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2015年6月

2015.06.22

謝罪マニアに告ぐ 「敗戦国」から脱却せよ 阿比留瑠比

共感を覚えた記事を転載する。以下は全て産経ニュースからの写しである。


謝罪マニアに告ぐ 「敗戦国」から脱却せよ 阿比留瑠比 .

 「もはや戦後ではない」

 経済企画庁(現内閣府)が経済白書にこう記述したのは昭和31年、今から60年近く前の話である。当時の鳩山一郎首相の孫で、ルーピー(クルクルパー)と呼ばれた鳩山由紀夫元首相が政界を引退してからも、すでに随分たつ気がする。

 昭和60年の施政方針演説で中曽根康弘首相(当時)が「戦後政治の総決算」を訴えてからも、はや30年が経過した。あの時代を象徴したこの言葉も、もうあまり思い出されることもなくなった。

 それなのに、日本はいまだに「戦後」という堅牢な枠に閉じ込められたままだ。今年はメディアや国会で「戦後70年」が強調されており、戦勝国はお祭り気分ではしゃいでいるが、筆者はこの言葉を使うこと自体に抵抗を覚える。

 なぜなら70年と言えば、人が生まれて学校へ通い、社会に出て年金受給者となる時間をさらに上回る長い歳月なのである。にもかかわらず「戦後」はいつまでたっても終わらず、日本はいつまでたっても内外で敗戦国、敵国の扱いに甘んじている。

 なんと非生産的で退嬰的な現状だろうか。もちろん、中国や韓国のように、建国の経緯から日本を執拗に悪者にし続けなければ正統性が保てない国もあるが、どうしてそんな相手国の勝手な事情にこっちが付き合わなくてはならないのか。

 やはり、安倍晋三首相が第1次政権時代に掲げた「戦後レジームからの脱却」が必要である。これからの日本を背負う世代は、偽善と自己愛に満ちた内向きの反省と自虐の中に閉じ籠もることはやめ、国際社会で自国に自信と誇りを抱き、堂々と前を向いてほしい。


またぞろ蠢く謝罪マニアの面々

 今年は、日本が新しい時代を前向きに生きるための第一歩にしたい。そして、今度こそ本当に、高らかに「もはや戦後ではない」と内外に宣言しなければならない。

 ところが、左派メディアも野党も相変わらず思考停止し、「過去」に拘泥している。安倍首相が今夏に出す戦後70年談話について、戦後50年の村山談話、戦後60年の小泉談話の踏襲を求め、「植民地支配と侵略」や「心からのお詫び」などの文言をそのまま使うべきだと感情的に主張している。

 揚げ句、戦後70年談話に関する有識者会議「二十一世紀構想懇談会」の北岡伸一座長代理(国際大学長)までが3月のシンポジウムで「安倍首相に『日本は侵略した』とぜひ言わせたい」と言い出す始末だ。

 さながら啓蟄前後から、日本中の謝罪マニアが土中から這い出て一斉に踊り出したかのようで、かまびすしいことこの上ない。

「こうなったら、談話では『侵略』『植民地支配』などのいわゆるキーワードは使わずに、いっそ修辞を凝らした『文学』にしてやろうかと思っている」

 政府高官は周囲にこう話している。例えば安倍首相は平成26年7月にオーストラリアの国会で行った演説でも、外務省案にあった先の大戦にかかわる「謝罪」という言葉は採用しなかった。その代わり、次のように深い哀悼を示すにとどめた。

「何人の、将来あるオーストラリアの若者が命を落としたか。生き残った人々が、戦後長く、苦痛の記憶を抱え、どれほど苦しんだか。(中略)私はここに、日本国と、日本国民を代表し、心中からなる、哀悼の誠を捧げます」

 その結果、明確な謝罪などしなくても、安倍首相の演説はオーストラリア議会に受け入れられ、大きな拍手を受けたのである。何も特定のキーワードにこだわる必要はなく、全体としてどういうメッセージを伝えるかが大事なのだ。

 ちなみに安倍首相は、終戦の日である8月15日の全国戦没者追悼式での式辞でも、近年の歴代首相が使用してきたアジア諸国の人々に損害と苦痛を与えたとする「反省」を踏襲していない。オートマチックに前例通りにあいさつするより、よほど意を尽くしたと言えるのではないか。

 また、政府高官は北岡氏の「侵略」発言についてもこう突き放している。

 「まあ、北岡発言は関係ない。自分で『侵略した』なんて言う国は日本しかない。だって果たして日本は英国を侵略したのか。何で当時、オランダがインドネシアにいたのか。日本が侵略したというのなら、欧米中が侵略していたということになる」


侵略という言葉にこだわる愚

 そもそも、「侵略」という言葉に明確な定義はない。意味があやふやな政治的な言葉が、どうして70年談話の必須キーワードであるかのようにすり替えられたのか。

 安倍首相が国会で「侵略の定義は定まっていない」と答弁すると、メディアや野党は「侵略否定だ」「村山談話の否定だ」などとまるで大失言・暴言であるかのように騒ぎ立てた。だが、当の村山富市元首相自身が首相時代の平成7年10月の衆院予算委員会で、次のように答弁しているのである。

 「侵略という言葉の定義については、国際法を検討してみても、武力をもって他の国を侵したというような言葉の意味は解説してあるが、侵略というものがどういうものであるかという定義はなかなかない」

 麻生太郎内閣時代の平成21年4月の衆院決算行政監視委員会では、外務省の小原雅博大臣官房参事官(当時)もこう答弁した。

 「さまざまな議論が行われていて、確立された法的概念としての侵略の定義はない」

 さらに民主党の野田佳彦内閣時代の平成24年8月の参院外交防衛委員会では、玄葉光一郎外相もこう指摘した。

 「何が侵略に当たるか当たらないかというのは論争があるところで、そこにはある意味、価値観、歴史観が入り込む余地があるのだろう。だから、なかなか明確な定義というものができないのかなと」

 つまり、安倍首相は従来の政府見解を答弁しただけだったのに、内外のメディアなどから異様なバッシングを受けたのである。この問題をめぐっては、岸田文雄外相も4月1日の参院予算委員会でこう述べた。

 「植民地支配と侵略の定義についてはさまざまな議論があり、明確な答弁を行うことは困難だ」

 ところが、これまでさんざん安倍首相の答弁を批判してきた多くのメディアは、この岸田発言に関しては取り上げなかった。これまでの安倍首相批判記事との整合性がとれなくなるので、一斉に「報道しない自由」を行使して逃げたのだろう。

 この侵略の定義をめぐっては、伊藤隆・東大名誉教授が最近、鋭い指摘をしていたので、他誌(隔月刊「歴史通」5月号)ではあるが紹介したい。インタビュー記事の中で伊藤氏はこう述べている。

 「侵略の定義というものはない。だから、唯一成り立ちうる定義があるとしたら、『侵略国家とは戦争に負けた国である』。それしかない。侵略国イコール敗戦国。また、『侵略』を定義するなら、『侵略とは敗戦国が行った武力行使である』。それ以外に言い様がないというのが、ぼくの結論です」

 なるほど納得できる。一方、この程度の抽象的な内容しかない「侵略」言葉をさも事の本質、一大事であるかのように書き立ててきた記者や論説委員は、自分の頭でものを考えたり、事実関係を調べたりしたことはあるのだろうかと疑問に思う。

 いずれにしろ、安倍首相はこんな言葉は重視していないし、戦後70年談話で使うこともないはずである。


中韓に好餌与える談話と訣別せよ

 植民地支配、侵略、お詫び……などの言葉にこだわり、それらを使えば使うほど日本は「戦後」にからめ取られ、戦勝国と敗戦国という枠組みは固定化されていく。日本にとって有害無益であり、戦勝国を偽装する中国や韓国を喜ばすばかりだ。

 そしてその枠組みの半永久的な固定化について、意識してか無意識にか日本の左派メディアが率先して尖兵の役割を果たしている。彼らは左派言論が全盛で何を言っても書いても許された「戦後」によほど愛着が強く、もはや幻となりつつある戦後のぬるま湯にまだ浸かっていたいようだ。

 そんな彼らより、安倍首相の前述のオーストラリア訪問時での共同記者会見で、次のように訴えたアボット首相の方がよほど客観的かつ建設的だ。

「日本にフェア・ゴー(オーストラリアの公平精神)を与えてください。日本は今日の行動で判断されるべきだ。70年前の行動で判断されるべきではない。日本は戦後ずっと模範的な国際市民であり、日本は法の支配の下で行動をとってきた。『日本にフェア・ゴーを』とは『日本を公平に見てください』ということだ」

 韓国の朴槿恵大統領が、2年前の3月の演説で言い放った「加害者と被害者という立場は千年の時が流れても変わらない」というセリフとでは月とすっぽんである。どちらが日本の友邦としてよりふさわしいかは、いまさら言うまでもない。

 韓国は「戦後」どころではなく、千年だってさかのぼって謝罪しろと主張しているわけだ。だが、そんなことを言えば、日本は元と高麗の連合軍による元寇の被害者である。

 長崎県の離島、対馬や壱岐の住民は元寇で虐殺され、女性は手に穴をあけてそこに縄を通しつながれ拉致された。

 このときの元・高麗連合軍の残虐非道さは、言うことを聞かない子供を脅かす文句「ムクリコクリ(蒙古・高句麗)が来るぞ」となって記憶されている。

 しかも、歴史作家で徳島文理大学大学院教授の八幡和郎氏によると、高麗は「現実の来襲のときにはむしろ(元を)けしかけたのだし、主力でもあった」(「誤解だらけの韓国史の真実」)とされる。

 だから朴氏のセリフが仮に普遍的で正しいものだというのなら、日本人はいまだに韓国をうらんでいて当然だということになる。2度目の元寇である弘安の役からは、まだ734年しかたっていないからだ。本当に日本は隣国に恵まれていない。

 韓国のありようは、反面教師としてわれわれ日本人に、過去にばかり目を向けることの愚かしさ、無意味さを教えてくれる。

 歴史を学ぶのはそれを教訓として、あるいは未来をよりよいものにするヒントとして活かすためであり、決して過去の歴史に閉じ籠もるためではない。また、どこかの国に永遠にわび続けるためではないのも当然だ。

 そもそも、事実関係に基づかない贖罪意識や、国際関係全体の動向に目を向けない局地的・例外的な謝罪外交にどんなメリットがあるというのか。

 安倍首相による戦後70年談話は、いたずらに感傷的に自虐的に過去を振り返ることで、中国や韓国の思うつぼにはまってきたこれまでの日本と決別する内容であってほしい。


新しく生まれ変わる好機に

 昨年は、戦後レジーム派の拠り所である朝日新聞が慰安婦問題をめぐる一連の誤報、虚報について初めて認めて謝罪した。

 ありのままの現実を直視せずに、連合国軍総司令部(GHQ)製の憲法前文をはじめとする非現実的な観念とイデオロギーに従って言論界を歪めてきた彼らの堤防が、ようやく決壊を始めた記念すべき年だった。

 だからこそ朝日の凋落に焦り、脅える戦後レジーム派は、今も彼らが黄金時代を過ごした「戦後」にすがっている。

 「私たち日本国民が、62年前のあまりに大きな犠牲を前にして誓ったのは『決して過ちを繰り返さない』ということでした。そのために、私たち一人一人が自らの生き方を自由に決められるような社会を目ざし、また、海外での武力行使を自ら禁じた日本国憲法に象徴される新しいレジームを選択して今日まで歩んでまいりました」

 これは平成19年の全国戦没者追悼式で、河野洋平衆院議長(当時)が述べた式辞である。明らかに安倍首相(同)が提唱した「戦後レジームからの脱却」を当てこすっている。その河野氏も今や、ろくな根拠もなく慰安婦募集の強制性を認めた平成5年の河野談話の虚構性が明らかになったことや、関連して自身が多くの嘘や誤魔化しを語り続けてきたことが白日の下にさらされ、一部のメディアにしか登場しなくなった。

 彼らは、憲法、その解釈、安全保障体制から児童・生徒の教育方針、官公労のあり方まで、前例墨守を金科玉条にしている。だからこそ、彼らの最後の砦であり居心地のいい住み処であった「戦後」は超克されなければならない。

 「日本の戦後70年については、かなり陰徳を積んだ70年だったのではないか」

 「日本が歩んできた70年の道のりをもう一度確認しあって、そのことに静かな誇りを持ちながら、さらに今後の道のりについてやるべきことをやっていこう」

 安倍首相は4月2日の「二十一世紀構想懇談会」第3回会合で、こう発言した。戦後70年を系統立てて振り返り、その道程と意義を再確認することを通じ、日本の将来を担う若者や子供たちのためにも「戦後」ではない「新しい時代」をつくっていきたい。

 今年は、戦勝国のお祭りの年である。だが、敗戦国である日本にとっても、新たに生まれ変わるチャンスの年でもあると思う。

 過去しか見ない人たちと、あるべき未来を見据えた人たちのどちらが国益に沿うかは論を俟たない。未来は、過去を懐かしむ人のためにあるのではない。これからを生きる人のものである。

※この記事は月刊正論6月号から転載しました。

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2015.06.20

驚きの中国産食品 高級コメは「プラスチック製」です!!

ウエブサーフィンをしていて驚くべき記事を発見した。以下全て転載である。


驚きの中国産食品 高級コメは「プラスチック製」です!! 最新リポート まだ、そんなことやってるの!? 

2015年6月20日 6時0分 現代ビジネス
〔PHOTO〕gettyimages
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中国の食品工場で働く男が本誌に言う。「日本人騙すの簡単。見た目を良くすればすぐ信じるでしょ。ホンモノかどうかは見た目じゃないヨ!」あんたにだけは言われたくないが、妙に納得してしまう。

■まるで化学薬品のような味
「これじゃビニール袋を食っているのと一緒じゃないか!」

インドネシア国内でいま、そんな怒りの声が上がっている。

ことの発端は5月18日、インドネシア西ジャワ州ブカシ市で飲食店を営むデウィ・セプティアニさんが、市場で買ったコメの「異常」を発見したことだ。

いつものように1kg8000ルピア(約70円)の「高級米」を購入して店に戻ったデウィさんは、さっそく料理の仕込みにかかった。

しかし、何かがおかしい。

通常、コメを炊けば水分を吸う。だがこのコメは炊いてもほとんど水が減らず、水浸しの状態。そして手触りはパラパラとしており、食べてみると食感は固く、まるで化学薬品のような味……。

このコメは普通ではない。そう直感したデウィさんはそれらの様子を写真に撮り、コメントを添えてソーシャルメディアに投稿。さらに地元の警察にも告発した。

デウィさんの投稿はまたたく間に国中に広がり、インドネシア最大のメディア「ジャカルタポスト」が記事を掲載。それが海外にも拡散して、大きな波紋を呼んだ。

さらにアメリカのメディアが、5月20日にジャカルタ警察が市内のコメ卸店を捜索、中国から密輸入された大量の偽装米を押収した、と報じた。

■しらばっくれる中国政府
そして21日。インドネシア国有の調査会社がこれらのコメを検査し、ポリ塩化ビニルなどの有害化学物質の含有を確認した。ポリ塩化ビニルは、水道のパイプやホース、ラップ、床のタイルなどに使用される物質。つまりはプラスチックだ。当然ながら食べて体内に入れると発がん性があり、最悪死に至る。

「インドネシア国内に流れていたこのプラスチック米は、ジャガイモとサツマイモを一度溶かし、それを固めるためにビニール袋を溶かして混ぜ、白米の粒に似せて作られたものでした。見た目はほとんど普通の精米と見分けがつかないほど、クオリティの高い偽装米だったようです。もっとも、炊いて食べれば一瞬でニセモノだとわかるのですが……」(全国紙ジャカルタ支局記者)

この騒動を受けて、インドネシア国民の怒りが爆発。同国のゴーベル商業大臣が、中国商務部の王受文副部長と5月24日に協議し、「コメの流通経路を即刻調査されたい」と要請するまでの事態に発展した。

対して中国政府は、すぐさま「インドネシアにコメは輸出していないので、我が国は無関係」との反論を表明した。

だが、これはもちろん中国がしらばっくれているだけだと語るのは、食品事情に詳しいジャーナリストの椎名玲氏だ。

「有害物質を混ぜた合成米は、10年ほど前から中国国内で出回っていました。ただ、今年4月に習近平主席が悪化し続ける食品事情を憂慮し、食品安全法を改正。北京や上海などの大都市を中心に取り締まりが厳しくなり、偽装米を国内に流せなくなった。

その結果、インドネシアやミャンマー、タイなど、食品の安全検査が比較的『緩い』国々へ流すようになったんです。中国政府がどんなに輸出を否定したとしても、コメが流れていることは周知の事実です」

■「下水油」はいまも流通
アジア各国で密輸入されているコメの多くは、「五常米」という中国随一のブランド米を謳っている。本来は中国の北東部・黒竜江省五常市で作られているコメで、「中国のコシヒカリ」と呼ばれるほど高級なものだ。

「この『五常米』は年間約105万t作られていますが、実際に市場に出回っているのは1000万tを超えているとされています。つまり、『五常米』として売られているコメの約9割はニセモノなんです」(中国問題に詳しいジャーナリストの福島香織氏)

「五常米」として売られている中には、インドネシアを騒がせたプラスチック米の他に、こんな偽装米もあるという。

「見た目がピカピカと輝いているものは、絶対に口にしてはいけません。ツヤがあって、いかにも高級ブランド米に見えるんですが、実際は古米に工業用ラードを混ぜ、そう見せかけているだけ。食べたあとはだいたい頭痛、下痢などの症状を起こします」(北京で働く大手商社社員)

驚くべき方法で加工され、アジア諸国に大量に流出している中国産の偽装米。だが、中国が世界にばら撒いている危険食品はコメだけにとどまらない。そしてその中には、日本でも出回っている可能性を否定できないものも多い。

前出の椎名氏が語る。

「今年2月、オーストラリアで中国から輸入した冷凍フルーツが原因とみられるA型肝炎感染が相次いで確認されました。感染源になったとみられるのは、中国の工場で袋詰めされたラズベリーやいちごなどです。工場の作業員が手を洗わずに作業していたことが原因とされています。

現在、生のフルーツが中国から日本に入ってくるケースはほとんどありませんが、ドライフルーツはかなり輸入されている。生産だけでなく、加工も中国で行われているとしたら、注意が必要だと思います」

また、'10年に中国国内で大問題になった食用油も、いまだに流通し続けているという。

「『地溝油』と呼ばれるものです。これは、工場などの排水溝や下水溝に溜まったクリーム状の油を濾過し、精製した安物の食用油のこと。『下水油』とも言われています。

日本では健康食品としてえごま油が人気ですが、実はこれも中国産のものが多い。中国産のえごまは農薬漬けだったり、化学肥料づけだったり、どういう状態で育てられたものかわかりません。『健康』と謳っていても、決して信用はできないんです」(前出の椎名氏)

■中国国内で流行している偽装食品
とはいえ、4月の食品安全法の改正以来、中国では当局に摘発件数のノルマが課され、連日のように厳しい取り締まりがなされている。特に世界的に問題視されている食用油の偽装は、発覚すれば最高で死刑になるほどの重罪となる。

だがそこは中国スタンダード、抜け道はいくらでもある。いま、偽装食品のトレンドとして中国国内で流行しているのが、食品添加物だ。

食品ジャーナリストの郡司和夫氏が言う。

「いまや食品添加物の世界シェアは、ほぼ中国が占めています。食品添加物の安全性はその純度が基準となりますが、中国で作られたものは品質が悪く、かなりの不純物が入っている。当然、日本などの先進国では、輸入する際に厳しい安全性の検査がなされていますが、それでもチェックから漏れて流通してしまっているものも多い。

事実、中国産の添加物が原因とされる事件はすでに世界各国で起きている。酸化防止に使われるアスコルビン酸という成分と、安息香酸ナトリウムという保存料。この二つが合わさると、発がん性物質であるベンゼンが発生してしまう。これらが入った清涼飲料水が欧米で売られており、大問題になりました」

にもかかわらず、中国産の添加物が他の食品に比べ話題にのぼらないのはなぜか。郡司氏が続ける。

「食品添加物には、原産地を表記する義務がないからです。そのため、危険物質が発生しても、中国が原因とは百パーセントは言い切れない。この状況を放置していれば、私は第二の森永ヒ素ミルク事件に発展する危険性もあると思っています」

■ハチミツはすべて偽物だと思え
中国で流行している最新の偽装食品がもう一つ。ハチミツだ。

前出の福島氏が言う。

「『ハチミツはすべて偽物だと思え』、これが中国人の常識です。というのも、いま中国では環境汚染の影響か、ミツバチの数が急激に減少しているんです。そこで、水飴を加工したり、イモを原料に加えたりして、中国ではニセモノのハチミツが大量に作られている。その証拠に、最近はハチミツの品種が増えています。ニセモノのほうが、いろいろな種類を作りやすいからです」

現在、日本に流通しているハチミツの約80%が中国産。それだけに中国では、「日本人はニセハチミツを喜んでいる」などと言われている。

コメ、フルーツ、食用油、食品添加物、ハチミツ……。名実ともにアジア一の大国となるため、先進化を図りたい中国にとって、「食の安全」は最優先課題のはず。しかしいまなお、これらの驚くべき中国産食品が作られ続けているのはなぜか。

消費者問題の専門家・垣田達哉氏が語る。

「あまりにも貧富の格差が激しいからです。生きるのに必死な貧しい人たちは、安いものを『一流品』であると偽って、高く売るしかないのです。

実は中国政府は、法改正をする前、'13年にも偽装食品の取り締まりを強化したことがあった。しかし結局のところ、何も改善されませんでした」

中国では、食品工場といっても、そのほとんどが10人に満たない人数で作業を行う小規模なものばかり。それらの零細工場が広大な中国全土に無限にあるため、いくら政府が摘発してもモグラ叩きのように次が出てくるので、キリがないのだ。

「それに、役人に工場経営者たちが賄賂をわたし、摘発を逃れるケースも多々あります。貧しい国民と、中国政府の杜撰な管理体制。これが根本から解決されない限り、危険な食品はなくなりません」(前出の垣田氏)

■成長剤でトマトが爆発
市場では「牛肉」と偽って、ネズミや犬の肉を混ぜるのは珍しくない。発病リスクの高い、病死豚の肉を入れることまである。量を水増しするために、肉や魚に水を注射するのも日常茶飯事だ。

家畜に食べさせる餌ですら問題視されている。病死させないため、餌に抗生物質が異常なほど投与されており、酪農家の間では「餌に止まったハエが死んだ」といった会話が笑い話としてなされるという。

それだけではない。ただの川の水をペットボトルに入れ、「ミネラルウォーター」として売っていたり、ホルマリン漬けにして膨張させたエビがレストランで出ることもよくある。

さらに、着色や染色も常識。焼き肉屋に行けば、異様に真っ赤な牛肉が並び、野菜を頼めば目に痛いほどの蛍光色をしたピーマンやにんじんが出てくる。

'11年ごろから成長剤の使いすぎによるスイカの爆発が頻発して話題を呼んだが、今年はトマトまで爆発した。

「日本人からすると、最近、中国産食品の危険性が叫ばれなくなったような気がしているかもしれませんが、そんなことは全くない。中国ではいまも、連日のように偽装食品が発覚し、違反者たちが次々と摘発されています。しかしもはや、騒ぐ中国人はいない。なぜなら彼らにとって、ニセモノが当たり前だからです」(前出の福島氏)

中国政府は「取り締まりを強化している」と言い続けるだろうが、信じてはいけない。偽装食品は、今日も海を越えて日本に流入しているのだ。

「週刊現代」2015年6月20日号より

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2015.06.13

藤岡論文「187人の歴史家声明」に対する応答と提案・・・・ を拡散したい

いわゆる慰安婦問題について正しく歴史的事実の論考をしている本論文を拡散したい。本論文は渡部亮次郎氏から配信されたメルマガで紹介されたhttp://hassin.org/01/wp-content/uploads/187.pdfから引用したものである。


「187人の歴史家声明」に対する応答と提案
2015年6月12日 拓殖大学客員教授 藤岡信勝
声明署名者187人の歴史家の皆様へ
5月5日、「日本の歴史家を支持する声明」が公表され、たちどころに世界中に広が りました。声明には、アメリカと西洋諸国の歴史家と日本研究者187人の署名があり、 第二次世界大戦までの日本軍慰安婦制度を指弾するものでした。声明は、あからさまで はないにせよ、日本の総理大臣の謝罪を求めていることが透けて見えるものでした。
*注記 その後、署名者は5月末現在460人程度に増えましたが、当初の人数を尊 重して宛名を変更しません。
私は日本国民の一人として、この声明を真摯に受けとめた上で、率直な意見を述べて みたいと思います。以下の見解は、日本のいかなる機関や組織も代表するものではなく、 あくまで、1992年以来慰安婦問題を注視してきた私個人の見解であることをお断り しておきます。
●落胆と希望と
皆様の声明に接した私は、自分の中で、2つの異なる思いが交錯するのを感じました。 一つは落胆であり、一つは好機到来の希望でした。
まず、落胆の事情から書きます。署名した187人の歴史家・日本研究家の中には、 日本でも著名な、尊敬すべき方々が数多く含まれております。それらの方々の著作は日 本語に翻訳され、日本の研究者や一般読者に多くの感銘と影響を与えてきました。
すぐに思い出す日本語の翻訳書の著者と書名をランダムにあげてみると、エズラ・ヴ ォーゲル『ジャパン・アズ・ナンバーワン』、ジョン・ダワー『人種偏見』、アンドル ー・ゴードン『日本の200年』、ロナルド・ドーア『江戸時代の教育』などです。こ の中には、実のところ出身地の本国でよりも日本でより多くの読者を獲得した書物も含 まれています。
こうした方々が含まれているだけに、この声明は重みを増しているように思われます が、それによって声明が多くの日本人に受け入れられるはずだとお考えだとしたら、そ れは日本における現状を大きく見誤ったものと申し上げざるを得ません。
と申しますのは、多数の日本国民が、すでに慰安婦問題なるものについて理解してし まったからです。それは日本を政治的に非難するために捏造された問題であり、その問 題をもとにした日本非難には事実の裏付けがないことが、特に昨年八月の、朝日新聞の 32年間にわたる誤報記事の取り消しによって、誰の目にも明らかとなりました。
ですから、声明を読んでも、多少の知識のある日本人なら、特別の学究の徒ではない 市井のサラリーマンや主婦でさえ、皆様の声明が誤った事実認識に基礎をおいて書かれ ているという感じを持つようになっているのです。
しかし、ここで私の中に起こったもう一つの感情、すなわち好機到来という思いにつ いて書く必要があります。すでに述べたように、アメリカの「日本研究者」よりも、日 本の、多少とも啓蒙された国民のほうが、慰安婦問題の真相を知っているということは、 太平洋を挟んだ両国の間に、特定のテーマに関して巨大な「情報ギャップ」が生じてい るということを意味します。
私は声明文の署名者の全員が、日本に対する偏見と悪意をもって賛同したとは必ずし も受け取ってはおりません。声明文には、日本に対する偏見に陥らず、公正な立場を貫 き、普遍的な価値に根ざそうとする配慮のあとが明瞭に見てとれます。声明は次のよう に書いています。
「戦後日本が守ってきた民主主義、自衛隊への文民統制、警察権の節度ある運用と、 政治的な寛容さは、日本が科学に貢献し他国に寛大な援助を行ってきたことと合わせ、 全てが世界の祝福に値するものです」
声明の署名者達が、戦後の日本の世界に対する平和的な貢献について、このように評 価して下さったことに、日本人の一人として感謝の気持ちを表したいと思います。
声明は全体として、自由、民主主義、人権、などの普遍的な価値に根ざす立場にたっ ています。それらについては全く同感であり、これらの理念こそ、今、最も大切にしな ければならないものです。だからこそ、間違った事実認識に基づく独断や偏見を排除す ることは、公平・公正な立場を堅持しようとする人の義務でもあります。
そこで、日米間の情報ギャップが露わになったこの声明は、そのギャップを埋めるた めの絶好の機会を提供するものでもあるのです。私のこの手紙も、その情報ギャップを 埋めるささやかな一助になることを願って発信されるものです。
●マグロウヒル社の教科書の誤り
情報ギャップの一例が昨年の11月と12月に露呈しました。日本政府は、アメリカ の高校生が使っているマグロウヒル社の世界史教科書『伝統と邂逅』に掲載された日本 軍の「慰安婦」についての記述が極めて不適切である、として訂正を求めたのです。そ れに反発したアメリカの歴史家19人は、アメリカの学会誌に投書し、日本政府の動き を批判しました。
3月17日、アメリカの19人の歴史家に応えて、日本の19人の歴史家が、マグロ ウヒル社の教科書の「慰安婦」記述における事実の間違いを指摘し、それを正すように 出版社に求める鄭重な訂正勧告を行いました。
慰安婦問題研究の第一人者・秦郁彦が代表となったその声明文では、8件に限定して 誤りを指摘しました。そのうちの4件をここで紹介してみます。
(1)教科書は、「強制的に慰安婦にされたり、徴用されたりした」と書いています が、19人の歴史家が、連帯する相手方の日本の歴史家として唯一名前を挙げた吉見義 明は、日本のテレビの討論番組で、「朝鮮半島における強制連行の証拠はない」と述べ ています。アメリカの19人の歴史家たちは大きな勘違いをしているようです。
(2)慰安婦の数として教科書は「20万人もの女性」と書いています。しかし、秦 郁彦教授は、日本の関係機関の統計などの資料に基づいて、2万人程度と推定していま す。
(3)教科書は、「慰安婦が毎日20人~30人の男性を相手にした」と書いていま す。ところで、教科書によれば、慰安婦の総数は20万人でした。そうすると、日本軍 は毎日、400万回~600万回の性的奉仕を調達したことになります。他方、日本陸 軍の海外兵力は、戦争まっさかりの1943年で100万人でした。教科書に従えば、 彼等は全員が「毎日、4回~6回」慰安所に通ったことになります。これでは戦闘準備 をする時間はおろか、まともに生活する暇もなくなります。
(4)教科書は、戦争が終わると日本軍は、証拠隠滅のために「多数の慰安婦を大虐 殺した」と書いています。この記述の根拠史料は何なのかが問われます。もしそういう ことがあれば、東京裁判や各地のBC級軍事裁判で裁かれているはずですが、そういう 記録はありません。何人を、いつ、どこで殺害したか、証拠がなければ教科書に書くこ とが適切でないのは言うまでもありません。証拠がないものを疑う余地のない歴史的事 実として記述し、アメリカの生徒に教えることは、史実の追求ではなく、特定のプロパ ンガンダを植え付けることになり、学問の自由にも思想の自由にも反していると思われ ます。
私も署名した訂正勧告文書は、マグロウヒル社に直ちに送付しました。しかし、未だ に同社からの回答がありません。ところが、5月16日付の産経新聞によれば、同紙の 特派員の質問に対し、マグロウヒル社は、「訂正しない」旨の回答をしたとのことです。 同社は著名な日本の歴史家が提示した事実に向き合う努力を全くしていません。だから、 日本人から見れば嘘としか言えないことをアメリカの高校生に教えることに日本政府 として異議を唱えるのは当然のことです。
私達の訂正勧告は、アメリカの教科書会社を改心させるに至っていませんが、さすが に学者の皆様には多少の影響を与えたものと見えます。というのは、19人の文書にあ った「国営性奴隷制」という言葉が、187人の声明では消えているからです。教科書 にあった「20万人」という数字も登場しません。19人は教科書の「20万人」とい う数字を含む慰安婦に関する記述を変えさせてはならない、と抗議していたのですから 重要な変化です。
●軍の「組織的管理」の成果
良識的判断の方向に向けての上記のような前進があるにもかかわらず、今度の声明で も、海外の学者の皆様の、日本の慰安婦制度についての理解は、基本的には変わってい ません。その理解の核心は、次の一節に表現されています。
《20世紀に繰り広げられた数々の戦時における性的暴力と軍隊にまつわる売春のな かでも、「慰安婦」制度はその規模の大きさと、軍隊による組織的な管理が行われたと いう点において、そして、日本の植民地と占領地から、貧しく弱い立場にいた女性を搾 取したという点において、特筆すべきものであります。》
一国をこのように断定して非難の対象とするからには、よほど慎重な事実の検討と、 比較作業の積み重ねが必要です。質問しますが、皆様方はそのような慎重な作業をなさ
ったのですか。この点に光を当てるため、声明の主張のいくつかを選んで、それを別の 観点から検討してみたいと思います。
第一に、規模についていえば、すでに話題にしたように、日本軍の慰安婦制度のもと で働いていた女性の数は20万人だったのか、2万人だったのか、という事実をめぐる 論争があります。これについて、声明は「恐らく、永久に正確な数字が確定することは ないでしょう」と述べて、それ以上の追求を放棄しています。数字が確定しないのであ ったら、どうして日本の慰安婦が規模において特筆すべきものだという断定が可能なの ですか。
第二に、「軍隊による組織的な管理」は誤解を与える表現です。日本の慰安婦は遊郭 を経営する業者に雇われていました。慰安婦の仕事は過酷ではあったでしょうが、それ に見合った高給が支払われていました。上等兵の月給が10円の時代に、ビルマでは平 均月収750円でした。1年働けば、国元の親のために、家を何軒も買ってやることが 出来るほどでした。平時の遊郭が戦地にまで営業地を延長したのが、日本軍の慰安婦制 度の実質です。慰安所の顧客は日本軍の兵士達でした。
慰安婦が性奴隷ではなく、賃金を受け取っていた売春婦であることは、米軍の正式な 報告書がハッキリと認めています。アメリカ戦時情報局心理作戦班のビルマ戦線におけ る捕虜の尋問調書第49号は、「『慰安婦』とは売春婦以外のなにものでもなく、兵士 のために日本軍に付属する『職業的追軍娼婦』であった」と冒頭に書いています。
軍隊が関与したのは、以下の3点、すなわち、慰安所の設置についての業者に対する 認可と契約、慰安所の規則の制定、軍医による定期的な健康検査の実施です。慰安所の 規則を軍が関与して制定したのは、強欲な業者の専横を抑え、慰安婦の権利を守るため でした。軍が関与しなければ、慰安婦の労働条件はもっと劣悪なものになっていたでし ょう。軍と業者の間、業者と慰安婦の間はいずれも契約関係にあり、公娼制度が存在し た当時の法律に照らして合法的なシステムでした。
慰安所設置の目的は2つあり、戦場における兵士の性欲処理をすることによって現地 の女性に被害を与える可能性を取り除くことと、兵士が既存の売春施設を利用すること で性病に罹患するのを防止することでした。
軍の関与があること自体を、前例のない許しがたい方針と見なす傾向がアメリカの歴 史家にはあるようです。アメリカは現地の既存の施設を利用するのを常としていました。 たとえば、ハワイには「ホテルストリート」と呼ばれる売春地帯があり、サンフランシ
スコから運ばれてきた売春婦達が、一日100人の客をとらされていました。また、ア メリカは、戦後の日本占領期でも日本政府が米兵のためにつくった売春施設を利用しま した。同様に、朝鮮戦争以来の駐韓米軍も韓国政府がつくった現地の施設を利用しまし た。
しかし、これはその国の慣習の違いにすぎず、戦場の兵士の性欲処理の機能を果たす ものであることに変わりはありません。日本の慰安婦制度は、第一次世界大戦における ドイツの制度を原型としたものです。様々な性欲処理方式のうち、自国の特定の方式だ けを絶対化して、その方式と異なる方式を採用している国を批判するのは、素朴な自国 中心主義の誤りです。
比較論として言えば、アメリカ式現地調達方式には、性病にかかる危険があるという 弱点があります。例えば、1940年代の初めに中国の昆明にあった米軍基地では、現 地の売春施設を利用したために、兵士や整備工の半数近くが性病にかかって動けなくな りました。また、アメリカはベトナム戦争のような過酷な戦場で、既存の施設が得られ ない場合には、事実上軍直営の施設をつくっています。
日本の慰安婦制度が所期の目的をほぼ達成したことは、現地での強姦事件が殆どなか ったこと、また、現地の女性との混血児を残していないこと、などに表れています。
これに対して、日本を占領した米軍は日本女性との間に多数の混血児を残しました。 ベトナム戦争で、韓国兵は現地にライダイハンと呼ばれる混血児を残しました。その数、 数万と言われています。
視野を第二次大戦中に戻せば、最大規模の強姦事件は、ソ連のベルリン侵攻時に起こ りました。約100万人のドイツ人女性がソ連兵により強姦され、その被害女性の20 万人が亡くなったといわれています。また、多数のソ連兵の子供が強姦によって生まれ ました。ソ連は満州でも日本人女性多数を強姦し、殺戮しています。20世紀の性犯罪 としては、これらのほうが遙かに巨大で深刻なのに、なぜ皆様はこの歴史を論じないの でしょうか。
比較の上で、日本人男性が特筆すべき強い性欲の持ち主でないことだけは確かです。 その種の比較データによれば、いつも日本人男性は世界で最下位クラスに位置します。
●残虐話の嘘と証言の信憑性
第三にとりあげたいのは、声明が「『慰安婦』制度が際立っていたのは・・・日本の植 民地と占領地から、貧しく弱い立場にいた女性を搾取したという点であった」と主張し ていることです。ここにも大きな誤解があります。日本軍の慰安婦は、多数が日本人売 春婦によって占められていました。秦郁彦の試算では、慰安婦の出身地は、日本人4、 現地人3、朝鮮人2、その他1、という割合になっています。日本と朝鮮の人口比に見 合っています。
これらの女性が貧しく弱い立場にいたことは確かでしょう。個々のケースを想像すれ ば、誰についても同情の余地があります。しかし、彼女らの境遇をことさら過酷に、非 人間的な境遇に置かれたかのように思い込むのも適切ではありません。そういうことを 言えば、平時の遊郭で働く女性も、貧しく弱い立場にいたのです。軍隊はむしろ恵まれ た環境として志願した慰安婦もいたし、戦地にいた時のほうが平時の遊郭よりも楽しか ったと回想する元慰安婦もいるのです。
第四に、そしてこれが最後になりますが、声明に署名した学者の皆様が影響を受けて いると考えざるを得ない一つの論点について申し上げます。それは、戦時性暴力に関す る元慰安婦の「証言」の信憑性についてです。皆様の声明では、日本軍の慰安所でとん でもない残虐な行為が行われ、慰安婦は性暴力の犠牲者であったと信じている節が見受 けられます。声明は慰安婦に対する「残虐行為」という言葉を使い、彼女達は軍による 「恐ろしい残虐行為にさらされた」と書いています。
1996年、国連の人権委員会は「クマラスワミ報告」を承認しました。その中には、 北朝鮮の元慰安婦と称するチョン・オクスンの次のような証言が含まれています。
《[日本兵は]慰安婦を全裸にし、両手両足を縛り上げ、沢山のクギを打ち付けた板 の上を転がして、肉がクギに食い込んで平らになるまで拷問を続けた。最後には、彼等 は彼女の首を切り落とした。山本という別の日本人が私達に言った・・・「こいつら朝鮮 人の女が泣いているのはものを食っていないからだ、人肉を煮て食わせろ」》
こうした話を聞けば、日本人なら一笑に付します。日本人にはこうした猟奇的な趣味 はなく、人肉食の習慣もありません。この類いの話は中国の史書にふんだんに載ってい るもので、朝鮮半島は中国文化圏に属します。元慰安婦は中国文化圏で共有されている 知識をもとに語ったのです。
2007年に可決したアメリカ下院の決議には、「四肢切断」が日本軍による残虐行 為の一つとして挙げられています。四肢切断は中国の後宮で行われた恐ろしい習慣で、
日本には全く形跡のないことです。皆様が本当に日本の歴史や文化の専門家でいらっし ゃったら、すぐに賛成いただけるはずです。
朝鮮半島の慰安婦の証言者が初めて名乗り出たのは、戦後40年以上経過した後の1 991年で、それ以来証言者は50人を超えています。しかし、その中の誰一人として、 強制連行されたことを矛盾なく述べた人物はいないのです。中には、「慰安所にジープ で連れられていった」、「クリスマスの前後は特に忙しかった」などと証言している元 慰安婦もいます。日本軍にはジープもクリスマスを祝う習慣もありませんでしたから、 この場合、「加害者」は、日本兵ではなく、米兵という結論にならざるを得ません。
ですから、慰安婦の証言を、心に訴えるものがあるからといって証拠採用することは、 法の支配が行われている社会では許されることではありません。日本に対する検証され ていない証言をばらまくことは、日本人差別という以外に言いようがありません。
●学術的討論の開催を提案する
声明の署名者達は、この世から性暴力をなくし、人権が尊重される世界をつくろうと する希望を抱いています。その動機を疑う理由はありません。実際、私はその主張を共 有し、完全に支持します。しかし、そうであれば、なぜ、署名者たちが、70年以上前 に存在しなくなった日本の慰安婦制度だけをことさら取り上げて糾弾の対象とするの か理解に苦しみます。
今現在、東南アジアの貧しい少女がアメリカを含む各地に売られ、性暴力にさらされ ている現実があります。中国はチベットやウイグル地区で大規模な民族弾圧を行い、そ の中には女性への暴力も含まれています。北朝鮮では政治犯収容所などですさまじい性 的迫害が行われています。最近起こったネパールの地震では、業者が暗躍し、1万5千 人の少女をインド、韓国などに売り飛ばしているとイギリスのメディアが報道していま す。
本当に性暴力のない世界をつくろうと考えるなら、現在進行中のこの事態を食い止め る活動のほうが、はるかに緊急を要するのではないでしょうか。そのためには、日本は 資金援助も人道援助も行うでしょう。現に今、この瞬間にも起こっている女性の人権侵 害よりも、70年以上前の、なかったかも知れない日本軍の女性の虐待のほうが重要だ という理由が何かあるのですか。この声明が、声明の中で批判されている中国や韓国の 「民族主義的暴言」の影響を受けたものでないことを私は切に望んでいます。
結論として、私は最後に、日米の研究者の間の真摯な、一連の討論会の開催を提案し ます。テーマは、日本軍の慰安婦制度とは何であったのか、戦場の性処理問題の国際比 較、現在の世界で繰り広げられている深刻な人権問題、などについてです。討論は、証 拠と論理に基づく冷静で学術的なものとします。
そうした場を日本の外務省がつくってもいいし、民間の財団が旗を振っていただいて もよいと思います。相手の視点から学ぶ相互対話が今ほどふさわしい時はありません。 私達が力を合わせれば、21世紀を「希望の世紀」とすることができるはずです。
*注記 この手紙の大部分は、日本語で、雑誌『正論』2015年7月号に掲載された。 ただし、この英語の手紙は、アメリカの読者に向けてさらに手を入れて書き直したもの である。

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2015.06.11

憲法学者はGHQの洗脳から離脱できない

この所説に同感である。以下は全て渡部亮次郎氏から配信されたメルマガからの転写である。

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憲法学者はGHQの洗脳から離脱できない
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杉浦 正章

枝野は政治学入門の講義を受け直せ
 
自民党副総裁・高村正彦が「私が批判しているのは憲法学者の言うことを
うのみにしている政治家だ」と民主党幹事長・枝野幸男に切り返したが、
見事に急所を突いている。

枝野の「谷垣氏も高村氏も40年前の憲法議論をベースにしているのではな
いか。40年間、どれほど憲法の勉強をしたのか。もう1回、大学の憲法の
授業を聞き直せ」との批判に反論したものだ。

高村発言は、憲法学者3人の安保法制違憲論が、いかに時代と安保環境に
マッチしていないかだけでなく、これに踊る朝日新聞とその論調に踊らさ
れるポピュリズム政治家・枝野、辻元清美らを諫めたものだ。

憲法の授業は先に指摘したとおり、大先生たちが戦後70年、同じ帳面を読
み上げているものであり、聴講に全く値しない。枝野は大学の政治学入門
から講義を聴き直して物を言った方がよい。

集団的自衛権の限定行使論議は、最高裁の合憲判決に基づく政治マターで
あり、浮き世離れした学者の違憲論を根拠にする限り民主党に勝ち目はな
い。既に負けると予想しているから“今をときめく”辻元が憲法解釈変更に
ついて「再び民主党政権になったら元に戻した方がいい」と発言している
ではないか。

「民主党政権」が未来永劫(えいごう)あり得ないとすれば、元に戻すこ
ともあり得ないのだ。

官房長官・菅義偉が安保法制合憲論の学者の名前を挙げた中で中央大名誉
教授・長尾一紘の発言が一番問題の核心を突いている。

長尾は毎日に「戦後70年、まだ米国の洗脳工作にどっぷりつかった方々
が憲法を教えているのかと驚く。一般庶民の方が国家の独立とはどういう
ことか気づいている」と指摘した。

確かに法学者は「洗脳工作」で戦争直後に作った大学講義の帳面が代々引
き継がれているとしか思えない。連合国総司令部(GHQ)は戦争直後の
7年間の占領期間中、国民の間に植え付けられた軍国主義の思想を徹底的
に洗い直す「洗脳工作」(War Guilt Information Program)に専念した。

戦争の罪悪感を日本人の心に植え付け、絶対平和主義が理想であるかのご
とき思想を徹底させた。これは軍国主義の復活で日本が再びパワーを持つ
ことを恐れたものだ。平和憲法もその流れをくむものであろう。

この日本の牙(きば)抜き洗脳工作はその後の朝鮮戦争の勃発など環境激
変で意義を薄れさせたが、極東をめぐる情勢は、天から平和が降ってくる
と言う思想では対処しきれなくなった。

天から降ってくるのは200発のノドンであり、中国は漁船を巡視艇に衝突
させて、尖閣領有の可能性を探っている。この状況変化に対応できないの
が憲法学者であり、それを政治的に活用しようとするのが民主党なのだ

世論調査ではまだ反対が多いが、いざ国政選挙で安保問題がテーマとなれ
ば、自民党は勝つのが過去の例だ。1960年11月に行われた総選挙は安保闘
争直後にもかかわらず選挙への影響はほとんど無かった。

逆に、社会党と民社党の分裂により、自民党が議席を増やした。沖縄返還
後の総選挙も圧勝しており、安保が争点になれば自民党は負けたことがな
い。したがって自民党は来年夏の参院選か衆参ダブル選挙に、堂々と安保
法制問題を提示すればよいことだ。

砂川判決は唯一の最高裁による国の安全保障に対する合憲判決であり、朝
日は今日(11日付)の社説で「また砂川判決とは驚きだ」と書いている
が、この主張の方が驚きだ。

砂川判決に準拠して安保法制を作らずに何に準拠せよというのか。59年
の砂川判決は、「わが国が、その存立を全うするために必要な自衛のため
の措置をとりうることは、国家固有の権能の行使として当然のこと」と述
べているのであり、あまりにも明白すぎて議論の余地がないほどだ。

判決には個別的自衛権とも集団的自衛権とも書き込まれていないが、全て
を包含するというのが常識だ。さらに重要なのは砂川判決の後半部分である。

「日米安全保障条約のように高度な政治性をもつ条約については、一見し
てきわめて明白に違憲無効と認められない限り、その内容について違憲か
どうかの法的判断を下すことはできない」としている。これが物語るもの
は国の安全保障に関しては最高裁ではなく政治の判断に委ねるという事で
あろう。

それはそうだ。裁判官が国防に口を出そうにも出しようがないのだ。国防
は三権分立における政治マターの最たるものだ。ましてや憲法学者ごとき
が国の命運を左右する安全保障問題で反対ののろしを上げ運動をすること
は、八百屋が魚河岸でマグロを選ぶのと同じだ。

政府・与党は今後反転攻勢に出る構えであり、自民党副総裁・高村正彦が
11日の衆院憲法審で自ら意見陳述することを決めた。公明党代表・山口
那津男までが、「学識経験者にもいろいろな意見があるが、4日の審査会
で発言した方々は、法案に批判的な見解を持った人ばかりだった。

政府の考えは一貫しており、その対応は、いささかも揺らぐことはない」
と今国会成立を明言している。自民党内はエキセントリックな元行政改革
相・村上誠一郎が「憲法学者の意見を一刀両断に切り捨てることが本当に
正しい姿勢か。

採決に当たっては党議拘束を外してほしい」などと総務会で主張、反逆の
構えを見せているが、同調者はゼロ。村上の主張の逆を選べば全ては成功
する。

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2015.06.05

「台湾人は漢民族ではない」・・・・初めて知った真実

宮崎正弘氏から配信されたメルマガに搭載された読者の声(以下に転載)により大いに啓蒙された。


(読者の声2)「台湾人は漢民族ではない」(「台湾の声」編集長、医学博士 林建良)
 台湾人の原住民はごく少数で、大部分は福建省から渡ってきた中国人の子孫であると多くの日本人は思っているようです。日本人がそう思っているくらいですから、世界中の人もそうしたイメージを持っています。
 しかし事実はとんでもない話で、DNA分析を行ってみると、台湾人は大陸の中国人、いわゆる漢人とは全く異なっているという驚くべき事実があることを医学博士の林建良さんはのべています。
 では、なぜそうなったのか? 林建良さんの文章をお読みいただき、誤った思い込みを正していただきたいと思います。
歴史的にも人種的にも台湾は、台湾であり、中国の一部などではないというのが真実です。
 林建良論文:http://hassin.org/01/wp-content/uploads/not.pdf
 英訳文を下記の通り海外の人々にも発信しました。
    (「史実を世界に発信する会」茂木弘道)

以下に上記のi林建良論文:http://hassin.org/01/wp-content/uploads/not.pdf
を複写しておく。

台湾という国を、皆さんは知っているようで知らない。どうせ中国と同じ民族なのだか
ら仲良くやればいいじゃないか、と言う人が少なくない。一般人ばかりでなく、台湾につ
いて勉強している学者や研究者でさえ、同じようなことを言う。つまり台湾人は、二パー
セントの原住民、一三パーセントの外省人(蒋介石と一緒に台湾にやってきた人間)、残り
八五パーセントの本省人(戦前に台湾に移住してきた人間)なのだから、九八パーセント はもともと漢民族ではないか、と。 これは誤解でしかないが、ほとんどの人が台湾人は漢民族であると考えている。実は、
なによりわれわれ戦後の台湾人が「お前たちはもともと漢民族である中国人なのだ」とい
う教育を受けてきたのだから、世界中の人間がそう思うのも致し方ない面がある。しかし、 これは間違いなのである。 台湾が世界史に登場してきたのはつい最近で、一七世紀になってからである。では、そ
れ以前の台湾にはほんの一握りの人間しか存在していなかったのかというと、そうではな い。 台湾が歴史に登場したのは一六二四年で、オランダがアジアとの貿易をするうえでの中
継点として登場した。ご承知の通り当時のオランダは、非常に航海技術が優れていて、貿
易が盛んだった。今の会社の原型といわれる東インド会社も彼らによってつくられた。当
時の彼らは、西洋のものを日本や中国に売り、あるいは東洋のものをヨーロッパに売った りしていた。オランダはその中継点として、台湾と中国のあいだにある島で、100 平方キロ ほどの澎湖島という島を選んだ。
当時の明朝はその島をめぐってオランダ軍と戦い、結局は和解したが、明朝の条件とし
ては、澎湖島は返してもらう、その代わりに台湾をあげるからというものだった。台湾は
中国にとって、そのくらい無用のものだった。そして一六二四年、オランダ人が台湾を統 治することになる。それが台湾人が体験した初めての国家としての権力であった。 著名な統計学者である沈建徳氏の著書『台湾常識』によれば、当時の台湾の人口は五十
万人だったという。今から十年ほど前までは、台湾では原住民のことを「山胞」、つまり山
に住んでいる民族と呼んでいた。しかし、確かに三分の二は山でも、三分の一は平野であ
る。住みやすい平野に人が住まなくて、山にばかり住んでいるなどというおかしなことは ない。実は、当時の台湾人のうち二十万人は山に、三十万人は平野に住んでいたのである。
■台湾に来たがらなかった中国人
2
オランダ人は台湾を統治するために、中国から労働者を輸入する。その数は七千人から 八千人で、五十万人の中の八千人だ。人口の一、六パーセントにすぎない。 鄭成功が清に負けて台湾に逃げてきたのが一六六一年であるから、オランダの統治は三
十八年間続いたことになる。今、台湾人が中国人の子孫であり後裔であるという根拠は、
鄭成功がたくさんの中国人を連れて海を渡ってきたことに求められている。しかし、一六
六一年の台湾の人口は六十二万人であり、中国からやってきた鄭成功一族と彼の軍隊はそ の中のたった三万人なのである。 その一族が台湾を統治したのは二十二年間で、清朝によって滅ぼされた。当時の台湾の
人口は七十二万人になっており、そのとき清朝が連れてきた軍隊はほんの数千人だ。なぜ
中国人が台湾に行きたがらないかというと、当時の台湾はまさに瘴癘の地だった。瘴癘と
は風土病のことだが、マラリアをはじめ猩紅熱、腸チフス、百日咳など、ありとあらゆる
伝染病が台湾に蔓延していた。「台湾に十人行けば七人死んで一人逃げ帰る。残るのはせい ぜい二人」という中国の諺が残っているほどだ。 実際、清朝は二百年のあいだ台湾を統治するが、その間、統治者は三年交替だった。三
年交替の統治者で生きて中国に帰れたのはほんの数人、十人を超えていない。もちろん統
治者としてやって来るわけであるから、いちばん良い食事、いちばん良い環境、いちばん
良い住まい、つまりいちばん良い衛生状況を保てたはずだったが、その彼らがほとんど台 湾で死んでしまうほど台湾の風土病は怖かった。 そして、一八九五年に日本が台湾を領土としたときの人口は二百五十万人だったが、清
朝出身者のほとんどが中国に引き揚げている。だから、このように歴史をたどってみれば、 われわれ台湾人が漢民族であるという認識の間違っていることがよくわかるのである。
■税金のために漢民族になろうとした原住民
清は、いろいろな階級に分けて台湾人を統治した。漢人、つまり漢民族しか苗字を持っ
ておらず、原住民のことは、野蛮人を指す「蕃」を使って「生蕃」「熟蕃」と呼んだ。この 戸籍制度は、日本の統治時代まで使われた。 熟蕃というのは漢民族と一緒に住んでいる、人を殺さない野蛮人を指す。山に住んでい
る台湾人は首を狩る。そのことを我々は「出草」と言う。自分が一人前の男であることの
証明として人の首を狩り、狩った首はお飾りとして自分の家の前に棚を作って並べておく。
この首の数が多ければ多いほど立派な男ということになる。私のなかでときどき血が騒ぐ のは、その遺伝子のせいかもしれない。 生蕃には重税が課せられ、熟蕃はやや軽い。漢人はいちばん軽い。そうすると、熟蕃は
競って漢人になろうとする。そこで、当時の清朝は「では、あなたの名前は林にしましょ
う。あなたは王にしましょう」と苗字を与えた。苗字のない原住民は競って苗字のある漢
3
民族になろうとしたのである。生蕃もできるだけ熟蕃になろうとした。だから、台湾人は
漢民族であるというのは統治者の政策によってつくられた虚像でしかない。要は名前を漢 人風にしただけのことであり、表面だけを見て漢人と言っていたのである。
■血液学からも証明
台湾の人口は、一六二四年の五十万人から一九四五年にはざっと六百万人になった。環
境などを考慮すると、その成長率は非常に合理的な数字である。清朝統治の二百年間には、
台湾に渡るなという禁止令があった。それは、台湾が非常に長いこと海賊の巣になってい
たので、人が増えることは好ましくなかったからで、できるだけ台湾に渡らせないように しようというのが清の姿勢だった。 日本が統治した当時の人口は二百五十万人で、もちろん日本統治の五十年間に中国から
台湾に移住してきた中国人はほとんどいなかった。正常な人口の成長で、五十年間で六百
万人になった。一九四五年に台湾から引き揚げた日本人が四十万人いたから、総数として は六百四十万人ということになる。その中にもし中国人がいたとしても、ごく僅かなのだ。 血液学的調査にもそうだし、台湾の馬偕記念病院の血液学の教授である林媽利先生は人間
のリンパ球の遺伝子を調べて、すでに台湾人と漢民族の遺伝子がまるっきり違うことを証 明している。 台湾人は漢民族ではない。
林建良プロフィール:台湾に生まれる。1987 年、日本交流協会奨学生として訪日。 東京大学大学院医学系研究科博士課程修了。在日台湾同郷会顧問、メールマガジン 「台湾の声」編集長、台湾独立建国連盟日本本部国際部長、日本李登輝友の会常務 理事、台湾団結連盟日本代表も務める。現在は栃木県在住。医師としての仕事のか たわら台湾正名運動を展開している。 著書: 「 正 名 運 動 」緣 由 . 台灣: 一橋出版社. (2003-09-17). ISBN 957-8251-48-3、『日 本よ、こんな中国とつきあえるか? 台湾人医師の直言』 並木書房、2006年7月。ISBN 4-89063-201-8、テンジン、イリハム・マハムティ・ダシ・ドノロブ共著 『中国の狙いは民族 絶滅 チベット・ウイグル・モンゴル・台湾、自由への戦い』 まどか出版、2009 年 3 月。 ISBN 978-4-944235-45-2、『中国ガン 台湾人医師の処方箋』 並木書房、2012年12月。 ISBN 978-4890633005。

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2015.06.04

緒方竹虎氏の押し付け憲法論…阿比留瑠比の極言御免より

昭和30年には筆者は高校一年生であった。弁論部に所属して岡山県の弁論大会に出場したこともある。その頃尊敬していた言論人であり、政治家であった緒方竹虎氏の所説に、古希を超えた今、接して懐かしく共感すること大なるものがある。以下は全て産経新聞からの転載である。

緒方竹虎氏の押し付け憲法論

 月刊誌「明日への選択」6月号が、朝日新聞の主筆・副社長から政界に転身して吉田茂内閣で副総理・官房長官を務め、首相の座まであと一歩のところで急逝した緒方竹虎氏の憲法改正論を紹介していた。

 緒方氏が昭和30年に、母校の福岡県立修猷館高校の創立70周年に際して行った記念講演を取り上げたものだ。筆者も早速、講演録を読んでみたが、改憲にかける熱情が伝わってくる。

 緒方氏は例えば、こう訴えている。


「強制の事実が露骨」

 「憲法の改正の理由の一つは、あの憲法が占領軍によって強制されたというその事実があまりに露骨になっている」

 「強制された筋道があまりにはっきりしている。これでは私は国民の独立の気迫というものが浮かんでまいらないと思う」
.
 「同じ憲法を起草するに致しましても、これを自主的に検討致し、もう一ぺん憲法を書き直す必要があるというのがわれわれの決意であります」

 緒方氏はまた、連合国軍総司令部(GHQ)が昭和21年2月、米国製憲法草案を幣原喜重郎内閣に突きつけた当時、憲法担当相だった松本烝治氏の次の憤りの言葉を引いている。

 「自分はそれ以来、日本の憲法は見る気がしない。どういう憲法が結局において起草されたかということについて知らないのだ」

 その上で緒方氏は、母校の後輩たちにこう熱く呼びかけている。

 「日本の国家興亡の基本をなしておりまするこの憲法が、そういう沿革を経たということが国民の間に浸潤しておりましては、国民の独立の気迫というものは私は湧いてこないと思う」

 「どうか修猷館を卒業される皆様こそ、日本独立気迫の中心をもって任じ、将来、日本を立派な国に仕立て上げ、日本の3千年の歴史にこういう時代もあったが、九州の一角における修猷館の人たちによって、日本再建の推進が行われたということを、将来の歴史に残していただきたい」
長々と引用したが、明確なのは、緒方氏が「押し付け憲法論」を自明のこととしてとらえていることだ。


朝日社説より冷静

 ところが、その緒方氏が昭和19年7月まで所属していた朝日新聞は現在、このように主張している。

 「天皇主権の下、権力をふるってきた旧指導層にとっては、国民主権の新憲法は『押し付け』だったのだろう。この感情をいまに引きずるかどうかは、新憲法をはじめ敗戦後の民主化政策を『輝かしい顔』で歓迎した国民の側に立つか、『仏頂面』で受け入れた旧指導層の側に立つかによって分かれるのではないか」(5月3日付社説)

 春秋の筆法によれば、朝日新聞は自社で主筆まで務めた緒方氏は「天皇主権の下、権力をふるってきた旧指導層」であり、国民の側に立っていないと決めつけていることになる。

 「この(現行憲法の)成立過程について問題である、あるいは問題ではないという議論は当然あると思うが、この事実については当然認識しておく必要はあるのだろう」

 安倍晋三首相は平成25年10月の衆院予算委員会でこう答弁している。「押し付け」だったと素直に認めることを感情的に拒否し、異なる意見にレッテルを貼ろうとするかのような朝日新聞の社説より、よほど冷静で理にかなっている。

 泉下の緒方氏が現在の朝日新聞の憲法論を読めば、果たして何と言うだろうか。(政治部編集委員)

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2015.06.02

全国寺社への油テロの真犯人はキリスト教カルト集団創設者金山昌秀である。

以下は全て渡部亮次郎氏から配信されたメルマガからの転載である。

完全に危険水域を超えた日本メディアの異常な情報統制。韓国人の非文明的な行動が原因でMERSによる初の死者が出て、隔離患者は現在682人に及んでいる。先週からアジア各国で大騒ぎなのに、日本メディアの報道はなかった。

また、今年なってから頻発する全国寺社へのテロは、僕が何回も予想した(https://twitter.com/kohyu1952/status/603271406122504192 )通り、やはり、韓国キリスト教カルトの反日テロだったことが判明したが、日本メディアは全てを隠蔽している。

韓国特有のキリスト教を名乗るカルト集団の創設者、金山昌秀の犯行と明らかになったのに、容疑者の名前は出ない。しかも、最初は在米の「日本国籍」と報道し、次第に「日本人」と報道。メディアはしきりに「日本人」であることを強調する。

そして彼らは、この事件の本質である、元在日の韓国系日本人の反日カルト的な犯行であることを隠蔽している。韓国人MERS報道も先週から台湾で連日大きく報道されたのに日本人のリスクを無視する情報統制が布かれている。
安保法制審議も異常な偏向報道が続き、逮捕歴のある辻元清美や5月27日に逮捕された北朝鮮工作員、斉藤まさしの支援を受けて議員になった民主党の後藤祐一の無意味なゴミのような質疑だけが取り上げられ、長島昭久議員(民主)との安保法制にとって有意義な質疑は全く報道されないのだ。

一連の情報統制は、丹念な取材で韓国軍慰安婦の実態を掴み、報道しようとして自社に潰された、前TBSワシントン支局長、山口敬之氏の悲劇にまで繋がっている。この背景に一体何があるのか? 今、日本のジャーナリズムに問われるもの、そして、その危機は大きい。
Kohyu Nishimura added 3 new photos. 3 hrs ? Edited ?
公開Facebook【西村幸祐氏】 - 〔情報収録 - 坂元 誠〕


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