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2009年7月

2009.07.31

ベトナムの民族舞踊のビデオクリップ

学友のN君がベトナム大使としてハノイへ赴任したのを幸便に旧友4人でN君を表敬訪問し
そのついでにベトナム縦断の旅をした。ベトコンが地下に掘ったトンネルにももぐってみた。
かれこれ10年前である。当時の日記
録画したビデオテープには民族舞踊の模様が記録されていた。

ベトナム民族舞踊No1
ベトナム民族舞踊No2
ベトナム民族舞踊No3

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2009.07.30

カンボジアで見た民族舞踊のビデオクリップ

ポルポト政権の暴虐に苦しんだカンボジアの民衆は祖国の復興を信じて逞しく生活していた。
当時の日記を繙きながらビデオを再生してみるとクメール人の伝統舞踊のしなやかで静かな動きに感動している自分がいた。


カンボジア=一人の舞
カンボジア=複数人の舞
カンボジア=顔のクローズアップ
カンボジア=猟の踊り
カンボジア=群舞と娘
カンボジア=男女の舞
カンボジア=泥鰌掬い

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2009.07.29

インドでのナイトショウのビデオクリップ

インドの旅で印象深く脳裏に刻み込まれているのはタジーマハールの美しさと乞食や物売りの凄まじい攻勢に辟易したことである。
訪問地で見た民族舞踊やナイトショウの録画を探そうと逐一テープを再生している。インドではショウを見た記憶がなかった。
旅日記にも記述がない。しかしテープにはしっかりショウの場面が記録されていた。

インド=炎の壺
インド=四段重ねの壺
インド=四段重ねの壺2
インド=四段重ねの壺3
インド=炎上する頭
インド=二人踊り


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2009.07.28

ブタペストでのナイトショウのビデオクリップ

十年以上も昔のことになると録画したテープを再生しても何処で何時撮影したものか判断に苦しむことになる。その時有力な手掛かりになるのが日記に記された僅かな記録である。

ハンガリー訪問の日記の下記記述を見て場所の特定が出来た。丹念な記録の重要性を再認識した。

 午前中バスでブタペストに向かう。到着後、漁夫の砦、くさり橋、ゲレルートの丘、王宮等を見学したが現地ガイドが誠実そうではあるが、馬鹿丁寧な人で説明に時間が掛かりすぎて不評であった。気の毒に思えた。ホテルはイビスホルガー。                  
 夕食はレストランで民俗舞踊をみながら食事をした。ブタペストも美しい街である。

Cap0025ブタペスト・ナイトショウー=男女二人のダンス
Cap0026ブタペストナイトショウ=棒を操る
Cap0027ブタペスト・ナイトショウー=激しい動き
Cap0030ブタペスト・ナイトショウ=酒壺を頭に乗せて
Cap0031ブタペスト・ナイトショウ=軽快なステップ
Cap0032ブタペスト・ナイトショウ=楽団


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2009.07.27

メキシコシティー・ナイトショウのビデオクリップ

現役引退後1年間京都市内下京区のマンションで過ごした。このマンションを拠点にして市内の名所旧跡を渉猟しつくした。近畿地方の景勝地も数多く探訪した。その時の旅日記は残念ながらウエブサイトにアップしていない。簡単な操作で素人でも気軽にサイトを開設可能なブログ等というツールも一般には膾炙していなかったせいもある。。

横浜へ帰ってきて海外を廻ろうと決意し夫婦二人旅の最初に選んだのがメキシコであった。

当時の写真を眺めてみると必ず人物が入っておりウエブにアップするには如何かと思われるものばかりである。録画済のビデオテープも箱に入ったままになっていた。You Tubeに動画をアップするスキルも自習したので訪問した外国で見物した民族舞踊やショウーのビデオクリップを順次アップしてみようと思いついた。

メキシコ訪問の日記には以下のような記述があった。

 平成10年5月17日午後5時前に標高2241mのメキシコシティへ到着し、前面がガラス張りのキラキラ光っているクリスタルホテルへ荷物を置くとすぐ黄昏どきの市街へ出た。名物料理のタコスを食べるためにガルバルディー広場にあるレストランへ急いだ。高地だけに肌寒かった。

 街の第一印象はコロニアル様式の古い建物が立ち並んでおり、ヨーロッパ風の街並である。コルテスがアステカ帝国を征服してからスペイン人達が作り上げた街だというのが頷ける。

 タコスはトルティーヤというトウモロコシの粉を練って薄く焼いたパンに野菜や肉をくるんで食べるのだが、サルサと呼ばれる緑色や橙色のソースをつけて食べるとなかなか美味しい。
 飲み物にはマルガリータというテキーラがベースになったカクテルを貰った。とても甘くて口当たりがよい。グラスの回りに塩が塗ってあってこれがまた味を引き立てる。
 舞台ではダンス、投げ縄、タップダンスなど盛り沢山であった。踊り子や楽士達の衣装はこれまたスペイン風であった。ショーが終わると待ちかねていたように、老いも若きも日本人以外の客は、我先にと舞台へ上がりダンスを始めた。彼らには踊りが生活の一部になっているという感じである。ガルバルディー広場は通称マリアッチ広場ともいうらしいが、何組ものマリアッチ(メキシコ独特の楽団)が演奏しており、その周辺には群衆が屯してそれぞれに夏の夜を楽しんでいた。


Cap0025メキシコ・ナイトショウ=オープニングのダンス

Cap0026メキシコ・ナイトショウ=女性歌手

Cap0027メキシコ・ナイトショウ=蝋燭ダンス

Cap0030メキシコ・ナイトショウ=縄術.

Cap0031メキシコ・ナイトショウ=フラメンコ風ダンス

Cap0032メキシコ・ナイトショウ=男性歌手と群舞


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2009.07.26

オーストラリア原住民の諸芸をビデオクリップにした

ミャンマーとタイに続いてオーストラリアのケアンズへ学友達と夫婦同伴4組、単身2人計10人がケアンズへ行った。
キュランダ高原、グレートバリアリーフへも脚を伸ばし乗馬、バルーン乗り、ラフティングを楽しんだ。

原住民の笛吹き、槍投げ、ブーメラン投げ、ダンスを見学した時のビデオクリップを作成した。

アボリジニについて当時の旅日記には以下のように記述していた。

キュランダへはスカイウエイを六人乗りのゴンドラで熱帯性密林を上から眺めながら、四十五分の行程でキュランダスカイウエイ駅へ到着した。

 マーケット、バタフライサンクチュアリーを見学した後、アポロジニの槍投げ、笛吹き、民族踊りを見学した。

ブーメランも投げたし、コアラを抱いて記念撮影もした。東南アジアの島々から遠い昔、先祖が渡ってきて住み着いたらしいが、体中に白い泥で模様を描いて、腰に布切れを纏っている姿はパプアニューギニアの住人とあまり変わらないのではないかと思ったりした。                         

 彼らアボリジニは、先住民として固有の文化を持ち、大自然の中で慎ましく平和に暮らしていた筈なのに、大航海時代にヨーロッパ人が押しかけてきて、土地を奪われ、虐殺され、辺境に追いやられて、絶滅の危機に晒されながらも、生き長らえて、今観光客の前でかつては生存手段であった槍投げやブーメランの術を、芸として披露し生活の糧を得ているのである。このようなことを考えると民族の消長、文明文化の発展、停滞と進歩等ということについて思いを致さざるをえない。日本民族は今飽食の時代を謳歌し、世界中到る所に進出して繁栄しているが、地球の温暖化と食糧問題はやがて近い将来、必ずや人類滅亡の兆しとなって現れてくるのではなかろうかという予感がする。     

オーストラリアの原住民アボリジニNo1・・・笛

オーストラリアの原住民アボリジニNo2・・槍投げ

オーストラリアの原住民アボリジニNo3・・ブーメラン投げ

オーストラリアの原住民アボリジニNo4・・ダンスその1

オーストラリアの原住民アボリジニNo5・・ダンスその2

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2009.07.25

タイ・バンコックで見たニューハーフショウのビデオクリップを作成した。

タイは二回目の訪問であるが初回の記録が残っていない。写真アルバムだけは整理してあるが詳細な説明がついていない。現役で多忙を極めていたせいであろうか。

二回目の時は以下の如く旅日記を書いていた。

バンパイン宮殿、日本人町跡、ワットチャイモンコン、ワットマハタード、ワットラハバーナ等を見学した。何れも前回訪問したところだ。
 
 帰りはバスでバンコックまで帰り、夕食はシェラトンホテルのウオーターフロントにある「タイランド・トウナイト」でバーベキューである。海産物を焼いて食べるので美味かった。特に野菜の天麩羅と海老の丸焼きは良かった。トイレが分かりにくい場所にあり、道を迷いかけた。舞台ではタイの古式舞踊が演ぜられていた。

 この夕食が終わってからホテルには帰らず、直ちにオプショナルツァーのニューハーフショウを見学に出掛けた。修子はタイ古式マッサージへ行った。俗に言うおかまショーだが、実際には陰湿なものでなく仲仲美しいものであった。

バンコックのニューハーフショウNo1= オープニングの豪華な衣装と舞踊

バンコックのニューハーフショウNo2= バニーガールの群舞

バンコックのニューハーフショウNo3= バニーガールのダンスを背景にした歌

バンコックのニューハーフショウNo4= 和服と日本語で日本の歌

バンコックのニューハーフショウNo5= 歌と群舞

バンコックのニューハーフショウNo6= 一人二役

バンコックのニューハーフショウNo7=

バンコックのニューハーフショウNo8= 男性五人のダンスと女性歌手

バンコックのニューハーフショウNo9= エンディング近くの豪華な衣装と歌

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2009.07.24

ミャンマーの民族舞踊のビデオクリップ

自由人となって海外旅行を楽しみ始めた頃、二番目に訪問した国がミャンマーとタイであった。

その頃、持ち歩いたビデオカメラはソニーのハンディカム・ビデオ8であっった。今使用しているのはデジタル・ハンディカム8である。旧いカメラで撮影した資料テープも現在のカメラで活用できるので助かっている。

当時の旅日記には以下のように記されていた。

 昼食はビルマ料理ということで、パゴーで一番高級だといわれるThree FiveHotelというレストランへ案内されたが、冷房設備がなく扇風機が生暖かい風をかき回している。部屋へ入ると異様な悪臭がする。吐き気を催しそうになるのを堪えて、昼飯が食べられるかなと心配になる。それでも料理が運ばれだすと今まで鼻についていた悪臭もなくなり、辛い料理に箸は動きだしたが、多くは食べられない。

 入り口でお客に一人ずつ丁寧に頭を下げてお辞儀をしていた、5~6歳と思われる女児が団扇を持って客に風を送って廻っている。切なくなってチップをやろうと思ったが、未だ買い物をしていないので、小さい銭がない。手持ちの現地通貨では二百チャットが一番の小額紙幣である。日本円で換算すると370円ほどである。少し多すぎるかと思ったが仕方がない。これをあげると顔に喜色を浮かべて頭を下げた。経営者の子供であろうが親に躾けられて小遣い稼ぎをしているのである。いやもしかすると親の生計を助けているのかもしれない。ガイドの話によれば、道路人夫が日当200チャットであるというから子供にとっては大金である。このように生活レベルは相当に低い。

 ハッピーという土産物屋へ立ち寄ったが、民芸品などの他に宝石なども並べてあるが品揃えは貧しい。特に欲しい物もない。竪琴を引いている民族衣装を纏った女性はとても魅力的であった。

 この後一路、ヤンゴンへ向けてバスで帰ってきたが、道中、人が鈴なりで往来するトラックバスは目につくとても異様な光景である。ここでもまた、社会主義の残した負の遺産を見る思いである。

 バスが止まる度にしつこくつけまとってくる物売りの子供達や大人達。乞食は非常に少なかったが、その貧困を思う時やるせなさが胸にこみ上げてくる。
 ホテルには交通渋滞がなかったためかなり早く到着した。シャワーを浴びて夕食までに相当時間があった。水泳パンツを持ってきておれば、プールで水泳ができたのにと悔やまれる。

 夜はロウンマレイというレストランでビルマ民族舞踊をみながら食べた。ライトアップされたシェッタゴンパゴダが素晴らしい。昨日の夜も見たパゴダだ。明日見学することになる。

ビルマの民族舞踊のビデオクリップNo1
ビルマの民族舞踊のビデオクリップNo2
ビルマの民族舞踊のビデオクリップNo3
ビルマの民族舞踊のビデオクリップNo4
ビルマの民族舞踊のビデオクリップNo5

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2009.07.23

インドネシア・バリ島のバロンダンスのビデオクリップ

過去の旅の記録を繙きながらビデオクリップを追録している。

当時の旅日記には以下の如く記述していた。

翌朝九時から始まるバロンダンスをデンバサール市内の劇場で観劇した。

バリでは善魂と悪魂がいつも同時に存在すると信じられていて、バロンは善魂を表す動物でありランダは悪魂を表す動物である。バロンは寺院の守り神であり、具体的には獅子であることが多い。バロンの踊りはガメランというバリ独特の楽器の演奏に合わせて踊られる。バロンとランダが踊りの中で色々な戦いをするがいずれの勝利もないままに踊りは終わるのが特徴である

 最初獅子舞が現れて獅子舞を披露し、そのうち王子や王女、王様や宰相、召使、魔女、死に神、道化の猿、僧侶などが次々に出没し物語が進行する。七段階に分けて場面が構成されているが善魂と悪魂が争っている様子が面白可笑しく演じられるので言葉は判らなくても役者の所作から物語のおおよその流れは理解できて楽しく鑑賞することができた。言葉の判らない観光客には昨夜のケチャックダンスよりは余程良いと思った。

バロンダンス No1
バロンダンスNo2
バロンダンスNo3
バロンダンスNo4
バロンダンスNo5
バロンダンスNo6
バロンダンス No7

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2009.07.22

バリ島のケチャックダンスのビデオクリップを作成した。

インドネシアのバリ島で鑑賞したケチャックダンスのビデオクリップを作成した。

原画では暗闇の中でも裸体の男達の群像が鮮明に写っているがmpegのフアイルにすると画面が暗くなって群像が判然としない。補正の仕方がわからないのでそのままアップした。

当時の旅日記には以下の如く記述している。

夕方ケチャックダンスを観劇した。これはとても異様な踊りである。真っ暗な舞台の中央に何本か灯されている蝋燭の火を中心にして上半身裸体の男達三五人程が集まり、口々に「ケクチャク、ケクチャク」と歌いながら踊るのである。そこへラーマーヤナ物語の主人公達が逐次出没して物語が進行するのであるが、半裸身の男達は常に舞台上にあって、奇妙な歌を歌いながら群舞したりうずくまったりするのである。

元来ケチャックは、恍惚状態にある娘達が踊るサンヤンという踊りに伴ったコーラスの事であった。サンヤンダンスは恍惚状態にある娘達を通じて祖先の願いを聞くことを目的としていた。現在ではこれが変容して、ラーマーヤナ物語が独特の奇声コーラスと踊りの中で展開されるようになったものが、ケチャックダンスとして演じられているのである。


ケチャックダンスNo1

ケチャックダンスNo2

ケチャックダンスNo3

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2009.07.21

インドネシア・バリ島の影絵のビデオクリップ

旅の楽しみ方は三段階に分かれる。計画を立てること。旅すること。旅を振り返ること。

動画を整理しながら過去の旅を振り返って見ている。インドネシアのバリ島で影絵を見た時の動画をアップした。当時の日記を繙いてみると以下のように記述していた。


プランバナンの観光を終え、土産物屋に付属している影絵劇場を見学した。ガムラン音楽の演奏に合わせて幾つもの影絵人形を手にした人形師がこれを操って前方のスクリーンへ影絵を投影するのであるが、ストーリーはラーマーヤナ伝説が多いようである。表の観客席から影絵を見ているよりも舞台裏で楽器を打ち鳴らす楽士や激しい動きで人形を操る人形師をみているほうが言葉がわからないせいもあって余程面白かった。 

影絵の動画のビデオクリップ

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2009.07.20

「藤原定家筆歌合切」断簡発見

2009.7.20付け産経新聞の一面トップを飾った
800年の謎、不明の文意判明 「藤原定家筆歌合切」断簡発見 という記事には驚いた。文学史上の大発見には相違ないが一面トップ記事扱いにするほどのことなのかという素朴な驚きである。

ネタ不足で編集者泣かせの平穏な一日であったのであろうか。

それにしてもこの種の話題をトップ記事に扱う産経新聞の勇気にも驚いた。

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2009.07.19

国乱れればつけ込まれ

2009.7.18付けの産経新聞に掲載された下記評論は国家百年の大計を忘却して政局のみにしか関心がなく政争に明け暮れる情けない政治屋達の現状を鋭く突いている。拉致家族、北方領土、竹島不法占拠等々難問が先送りされるのは国が乱れているからにほかならない。


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2009.07.17

自民党の両議院総会開催を巡る内紛

2009.7.17付けの産経新聞に

署名「満たず」 自民、両院総会見送り 21日に議員懇、解散へ という見出しが踊っている。

一般大衆には自民党の内紛としか映らないが内実は凄まじい権力闘争が行われたようだ。

結局、署名を集めて両議院総会の開催を要求していた中川秀直元幹事長ら反麻生勢力が権力闘争に敗れて、
両議院総会に代わる緊急集会の21日開催で纏めた執行部が当面の勝ちを納めたようだ。

このことを話題にした2009.7.17の産経抄の 皮肉は言い得て妙であると感心した。

ところでテスティングでノーと言って拒否したワインの費用は誰が負担するのだろうか。レストラン側なのか、拒否したお客なのか? 大いに気になる所である。

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2009.07.12

北朝鮮の公開処刑のビデオクリップ

2009・7・12産経新聞に 中朝国境で毎日銃声 軍30万人監視、脱北者狙撃と言う記事が載った。
公開処刑と言う文字をクリックすると生々しいビデオクリップがアップされていた。

似たような記事が
【朝鮮半島ウオッチ】「中朝国境の北内部で毎日のように銃声が聞こえる」 姜哲煥・北朝鮮民主化委員会副委員長 にも掲載されていた。

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2009.07.10

神秘の王国ブータンNo9・・・民族舞踊のビデオクリップをアップした。


神秘の王国ブータンの旅ではビデオ撮影もした。
特に民族舞踊の記録としてその声と動きを記録に残しておこうと考えたからである。

youtubeのサイトを利用すればこの動画を公開することも出来る。

ところがビデオテープ→動画のファイル→youtubeにアップロード
と手順を記せば簡単であるが初めての試みなので実際にやってみると、これがなかなか面倒であり膨大な時間を要するのである。

試行錯誤を繰り返してやっと乙女達が神に感謝する歌のビデオクリップをアップロードすることが出来た。

ユーチューブへ動画をアップする手順もなんとか理解できるようになった。日本での公演の実績をもつ舞踊団の仮面舞踏をアップした。この舞踊団の名はクジュ・ルナンと称し孔雀の羽という意味である。仮面舞踏は季節の祭り=ツェチュに際して催される。

P1080086


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2009.07.09

北方領土に関する二つの卓見

2009.7.9付けの産経新聞に対ロシア外交に関する二つの卓見が掲載された。

【正論】北大名誉教授・木村汎 政経不可分こそ領土解決の道 

【外信コラム】赤の広場で 北方領土は海峡問題? である。


前者が

それはまず、日本の毅然(きぜん)たる態度の持続こそが今後の日露交渉を形成する最重要要因であることを失念した、相手まかせの受動的な交渉法と評さねばならぬ。また、日本側の立場は四島の対日返還以外にはありえないのだから、ロシア側からの回答としては、そのような日本の要請に応じるか否かの答えしかないはずである。

と説く正しい主張


後者が

旧ソ連が日ソ中立条約を破って対日参戦し、日本の降伏宣言後に北方四島を占拠したとの歴史認識はない。そのためにロシアが「血を流した」というのも事実に反する。

と説く正しい歴史認識を日本国民は共有しなければならないと思う。

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2009.07.08

石原裕次郎の23回忌の法要

石原裕次郎の23回忌の法要が国立競技場で11万7000人の参列者を迎えて大々的に執り行われた。国立競技場に裕次郎寺を建設する等、庶民の度肝を抜く発想の一大イベントであった。

兄の石原東京都知事の振る舞いはどうであったかが関心事であったが彼は欠席したのである。

もっともらしい理由をあげて欠席したのは賢明な対応でありマスコミの標的にされなかったのは立派である。
おそらく彼の脳裏に沈殿していたのは裕次郎が危篤状態になり入院した時、官用機を飛ばせて見舞いに駆けつけマスコミの袋叩きにあった苦い経験であろう。

 

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2009.07.07

神秘の王国ブータン旅No8・・・ピカサでウエブアルバムを作った。

ブータンの旅では民族舞踊をビデオで撮影した。You Tubeで動画をアップしようとトライしているがなかなかうまくいかない。試行錯誤の過程で写真アルバムを簡単に編集できるピカサという無料ソフトがあるのを知った。

試しに作成したのがピカサで編集したブータンの旅のアルバムである。使い方も飲み込めたので逐次写真の説明を追記していく予定である。

故障の時の用心にデジタルカメラを二器持参した。予備用には富士写真フィルムの旧式ファインピックスであるが日付セットの確認を怠ったために写真の配列が実態と異なってしまった。次回は日付のセットの確認が肝要ということを学習した。

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2009.07.06

神秘の王国ブータンNo7・・・旅の印象の纏め

平成21年6月20日(土)
8日間のブータンの旅を終えて、鶴見の自宅に辿りついたのは午前11時であった。

 史跡や訪問先の静止画像の説明や感想はバックデイトしながらゆっくりと時系列に沿って記述していくこととし、今日のところは取り急ぎ記憶の薄れないうちに旅の全体的な印象を纏めておこう。                                     
ウイキペデイアに前国王の人柄を説明した以下の一節がある。

また2009.6.5付けの産経抄にはブータンの雷龍王3世のことが以下の如く紹介されている。

以下ウイキペデイアからの引用1989年2月24日、34歳のジグミ・シンゲ・ワンチュク国王が昭和天皇の大喪の礼参列のため、民族衣装「ゴ」の礼服姿で、数人の供を連れて来日した。他の国の首脳の多くが、日本から経済的な協力を得るために葬儀の前後に日本政府首脳と会談した。しかし、ブータン国王はこうした「弔問外交」を行わず、大喪の礼に出席して帰国した。新聞記者が理由を尋ねると、国王は「日本国天皇への弔意を示しに来たのであって、日本に金を無心しに来たのではありません」と答えた。一方、日本政府はブータンの正装である「刀」を銃刀法違反として預かったため、国王は丸腰のまま葬儀に列席した。ブータン国民は、平民のような姿にされた国王の姿を見て嘆き悲しんだ。 引用終り。                                              
以下産経抄からの引用
23年間にわたって発展途上国の経済開発をサポートしてきた、西水美恵子・前世界銀行副総裁は、数えきれないほどのリーダーと出会ってきた。その西水さんをして、「とことんほれた」と言わしめたのが、ヒマラヤの小さな王国、ブータンの雷龍王3世だ。
 ▼1952年に王位に就くと、翌年に国会を設立するなど、政治改革に取り組んだほか、農奴を解放し、長かった鎖国を解いた。44歳という早世が惜しまれる。弱冠16歳で後を継いだ4世は、国民総幸福(GNH)という理念を打ち出したことで知られる。
 ▼初めて外国紙のインタビューを受けたとき、国民総生産(GNP)よりGNHの方が大切だと、語呂合わせをしたら、定着してしまった。4世は笑いながら、西水さんにそう打ち明けたという(『国をつくるという仕事』英治出版)。
 ▼国民の大多数が王制の存続を望んでいるというのに、4世は民主化をさらに推し進めた。行政権を手放して、首相職を置き、初の総選挙を成功させ、成文憲法の制定へと導いた。何より国民を驚かしたのが、3年前に突然、26歳の皇太子に王位を譲ったことだった。   引用終わり                                
上記二つの引用を踏まえて、筆者の印象を一言に纏めれば、国民総幸福量という指導理念を持つ賢明な国王に統率されて、自立の精神を持った誇り高い国民が伝統と自然を守りながら平和に暮らしているのがブータンという国なのだということである。


そのことを具体的に説明すれば管見ながら旅行中筆者が至るところで目撃した以下の事象である。                                                 
1.物乞いがいない。                         
2.商品の押し売りがない。                                   
3.人物の写真撮影に気持ちよく応じてくれる。中国やインドなどではしつこくチップを要求されて辟易させられるがそれがない。 

4.国王を国民が敬愛している様子が随所に窺える。                        
5.ゾーンには敬虔な信者達が参集し、或いはマニ車を廻しながら、或いは五体投地しながら仏陀に敬虔な祈りを捧げている。

6.ゾーンには6歳以上の僧侶が多数住み込んで修業している。                   
7.大人と学童とを問わず民族衣装を愛用している。                        
8.交通信号がない。首都のテインプーにさえ信号器がない。               
9.田植え風景は一族総出の共同作業であり日本の昭和20年代まで見られた農作業の原景が残っている。
10.インドから多くのインド人が出稼ぎに来ている。
11.野良犬が大切されているので安心しきって至るところで腹を見せながら昼寝している。

パロの野菜市場


プナカ・ゾン



キチュ・ラカンより国立博物館を望む


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2009.07.05

神秘の王国ブータンNo6・・・タクツァン僧院

平成21年6月18日(木)
 いよいよブータン最後の日である。今日のメニューとコメントは下記の通りである。

・ドウゲ・ゾンの見学=チベット軍への勝利を記念して建てられた城であるが火災に遭い今は廃城になっている。観光資源として復旧が計画されている。

・聖地タクツァン僧院見学=パドマ・サンババが瞑想したという仏教圏屈指の聖地。往復5~6時間を要する登山のメイン・イヴェントである。

このイベントに備えて昨夜は飲酒も控えて早めに就寝したのであるが、登山の経験が少ない老骨には第一休憩所まで辿りつくのが限度であった。

 登りは何とか行けそうな感触であったが、体重がかかる下りの時、手摺もない足場の悪い山道は転倒が怖くて断念せざるをえなかった。

 目的地まで登った7人が下山するまで約2時間第一休憩所で同行者3人で待つことになった。

 目の前の岩場に建つタクツァン僧院を悠然と眺めながらゆったりした時の流れるのを楽しんだ。

 同行者14名中7名が目的地まで登り、1名は体調を崩して最初から棄権、3名が第一休憩所まで至らず中途で脱落、3名が第一休憩所で待機という結果であった。目的地を極めた7名は何れも登山経験豊富な60才前後かそれ以下の若い人達であった。

・ブータン最古のキチュ・ラカンの観光
ここには或いは五体投地の礼拝をしたり或いはマンダラを廻しながら祈りを捧げる敬虔な善男善女が沢山見られた。

キチュ・ラカン

  

キチュ・ラカン本堂入り口の小坊主

五体投地の礼拝

善男善女

・民家の訪問

訪問した民家の客室

民家で受けたもてなし

・焼き石の風呂ドツォへ入浴

・ブータンの民族衣装の試着  

平成21年6月19日(金)
 朝7時45分にパロの宿舎を出てパロ空港、カルカッタ空港、バンコク空港と経由して、翌朝成田空港へ到着しブータンの旅は終わった。それにしてもバンコク空港で7時間半も時間待ちのために無為の時間を過さざるを得なかったのは大いなる苦痛であった。

 カルカッタ空港で30分ほど機内待機している時、天井付近からいきなり白い気体が流れ出したのには驚いた。すわ火災かと身構えたが慌てている乗客は誰もいない。客室乗務員に「What is that smoke?」と聞くと「Air condition」という。炎天下に駐機しているとトラブルが発生するのでその対策であることを知り安堵した。初めての経験であった。               

機内上部に白い煙が吹き出した


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2009.07.04

神秘の王国ブータンNo5・・・国の指導理念と国民生活

平成21年6月17日(水)
 朝8時にウオンデイボダンのYTホテルを出発し、来た時と同じ道の復路をテインプーへ向けてバスは疾駆するが曲折の多い田舎道なので最後尾の座席の揺れと振動は激しい。小型のバスを観光用に転用しているのでシートベルトも装備されていないし冷暖房機器も装着されていない。バスが段差を通る度に体が跳ね上がりウッといううめき声が自然に洩れ冷汗が吹き出す。炎天下の日中走行の車内はとても暑い。

観光立国としての発展を国策とするならばこの国は道路の整備と観光客の車中の安全対策と車中温度管理対策に課題があると思った。ついでに言えばゾンはじめ観光地における手洗い所の新増設が喫緊の課題であろう。

バスで移動中、ガイドのシェラブさんからブータンの国の指導理念であるGNH国民総幸福について簡単な紹介があった。
纏めれば四個のキーワードに集約できる。
1.自然の恵を大切にする
2.伝統の風俗や文化を大切にする
3.良い政府であること
4.自給自足

短い滞在であったが、これは類例のない斬新な国家経営の指導理念であり国王を敬愛する国民が国是の実践に努力している真摯な姿を随所に垣間見ることが出来たと思う。

上記GNHの話題に関連してブータンの現況に付いてガイドから聞き出した事項を列記してみると

1.医療制度について
ブータン国民は全て無料で医療を受けることが出来る。ブータンでは受けられない高度な医療を外国で受ける場合でも無料である。
外国籍の者がブータン在留中に医療機関で受けた治療費は本人負担なしである。

2.税制
・勤務者の所得税は所得により税率は異なるが最高税率は8%である。
・タクシー運転手は所定の登録料を納めておけば売り上げに対して税金はかからない。
・自営の農業従事者には税金は課せられない。

3.平均月収
日本円で約3万円

4.教育費は大学まで無料である。

5.出家者の数は全人口の約2.5%である。

6.原資は国連からの援助が大きいし国で経営する水力発電の電力をインドに輸出した収入も大きい。

筆者の印象ではこれほどの福祉政策を実現するには原資の面の説明が怪しげに思えた。

本日のメニューと訪問後のコメントは以下の通りである。   

・テインプー市内の紙漉き工房見学
工房へ辿りつくまでの曲がりくねった細い道を、脱輪することなしにバスを運転するには高度の技術が必要である。

紙漉き工房

原料の三椏とじんじょうげの皮を煮る釜

この道17年の紙漉き職人

工房には島根県で石州和紙の技術を学んだという日本人そっくりの顔をした日本語を流暢に喋る次期社長の営業部長がいて、工程の説明をしてくれた。黒い着衣の人。

・民族博物館見学
                     
テインプー市内にある。 ここは王妃の発案と出資で伝統的なブータンの民家をそのままの姿で保存し調度品や生活用品、衣装などを収集保存している。

交通整理中のお巡りさん。

首都ティンプーにも交通信号が一つも設置されていない。


・パロへ移動

僅かに顔を見せたチョモラリ


                                          
・国立博物館見学 

当初はゾンの見張り台として設置したものであるが、歴史的建築物として保存するため博物館に転用された。

・パロゾン見学

国立博物館から見下ろす位置にあり宗教施設と行政施設が一体化したゾン

・国技の弓道の実技体験                  
射程距離15m程の弓場で竹製の弓を用い試射したがなかなか的には当たらない。  

・パロの宿泊先のマンダラリゾートに到着。

国王の記念写真は至る所に掲示されている。これはバンコクで開催されたアジアの25ケ国の王族会同の記念写真。ブータン国王と今上陛下と皇后が出席されている。

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2009.07.03

神秘の王国ブータンNo4・・・プナカとウォンディボダン

平成21年6月16日(火)
二連泊したホテル・ドラゴン・ルーツともお別れである。荷物の整理を終えたころモーニングコールの電話が鳴った。6時30分である。                        

 本日のメニューに従ってコメントすれば以下の如くである。 

・シムトカ・ゾンの外観観光=チベットの高僧ガワン・ナムゲルが1629年に建てた城(ゾン)で現在は仏教とゾンカ語の学校として存続している。

テインプーのホテルを出発して最初の小休止でシムトカゾンを遠望した。が何故か撮影した筈のシムトカ ゾンの写真が消滅していた。不要の写真を消去した時、間違えてシムトカゾンの写真も一緒に消去してしまったものらしい。便利なようでうっかりしていると貴重な記録まで失ってしまうのがデジタルカメラであると知った。

シムトカゾンについてはウエブ上で見つけた写真のURLを記すに留める。                    

・海抜3,150mのドチュラ峠越え=晴れであればヒマラヤ山脈の諸峰を望見。

ドチュラ峠に到着し小休止した時にはヒマラヤ山脈の方面には霧がかかっていて全然見通しがきかなかったのは残念!帰路に再度この場所は通るのでその時までお預けである。

ドチュラ峠のビューポイント=晴れなら7000m級のヒマラヤの山々が見える方向という。


このURLには見事にヒマラヤ山脈の高峰が捉えられている。

ドチュラ峠には多数のチョルテンが立ち並んでいた。

霧がかかっていたのでバスに乗ったまま三回半廻って形ばかりの横着な儀礼をおこなった。

近くのレストランでお茶をしながら霧の晴れるのを待ったが神様は意地悪である。
ついにヒマラヤの山々を望見することはできなかった。                

レストラン入り口

レストランに掲げられていた四代目国王と四人の王妃。王妃は六人姉妹の内の四人が選ばれた!!。

果物を売るチベット人

・プナカ・ゾンの観光=ここは1955年にテインプーが通年の首都と定められるまで、冬の間の首都であった所。プナカにあってモ・チュ(母川)とポ・チュ(父川)の合流地点に立つゾン。  

田植え風景

 チミラカンを遠望しながら画趣あふれる田園風景を堪能しているうちにプナカゾンに到着した。プナカゾンを見下ろす位置にある公園で全体像を眺めてからゾンの内部を見学した。ゾン内の建物を巡る回廊の壁面には六道輪廻を解説する仏画などが描かれている。  

プナカ・ゾン

プナカ・ゾンの壁面に描かれた六道転生を説く画像

 ロペサからプナカ方面へ向かう沿道には田植えの終わったばかりの小規模な稲田が幾枚も展開していた。
               

プナカ・ゾンに咲くジャカランタ


・チミ・ラカンの観光=田圃の畦道を丘上に建つチミ・ラカンまでハイキング。この寺はDrukpa Kinleyによって建てられた子宝の寺である。Drukpa Kinleyは1455年にチベットで生まれプナカへ移住し、肉食妻帯もした破天荒な僧であったと言われる。   

 プナカゾンの見学後チミラカンまで田圃の畦道をハイキングした。

高校生達が植林実習をしているのを見かけて「グズナンボー」(おはよう)と声をかけると嬉しそうに微笑みながら「グズナンボー」と返ってくる。

倉庫に転用されている農家の建物

チミ・ラカン

チミ・ラカン近くの民家の壁には巨大な男根が描かれているので度肝を抜かれる。成る程子宝の寺に縁のある画像だなと納得する。面白いことにブータンにおける男根崇拝思想を考察した人もいた。

・ウオン デイボダン・ゾンの観光=絶壁に建つゾン。

この街は小さな町であるが東のトンサ、ブムタンへと続く道の要衝の地にあり、尾根の上に立地するため非常に風の強い町である。

 ゾンの内部に入ると沢山の小僧達が赤い衣装を纏ってそこかしこで戯れているのが目についた。彼等はこのゾンの中に居住し修業しているのである。年に一度だけ親元へ帰ることが許されているがそれ以外にはこのゾンのなかで修業すると言う。

ウオン デイボダン・ゾン内の小坊主達


ウオン デイボダン・ゾン構内の点景

  たまたま読経の時間に堂の中の見学を許された。50人近くの若い僧侶が老僧の読経に従い教典を捲りながら唱和していた。中には携帯電話で通話している不真面目な修学僧もいた。                                                                                         

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2009.07.02

神秘の王国ブータンNo3・・・ティンプー市内の名所巡り

平成21年6月15日(月)
テインプーでは二連泊なので荷物の整理を今日は免除され何となくほっとする。
本格的な観光がいよいよ始まる。今日のメニューは以下のように盛り沢山である。

百聞は一見に如かずの例え通り訪問箇所で撮影したスナップ写真に説明を可能な限り施したい。

なお「異国を旅して」と題するシニアの旅行記(旧 若さに挑戦)さんの写真集は写真の整理にとても参考になった。
                                                                                                                                                   
・メモリアル・チョルテン=第三代国王ジグメ・ワンチュックの記念館 

メモリアル・チョルテン

メモリアル・チョルテンの参詣者

勉強中の修業僧

メモリアルチョルテン内の良い写真がアップされているURL
               
・チャンガンカ・ラカン=テインプー守護の本尊を祀る寺院   

チャンガンカ・ラカンの内部

全体像は下記URL参照
こちらのも参照

・ターキン保護区=国獣の保護所              

ターキン

保護区には鹿も一緒に生活している

ターキンについてはこのURLに詳細な説明が記載されている。

・サンゲガン展望台=テインプー市街の俯瞰          

タルチョが張られている。展望所の近くにはテレビ塔が設置されている。

・尼僧院=高台に立つ尼僧の修業所             

尼僧院の山門

参詣した善女達

・中央郵便局=多種多様な記念切手の発行で世界的に有名
中央郵便局正面   

記念切手見本

・国営手工芸館 

国営手工芸館の正面

展示品の一例
                    
・織物博物館   

 実演

                   
・民族舞踊=仮面ダンス

神に感謝を捧げる女性合唱だが楽器の伴奏はない。
日本の御詠歌を連想させる

悪霊除けの仮面ダンス

ヤクを飼う女達の踊り


バター茶とご飯
                 
・タシチョゾン=ブータンの宗教と政治の中心地

タシチョゾーン構内の建物

このURLにタシチョゾーンの全体像の優れた写真がアップされている。

・テインプーキッチンでの夕食=ビュッフェ形式なので全品取り揃えた。
地酒の酒のアラを賞味した。麦から作られる焼酎である。一般には市販されていない。

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2009.07.01

神秘の王国ブータンNo2・・・パロの野菜市場とティンプーの出稼ぎ労働者

平成21年6月14日(日)
 未明のモーニングコールは3時15分である。バンコクのツインタワーホテルからブータンのパロ空港までの動きを克明に記述してみると次のようになる。

・2時40分には体内時計が作動し目覚めたので洗顔・用便と荷造りを済ませモーニングコールが鳴るまでには出発準備完了。

・3時15分モーニングコール。
・3時45分機内預け荷物を部屋の外へ。
・4時15分ホテル出発。バスに乗り込み朝食用のボックス弁当を受け取る。  
・4時40分バンコクのスワンナブーム国際空港着。
・4時40分~6時40分 預け荷物の検査、手荷物検査、税関検査、出国l検査。          
・6時40分KB13便に搭乗。               
・6時54分エンジン始動。機体は移動開始        
・7時04分15秒離陸に向けて全力疾走開始。      
・7時05分00秒離陸。                
・9時45分パロ空港へ着陸。バンコクとの時差1時間、東京との時差3時間。

 何時ものことながら離陸時と着陸時の一瞬には緊張する。離陸時の全力走行の時間を測定する習慣が身についているのか反射的に腕時計の秒針に目がいく。経験則ではどの飛行機も概ね45秒~60秒の走行で離陸するようである。    

 機中では下界の模様は雲に覆われていて見ることが出来ない。着陸が近づいた頃雅楽に似た音楽が流れたのが印象的であった。

 現地ガイドのシェラブさんの説明によれば搭乗したDRUK AIR(Roiyal Bhutan Airlines)は僅か二機しか航空機を所有していない小さな航空会社であるという。

 同社のホームページ にはルートマップは近日公開予定と記載されているだけなので詳細は判らないが7都市、6ケ国で営業していると記載されている。

 パロの空港に降り立つと海抜2500メートルの山間の盆地に開設された空港であることがよく判る。空港の建物もチベット風であるのが印象的であり長閑な雰囲気が漂っている。

 ブータン空港      
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                       
 観光バスも大型のものは運行されていない。観光地への道路の幅員が狭いので大型バスは通れないのである。

 小型バス運転手のニマさんは民族衣装を纏ってハンドルを操るブータン屈指の名ドライバーであり、NHKのテレビにも出演したことがあるという。ご多分に漏れずブータンでも世界不況の影響を受けて観光客が減っており、観光案内の仕事がない時には自営タクシーの運転手に変身するのだという。


 パロの市街地が俯瞰できる海抜2400メートルのビューポイントでパロ空港周辺の市街地を撮影した後パロ市内に入り、野天弓場を見学した。

 空港も見えるパロ市街地
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                              
 野原に設けられた弓場で140メートルの射程を的に向けて金属製の弓で矢を射る遊びである。民族衣装を纏った男達が二本ずつ矢を射るのである。我々は的の近くで見学した。矢が的に見事的に命中すると監視役の男達が的場に集まり口々に歓声をあげながら踊りをする。見学している女達も人輪を作って踊りをする。
 矢が的を外れた時でも監視役の男達が一射毎に的場に出てきてこぼれ矢を拾っては射手に大声で感想を怒鳴るのである。中には携帯電話で通話している者もいた。

 的の前で的中を祝福し踊る競技者                                                                                                                                                                                                                                                         
                       
暫しこの遊びを見学した後、運の良いことに弓場の近くにある自由市場を見学することも出来た。日曜日に限り自由市場は開催されるという。出店者は自宅の菜園や田畑で採れた野菜を商うのである。地面に敷布を引いた上に野菜や果物を並べただけの原始的な商取引である。とても小さな玉葱や馬鈴薯とか二股や三つ股になった大根などよくもこんな屑がと思われる野菜も並んでいる。早いうちは大賑わいであった市場も売り切れになると店仕舞いをするので瞬く間に朝の賑わいは閑散としたものに変わっていく。

日曜日限定で開かれる野菜市場
                                                                                                                                                                                                                                                

勤め人達も日曜日なので自家菜園の野菜を売りに出して小遣い稼ぎをするという。目方を量る天秤は懐かしい光景である。                                                    
 続いてパロ市内の目抜き通りを見学した。この目抜き通りはパロ空港の開港に合わせて建設が進められた新市街地であり1983年に完成した新しい街である。中国の雲南省の麗江の町並を連想した。                              
 市内の一角に雑草の生えている空き地があり、いきなりガイドが草叢に分け入り一掴みの草を持って大麻だという。大麻が空地に自生しているのである。

 空港の開業と相前後して建設されたパロの中心市街                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                           
 パロの市街地の見学を終えレストランで昼食にブータン料理を賞味した。ビュッフェ式なので全品少しずつ試食してみた。唐辛子とチーズで作られたエマダチという料理は辛いが美味いと思った。辛いので多くは食べられないが食欲を増進させる作用があるようである。                           

 全品取り揃えたブータン料理                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                          
                                                                                                                                                                                                
 食後は山中の曲がりくねった道を宿泊地のティンプーへ向けてバスは疾駆した。途中小休止したチュゾンでは雨による土砂崩れで道路の半壊した箇所を目撃した。道路が抉り取られた様子をみると山間の僻地で住民達が自然と闘いながら厳しい生活を送っている姿を垣間見た思い出がした。

 道路の半分が崩壊したチュゾンの崖崩れ                                           
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                     
                                                 
 夕刻テインプーの街に到着しHotel Doragon rootsへ投宿した。                   


 テインプーのホテル・ドラゴン・ルーツの部屋に荷物を置いてから早速市街探訪に出かけた。ホテルの近くに公園があった。まだ人は集まってはいなかったが野外観覧席風に設計された一角があり広場で演じられる大道芸などをこの観覧席から観賞するのであろうか。

 道筋に沿って暫く散策してみた。インド系を思わせる人々が大勢集まっている一角があった。職業紹介又は斡旋所なのだろうか。現地ガイドのシェリブさんの説明が脳裏に浮かぶ。「インド人が人件費の高いブータンへ沢山出稼ぎに来ています。ブータンの勤労者の平均的な月収は日本円換算で約3万円です。道路工事や建設工事にはインド人が多く働いています。日曜日にはインド人が情報交換のため集まってくる場所があります」                                                               


    日曜日に集まってくるインド人出稼ぎ者の人々                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                
 通常アジアの国々を訪問すると人の集まる観光地には必ず乞食や押し売りがいて辟易させられるのだが、この国ではまだその体験がない。           

 タクシーも沢山走行しているが小型ワゴンタイプであるのも珍しい。
 街の一角でゲームをしている青年達を目撃したので立ち止まって観察していたら、人なつこい笑顔を見せて写真を撮ってもいいよとの仕草をしゲームに興じていた。             


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効果絶大の経済対策案に違和感あり

産経200.7.1付けの【断層】潮匡人 効果絶大の経済対策案と題する所説には言論の自由の保証されている
日本だからこそ主張できるものであり、武器輸出解禁を説く点に違和感を感じながら読んだ。
左翼陣営から槍玉に揚げられそうな予感がある。

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神秘の王国ブータンNo1・・・バンコク経由で入国

平成21年6月13日(土)
今日から西遊旅行社の企画するブータンの旅 が始まる。
成田エクスプレス1号は予定通り成田空港第二旅客ターミナルに到着予定である。第二旅客ターミナルが近づいた時、「航空会社によって出発ターミナルが異なりますので今一度乗車券をお確かめ下さい」との車内アナウンスがあった。念のためと思い西遊記・記(旅のしおり)を確かめてみた。そこには集合場所として「第一旅客ターミナルビル」と明記されている。確かめて良かった。                
今までの旅行では第二旅客ターミナルビル集合のケースが多かったので思い込みがあったのであろうか。危なく第二旅客ターミナルビルで下車して失敗を犯すところであった。

成田空港第二旅客ターミナル南ウイングの集合場所で西遊旅行社の添乗員・上野嬢から必要書類を受け取った。昨日成田に宿泊した旅の畏友橋田さんとも合流できた。出国審査も終り免税のジョニ黒とレミーマルタンも一本宛仕入れて機上の人となる。
同行のメンバー構成は東京11人、名古屋1人、大阪2人の計14人である。東京、名古屋、大阪の空港から搭乗しバンコクの空港 で合流する予定である。男5人、女9人。ツアーとしてはこじんまりしており楽しく旅が出来そうな予感がする。見た目では参加者は何れも旅なれた人達ばかりのようである。

バンコクで一泊して翌朝、バンコク空港からブータンのパロ空港へ入国することになる。成田からバンコクまでの飛行時間は6時間半、時差2時間。成田発9時25分。バンコク着13時55分。オンスケジュールであった。

SQ-631便の機内サービスのメニューにシンガポールスリング というカクテルが記載されている。シガポール航空に搭乗するのは初体験なのでこのカクテルを試してみた。甘口でなかなか美味い。

カクテルを作ってくれた客室乗務員

                                            
空港には現地ガイドの若い男性が空港からホテルまでの送迎だけのために出迎えてくれた。

2006年9月28日に開港した、この新しいスワンナプート空港に降り立ったのは初めてである。

斬新な設計の空港建物

とても巨大なハブ空港だなとの印象である。世界経済の冷え込みのせいかタイではガイドや観光タクシーの仕事が激減しているとこのガイドは嘆いていた。    

空港から30分程走行してツインタワーホテル に到着した。ホテルの立地は場末の感じである。荷物を部屋に置いて早速ホテルの周辺を歩いてみた。ホテルから出てきた観光客の姿を認めると客引きの男がタクシーに乗れと執拗に言い寄ってくる。ホテルの近くには高架の高速道路が敷設されていてその橋脚の下にはガイドが嘆いていたように客待ちのタクシーが多数駐車していた。

執拗な客引きの攻勢にノーサンキューを連発しながら地図を片手に歩いてみたが猛暑のためにたちまち汗が迸る。器工具類や自動車の部品を販売している商店やら中古自動車を解体して部品を再生している鍛冶屋などが目についた。飲食物を売る屋台も立ち並んでいた。

高速道路下の屋台



店先の歩道には商品やら荷物が雑然と置かれており歩道の機能をなしていない。通行人は車道を歩かざるを得ない状況があった。

歩道を占拠して荷物を積んである町並み


暑さと雑然とした町並と客引きの喧騒にうんざりして30分程で社会探訪は切り上げて部屋に戻った。

夕食までの時間を成田で仕入れた洋酒を橋田さんと一緒に飲みながらバンコクの宵の一刻を過した。テレビではNHKを受診できた。外国にいながら日本の出来事をリアルタイムで知ることが出来る。グローバル化を如実に実感した。         

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