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2005年5月

2005.05.31

ドブロブニク城砦の隔壁2


4月20日(水)
 城砦の壁は頑丈に出来ている。
写真左は断崖絶壁に建つ隔壁。
写真右は城砦内の路地風景。

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2005.05.30

ドブロブニク城砦の隔壁


4月20日(水)
 ドブロブニクは城砦都市であることは何回も書いた。その城砦の壁を紹介しよう。
 写真は城砦の隔壁の上から撮影したものである。左側が城の外で右側が城の中である。このような頑丈な隔壁で城は外界から遮断されていた。

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2005.05.29

中国副首相ドタキャン帰国の副産物

 中国の呉副首相が小泉総理大臣との会談をドタキャンして急遽帰国した背景については、いろんな見方が伝えられているが、この問題を契機に炙りだされた中国で蔓延しだしている 鳥インフルエンザや口蹄疫問題に注意が必要である。
その一つがnikaidou.comのこの記事

以下引用

シナは暴動に疫病で危険度300%。
【5/27(金)14:00】

<新渡戸米蔵さんより>

 前略 シナババァの失礼な行為に対して、日本ネット市民の怒りが炸裂中のところ大変僭越ながら一言。じつは、シナの伝染病に前から注目しておりました。ここのところのウイルスの暴れ方は尋常ではありません。たんなる風土病を超えて、『疫病』化しています。鳥インフルエンザ、ヒトインフルエンザ、ヒトの髄膜炎、各種の家畜のウイルス感染症、狂犬病などなど。戦争や外交戦略なんて考えている場合ではなく、『疫病』を克服することが一番の課題になりつつあります。口蹄疫と鳥インフルエンザは、おそらく畜産業を壊滅に近い打撃を与えるはずです。カシミアや羊毛にも影響が確実にでます。それから家畜ばかりではなく、シナが発信源のヒトの感染症の世界的蔓延の危惧もあります。非常に現実になろうとしています。日本人は、優れた公衆衛生学の知識と技術で、これまで難なくやってきたために、『疫病』の恐怖を忘れています。とかく『戦争』には脊髄反射しても、『疫病』にはさっぱり反応できなくなっています。人類にとって疫病は戦争よりも恐ろしく歴史を変えてきたものです。この重大な事情をぜひ認識していただきたく、ご連絡申し上げました。

→新渡戸さん、メールの最後が文字化けしていましたので多少割愛しています。さて、「実は鳥インフルエンザで帰ったことにしたい」シナのババァ副首相ですが、そんなものはとうにわかっているはずなので今更です。第一、シナは言論統制がひどく、暴動という形以外の世論がないんだから、海外にいようがモラルなんて問われないでしょう。共産党の独裁ですし。

 そうそう、勘違いしている人がいるんですが、日本政府は戦後処理は共産党とやっていません。国民党とやったのです。ですから国民党を追い出した共産党が「知らない」というのは筋が通らない。だったら、日本も「民主自由新党」とでも名前をつけてそれに政権持たせれば、「関係ないよ」といえることになってしまいます。

また二つ目が酔夢ing voiceに掲載のこの記事

以下引用

そんなことより、すでに5月19日に韓国には支那政府が通報した北京で発生した口蹄疫の方が遥かに重要だ。外務省は支那へ渡航禁止の措置を取らなくていいのか?

最後に宮崎正弘氏のメルマガ国際ニュース早読み1131号に記載されたこの記事

以下引用

(宮崎正弘のコメント)呉儀(中国副首相)の非礼(小泉をすっぽかして突然帰国)は、本当は伝染病と関係があるのでは?とする疑惑が昨日あたりから流れていますね。
 SARS情報を数ヶ月も隠し続けた中国ですから、また同じ情報操作? 呉副首相は防疫担当でもありますからね。かつてプリマコフはイラクへの特使へ赴いた帰り道だと言ってモスクワより先に日本に来て講演しました。呉副首相をシンポジウムに呼んだ日本の会社は「講演料」なるものをいくら包んだのか、興味があります。
 さて「鳥インフルエンザ」は、ベトナムで流行したのを最後に沈静化した、と報じられていました。
ところが、中国は例によってこの情報も最近まで隠していた。直近の例は、青海省です。琵琶湖の四倍の青海湖にやってきた渡り鳥が、鳥インフルエンザで死にました。いま50萬本のワクチンを青海省は緊急に手配しております。24日付けの新聞が報じています。
 小生、青海湖を一周したことがあります(西寧からミニ・バスで10時間ほどかかった)が、青海湖の真ん中の島に数万羽の渡り鳥が棲息、あんなに綺麗な湖が、環境汚染をつたえられる中国にあるのか!と感嘆したほどでした。
もっとも青海省は中世から近世まではチベットの版図であり、漢族とは縁のうすい土地ではありますが。御警告のように「鳥インフルエンザ」を伝染させるおそれがある国からの入国者、カーゴ、万全の点検が必要です。

Vitamin Mail=PCによる小遣い稼ぎの優れたツールである。

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ドブロブニク旧市街でのハプニング


4月20日(水)
 現地ガイドはこの城郭市内で生まれ育った中年の婦人であった。
 彼女曰く。「12時15分になるとハプニングが起こります」
 ハプニングとは鳩の餌付けであった。この時間には城郭内の全ての鳩が一斉にこの場所に集まるのだという。
写真上は餌付けを待って集まってきた鳩が近くの建物に止まって待機している所。
写真下は餌に群れる鳩達。あっという間のハプニングであった。

今日の俳句

・春の鳩 群れ集まりて 餌を待つ

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2005.05.28

ドブロブニク旧市街のメインストリート


4月20日(水)
 ドブロブニク旧市街は城砦都市であり、自己完結型の都市として造営された。今もその名残を十分に留めていて観光客の鑑賞に耐えている。
 写真は城内のメインストリートで石畳になっている。

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2005.05.27

ドブロブニクの新市街を城壁より望む

4月20日(水)

 旧市街の城壁の上から城外の街並みを撮影した。


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2005.05.26

ドブロブニク旧市街点描補遺

 ドブロブニク市の印象は強烈であった。一通り写真を主体に書き綴ってきたが、なお写真として残しておきたいものが何点かある。それを暫く書き綴っていきたい。

 1991年のユーゴースラビアからの独立に際しての内戦ではここ旧市街地も戦火に見舞われた。爆撃も受けた。内戦後10有余年を経てもう戦火の爪痕は顕著にはみられないが、それでも復旧できないほどに破壊された建物がそのまま放置されている姿を散見する。そんな写真の一枚が下に示すものである。


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2005.05.22

ドブロブニクよさようなら


4月21日(木)
 ベニス訪問から始まった今回の10日間の旅も終焉に近づいた。ドブロブニクのホテルを正午に発って空港に向かった。空港へ赴く途中見晴らしの良い場所でドブロブニクの市街を展望した。
 遠景にドブロブニクの立地状況がよく判る。そして手前の原にはエニシダが今を盛りに咲き誇っていた。今回の旅ではドブロブニク訪問が一番印象に残るであろう。

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城壁の上からドブロブニク旧市街地を見る


4月20日(水)
 午前中、旧市街を見学し且つ散策した後、城壁の上を一周した。写真上左は城壁登り口近く。写真上右は城壁の見張り台。写真下は城壁から見た旧市街の点景である。


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ドブロブニク旧市内、総監の館


4月20日(水)
 城郭内の総監の館を見学した。
 写真上の左右は何れも総監の館の一階広間である。
 写真下左は総監の胸像、右は総監の館を出たところである。

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ドブロブニク市街点景


4月19日(水)
ドブロブニク旧市街内を散策した。写真に示すのは旧市街での点景である。

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ドブロブニク旧市街の街並み


4月20日(水)


 ドブロブニク旧市街の城郭内の街並みを城壁の上から撮影した。オレンジ色の屋根が並んでいて昔のままの佇まいを今に留めている。城郭内全体が世界遺産である。

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旧市街地への入場門近くで



4月20日(水)


 ドブロブニクの旧市街を散策した。頑丈な城壁で囲まれた市街地は中世の面影をそっくりそのまま現在に伝えている。典型的な城郭都市である。


 写真は旧市街地への入り口近くの画像である。

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ドブロブニクのランドマーク、チトー大橋


4月19日(火)

 ドブロブニクにチトー大橋というのがあり、ドブロブニク市の名物の一つになっている。ユーゴースラビアの元大統領の名前を取って付けられた。既述の地図の左手上方にかかっている橋が写真の橋である。



チトーにはクロアチア人とスロベニア人の血が流れている。西洋史辞典・・東京創元社刊・・によればチトーは次のような人物である。



1892-1980 本名Josip Broz ユーゴースラビア大統領、共産主義者同盟議長、連邦幹部会議長、元帥、第一次世界大戦に従事し、ロシア軍の捕虜生活を経て20年に帰国して共産党に入党。革命運動により数次にわたり投獄されたが、1935-36年にはモスクワに亡命。37年ユーゴースラビア共産党書記長に選出され、第二次世界大戦中は対ドイツパルチザン闘争を指導、43年国民解放臨時政府首席となり、45年以降首相、軍最高司令官、国防相を兼務し、46年人民共和国成立後、53年大統領に就任。47年にベオグラードを本部に結成されたコミンフォルムで指導的役割を演じたが、その民族主義的傾向からスターリンと対立してコミンフォルムから追放、それ以降は非同盟・積極的中立主義の立場で自由世界とも接近し、スターリン死後は対ソ関係の正常化にも努め、社会主義運動と第三世界に大きな影響力を発揮した。国内の民族的調和も進めた。

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ドブロブニクのロケーション


4月19日(火)
 夕刻ドブロブニク市へ到着した。この市は複雑な地形をしている。観光案内所で入手した地図を掲載しておこう。
 写真左はドブロブニク市の全体図である。この図の右手下方に茶色く色のついている箇所が旧市街地で町全体が城郭都市になっていて町全体がユネスコの世界遺産に登録されている素晴らしい景観の保存されている地区である。
 写真右は旧市街の見取り図である。


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2005.05.21

ボスニア・ヘルツェゴビナ領内を通過


4月19日(火)


 スプリットからドブロクニクへ長駆227㎞をドライブの途中、ボスニア・ヘルツェゴビナ領内で小休止した。

 地図からも判るようにクロアチアは海岸線に沿って細長い国である。紫色が国境線であるが、ドブロクニクはボスニア・ヘルツェゴビナ領によって母国本体から分断された飛び地になっている。

 このボスニア・ヘルツェゴビナを通過するためには入国と出国の手続きを検問所で行わなければならない。

 運転手がガソリンを補給するためにこの地で小休止したのには訳があった。物価が非常に安いのである。我々もガソリンスタンドに併設されたディスカウント・ショップで買い物をしたが、クロアチア国内よりも二割から三割値段が安いことを知った。

 国の経済力の格差が物価に如実に現れていることを実感した。






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リゾート地スプリットの点景


 スプリットには城郭に囲まれた旧市街が昔の面影を留めて現存する。朝ホテルの周辺を散歩してみた。リゾート地のこの町のヨットハーバーには沢山のヨットが係留されていた。教会も沢山あるようだが、写真の教会の名前は判らない。

今日の俳句

・春風を はらんで帰る ヨット基地

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リゾート地スプリット


4月19日(火)
 スプリットはクロアチアのリゾート地であり、漁師町でもある。この町で宿泊したが街中は駆け抜けるだけであった。それでも朝出発までの間、しばし散歩していくつかの光景をカメラに収めた。

 写真左は港の風景、写真右は釣り人が用意していた餌のゴカイ。

 今日の俳句

・釣り人の 離合集散 「ごかい」知る

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アンフィーシアター


4月19日(火)
 スプリットからトロギールへ赴く途中サロナ市でローマ時代の遺跡である、円形劇場を見学した。アンフィーシアターと呼ばれている。最近公開されたばかりの遺跡で、日本人観光客としては我々が一番乗りであろうと添乗員は言っていた。未だ発掘作業が続けられていた。

今日の俳句

・初物の ローマ遺跡に 春の風


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ローマ遺跡の水道橋


4月19日(火)
 スプリットの近郊にサロナ市というのがあり、ここにローマ時代の水道橋が残されている。スプリットからトロギールへ赴く途中、バスの車窓から瞬間的にこの橋を撮影するのに成功した。サロナ市は皇帝ディオクレティアヌスの出身地であるからこの辺りにはローマ時代の遺跡があちこちに残されている。

今日の俳句

・春草や 水道橋に ローマ見る  

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2005.05.20

トロギール城郭内の点景


 トロギールの城郭内を散策していたら、ここにもやはり紅灯の巷というものがあって、賑やかな声の聞こえるバーがあった。覗いてみると酔漢がこちらを向いたのでカメラを向けるとポーズを作ってくれた。

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トロギール城郭内点描


4月19日(火)

 トロギールの城郭内を散策した。点景の写真を四葉掲載しておこう。

写真上左は ディオクレティアヌス宮殿近くのレストラン

写真上右は城郭内の路地風景

写真下左はある教会の塔

写真下右は体重測定の商売。体重を計る商売が現存することに驚いた。

今日の箴言

・時代の急速な変化、技術革新に背を向けて昔ながらの生活を続けることも一つの見識である。

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ディオクレティアヌス宮殿


4月19日(火)

  トロギールはローマ皇帝ディオクレティアヌス(284~305在位)が晩年の宮殿を営んだ土地である。

ディオクレティアヌスはダルマチィアのサロナで生まれた解放奴隷の子であった。軍人としての優れた手腕により執政官に就任、ヌメリアヌス帝の死後皇帝に選出された。活動的、精力的で知性あふれる支配者であった。彼の下で皇帝権は絶対化しローマは元首政治から専制君主政治へと移行した。

  彼は政争で暗殺されることを最も虞れ、安住の終の住処をこの地に求めたと言われている。

 写真上左・・ディオクレティアヌス宮殿復元図
 写真上右・・ディオクレティアヌス宮殿の一部
 写真下左・・宮殿内部の天井
 写真下右・・ディオクレティアヌス帝の胸像

 今日の俳句

・権勢も 今は遺跡 肌寒し

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ローマ皇帝晩年の宮殿があったトロギール


4月19日(火)
 朝スプリットの宿を出発してトロギールへ向かった。ここにはローマ皇帝ディアクレティアヌスが晩年を過ごした宮殿がある。このトロギールは島になっていて島全体が城砦になっている。

 写真左はトロギール観光協会のパンフレットから援用したトロギール市の俯瞰写真である。街全体が島になっている様子がよく判る。
 
 写真下はトロギール市への入り口の橋で自家製の野菜や花を売っていた老婦人である。

今日の俳句

・春の花 ひさぐ婦人の 皺渋し

VitaminMail

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シベニックの街中点景


4月18日(月)
 シベニックの街中を散策した。外国からの観光客が多い街だがやはり初老の人達が多い。

今日の俳句

・春光を 浴びて歳も 若くなり

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シベニックの聖ヤコブ教会


4月18日(月)

シベニックのヤコブ教会を訪問した。セメントを使用しないで単純な石の積み上げ技術でアーチ構造を随所に使っている。特に石の屋根が素晴らしい。世界文化遺産に登録されている逸品である。内部の装飾もまた一見に値する。
シベニックのヤコブ大聖堂についての解説



今日の箴言

・石の文化遺産は時空を越えて後世に伝わる。それに反して鉄の文化は伝わりにくい。酸化という化学現象に耐えられないからである。

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リゾート地ザダール


 ザダールは漁師町であるとともにリゾート地でもある。写真はthe church of st.Donatで周辺地域を散策すると昔の面影が随所に見かけられる。しかし、1991年のユーゴースラビアからの独立戦争ではこの町も内乱に巻き込まれ、民家のあちこちに銃弾が打ち込まれた。内乱が収まり10数年が経過し、今では戦火の爪痕は見つからない。しかし、注意してみると補修されないままになっている小さな弾痕の跡を見つけることができる。

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漁業の町ザダール


4月18日(月)
プリトヴィツェ湖を朝出発してバスで長駆約2時間半かけて港街ザダールへ到着した。港を散策しているとき、漁船が獲物の鰯を水揚げしているところへ出くわした。

 この港街の波止場には波のエネルギーを利用して波動を自然の音楽に作り変える珍しい装置があった。この装置は世界初めてのもので最近完成してお披露目があったばかりだという。1週間前のことだという。

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ザダール市内の弾痕・・内戦の爪痕


 外見は内戦があったことを忘れさせるような町の佇まいである。激しく壊された家屋は補修されて綺麗になっている。しかし、小さな弾痕は補修されることもなくそのまま残されている民家が散在する。



 ガイドに説明されてそれと気がついた小さな弾痕の写真である。

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ザダールの街並み


4月18日(月)

 歴史の古い町ザダールは散策するのに楽しい町である。こじんまりと纏まっているところがいい。ヨーロッパの城郭都市というのはあちらこちらにあるが、アドリア海沿いのこの町の雰囲気はとてもよく旅情をそそって尽きないものがある。



写真は市の観光協会が発行しているパンフレットからザダール市街の街並みを俯瞰したものを転用した。

 ザダールはショートステイしてゆっくりと過ごしてみたい魅力ある街である。

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ザダールのローマ遺跡


 4月18日(月)
 ザダールの街は歴史が古いから、ローマ遺跡も残されており、遺跡の中は子供達の格好の遊び場となっている。
 写真はシモン教会前のローマ遺跡


・春の日に 遺跡に遊ぶ 子供達


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ザダールのアナスタシア聖堂


ダルマチア地方で一番大きな教会がこのアナスタシア聖堂である。時の流れの中でいろいろと洋式も変化してきたが、現在のこの洋式はロマネスクを代表するものである。

 ヨーロッパの教会建設は完成するまでに随分と時間がかかっているものが多い。百年以上かけて建設されたものもそう珍しくはない。時の流れの中で様式も次々と変わっていく。

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ザダールの市章


 ザダールの町にはローマ時代の遺跡も残されていて、アドリア海沿岸の諸都市の中でも歴史が古い。
 
 市の岸壁のところに最近できた波動を音楽に変換する施設が2005年に完成したことを記したザダール市の市章。この上に乗って波動音楽を聞くと一番音響効果がいいと言われている。市章には次のような文言がクロアチア語で書かれている。

GRD ZADAR 2005 MORSKE ORGULJE

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港町ザダール


4月18日(月)
 港街ザダールへ立ち寄り中世の名残の残る街中を暫し散策した。
 写真はザダールの街の全景を観光協会のパンフレットから転載したものである
が、写真下辺の岸壁には珍しい仕掛けがしてあった。波の動きをパイプに取り込んで天然の音楽を創出しようという試みである。世界でも初めての試みで、岸壁に立つと得も言われぬ妙なる波動のメロディーが流れてきて観光客を驚かせる。この施設はつい最近完成したばかりであった。



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港町ザダール


4月18日(月)

 プリトヴィツェ湖に別れを告げ、港町ザダールへ立ち寄った。ここは漁業の盛んな町であるが、欧米の人々のリゾート地にもなっている。この町の岸壁に最近造られた波を音楽に変える設備は世界でも初めての試みで最近完成したばかりである。



写真はザダールの町へ入る手前でバスの中から撮影したものである。左側前方の町がザダールである。

 昔栄えたが産業革命に取り残されて、一時衰退した城郭都市であっても、文化遺産をかたくなまでに保護したお蔭で今観光ブームに沸き返っている都市が欧州には多い。

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2005.05.18

プリトヴィッツェ湖群国立公園のレストラン


4月17日(日)
 プリトヴィツェ国立公園へ到着して昼食を摂ったのだが、食堂へ入ったとき目に入ったのが、子豚を串に刺して丸焼きにしている情景であった。人間はその種が異なれば残酷な行為でも平然とまた当然のことのようにして行動するものだ。お釈迦様は動物や昆虫を人間が平然として殺すのに無情を感じて求道の生活に入ったと教えられたが、凡人にはお釈迦さんの境地には近づくことができない。

外国の観光客はビッフェ方式で食事をしていた。我々の食事のメインディッシュは生ハムであった。 

 この公園には世界各国から観光客が訪れる。一晩宿泊したホテルの写真も掲載しておくことにしよう。

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プリトヴィッツェ湖の種々相


4月17日(日)
 プリトヴィッツェ湖は丁度雪解け水が流れ込む時期で随所に滝が見られた。そして晴天に恵まれ鏡のやように静謐な水面は色彩鮮やかに観光客の目を楽しませてくれた。

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プリトヴィッツェ湖の散策路


4月17日(日)


 プリトヴィツエ湖はユネスコの世界遺産に登録されている。美しい自然がそのままの姿で残されており、静謐な時間が流れている。折から雪解け水が豊富に湖へ流れこんでおり、大小の滝が至るところに見られた。湖畔を巡って遊歩道が作られており、観光客は世俗を忘れてしばし、寛ぐことができる。写真は遊歩道から撮影したものである。この清冷な流れの中で生育している植物があった。名前は判らない。



 このように清らかな流れであれば、山葵がよく育つのではないかと思った。この思いつきは飛躍して日本の山葵の栽培技術を指導して山葵栽培をし、湖から採れる魚で寿司を作るという事業も成り立つのではないかなどと夢想していた。

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プリトヴィッツェ湖の見取り図



4月17日(月)朝早めにオパティアのホテルを出発して、プリトヴィツェ湖群国立公園へ午前中かけて長駆した。この湖群はユネスコの世界遺産に登録されているもので自然の環境がよく保護保全されている。

 走行中、窓の外にはチェリーの白い花や連翹の黄色い花が咲き乱れ木々の緑は若々しく萌えさかっていた。まさに春爛漫の景色であった。

 公園入り口に到着し看板にでていた見取り図を撮影した。

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プリトヴィッツェ湖の滝壺にかかる虹


4月17日(日)
 午後フリトウ゜ィツェ湖の湖畔を散策した。至る所に滝が流れており、雪解け水が清冷な流れをつくり、晴天に恵まれて滝の水しぶきの上に虹がでていた。

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プリトヴィッツェ湖群国立公園


4月17日(日)
 朝、オパティアの町を出発してプリトヴィッツェ湖へ229㎞のバスドライブである。正午近くに到着した。

 プリトヴィツェ湖群国立公園のロケーションを同公園のパンフレット掲載の地図を抜き出して掲示しておくことにしよう。

  プリトヴィツェ湖国立公園の滝は随所にあり、天然の造形美を求めて世界中から観光客が訪れる。湖畔を約一時間かけて散策した。自然の美しさに見せられた至福のひとときであった。


  この湖はユネスコの世界遺産に登録されている。

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2005.05.17

内戦の爪痕


4月17日(日)
 プリトヴィッツェ湖へ至る緑豊かな平野の中に廃墟と化した民家を何軒も実見した。1991年クロアチアが旧ユーゴースラビアから独立するに際して勃発した内乱は田舎の村にまで戦火が及んだ。写真で示したのはセルビア人がクロアチアから追われて廃墟となったセルビア人の旧民家である。
 撮影することができなかったが、クロアチアの野原には地雷が沢山敷設され、未だに撤去されない箇所が何ケ所も残っていて「地雷あり危険」という警告の看板があちらこちらに建っていた。

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オパティアからプリトヴィッツェ湖へ


4月17日(日)
 オパティアを朝出発して長駆229㎞をバスで次なる目的地プリトヴィッツェ湖へ向けて出発した。途中瞥見した湾の写真を掲載しよう。地名は判らないが、このような光景はクロアチアの海岸線ではよく見られる。

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オパティア


4月17日(日)
 オパティアの街を後にして次なる訪問地プリトヴィッツェ湖群国立公園に向かった。展望のよい所でオパティアの街を俯瞰した。実に美しい街であった。

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クロアチアのオパティア


4月16日(月)
 二泊したオパティアの街はリゾート地であるとともに造船の街でもあり、又漁業の街でもある。

 写真上はヨットハーバー
 写真下は造船所

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プーラ円形劇場続き


4月16日(土)
 円形劇場の中に博物館がある。
 写真上はローマ時代の難波船に積み込まれていた葡萄酒用の壺である。
 写真下は円形劇場の側の広場である。この日は土曜日ということもあって、市の催し物に警察の楽団が演奏をしていて大変賑やかであった。

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クロアチア、プーラの円形劇場


4月16日(土)
 オパティアの宿を朝出発してプーラへ向かった。ここにはローマ時代の遺跡が残されている。円形劇場である。今でも音響効果のよいこの劇場でコンサートが開かれるという。

写真上は劇場内部。椅子が並べられてコンサートの準備が行われていた。
写真下は劇場の外側から。近くにはビルが建ち並び劇場の全景を撮影することは出来なかった。

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2005.05.16

スロベニアの高校生達


4月15日(金)
 プレッド・ヤムスキー城の見学を終え、再びポストイナ鍾乳洞周辺のレストランまで戻り昼食を摂った。その時居合わせたスロベニアの高校生達のグループが賑やかに喋っていた。カメラを向けると誰かの合図で一斉にこちらを向きポーズをとってくれた。

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プレッド・ヤムスキー城周辺の花


4月15日(金)
 プレッド・ヤムスキー城への入り口近くの畠に咲いていた花をカメラに収めておいたが、その名前が判らない。

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スロベニアのプレッド・ヤムスキー城


4月15日(金) プレッド・ヤムスキー城へ行った。この城は15世紀に作られた城である。戦乱の絶えなかった中世に敵からの攻撃に遇わないよう隠れ砦として鍾乳洞の中に作られたものである。時の流れ世代の交替の中で洞窟から外界へ次第に増築されて現在の形になったものである。



 写真に見える建物の奥には幾つもの洞窟があり、カルスト台地の鍾乳洞であったが、城として利用された頃には既に死んだ鍾乳洞となり、単なる洞窟になっていたものと推定されている。



 この城の中を見学中に豪雨があったが、通り雨で幸い濡れることはなかった。


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スロベニアのポストイナ鍾乳洞


4月15日(金)
スロベニアの首都リュブリャーナの南西約48㎞のところにスロべニアでは最も長いポストイナ鍾乳洞がある。全長20㎞に及ぶ地下道が発見されている。入り口から約2㎞を黄色いトロッコ電車に乗って進み終着駅でおりる。そこからはよく整備された観光コースを約1㎞徒歩で見学することになる。



周囲に繰り広げられる天然の造形美にはしばしば感嘆の声が発せられる。



この鍾乳洞の中にはここでしか見られない、4本の手足を持った類人魚が棲息している。










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2005.05.15

ブレッド島内のマリア教会


4月14日(木)
 ブレッド島のマリア教会へ参詣した。礼拝堂に天井から一本のロープが吊り下がっていた。このロープを握って下の方へ引っ張ると鐘がなる仕掛けであった。
 訪問の記念に力一杯鐘の音を轟かせた。


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ブレッド湖の遊覧


4月14日(木)
 ブレッド湖で小舟に乗ってブレッド島へ渡った。我々の乗った舟の船頭は二本の櫂を巧みに操って静かに湖面を滑っていった。
同行のパートナーは別の舟であった。途中お互いの舟影を見つけエールを交換した。舟から眺める雪山やお城もなかなか乙なものであった。
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断崖上のお城とボート


4月14日(水)
 先程まで入場していたブレッド城を湖の上に浮かべた手漕ぎ舟の中から眺めた。断崖絶壁の上に建っているのがブレッド島で右手の教会がブレッド島にある小島の中のマリア教会である。今乗っている舟はブレッド島へ向かっている。
 その時シングルスカルを漕いでいる漕手を発見した。ボートをここで漕いでみたいという気持ちがむらむらと沸き上がってきたのを思い出す。

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ブレッド城で見つけた侘、さびの世界


4月14日(水)
 ブレッド湖の畔の断崖の上にブレッド城という小さな砦がある。ロケーションはギリシャのメテオラの修道院を偲ばせるものがある。そのブレッド城への入り口には日本の寺院によく見られる光景があった。侘、さびの世界とでも言えようか。苔の状態が懐かしくカメラに収めておいた。

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2005.05.12

スロベニアのブレッド湖


4月14日(木)
 午後からリュブリャーナの北西に位置するブレッド湖を訪問した。アルプスの瞳との愛称のあるこの湖は鏡のように静かな水面と背後に控える雪を抱いた山々はどこまでも清冷でゆったりと時間が流れていた。
 
 写真上はユリアン・アルプスの山々。
 写真下は湖に浮かぶ小島ブレッド島に建つマリア教会

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スロバニアの桜


4月14日(木)
リュブリャーナ市内に昔の錨が飾られていた。

リュブリャーナで泊まったMホテルの近くに桜と連翹の花が咲いていた。この旅行中、桜、連翹、えにしだ、藤、蒲公英など日本でなじみの花や柳をあちらこちらで観察することができた。

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リュブリャーナのニコライ大聖堂


4月14日(木)
 ニコライ大聖堂へ参詣した。世界遺産に登録されている。内部の装飾は金張りで豪華絢爛の一語につきる。

 この教会ではたまたま二組の結婚式が行われているところで神前で牧師が新郎神父に祝辞を授けている場面に出会った。
 また運良く二組の新郎新婦を並べて撮影する幸運にも恵まれた。新婦の衣装はスロベニアの伝統的な結婚式の時だけに用いるものだという。 

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リュブリャーナ市内点景


4月14日(木)
 リュブリャーナ市内の繁華街を暫し散策した。朝早くから開かれている市場ももうまもなく閉店という時間に見学することができた。
 近郊の農家の主婦達が取り立ての野菜類を並べて商っているが、野菜の他にも各種各様の日常生活用雑貨類も並べられていて品数も豊富であった。自由主義社会の生活を市民達が謳歌している様子を感じることができた。
 又川沿いのカフェには午後2時を過ぎたというのに市民達がコーヒーを飲みながら楽しそうに談笑していた。

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リブリャーナの繁華街


4月14日(木)
 リブリャーナの中心部にあるのがプレシェレン広場。広場から旧市街へと続く。三本橋の側には19世紀の詩人フランツ・プレシェレンの銅像が建っている。この像も排気ガスの影響を受けてブロンズが薄汚く汚れていた。

 「日が昇る所、争いはこの世から消え、誰も自由な同胞となり・・・」はこの詩人の有名な作詩の一節であるが、この詩は1991年の独立戦争後、スロベニア国歌にとり入れられた。

 写真左はプレシェレン像。右の写真はリュブリャッツ川にかかる三本橋。

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2005.05.11

リブリャーナ城の周囲の公園


4月14日(木)
 お城の周辺は木立が美しく市民の憩いの場になっている。
上の写真はお城の入り口に至る並木道で緑の芽吹き時であった。

下の写真は農民一揆の記念像で像の台座には1473.1478.1515.1573.1713と西暦年号が刻ざまれていた。大規模な農民一揆の発生した年である。

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リブリャーナ城内と子供


4月14日(木)
 リブリャーナ城の内部では催し物が行われるらしく椅子が並べられていた。

 また入り口近くで子供達が珍しそうに集まってきたので写真を撮らせて貰った。


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対中国戦サッカーで反日デモが起こらないか心配である。

  今日中国の山東省で日本チームのサッカー試合が行われる。 サッカーのアジア最強クラブの座を争うアジアチャンピオンズリーグ(ACL)グループリーグの横浜M―山東(中国)戦であるが、再び反日活動が起こらないか心配である。

  過日の凄まじい反日デモは中国政府公認のデモであったことが、各方面の識者によって証明されつつある。即ちこの反日デモは独裁国家の常套手段として、内政に対する民衆の不満を外政に転嫁せしめようとする政策であることが次第に事実をもって証明されつつあるといえよう。

  新聞紙面にはまだあまり大きく取り上げられていない中国経済のバブル崩壊が始まったとの観測が、現代の優れた中国ウォッチャーである宮崎正弘氏のメルマガに紹介されている。この号も厳しい中国経済の現状をよくリポートしている。

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2005.05.09

リブリャーナ城


4月14日(木)
 リブリャーナ城を見学した。この城は現在市民の憩いの場として催し物等が開かれる。

 写真の上は入り口近くで城を撮影したもの。
 下の写真は城の内部に咲いていた花、桜に似て非なる花。チェリーだという人もあれば胡桃だという人もいた。

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リュブリャーナ城より市内を展望


4月14日(木)
 リブリャーナ城から市内を展望した。中世の街の面影が残っている。

 下の写真の右側に見えている塔が聖ニコライ大聖堂でここには先日亡くなったローマ法王ヨハネ二世も来られたことがあり、ミサが行われた。スロベニアは殆どの国民がカソリック信者である。

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スロベニアの首都リュブリャーナ


4月14日(木)
 スロベニアの首都リュブリャーナ市内を午前中見学した。リュブリャーナ城、聖ニコライ大聖堂、市庁舎、プレシェーレン広場、三本橋等を駆け足で廻り午後からは世界遺産のブレッド湖へ向かうことになる。写真の上はリュブリャーナ市内の街並み、下は昼下がりの繁華街の川沿いの遊歩道。

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集団ストーカー

  筆者の運営する別のブログの私書箱に以下のような投書があったので披露することとした。文面にもあるように投書者は、ストーカー行為の被害者であり、その被害の実態を広く世間に訴えたいとの意思を持っているようなので、敢えて公開することにした。

  因みにストーカーなる言葉を【広辞苑・・岩波書店第四版】で調べてみると、①火夫。かまたき。②ボイラー等の炉内へ石炭を連続してかつ均一に供給するために造った自動的装置。・・・・・・・・・・以下類似の説明は省略

  と説明されていて投書者のいう意味では説明がない。

  【日本語大辞典・・講談社1989年第二刷】でも、ボイラーの燃焼装置などへ石炭の供給を自動的に行う装置。・・・・・・・以下類似の説明は省略

と説明されているだけで投書者のいう意味では説明されていない。 

そこでウエッブで検索してみると集団ストーカーを取り上げているものがあった。

以下は投書者からの文書をそのまま転載したものである。

初めまして、an_idle です。突然のメールで、失礼致します。

『集団ストーカー』(集スト)という言葉を聞いた事がありますか?
私は、その「犯罪行為」の被害者です。
私のHPにその被害状況を掲載しましたので、よろしければ閲覧をお願い致します。


http://www.geocities.jp/an_idle/index.html
集ストとは、その言葉の持つ響きとは裏腹に、その実態は『特殊工作』と言った方が正しいです。
また、多くの一般市民の人達が、その犯罪行為の被害に遭っています。
そして、それを行っている黒幕達が『日本の富や権力を握ろうとしている』という事です。
集ストの黒幕達は、それを合法的にではなく、犯罪行為を行う事で得ようとしているのです。

また、何故かマスコミはこの話題を取上げようとしません。
しかし私は、その犯罪行為を抑止する為には、出来るだけ多くの人に知って頂く事が重要だと考えています。
もしも可能であれば、貴方様のHPの掲示板への転載と、私のHPへのリンクをお願い致します

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2005.05.06

サンマルコ寺院


4月13日(水)
ドゥカーレ宮殿に続いてサンマルコ寺院を見学した。ベニスへは前にも平成13年11月に「ルネッサンスの美術鑑賞の旅」で訪問しているから二回目である。
その時はサンマルコ広場は洪水直後でまだ水浸しであった。寺院の中は床の上まで冠水していて通路には架台の上に板を渡してあったのが記憶に残っている。

今回再びサンマルコ寺院へ参詣のため入場した。水こそたまっていなかったが、不等沈下が続いていることを証明するように大聖堂の床が波うっていた。水の都ベニスは遠くない将来水没してなくなる運命にあるようだ。地下水の汲み上げ過ぎが原因だとも言われている。前回訪問の時撮影した写真と対比して掲載してみた。上の写真は前回のもので広場に水が溜まっているのがわかる。サンマルコ寺院の解説はここをクリック

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2005.05.05

水の都ベニスの3


 4月13日(水)ベニスのドゥカーレ宮殿を見学した。ここには「ため息橋」というのがある。宮殿内の裁判所で判決を受けた罪人が監獄へ送られる時に渡る橋である。もうこれ以降は浮世を見ることもあるまいとため息をつくことから名付けられたという。

 写真上はドゥカーレ宮殿入り口。多くの外国の若者が見学にきていた。
 写真下の奥の橋が【ため息橋】で運河には多数のゴンドラが観光客を乗せてひっきりなしに運行している。さすが水の都ベニスを象徴する写真である。


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水の都ベニスの2


4月13日 水上タクシーから対岸のベニスの街を眺めていると次々に、ルネッサンス時代に反映した商都の街並みが観察できて面白い。ベニス空港近くで飛行機が着陸体制に入ったとき、窓下に観察したベニス近郊はあたかも洪水のあとではないかと思われるほど平地には水面が光っていた。水上タクシーの中でそんなことを思い出しているとやがて、ベニスの港に到着した。そこに待ち受けていたのは色彩鮮やかな衣装を並べた屋台の店であった。一挙に旅情は高まる。

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2005.05.04

水の都ベニス


4月13日(水)
 午前9時過ぎにベニス空港に到着した。ただちにクロケットという海上タクシーの乗り場へと急ぐ。ベニスは水の上の都なので自動車では行くことができない。従ってベニスへ行く人は、皆このクロケットを必ず通ることになる。いわば関所のようなところである。
 舟の中から眺めたベニスの光景を撮影しておいた。高い塔の右側に僅かばかり半円形の屋根が見えているのが有名なサン・マルコ寺院である。この寺院は冠水することが多い。ベニスの街全体がやがて水没する運命にあるようだ。地下水の汲み上げ過ぎが原因だろうと言われている。

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女性天皇制についての論議を歓迎

 連休明けから「皇室典範に関する有識者会議」は本格的な論議を開始する。日本の文化の特質を考えた場合、男女平等論を前提としての女性天皇容認論には賛成し難いものがある。この点については5月4日付け産経新聞の主張「女性天皇・・・伝統重んじる論議を歓迎」は我が意を得たりの主張であり、大いに賛意を表明したい。

  そして

四月下旬の第四回の会合では、焦点のひとつである女性天皇の是非について、今後は「男女平等論の立場から女性天皇を認めるべきだ」との議論は行わないことを確認した。このことは、日本の皇室のあり方の核心をついたもので、そうしたことを基本に、伝統を重んじる論議を進めてほしい。

とある点を注目しながら今後の議論の行方を見つめていこうと思う。

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2005.05.03

朝方のドゴール空港


 ドゴール空港で約3時間の待機時間を過ごしてからベニス行きのエールフランス航空機に搭乗し、次第に明けていくパリの空を眺めていた。写真上は搭乗を開始したベニス行きの航空機、下はベニス行き航空機の窓から。空の色が随分違う。

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2005.05.02

パリのドゴール空港


4月13日(水)長い飛行時間の後、パリのドゴール空港へは未明の4時15分に到着した。ベニス行きの出発時間までGゲートで3時間の待機である。隣のHゲートでは先日天井の屋根が崩落するという事故があった。同じ形の天井はアルミの骨材が剥き出しになっていてそれなりの機能美を示している。

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2005.05.01

子供には長すぎる空の旅


4月12日 パリの空港へ向かうエールフランスの飛行機の中で退屈した姉と弟がしきりに乗客達に愛嬌を振りまいていた。

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