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2008年10月

2008.10.27

国旗と日教組の問題

かねてより国民祝祭日に国旗を掲揚する家庭の少ないことをこのブログで記事にしたことがあるが、
本日の産経新聞に掲載された二つの記事に賛意を表したい。

【正論】社会学者・加藤秀俊 記者会見場に国旗 なぜ悪い

そして橋下知事の下記発言にも共感を覚えるので抜き書きしておいた。

しかし発言中はヤジが多く、たまりかねた橋下知事は「まず人の話を聞きなさい。いい大人なんだから」。続く言葉で「こういう先生に子供たちを任せておくことはできない。中山前国交相の発言こそ正しいじゃないですか」と持論を述べると、知事の発言を支持する他の参加者たちから大きな拍手がわいた。

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国旗と日教組の問題

かねてより国民祝祭日に国旗を掲揚する家庭の少ないことをこのブログで記事にしたことがあるが、
本日の産経新聞に掲載された二つの記事に賛意を表したい。

【正論】社会学者・加藤秀俊 記者会見場に国旗 なぜ悪い

そして橋下知事の下記発言にも共感を覚えるので抜き書きしておいた。

しかし発言中はヤジが多く、たまりかねた橋下知事は「まず人の話を聞きなさい。いい大人なんだから」。続く言葉で「こういう先生に子供たちを任せておくことはできない。中山前国交相の発言こそ正しいじゃないですか」と持論を述べると、知事の発言を支持する他の参加者たちから大きな拍手がわいた。

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2008.10.25

総理がホテルのバーで飲むこと

ホテルのバーは安い? 体験ルポ、行った飲んだ払った という記事を読んだ。

ホテルのバーは高いという先入観があるからたまに海外旅行でホテルに宿泊してもビール以外は注文したことがない。今回麻生総理のホテル内のバーでの飲食が話題になっており,その値段とはどの程度のものだろうかという興味もあった。

 この庶民感覚に答えようとして潜入した産経新聞の記者のレポートは興味をもって読んだ。

資産家の総理なのだから安全第一主義を旨としてホテルでポケットマネーで飲むことが問題であるとは思わない。著名人のあら捜しに迎合するマスコミの感覚に卑しさを感じた。

本件に関する福島記者のブログの分析はなかなかであると思った。

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2008.10.23

対馬が危ない・・・産経新聞に触発されて

 産経新聞のトップに【対馬が危ない】(上)韓国、不動産相次ぎ買収と題する記事が掲載され本日完了した。日本人は固有の領土対馬の苦難に満ちた現状を認識し関心を寄せなければならないと思う。

過去に壱岐と対馬は訪問したことがあり、風光明媚で美しい島であるとの印象があったのでブログを調べてみた。

 懐かしく読み返し以下の文章を抜粋しておいた。

2004年11月28日~11月30日まで壱岐・対馬の旅に出かけてきた。壱岐では元寇の役で討ち死にした少弐資時を祀る壱岐神社、左京鼻、はらぼけ地蔵、猿岩、砲台跡、いるかパーク、岳の辻展望台、焼酎工場、雲丹工場を駆け足で廻った。

 対馬は魏志倭人伝にも「土地山険にして深林多く、道路は禽鹿(きんろく)の径(けい)の如(ごと)し。千余戸あり。良田無く、海物を食して自活し……」と活写されている如く山の連なっている島でその90%以上が山地という地形であるから、トンネルが多い島である。それだけに自然環境がよく保存されていて動植物の宝庫ともなっている

 対馬はもともと占部の阿比留氏が在庁官人として支配していたのを鎌倉時代以降、宗氏がこれを追い爾来宗氏の領国となった。
 宗とは朝鮮渡来の帰化人かなと思っていたが、これは認識違いであった。鎌倉時代の武士で惟宗氏を宗と略したもののようである。対馬宗氏の祖は平知盛の遺裔ともいわれる宗知宗とされ、対馬守護太宰少弐氏の守護代を勤めていた時、その意に従わない在地官人の阿比留氏を追ったのである。

 元寇の役では身を挺して防戦にあたり、文禄・慶長の役でも先陣を務め、秀吉から一万石を得ている。関が原の戦いでは豊臣方についたが、江戸幕府の朝鮮との国交回復に奔走し、1609年朝鮮王光海君との間に通商貿易上の諸規定を定めた慶長約定の締結に成功した。爾来江戸時代を通じて朝鮮貿易を独占した。また幕府から朝鮮通信使の接待役を命じられ、対馬藩主として10万石の格式を与えられた。

そして現在対馬には宗という姓の人は住んでおらず、宗氏の当主は現在柏市で開業医を営んでいるということである。逆に阿比留氏は沢山住んでいるということである。また「一」という姓があってこれを「にのまえ」と読ませているという。


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2008.10.21

日教組批判の貴重な歴史的事実の証言

【正論】初代内閣安全保障室長・佐々淳行 日教組よ、まず「自己批判」せよと題する所論には全面的に賛意を表したい。

 そして同論文中に記述されている佐々淳行氏の実体験に基づく証言は記録にとどめておかなければならない貴重な歴史資料であると考えるので引用して明示しておこう。

以下は全て同上記事からの引用である。

中山氏が言わなかった2つの事例をあえて証言し、日教組の反省と総括、自己批判を強く求める。

 第1は、日教組が文部省の道徳教育に暴力で反対した事実である。昭和33年、全国7つのブロック別に校長・教頭を対象にした「道徳教育講習」が実施されたが、当時の小林武委員長率いる日教組は数千人を動員して実力妨害した。全国7番目、九州地区の別府道徳教育講習には、全国を転戦してきた日教組武闘派2000人が大分県職組、大分全学連と組んで、デモや反対集会を展開した。会場旅館での座り込み、校長・教頭の参加実力阻止と、別府に騒擾(そうじょう)状態をもたらした。

 当時大分県警1300人の警備部隊を指揮したのは、筆者である。

 その渦中で、W巡査部長が日教組の闘争本部に監禁される事件が起きた。筆者は部下のU警備部長らを伴い、警察官の即時解放を求めて、制服で交渉に赴いた。すると、闘争本部では、筆者らを武装解除して人質に、と騒ぎ出すしまつだ。筆者は腕時計をみながら「県警の機動隊には、30分たってわれわれが帰らなければ、突入し、全員検挙せよと命じてある。その時は二宮武夫県議(故人・のち社会党代議士)、貴方に私が手錠をかける」と告げた。間もなくW巡査部長は解放された。

 ≪警官の子を立たせる体罰≫

 第2は、当時警視庁警備課長だった筆者の息子が世田谷区立小学校で日教組闘士の女性教師Sから、警察官の子というだけの理由で、長時間居残り、立たされるという体罰を受けた事件だ。この教師は授業中、「お父さんが警官、自衛官の子は立ちなさい」と命じた。数人がオドオドしながら立つと、クラス全員に「この子たちのお父さんは、ベトナムで戦争し、学生を警棒でなぐっている悪い人たちです」といい、「立っていなさい」と理不尽にも放課後、夕方まで立たせていた。

 帰宅した息子からこれを聞き激怒した筆者はN校長に抗議の電話をかけた。ところが校長は「相手は日教組、争わない方がよい」と応えた。筆者が「公立小学校で親の職業による差別・いじめ教育と、罪のない子供に『立たせる』という体罰について教育委員会に提訴する」と迫ると、校長は当の教師を拙宅によこした。そして彼女は日教組を盾に、「組織をあげて警察の権力的弾圧と闘う」と息巻いた。

 筆者が「私は一個人の父兄として貴方をクビにするまで闘う」というと、女性教師は突然、床に土下座して「クビになると食べていけない。みんな日教組の指示によるもの」と、泣訴哀願したのだ。

 また、京都では警察官の子は勉強ができても成績は「オール3」だったという事実もある。

 自虐史観の日教組は、日本のアジア侵略について、やった方は忘れても、やられた方は忘れないと言っている。同様に子供たちも忘れていない。日教組は、何の罪もないのに理不尽に心を傷つけられた警察官、自衛官の子供たちに謝ってから、ものを言うべし。(さっさ あつゆき)

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