るのが一番困る。またスコアカードがぐしょぐしょになるのも困りものだ。だからコンペ近くになると長期予報にも注意が向く。
 明らかに予報では雨だと判っている日等、誰かが言い出して中止になればいいのにと心の中では祈っている。しかし、自分からは言い出しにくい。今日は雨だと覚悟して出かけたのに小雨に多少濡れただけで大した雨にも遇わずプレーできた日などは何度も天候に感謝したくなるものだ。
 大晦日一日前のゴルフコンペも天気予報では曇りマークと太陽マークが半々なので雨には当たらないでプレーできるであろう。 俄特訓で二日程練習場へ通ったが果たしてどんなスコアが出てどんな結果になるであろうか。本日宅配便でクラブは送ることになる。

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2004.12.27

呪文

 ゴルフの練習に行った。暮れにボートの仲間と忘年会を兼ねたゴルフコンペがある。付け焼き刃の観はなきにしもあらずだが、暫くクラブを握っていないので、果たして球にクラブがうまく当たるかどうか試してみたいという気持ちがある。早朝サービスの時間帯であるからまだ戸外へ出ると手がしびれるように寒い。起きがけなので、心筋梗塞でも起こしては大変とばかりに入念に準備運動をしてから、やおらドライバーで打った。気負わずに自然体でクラブを振ったのが良かったのかとても素直な打球がネットへ向かってまっすぐに飛んで行った。二発目、三発目といずれも良い打球である。この時の三発の打撃フォームを思い出してみると、「自然体、軸足ぶれず、腕伸ばし、球を見据えて、押し出す気持ち」という和歌に纏められることに気がついた。コンペの時は打席にたったとき、この文句を呪文として暗唱し心を鎮めてプレイしようと思いついた。「押し出す気持ち」は「振り抜く気持ち」のほうが一般的なのであろうが、我流のフォームとしては押し出すのほうがぴたりとくるのである。

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呪文

 ゴルフの練習に行った。暮れにボートの仲間と忘年会を兼ねたゴルフコンペがある。付け焼き刃の観はなきにしもあらずだが、暫くクラブを握っていないので、果たして球にクラブがうまく当たるかどうか試してみたいという気持ちがある。早朝サービスの時間帯であるからまだ戸外へ出ると手がしびれるように寒い。起きがけなので、心筋梗塞でも起こしては大変とばかりに入念に準備運動をしてから、やおらドライバーで打った。気負わずに自然体でクラブを振ったのが良かったのかとても素直な打球がネットへ向かってまっすぐに飛んで行った。二発目、三発目といずれも良い打球である。この時の三発の打撃フォームを思い出してみると、「自然体、軸足ぶれず、腕伸ばし、球を見据えて、押し出す気持ち」という和歌に纏められることに気がついた。コンペの時は打席にたったとき、この文句を呪文として暗唱し心を鎮めてプレイしようと思いついた。「押し出す気持ち」は「振り抜く気持ち」のほうが一般的なのであろうが、我流のフォームとしては押し出すのほうがぴたりとくるのである。

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2004.12.26

水商売の浮き沈み

 古びた倉庫の中に大きな木造船の形をした客席を用意し、船の周囲は生け簀になっていて鯛や鰺等の魚が回遊している。来客は生け簀の魚を釣り上げて獲物を料理して貰って食事を楽しむという面白い趣向の海鮮料理屋がある。子供達は魚を釣るのが楽しみで家族連れで賑わうところだ。少なくとも2年程前に初めて孫達を連れて訪れた時には、予約をしておかなければ席が確保出来ない程の賑わいであった。
 子供達が魚を釣ると係員が漁獲祝いのために口上を述べ居合わせた客に同調を求め手拍子で祝ってくれるサービスもある。このサービスが子供達に受けたもののようである。その後何回か孫達が遊びにくると通ったものであるが何時も賑わっていた。
 昨日、クリスマスの昼食をしようと久し振りに訪れてびっくりした。何時もはあんなに賑わっていたのに閑散としており、お客は僅か子供連れが二家族と初老の夫婦連れの合わせて三組だけである。餅つきとさざえのつかみ取りというイベントをサービスしてこれだけのお客である。類似の店が次々にオープンして目新しい方へお客が流れたらしい。水商売の浮沈を目の前に見た思いであった。

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2004.12.25

十大ニュース

 何時も年末になるといろんな観点から十大ニュースなるものが発表される。毎日の新聞報道をみていて筆者の印象に残った日本の十大ニュースを選んでみた。
 発生順に並べてみると、①2月にイラク復興支援のため陸上自衛隊本体第一陣が出発。②3月に鳥インフルエンザの発生が兵庫県で隠蔽されていたことが発覚した。③4月国民年金保険料の未納付が問題になり、三閣僚初め、福田官房長官、菅民主党代表など主たる政治家の過半が未納で年金制度に対する政治不信に輪をかけた。④5月小泉総理の再訪朝により拉致家族の子供5人が帰国することになった。⑤7月、参議院選挙で自民党は目標議席に達しなかったが小泉政権は続投することになった。⑥8月、サッカーアジア杯で中国の反日ブーイング。⑦8月、アテネオリンピックで日本選手陣過去最多のメダル獲得。⑧10月、イチローが年間安打数の大リーグ記録を更新。⑨中国潜水艦の領海侵犯を初め、度重なる中国政府の日本に対する内政干渉発言。⑩10月、中越地震発生

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2004.12.24

日の丸

 12月23日は天皇誕生日で国民の祝日に指定された休日である。皇居には善男善女が多数祝賀に参内した。そこでは日の丸を打ち振る風景が放映された。
 ところが、住宅地を或いは市街地を散歩してみた時、国旗を掲げている民家や公共施設を殆どみることが出来ない。たまに古い昔ながらの構えの屋敷に日の丸が掲げられているのを目にする位である。オリンピックとかワールドカップとかのスポーツ大会では日の丸を見かけることがある。特にオリンピックで金メダルを獲得したときには日の丸の掲揚と同時に国歌の君が代が吹奏され感激は極まる。ところが、肝心の表彰される選手で国歌を歌っている選手を見かけることが少なくなってしまった。
 外地を旅行していると家々に自国の国旗を誇らしげに掲揚している光景をよく見かける。植民地であった国が戦後独立したような国にこの傾向は顕著であるように思う。日本は大東亜戦争でしか負けたことのない国だから、米軍の占領政策にとことん骨抜きにされてしまい独立国家であるという矜持さえ失われかけている。国歌と国旗について調べてみた。

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2004.12.23

中国の内政干渉

 台湾の前総統・李登輝氏が私人としての観光目的で来日するのに対して日本政府がビザを発給した。するとたちまち中国の王毅駐日大使は21日都内で開かれた講演会で「(李氏は)分裂運動を進める急先鋒で、トラブルメーカーだけでなく、戦争メーカーになるかも知れない。中国を中傷、攻撃している人物に日本が好意を示すことは理解に苦しむ」と語り、「李氏のような危険な政治家に、周辺諸国は赤信号を出しているのに、日本が再び青信号を出そうとしている」とも述べて聞き捨てならない内政干渉をしてきた。先日の中国籍潜水艦が領海侵犯をしたときには、謝罪もせずに「本国へ伝えておく」と代理人をして語らせた男である。ことあるごとに首相の靖国神社参拝にクレームをつけてくるし憎らしい外交官である。個人的には国外追放したいくらいの気持ちであるが、考え直してみれば、こういう不埒な外交官や国家が近隣にあるお蔭で、平和惚けした日本人も国家というもの、国益というもの、国の防備ということを考え直すきっかけを作ってくれたという意味では恩人なのかもしれない。タブー視されてきた憲法改正が国民論議の俎上にあがる日も遠くない。

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2004.12.22

視力9.8の人達

世の中には異能の人はいろいろといるものである。5年程前、ケニアの各地の国立公園へ動物を見に行ったことがある。我々観光客は望遠鏡で遠くの動物を眺めるのだが、現地人の運転手やガイドは裸眼で遠くにいるライオンやチーター等を見つける。指さし示される方を望遠鏡で覗いてみても現認できないということが何度もあった。その時、彼等の視力は7とか8であると聞いた。最高視力が1.5~2位の日本人には信じられない視力である。
ところが海にもこのような凄い視力を持つ民族のいることを知った。12月18日(土)に見た富士テレビの番組ではアンデマン海に住む海上民族モーケン族の視力が9.8であると言っていた。この強力な視力を武器として海中に潜り貝や魚を採取して原始的な生活をしている民族である。この民族達も今は彼等の静かな漁場へよそ者が近代的な漁具を装備した船で大挙押し寄せ、海の幸を根こそぎ捕獲してしまうので、漁師をやめて陸へあがり、難儀な生活をしているという。地球上の秘境も次々に失われていく。
このモーケン族の現況についてはこのサイトの中の「漂流民モーケン族の今・・・宮沢京子」に詳細に報告されている。

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2004.12.21

めぐみさんは生きている。

横田めぐみさんは生きている。工作員の高橋ユタカという偽名の男と強制結婚させられたらしい。

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95才まで一日も眠らなかった男

面白いテレビ番組を見た。アメリカに実在したアルバート・ヘルピンという男の物語である。この男は生まれてから95才でその生涯を終えるまで一日も睡眠をとらなかった異能の持ち主であった。最近は遺伝子の科学的な解明が進んできてこのアルバート・ヘルピンの数奇な一生についても仮説が立てられるようになった。脳の研究をしていくと脳内に覚醒物質と睡眠物質の出納を司る器官があって、アルバート・ヘルピンの場合、この覚醒物質の分泌が睡眠物質の分泌よりも際立って多かったため睡眠を取らずに95年間も生き続けることができたと説明されている。ちょっと判ったようで分かりにくい解説であるがなんでもドーバミンという物質が関与しているらしい。将来、研究が進んだ時に誰でも睡眠なしで活動できるような薬なり治療法が発見、発明されるかもしれない。人生を一日につき8時間程長く生きなければならなくなるので、大変な時代になるなとも思った。そこには安らぎがなく睡眠の快感のない生活しかないからである。

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2004.12.20

中国の公開処刑の写真

 中国での公開処刑の写真がネット上を駆け回っているようだ。日本の歴史問題で悶着をつけてくる支那という国はまだ野蛮そのものである。逆に日本は犯罪者の人権を過剰に保護しすぎる傾向があると思う。

小遣い稼ぎのサイト

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刑法の改正

 刑法の改正が本年12月1日国会で可決成立した。その内容の概略は帝京大学教授の土本武司氏が産経新聞の正論に要約している。この記事を読むまでは刑法の大幅改正がなされたことを恥ずかしながらしらなかった。学生時代に刑法のゼミナーナルで目的的行為論について学んでいた頃の刑法条文は明治41年10月1日に施行され時のままの表記でカタカナが用いられた文語体のものであった。これが平成7年6月1日施行された改正刑法では、表記法が平易に書き改められ口語体になって余程とっつき易くはなったが、内容的には成立当初と殆ど変化はなかったといっていい。表記法の平易化のことも今回調べてみて判ったことでそのような改正があったことも知らなかった。
考えてみれば、刑法とは人間の犯罪行為を処罰する法律であり、人間の存在そのものにかかわる規範でもあるから、時代が変わったからといって内容が大きく変わりようがない性質のものであるとも言える。今回の改正は一世紀ぶりの大改正であったのにあまりマスコミでは取り上げられないのは何故だろう。

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2004.12.19

煙草禁止のブータン

 日本でも愛煙家には厳しい時代になったようだ。禁煙を国是とする国が現れた。本日ブータンでは
煙草禁止の法律
ができたと伝えている。煙草の起源について学研の現代新百科事典には次のように解説されている。【人類が煙草をすうようになった年代は明らかでないが、はじめは原始宗教の中で、香料として祭りごとに用いるものであった。それが次第に医療や嗜好に用いられるようになったといわれる。1492年コロンブスのアメリカ発見によって原住民の奇異な風習である喫煙がヨーロッパに伝えられ、やがて煙草の種子もスペインに渡って栽培され始め、16世紀の後半には世界中に広まった。日本への伝来は1549年スペインの宣教師フランシスコザビエルが来日したとき、随行者がさかんに鼻から煙を出すのを見てたいへん驚いたと伝えられる。1605年には長崎で煙草を栽培したと記録にある。】またサイトで調べると「花物語inてぃんくの家」で煙草にまつわるいろんな面白い物語が紹介されている。そしてブータンという国の美しい景色も見つけた。

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2004.12.18

訪問

 暮れも迫り百年史の編集について本年最後の実務担当編集会議を忘年会を兼ねてO氏宅で開催した。
 昨年初めてこの会議を催したので今年は二回目である。前回訪問しているから大丈夫との油断があった。駅を降りてから一本道なので迷う筈がないというあなどりがあった。訪問先の住所も電話番号も手帳に控えずに出かけた。
 目的の駅に出て歩き始めたがどうも通りの感じが違うのである。暫くそのまま歩いてみたが、やはりおかしい。番地も控えていないので道を聞こうにも手がかりがない。その時、西村医院という目印のあったことを思い出した。通りがかりの人を捕まえて、西村医院はどこだと尋ねたところ運のいいことにその人が本日西村整形病院で治療を受けてきたという。聞けばどうも駅で反対の出口をでてしまったらしい。教えられた通りの道をたどると見覚えのある通りにでた。何とか約束の時間には間にあったが、少なくともよく判っていても念のため、訪問先の所番地と電話番号だけはメモしておくだけの用心が必要と思った。年老いたということか情けない思いをした。

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2004.12.17

挨拶

 まだ太陽のでていない薄明かりの公園を歩いていると向こうから人の来る気配がする。「お早うございます」と声を掛けてみると「おはよう」と返ってくる。白っぽい衣装の人は遠くからでもそれと判るが黒っぽい衣装の人は直前にならないと、人だと判らないことがある。眼前に人影が忽然と現れてギョッとすることもままある。未明の公園は静謐で人影もあまりない。そこで行き交う人には進んで声をかけるようにしている。こちらから声を出せば必ず返事が返ってくる。中には向こうから声をかけてくる人もいる。
 こちらが黙っていれば、すれ違っても黙ってやり過ごす人もいる。そこで実験を思いついた。会う人には必ず「おはようございます」と声をかけてみようと。声をかけられて黙っている人はまずいない。公園の中で同じ目的で歩いているから共通の思いがあって挨拶の言葉が行き交うのであろう。これが、街中の雑踏の中では見ず知らずの人に声をかけると変人と思われかねないが、散歩の時にはこれが可能であるところが面白い。

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2004.12.16

怠け心

 朝晩が冷え込むようになった。朝、目がさめてから起き出すまでに怠け心が生まれる。起き出すと寒いからこのままあったかい布団の中で惰眠を貪っていたほうが体には楽である。もう少し寝ていようと思う。その一方では、いやいやそんなことではいかん、一念発起して朝の散歩を始めたのだろう。継続は力だとの声が聞こえてくる。しばし、怠ける心と勤勉な心の葛藤がある。意を決して布団から抜け出す。抜け出してしまえば後は何時もの通りの日常が始まる。
 洗面、掃除、読経と一通りの課業を終えて戸外へでて歩き始める。暫く歩いているうちに体も温まってくる。何時ものコースには坂が六ヶ所待っている。最初の難関は113段の石段である。これを一気に上がる。鼓動も激しくなり汗が吹き出してくる。この階段が一気に登れなくなった時が体力の低下した時だと言い聞かせながら登っていく。一旦動きだしてしまえば、朝の目覚め時に散歩をさぼりたいと一瞬とはいえ思った怠け心のことが嘘のように思える。人生もこんなものだと思いながら今朝も歩いた。

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2004.12.15

国境線で物乞いする北朝鮮兵士

中国と北朝鮮国境で観光客から物乞いをする北朝鮮兵士達が最近増えている。

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日光浴の効用

 北欧の白色人種の人達は日光浴が好きである。夏場など暑い陽光の下、何時間も読書している人を見かけることがある。これは冬場は日照時間が短いからそれを補うために日光浴をするのだと聞いたことがある。そんなものかなとずっと不思議に思っていた。

 昨日テレビを見ていたら冬季鬱病という病気があって、冬場になると食欲が昂進するのに反して、気力が失せてしまい、まるで脱け殻のようになってしまう病気だという。これが夏場になるとまた元気になるので今まで病気とは考えられていなかったのが、ここ10年程前から病気とされるようになったらしい。メカニズムは体内にある神経系統に脳中枢から発する指令を媒介する物質が冬季には減少するために発症するということらしい。この物質は光によって体内に作られるという。従って、日照の少ない冬季に限って発症する病気なのだという。治療法としては光に当たることが効果的という。それで北欧の人達が好んで日光浴をする理由がわかったような気がする。

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2004.12.14

ナイル川の源流

 NHKのテレビ番組でナイル川の源流を目指して赤道直下の氷河の山を取材する番組を見た。
 筆者の地理の理解では、ナイル川はヴィクトリア湖を源とする白ナイル川とタナ湖を源とする青ナイル川がスーダンのハルツームで合流し、更に北上して地中海に注ぐという程度のものであった。
 この番組はヴィクトリア湖に流入する川の源流を求めて赤道直下の氷河の山、ルウエンゾリ山を目指す探検隊の記録であったが
高度が上がるにつれて他の地ではみることの出来ないさまざまな珍しい動植物の映像を見せてくれて興味尽きないものであった。一日の朝と夜との温度差が27度もあるという地域の動植物の生態は環境に適応したものになっており、大自然の不思議を端的に感じさせるものであった。しかし、ここでも氷河の融解が始まっており、20年もすれば氷河が滅失するとの予測もあり、地球温暖化の影響が現れている現実の厳しさを見せつけられた。

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2004.12.13

フイッシイングの手口

 Eメールでホームページに誘導し、口座番号や氏名を巧妙に盗み出す手口がこのURLの記事で紹介されている。

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励ます会

 ボートの仲間が集まって、脳梗塞で倒れ療養中のS氏を励ます会を開いた。車椅子での生活を余儀なくされているが、精神は若々しく、意気軒昂である。
 会場は幕張プリンスホテルの48回のレストランである。昔は海中であった地域が干拓されて高層ビルが建ち並んでいる。生憎曇り空で視界がよくきかなかったが写真を写したので掲載しておく。

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北朝鮮産の物品不買運動に協力します。

北朝鮮産の製品の不買運動に協力します。タグに表示されている下記の事項を確認します。
以下の引用は「桜の掲示板」に書かれた「山椒小粒さん」のスレッドです。

北朝鮮産の商品ですが、
タグの製造国を良く見てください。
【MADE IN D P R K】なら買わないようお願いします。

バーコードの最初の2桁(日本は49と45が割り当てられています。
【北朝鮮は86.7】です。

参考:バーコードの国コード
http://muse.cc.kurumeit.ac.jp/home/general/sibhome/isbn/isbndb9.html

ちなみに北にとって一番痛いのは海産物らしいです。
又あまりにも安価なものは支那が北朝鮮に下請けに出して作らせた物が多いそうですから100円ショップなども要注意です。メイドインチャイナと記載していても北朝鮮産ということもありです

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2004.12.12

台湾独立支援で中国に対抗すべき

 中国は日本のODAに対して感謝の気持ちをもっていない。とすれば政府の対中国ODA援助をなくしていくという今回の決定は当然であろう。やっと毅然とした外交の端緒が見え始めたことは喜ばしい。日本国の首相の靖国神社参拝に何故内政干渉してくるのか。内部的なお家の事情もあるだろうが、あまりにもしつこく繰り返し内政干渉してくるようであれば、対抗策を日本としても考えるべきであろう。日本政府として中国に対して内政干渉をすればいいのである。中国が最も嫌がることを言えばいいのである。
 
それは何か。日本国として台湾の独立を支援すると宣言することである。多分中国は内政干渉だと抗議してくるであろう。その時には、靖国神社参拝に対して文句をいうのをやめろ、そうすれば台湾の独立支援宣言は取り消す用意があると言えばいいのである。外交とは駆け引きである。あまりにも言われ放しの日本の態度にいらいらしているのは筆者だけではあるまい。これは喧嘩なのである。日本も相手が嫌がることをどんどん発言していくべきであると考える。それが喧嘩のしかたというものであろう。

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振り込め詐欺

 おれおれ詐欺のことを最近は振り込め詐欺というらしい。昨夜テレビの番組で草野仁アナウンサーの司会によるクイズ番組で振込詐欺の手口が紹介されていた。
 交通事故を偽装したり、若い医師が医療事故を起こしたことを偽装したり、恋愛を偽装したりとさまざまな手口があり、こうした詐欺のマニュアルまで用意されているというから驚きである。

 ワン切り電話とか出会い系サイトとか携帯電話を利用した詐欺も多い。最近よく飛び込んでくるスパムメールにも出会い系サイトを開設したというURL付きのメールが多い。しかも同じ文章で発信人のアドレスだけが異なっているメールが何通も飛び込んでくる。察するに、ねずみ講的に何人か新会員を獲得すれば報奨金が支払われるような仕組みになっているのだろう。色と欲を絡めて善人を騙そうという手合いが多くなってきているから、便利な反面ネットの世界には新しい危険がそこここに張りめぐらされていると知るべきであろう。

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2004.12.11

 昨夜夢を見た。北朝鮮の強制収容所へ拉致被害者救出特別チームの一員として潜入し、被害者をうまく連れ出しかけたところを見つかってしまった。必死に逃げようとするのだが、何故か足が動かない。もどかしい思いをしている時に目がさめた。
 北朝鮮は戦前、亡父の任地であり、筆者の生まれ育った土地だけに、現在のような無法者国家になりはててしまったことが悲しくてならない。戦後、銃声の中を逃げるようにして引き揚げて国だけに、存命中にセンチメンタルジャーニーをしてみたいという気持ちが強いのであるが、現在の状況では見果てぬ夢である。冬場に箱橇で遊んだあの池、夏場に蝉や蜻蛉を追っかけ回したあの野はどうなっているのだろうか。そんな思いが潜在意識の中にあって夢をみたのであろうか。
 いま日本の世論は金正日政権に対して激昂している。世論に押されて政府も経済制裁に踏み切らざるを得ないだろう。北朝鮮独裁政権の終わりの序章が始まっている。夢でなく自由に北朝鮮へ渡航できる日を心の奥底で待っている自分がいた。

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2004.12.10

東京都が中国に対抗して中国との隣接排他的経済水域内で漁業を実施させるとの英断。

 また中国の海洋調査船が日本の排他的経済水域内で調査活動を始めた。これに対抗して石原東京都知事は東京都下の漁船をこの排他的経済水域内で東京都の保護下で漁業活動させるとNHKの6時半のニュースが報道した。目的は日本の領土であることを実証するためという。政府の外交が弱腰である中、快哉を叫びたくなる快挙である。

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口惜しいという気持ち

 北朝鮮による拉致被害者の横田めぐみさんの遺骨とされる骨の鑑定結果が判明し、金正日政権の悪魔性が浮き彫りにされて国内の世論は激昂しているが、これに対する首相の感想は「遺憾である」というまるで他人事のような口調で、指導者として口惜しいという気持ちの感じ取れないものであった。日本国の主権が侵害され、体面を汚されたのであるからせめて「許し難い」と発言して欲しかったと思う。日本の国の指導者にはもう口惜しいという気持ちはなくなってしまったのかと思うと悲しくなってしまう。

 ところでこの口惜しいという気持ちを失ってしまったら人間の進歩向上はなくなってしまうと思う。ゴルフコンペで予想外の悪いスコアしか出せずに口惜しい思いをして翌日から練習に励むから技量も向上する。数学のテストで解けない問題があって口惜しい思いをする。そこで力を入れて数学の勉強をする。ところが加齢とともにこの口惜しい気持ちが次第に薄れてきて結果を受け入れようとする心が芽生えてくる。老化の始まりだと思う。日本の国も国家としての老化が始まったのではないかという危機感がある。

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2004.12.09

般若心経

 般若心経は僅か278文字の短いお経である。このお経の中でも色即是空、空即是色という成句は書道の世界等でもよく題材に選ばれるし、色紙などにも好んで書かれる文句である。この意味を調べようとして般若心経の解説を読んだのが毎日仏前で読経するようになったきっかけであった。もう20年程昔のことである。最初このお経を暗唱するのには結構時間を要したことを思い出す。サンスクリット語を漢訳したものを音読するのだから、意味はよくわからないがとにかくひたすら暗唱に努めた。しかし、今では仏前に座ると自然に口をついてお経の文句が一字一句正確に口をついて出るようになった。昔の教養人は幼少の頃、論語の素読をしたものだとは偉人の伝記などにはよく書かれている。幼少の頃意味も判らずに暗唱したことが生涯、忘れることなく血となり肉となり、行動規範になっていたのではないかという気がする。そんなことを考えたとき、毎日お経を唱えるのは脳の活性化にも繋がるし、朝の気分を清新なものにする上でも効果があるようだ。

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2004.12.08

FMV-BIBLO-NB18D/Vの不具合

師走に入ってから喪中の葉書が頻繁に着信するようになった。それとともに年賀状の準備もしなければと何となく気忙しい。喪中の人には出状しないように気をつけなければならない。そんなことから、先ず住所録の整理を始めた。住所録は富士通のワープロOASYS LX6500-SDで作成したものでフロッピーに保存してある。今回の構想は先ず、コンピューターのFMV-BIBLO-NB18D/V(XP)のアドレス張にアドレスを登録している人に対しては、アニメーションカードで発信し、次にEアドレスのない人には従来通り、年賀状を出状しようということである。

そこで住所録からアドレス張にも登録している人と喪中の人を選別して、一覧表や宛て名書きリストに現れないように取り除く作業が必要になる。幸いワープロのオアシスで作成した住所録もFMV-BIBLO-NB18D/Vにオアシスのソフトをインストールしてあるので互換性があり、パソコンでも使うことができる。

ところが、FMV-BIBLO-NB18D/Vに登録してあるアドレス張からフロッピーに保存してある住所録との間で資料のやりとりが出来る仕掛けになっていないので、二重の資料を作ることになってしまう。またアドレス張から一覧表を作り出すことができない。このことがFMV-BIBLO-NB18D/Vの一つ目の不具合である。

第二の不具合はフロッピーで作成した住所録をFMV-BIBLO-NB18D/Vに装着して必要箇所を修正更新する時に、時として更新作業ができなくなり、作業が中断され今まで苦労して作成した資料をフロッピーに保存できないままログアウトしてしまう現象が頻発した。最初はフロッピーの不良かなと思って、フロッピーをワープロに装着し直して作業してみると更新も保存もきちんと出来て異常は認められない。念の為にもう一台持っているFMV-BIBLO NE5/600R(Me)にこのフロッピーを装着して更新作業をしてみたが何のトラブルもなく出来たし、更新した資料の保存も問題なくできた。従って、FMV-BIBLO-NB18D/Vにはオアシスで作った住所録のフロッピーを装着して使おうとする時不具合が発生すると結論づけることができる。つまりフロッピーで作成した住所録の互換性に不具合ありということである。

第三の不具合はFMV-BIBLO-NB18D/Vで作成したオアシス文書をPDFファイルに変換した時、オアシス文書の統御記号が反映されないという点にある。具体的には例えば、指定したフォント通りに変換できないのである。このことは
FMV-BIBLO NE5/600R(Me)にこの同じオアシス文書を移して実験してみると指定通りのフォントでPDF変換できることでも証明できる。


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大詔奉戴日

 今朝も明けの明星と上弦の月を見ながら近くの公園へ散歩にでかけた。今日は何日だったかなと月を見ながら考えていると12月8日、即ち大詔奉戴日であることに気がついた。昭和16年にはまだ満4才だから幼児の部類であるが、大詔奉戴日という言葉が自然に浮かんでくるのは不思議である。首相の靖国神社参拝に内政干渉してくる中国政府のいやらしさに辟易しているだけに、大東亜戦争の歴史的意義を勉強しなおしてみる必要性を痛感しているからかもしれない。中国の潜水艦に領海侵犯をされても爆撃できないもどかしさや、北朝鮮の独裁者に拉致問題で嘘八百を並べられても経済制裁に踏み切れない弱腰の政府にいらだちを覚えているせいもあるだろう。
更に翻って考えてみれば一億総懺悔をし、侍の魂までも骨抜きにされてしまったアメリカの占領政策に対する口惜しさとその後の日教組や左翼系文化人の跳梁がこの国を溶かし去ろうとしている現状に対する危機意識があるせいでもある。大東亜戦争を美化する意志は毛頭ないが、自虐史観に禍されるのはもういい加減にしてくれという気持ちが強い。同じ思いの人もいると見えてさりげなく淡々と終戦の日と大詔奉戴日のことについて小学生時代に作った新聞の切り抜きをその解説とともに公開している人のサイトを見つけた。

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2004.12.07

野球発祥の地の碑文

この地には、もと東京大学およびその前身の開成学校があった。1872(明治5年)学制施行当初、第一大学区第一番中学と呼ばれた同校でアメリカ人教師ホーレス・ウイルソン氏(1832~1927)が学課の傍ら生徒達に野球を教えた。この野球は翌73年に新校舎とともに立派な運動場が整備されると、本格的な試合が出来るまでに成長した。これが日本の野球の始まりといわれている。76年初夏に京浜在住のアメリカ人チームと国際試合をした記録も残っている。
ウイルソン氏はアメリカ合衆国メイン州コーラム出身、志願して南北戦争に従事した後、71年9月にサンフランシスコで日本政府と契約し、来日、77年7月東京大学が発足した後に満期解約、帰国した。同氏が教えた野球は、開成学校から同校の予科だった東京英語学校(後に大学予備部門、第一高等学校)へ伝わり、やがて全国的に広まっていった。
 2003年、同氏は野球伝来の功労者として野球殿堂入りした。
まさにこの地は日本野球発祥の地である。

2003年12月 (財)野球体育博物館

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日本の野球発祥の地


 街角で歴史的な碑を見かけることがある。東京神保町にある学士会館の前で日本の野球発祥の地という碑を見つけたので写真に納めておいた。

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2004.12.06

防犯

 昨日テレビ朝日で泥棒の手口についてクイズ番組をしていた。最近日本の治安が悪くなって、外国人による空き巣狙いが随分増えているようだ。勿論日本人の泥棒もいるが、中国人と韓国人や朝鮮人による犯罪が増えていることは困ったことである。
 さて空き巣の被害に遇う日は金曜日が多い。空き巣狙いの三大工具は①ドライバー、②バール、③懐中電灯である。洗濯物を干し放しにしておくと防犯予防になるという考えは逆で、留守だと推定される。番犬はあまり効果がない。泥棒が一番躊躇するのは人に声を掛けられることだという。近隣との付き合いを大切にし地域社会が相互に不審者を牽制していくということが防犯には一番効果があるようだ。
 手口の紹介では、格子付きの硝子窓は僅か2分程で侵入されてしまう。合わせ硝子が防犯には一番効果的であることを知った。それにしても引っ越し屋を装って集団でやってくる連中は僅か1時間家人が留守にしている間に家財一切ごっそり盗み出したのには驚いた。プロの空き巣に狙われたらお手上げというのが現実であることを知り、つくづく恐ろしい世になったものだと思う。

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2004.12.05

壱岐・対馬の旅⑦小学生の挨拶

 対馬の郷原町を歩いていて感心したことがある。町中の道路は日本のどこの道路にもあるような道路標識があって横断歩道には縞模様の白い線が引かれている。小学生が二、三人この横断歩道を横切った。横切る前に彼等は歩行者が通りすぎるのを待って止まっている車に向かってお辞儀をした。そして渡り終わると道路の方を振り返って、再びお辞儀をしたのである。このような光景を数回目撃したのでガイドに聞いてみると、対馬の小学校では礼節ということを重視して、人から受けた好意に対しては感謝の気持ちを形で示しなさいという教育をしているらしい。

 自分達が安全に横断歩道を渡ることができたのは運転手が自分達のために車を止めて待機してくれたからであり、そのことに対して感謝の意を込めて、渡りおえてから再び振り返ってお辞儀をしたのである。一寸した行為であるが旅人の目には新鮮でほのぼのとしたものを感じさせる良い光景であった。

 また郷原町の目抜き通りの両側に建つ街灯には宗家の家紋が二つ、印されておりこの島の領主であった宗氏に対して今でも敬意を表している。学校でもこの家紋を校章に採り入れている学校があるという。よき伝統や習慣を守ろうとする町の人々の心が子供達のお辞儀にも現れているのかなと思った。

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2004.12.04

暮れの訃報

 師走に入ってから毎日のように、旧友から喪中につき年始の挨拶を遠慮させて戴くという葉書が舞い込む。実父母であったり、配偶者の父母であったりする場合が多い。何れも90才前後の大往生を遂げられたようで、長寿を全うされているのはおめでたい限りである。こういう訃報に接する度に我々もはや、そういう年代の仲間入りをしたのだなと思う反面、まだそこまで到達するには二十年も残っていると考えたりもする。しかしその日は着実に迫ってきているのも事実である。

他人の世話にならないで自律して生活でき、周囲に迷惑をかけないである日突然昇天するという終わり方ができるのが理想であると思う。このことを指してPPKというそうである。ピンピンコロリがその心である。

 そのためには、病気したり、怪我したりしないよう体力維持の習慣化が必要と改めて思うこのごろである。

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2004.12.03

壱岐・対馬の旅⑥鷲羽山から見た瀬戸内海の島々

筆者のイメージの中にある鷲羽山から俯瞰した瀬戸内海の光景は瀬戸大橋のために壊されてしまっていた。瀬戸大橋が出来る前の写真を見つけたので掲げておこう。実際に写真で比較してみると浅茅湾と瀬戸内海では随分異なっているが、海面に島々が浮かびどこまでものどかな雰囲気は筆者には共通性のあるイメージなのである。

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壱岐・対馬の旅⑤烏帽子岳

 対馬の旅では烏帽子岳から俯瞰した浅茅湾の光景は印象的であった。360度展望できるヴュ-ポイントからの展望は瀬戸大橋が掛けられる前の鷲羽山からの俯瞰とイメージが重なった。
 今まで見た光景の中でもこの景観は筆者の頭の中では一、二を争う程の素晴らしさであったと思う。下に示すのは対馬の観光案内から戴いた烏帽子岳から俯瞰した浅茅湾の写真である。

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2004.12.02

壱岐・対馬の旅④珍名

「一」という珍名が対馬の姓だとは知らなかったが、ガイドが珍名を幾つか教えてくれたので記しておきたい。「九」を「とおちか」「十二月三十一日」を「としのおわり」と読ませる姓があるという。筆者の知っている名では「八」を「わかつ」というのがあったが苗字としてあるかどうかは知らない。

かつがれているのではないかと思いウエッブで検索してみると「一」と「十二月三十一日」はどうも実在の姓らしい。「一」と「十二月三十一日」

ところで阿比留という姓も対馬独特の苗字であるが、調べてみると「阿比留文字」というのがあってこれは「神代文字」の一種であり、朝鮮のハングルの元祖になっているらしいという説があるのを知った。大陸との交流が古くからあった島だけに文化的にも研究すれば面白い材料は沢山ありそうである。阿比留文字

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壱岐・対馬の旅③苗字

 対馬はもともと占部の阿比留氏が在庁官人として支配していたのを鎌倉時代以降、宗氏がこれを追い爾来宗氏の領国となった。 宗とは朝鮮渡来の帰化人かなと思っていたが、これは認識違いであった。鎌倉時代の武士で惟宗氏を宗と略したもののようである。対馬宗氏の祖は平知盛の遺裔ともいわれる宗知宗とされ、対馬守護太宰少弐氏の守護代を勤めていた時、その意に従わない在地官人の阿比留氏を追ったのである。
元寇の役では身を挺して防戦にあたり、文禄・慶長の役でも先陣を務め、秀吉から一万石を得ている。関が原の戦いでは豊臣方についたが、江戸幕府の朝鮮との国交回復に奔走し、1609年朝鮮王光海君との間に通商貿易上の諸規定を定めた慶長約定の締結に成功した。爾来江戸時代を通じて朝鮮貿易を独占した。また幕府から朝鮮通信使の接待役を命じられ、対馬藩主として10万石の格式を与えられた。
そして現在対馬には宗という姓の人は住んでおらず、宗氏の当主は現在柏市で開業医を営んでいるということである。逆に阿比留氏は沢山住んでいるということである。また「一」という姓があってこれを「にのまえ」と読ませているという。

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壱岐・対馬の旅②

 壱岐の郷の浦港からジェットフォイル船で対馬の厳原港まで約1時間の距離であるが、この船はなんと時速80㎞の高速船である。対馬も壱岐同様、長崎県下の島であるが、どちらかといえば福岡県との結びつきが強い。船便は何れも福岡の博多港と結ばれ、空の便も対馬と長崎間が一日2往復であるのに対して、対馬と福岡間は一日5往復である。県外からの旅行者にとっては何故長崎県に所属していなければならないのかとの疑問が起きる。

対馬では万関橋、和多都美神社、烏帽子岳公園、韓国展望所、上見坂公園、小茂田浜・元寇史跡、椎根の石屋根を駆けめぐった。
対馬の観光地
対馬は魏志倭人伝にも「土地山険にして深林多く、道路は禽鹿(きんろく)の径(けい)の如(ごと)し。千余戸あり。良田無く、海物を食して自活し……」と活写されている如く山の連なっている島でその90%以上が山地という地形であるから、トンネルが多い島である。それだけに自然環境がよく保存されていて動植物の宝庫ともなっている。対馬の自然
対馬の歴史

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2004.12.01

壱岐・対馬の旅①

 11月28日~11月30日まで壱岐・対馬の旅に出かけてきた。壱岐では元寇の役で討ち死にした少弐資時を祀る壱岐神社、左京鼻、はらぼけ地蔵、猿岩、砲台跡、いるかパーク、岳の辻展望台、焼酎工場、雲丹工場を駆け足で廻った。意外であったのは壱岐の島は長崎県下で諫早に次いで二番目の農地を持つ米所であり、麦焼酎の発祥の地だということであった。対馬が山また山の連なる男性的な島であるのに対して、壱岐は山も低く女性的な島であったこと。魏志倭人伝にも一支国と記載されている古くから歴史に登場する大陸との交易の中継基地でもあったこと。また元寇の役では島民が沢山殺戮された悲しい歴史を持っていること。

島内各所にある入り組んだ漁港には海の幸が豊富に水揚げされること。そして何よりも美しい自然が残っていることなど期待以上に旅情をそそられる良い島であった。壱岐観光案内

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