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2015年10月

2015.10.22

シリア難民問題は日本では在日朝鮮人問題と相似である

難民問題についての卓見を発見した。以下は全て渡部亮次郎氏から配信されたメルマガからの転載である。


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欧州に広がる「反イスラム」
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        平井 修一

かつて欧州の列強は世界中に押し出してめぼしい地を植民地にしていっ
た。今は逆に旧植民地の人々が旧宗主国へ押し出してきた。あたかも報復
のようだ。

世界日報10/21「殺到する難民は『トロイアの木馬』?」から。

<欧州諸国は北アフリカ・中東諸国から殺到する難民・移民への対応で苦
慮しているが、欧州に避難する難民・移民たちを「トロイアの木馬」と見
なし、欧州のイスラム化に対し脅威を感じる声が出始めている。

イスラム教徒の難民・移民の殺到を「トロイアの木馬」に譬えたスペイン
のローマ・カトリック教会バレンシア大司教のカニサレス枢機卿が「外国
排斥発言」と批判され、辞任要求を受けているという。

それが伝わると、バレンシア市のリボ市長は、「枢機卿は難民を批判する
極右派と同じだ。困窮に瀕した難民への連帯を呼びかけるフランシスコ法
王の願いに反する」と指摘した。バルセロナ市のクムー市長も枢機卿の発
言を「民族主義的」と批判している一人だ。

枢機卿の真意をハンガリーのオルバン首相の発言を通じて少し説明してみ
よう。(平井:ハンガリーはイスラム教のオスマン帝国に支配されていた
のでイスラム難民への拒否感が強い)

オルバン首相は先日、オーストリア日刊紙「プレッセ」らのインタビュー
の中で、「欧州のキリスト社会は弱さを抱えている。少子化であり、家庭
は崩壊し、離婚が多い。一方、イスラム教徒は家庭を重視し、子供も多
い。人口学的にみて、時間の経過と共にイスラム教徒が社会の過半数を占
めることは避けられない」と述べた。

カニサレス枢機卿の「トロイアの木馬」発言は批判に晒されたが、イスラ
ム教徒の難民・移民の殺到に直面して多くの欧州人は「トロイアの木馬」
の脅威を感じ始めている。

しかし、それを口に出すことは「外国人排斥」と受け取られる一方、隣人
愛を説くキリスト教の精神に反するということから、久しくタブー扱いさ
れてきた。だから、そのタブーを破った枢機卿が批判を受けるのは避けら
れなかったわけだ>(以上)

難民の欧州“侵略”は当然、枢機卿やオルバン首相の懸念を共有する人々の
反発を引き起こしている。

ブログ「Argus Akita」10/21「日本でもPEGIDA(ペギーダ)は起きるか?」
から。

<ドイツのドレスデンで19日、反イスラムの団体PEGIDA(西欧のイスラム
化に反対する欧州愛国主義者)の1周年を記念する大規模な集会が行われ、
主催者発表で約4万人、警察発表で約2万人がデモを行った。

これに反対する左派の集会も行われ、両者の衝突で若干のけが人も出たと
いう。

このPEGIDAは昨年ドイツのドレスデンで西欧圏におけるイスラムの暴力的
な活動を制することを目的として最初のデモが行われ、その主宰者ルッ
ツ・バッハマンが多少カリスマ的存在になっている。

今年の2月にはウィーンでも数百人のPEGIDAのデモがあり、同じように左
派系の反PEGIDAとの衝突があったし、イギリスのニューカッスルでも『英
国ペギーダ』がデモを行ったり、デンマーク、スウェーデン、スペイン、
ベルギー、スイスなどでもPEGIDAを名乗る団体が発足している。

このPEGIDAは、ちょうど日本で行われている在特会中心のデモのようなも
ので、イスラムを朝鮮に置き換えるとわかりやすい。

日本で犯罪(しかも凶悪犯罪)の多い朝鮮人(在日・来日)に日本から出てい
けという主張はデモなどしなくとも真っ当なものだが、一部には全ての朝
鮮人を可能な限り追い出せと主張する向きもある。筆者もどちらかといえ
ばそれに近い。

1959年時点で在日朝鮮人約61万1085人のうち戦時中に徴用労務者としてき
たものは245人であることが記録としてある以上、残りの大部分は密入国
者であり、現在はその子孫が不当にも在日として存在する。

帰還事業をしても南朝鮮が受け入れを拒否したため、人道上日本が受け入
れてしまった棄民を難民としてではなく特別何とかといった資格を与えて
しまったがために現在もその問題を引き摺っているのが日本だ。

本来、外国人として暮らさなければならないこの棄民とその子孫が日本人
として暮らしていることが異常なのであって、これをできるだけ早期に明
確な解決をしなければ日本における『各界の朝鮮化』はますます大変なこ
とになる。

ようやく今年の7月9日以降はこの問題の解決に少しずつ流れができつつあ
るが、まだまだである。(平井:新しい在留管理制度がスタートし「在留
カード」を発行。従来の外国人登録証明書が在留カードとみなされる期間
が7/8で終了したことにより、7/9以降はすべての在留者はICカードで管理
されることになった)

日本人として権利を主張し義務を果たして暮らすならきちんと国籍を取
れ、外国人として暮らすなら権利の制限は我慢せよという当たり前のこと
を当たり前に日本政府が行動しないため『朝鮮人=犯罪者』『出ていけ』
と極端な流れになるのである。

PEGIDAも基本的には『暴力的なイスラム教徒による犯罪に反対』と『移民
によるドイツ人の雇用への影響を排除しよう』というスローガンが主たる
ものだったが、徐々に民族主義・国粋主義の色彩が強くなり、レイシスト
と喧伝されるようになってきた。

ドレスデンに限らずイスラム教徒が毎日毎日押し寄せる各国各地では不安
と怖れが徐々に広がっているのは当然といえば当然で仕方がないだろう。

対象がイスラム教徒中心から外国からの移民全体に対する反対行動にシフ
トしてきたため、ネオナチ等の極右勢力と結びつきPEGIDA自体の主張、行
動が反イスラムだけではなくなってきている。

オーストリアも含めて各国のこういった動向は、(移民ではないが)外国人
である筆者や社員さん達にとっても由々しき問題でPEGIDAの動きは目が離
せない。

先日のウィーンの選挙でも亡命者(いわゆる難民)受け入れに制限をという
政党が議席を伸ばし、日曜のスイスの総選挙でも同様の右派が議席を伸ば
した。

欧州は総じて中道左派の政府が多数だが、押し寄せる難民に困惑する地方
政府も徐々に増え、右派の声も高まってきているし、最も過激に亡命者流
入に反対しているハンガリーのオルバン首相を支持する声も各地で上がっ
てきた。メルケルを『女神』扱いするのは欧州に向かって行進する亡命者
(いわゆる難民)だけである。

カナダの総選挙では反対に亡命者(いわゆる難民)受け入れに積極的な左派
政権が誕生した。これはもともと移民の国であるという国家の出自の背景
を考えれば当然の論理的帰結と言えなくもないが、一昨年だったか支那か
らの投資を条件にした“投資移民”が増えすぎて、それを制限したのもカナ
ダであり、移民のロビーイングによって左派が力を持ち始めるとそうなる
という大きな教訓・警告のようにさえ感じる。

ニュージーランドなどは既に数年前から支那・インド移民の力が強くなり
すぎ国家自体がおかしくなってきている(国旗も近々変えるようだ)。

日本を内側から壊したい勢力が現実に国内に存在することは安保法制審議
の過程で日本人も十分にわかったはずである。

亡命者(難民)を受け入れる土壌も無く、受け入れる“技術”“能力”もないま
まにただ単に『人道的配慮』といった感情論で亡命者(難民)を受け入れた
なら、半世紀かかっても解決できない朝鮮人での失敗を再び繰り返すこと
になり、さらに将来は、その数の膨大さで国家の存立が揺るぎかねない。

皇室制度とは無縁だった歴史的背景を持つ沖縄ですら手に負えない状態で
はないか。もし、沖縄のような道府県があと10くらい存在する場合を想定
して考えてみたら良い。

レイシストでなくとも今はまだ、日本は亡命者(難民)受け入れには反対す
べきである。

ただし、かつて第二次大戦中にシベリア抑留のポーランドの子供たちを引
き受けたように、可能ならばシリアの幼児やその母親といった弱者だけは
医学的見地・配慮で短期間滞在を認め保護するくらいの協力はすべきでは
ないかと思う。(日本の外から見たら日本は間違いなく国際的負担を分担
すべき経済大国なのだから)>(以上)

小生はアカの洗脳からようやく解脱し、「人を見たら泥棒と思え、この世
は悪意に満ちている、愛は地球を破壊する」と警戒心を強めているが、欧
州のキリスト教徒やリベラル信奉者≒アカは洗脳されたままだから、この
現実を見ない、見えない、見たくないの「不覚三原則」で、遂には亡国を
招こうとしつつある。

日本ができることは、欧州のお花畑人の自爆的所業を他山の石として、わ
が身の周囲を警戒し、万全の対策を講じておくことだ。(2015/10/21)


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2015.10.20

シリア難民はUSAこそが安住の地・・・人種の坩堝の国

内線の続くシリアからドイツへ向けて移動する難民の姿は痛ましい。欧州各国も異人種、異宗教の難民を受け入れるのに消極的な動きが出てきた。中世の十字軍戦役に鑑みても、むべなるかなとの感がある。以下は渡部亮次郎氏から配信されたメルマガからの転載であるが、シリア難民問題解決の核心をついた所論であると思った。
   
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先進国で唯一とも言える人口増加
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         伊勢 雅臣

■1.「人種のるつぼ」となりつつあるアメリカ

前号[a]ではアメリカ在住のAさんから聞いた日本人のチームワークの良
さを取り上げたが、その時にアメリカの現状にも話が及んだ。

中国経済の行き詰まり、欧州共同体の不安定、ロシアやブラジルなど新興
国経済の失速など、多くの国々が問題を抱えている中で、アメリカだけが
元気な成長を続けている。車の販売では今年は1700万台超と予測されてい
るが、これは2001年以来、14年ぶりのことだ。

その原因は先進国で唯一とも言える人口増加だ。2000年から2010年までの
10年間で、人口は2700人も増えている。日本の5分の1ほどの人口規模が
10年で加わった勘定だ。

2700この27oo万人が成人して車や家を買えば、土地はいくらでもあるだけ
に、経済成長しない方がおかしい。一時、リーマンショックで落ち込んだ
が、今や完全に立ち直って、本来の成長ペースを取り戻したのである。

米国での人口の増加分を人種別に見ると、白人は45%と過半数を割り、残
りはアジアン(中国、韓国、東南アジア)、黒人、スパニッシュ(メキシ
コ、中南米)などとなっている。このままでいくと、いずれアメリカでは
白人が半数以下となり、有色人種国家になる。

非白人の高い出生率と、海外からの移民・難民の流入が、人口増の原因
だ。かつてニューヨークは「人種のるつぼ」と呼ばれたが、今や米国全体
が「人種のるつぼ」となりつつある。


■2.「友らよ、これがアメリカだ」

米国の保守派と言えば、白人中心主義でこういう多人種化には批判的かと
思っていたが、そうでもないようだ。保守派大統領の中で最も高く評価さ
れているレーガン大統領は、1984年のロサンゼルス・オリンピックの聖火
リレーに関して、こう語っている。

テキサス州リチャードソンでは車椅子に乗った14歳の少年が聖火を持っ
た。ウェスト・バージニア州では、ランナーが耳の不自由な子供たちに出
くわし、それぞれ数メートルずつ聖火を持たせると、子供たちは手話で興
奮ぶりを語った。群衆から自然に「アメリカ・ザ・ビューティフル」と
「リパブリック賛歌」の歌声が沸き起こった。

サンフランシスコでは、ベトナム移民が子供を肩車して、カメラマンや警
察官をかきわけながら、聖火を持って走った。その聖火を受けとったの
は、19歳の黒人少年が押す車椅子に乗った88歳の白人婦人だった。

友らよ、これがアメリカだ。[1,p215]

さらに各国から集まった選手団についても、こう語った。

この国に140カ国の選手たちが競技のために集まった。そして、この国の
国民はこれら140カ国の人々の血を引いている。合衆国でこそ、このよう
な人種、信条、民族の豊かな混合がありうる。我々の「るつぼ」の中でこ
そ。[1,p216]

「人種、信条、民族の豊かな混合のためのるつぼ」とは、アメリカの特徴
を端的に現している。この点をレーガンは、次のようにも語っている。

アメリカは人間精神に共通する何かを体現している。ある人が次のような
手紙を送ってきた。「あなたが日本に行って住んでも、日本人にはなれな
い。フランスに行って住んでも、フランス人にはなれない。ドイツやトル
コに住んでも、ドイツ人やトルコ人にはなれない。」

しかし、手紙はこう続けた。「世界のどこから来た、どんな人でも、アメ
リカに住んで、アメリカ人になることができる」[1,p401]

日本人や、フランス人、ドイツ人、トルコ人をそれぞれの国民たらしめて
いるのは、それぞれの民族文化であり、移民はそこに住むことはできる
が、その民族文化を身につけた国民にはなれない。

しかし、アメリカ人を規定するのは、人種や信条、民族ではない。「人間
精神に共通する何か」がアメリカ人をアメリカ人たらしめている、とレー
ガンはいう。それは何なのか?


■3.「自由に対する特別な愛情」

1986年、ニューヨーク港の自由の女神像が建造100年を記念して修復工事
が行われた。その竣工式で、レーガンは工事に参加した大理石工の言葉を
引用して、次のようなスピーチを行った。

[ここにいる大理石の修復工、スコット・アーロンセンはこう語ってい
る。「私はブルックリンで生まれたが、自由の女神を見に来た事はなかっ
た。しかし、工事で像を訪れた時、私の祖父たちもこの像を見上げなが
ら、アメリカにやってきたのだと思った」と。我々の曾祖父や曾祖母が、
世界の各地からアメリカにやってきて、最初に出会うのが、この像なの
だ。[1,p298]

旧大陸からやってきた人びとを迎えるのが、この「自由の女神」像だっ
た。この像はこれからアメリカ人になろうとする人びとに、ここが「自由
を求める人びとの国」であることを教えている。

アメリカが旧大陸からの自由を求める移民で成り立ってきたというのは、
建国の由来そのものである。この点に関して、レーガンは一種の宗教的信
念を持っていた。

神秘主義と言われるかもしれないが、私は常に、ある神意が働いて、この
二つの大洋に挟まれた巨大な土地に、世界のすべての地域からある特別な
人々がやってきた、と信じてきた。彼らは自由に対する特別な愛情を持
ち、格別の勇気をもって、彼らの友や仲間と別れ、この新しい、未知の大
陸に来て、平和で自由な、希望に満ちた新世界を作ったのだ。[1,p300]

前節で「人間精神に共通する何か」と言ったのは、この「自由に対する特
別な愛情」であった。それを持つ人々がアメリカ大陸に来て、アメリカ人
となり、アメリカ合衆国という国家を作ったのだった。

「国体」という言葉を、「その国のあるべき姿に関する理想」と定義すれ
ば、この「自由を求める人びとの国」こそ、アメリカの国体だ、とレーガ
ンは言っているのである。


■4.人種差別を克服した「アメリカのあるべき姿」

「それではアメリカの黒人はどうなのか」という反論が当然、出てくるだ
ろう。彼らはアフリカの土地で捕らえられ、自由を奪われた奴隷としてア
メリカに連れてこられたのだ。

奴隷制と人種差別はアメリカの歴史の汚点だが、公民権運動を通じて、黒
人差別解消に尽くしたマーティン・ルーサー・キング・ジュニア牧師の誕
生日を国の祝日にしたのはレーガン政権であった。レーガンは、キング牧
師の誕生日にこう語っている。

[マーティン・ルーサー・キング・ジュニアは、アメリカへの信頼と人類
の未来への信念を語っていた。彼は現状を否定し、あるべき姿を求めた。
その夢のために、人生を捧げた。彼の夢の多くは現実となったが、いまだ
達成すべき多くの夢も残っている。キング博士の信念は我々全員に進むべ
き道を示す希望の灯火となっている。我々は、アメリカのあるべき姿に向
かって、ともに努力を続けるのである]。[1,p167]

キング牧師の夢とは、黒人が白人の同胞として共に暮らす社会だった。牧
師も同じく「自由を求める人々の国」という国体を信じていた。その国体
への信が人種差別というアメリカの歴史の汚点を克服したのである。


■5.「ハロー、アメリカの水兵さん。ハロー、自由の人」

アメリカが「自由を求める人々の国」であろうとすれば、アメリカは自国
民だけでなく、世界のすべての自由を求める人々に手を差し伸べなければ
ならない。レーガンはベトナム難民に関して、次のような逸話を語っている。

[80年代のはじめ、ボート・ピープルが最も多かった時期。南シナ海をパ
トロールしている空母「ミッドウェー」の水兵が熱心に勤務に就いてい
た。水夫は、ほとんどのアメリカ兵と同様、若く有能で職務に忠実だっ
た。水兵は水平線上に、いまにも沈没しそうな小舟を見つけた。小船は、
アメリカ行きを夢見るインドシナからの難民たちで一杯だった。

ミッドウェイは小艦艇を送って、彼らを救出した。難民たちが波立つ海面
を横切って、空母に近づくと、甲板の上の水夫を見て叫んだ。「ハロー、
アメリカの水兵さん。ハロー、自由の人」

[小さな瞬間が大きな意味を持っている。この手紙をくれた水兵は、この
瞬間のことを忘れられない、と記している。私にも忘れられない光景だ。
なぜなら、これが1980年代のアメリカ人が体現していたものだからだ。わ
れわれはふたたび、自由のために、立ち上がっている]。[1,p411]

世界中の自由を求める人々のためにアメリカという国は存在する。アメリ
カの国体を追求すれば、それがアメリカの使命となる。


■6.ベトナム戦争の大義

ベトナム難民は共産主義政権から逃げ出した南ベトナムの人びとであっ
た。ベトナム戦争は、共産主義の拡大を食い止めるためにアメリカが直接
参戦した戦いであったが、アメリカにとっては、建国史上初めてと言って
もよい実質的敗戦となった。

おりしも大学紛争などで世界的な左翼的風潮が強まっていた時期でもあ
り、ベトナム戦争は「アメリカの侵略戦争」であり、べトナムから帰還し
た父親を「人殺し」などと呼ぶ子供もいたという。アメリカ国民は誇りを
傷つけられ、自信を失った。

レーガンはこの傷を癒やすために、ワシントンにベトナム戦争戦没者慰霊
碑を建てた。全長75メートル、高さ3メートル、黒い花崗岩で作られた壁
に、5万8千余名の戦没者の名前が刻まれている。その除幕式で、レーガ
ンはこう述べた。

「この10年間に、絶望してベトナムから脱出したボート・ピープル、カン
ボジアの(数百万が殺された)キリング・フィールド、この不幸な一帯で
起きたすべての出来事を考えれば、我々の仲間が戦った大義が正しいもの
であったことを誰が疑えよう」。

それは、結局は自由という大義のためだった。その戦略は不完全だったと
しても、彼らはその任務のために尋常でない勇気を示したのだった。

おそらく、すべてが終わった今日、我々が同意できるのは、一つの教訓を
得た、ということだろう。それは勝てる見通しのない戦いにアメリカ兵を
送ってはならない、ということである」。(拍手喝采)[1,p367]

我々は負けたとは言え、自由の大義のために戦ったのだ、というレーガン
の言葉と慰霊碑で、アメリカ人の心中に「自由を求める人びとの国」とい
う国体が蘇り、誇りと自信を回復することができた。

ベトナム難民は自由を求めて共産主義から逃げ出した人々であった。人々
の自由を抑圧する共産主義こそ、アメリカの国体と相容れない存在であっ
た。レーガン政権はソ連を「悪の帝国」と呼び、遂にはソ連を崩壊にまで
追い込んだ。[b]

「自由を求める人びとの国」というアメリカの国体の理想は、奴隷制と人
種差別という白人社会の宿痾を克服し、世界各地の多くの難民を助け、共
産主義の脅威から人類を救ったのであった。


■7.「一つ屋根の下の大家族」という国体

近代世界におけるアメリカを見ると、古代の東アジアにおける日本列島も
似たような存在ではなかったのか、と思えてくる。古代の日本列島には、
北から西から南から様々な民族が流れ込んできた。戦乱の激しかった大陸
や朝鮮半島から逃れてきた人びとも多い。

古代の日本は多民族国家であったと言っても良い。それを一つの国家にま
とめたのが、皇室を中心とする大和朝廷であった。初代・神武天皇は、大
和の地で都を造る際に、次のような詔(みことのり)を出している。

「人々がみな幸せに仲良くくらせるようにつとめましょう。天地四方、八
紘(あめのした)にすむものすべてが、一つ屋根(一宇)の下の大家族の
ように仲よくくらそうではないか」。[c]

アメリカの国体が「自由を求める人びとの国」であるとすれば、日本の国
体は「一つ屋根の下の大家族」である。この理想を抱き、皇室のもとで、
立派な家庭を築いていこう、という志を抱いた多くの先人たちの努力がわ
が国を形成してきた。[d,e]

先人の努力の跡を偲び、その志を現代のグローバル社会の中でどのような
形で継承していくかを考えることが、国際派日本人の努めである。


シリア難民問題についてのロシアのプーチン大統領の考え方。オバマは愚鈍な大統領かもしれない。以下は全て転載である。

「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」 
平成27年(2015)10月21日(水曜日)
         通算第4691号  <前日発行>   
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 プーチンはシリアで大きな賭けにでた
   決断鈍いオバマ政権は結局、ロシアと組むしか選択肢はなくなってきた
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 オバマ政権の優柔不断、決断ののろさと政策の間違いの連続により、シリア情勢が混沌としている。
大量の難民を抱え込む欧州も対米不満が高ぶってきた。
 
どうするのか。
 欧米はシリア問題の解決でロシアと共同歩調をとらざるをえないのではないか、と全米週刊誌トップの『タイム』(15年10月26日号)が分析した。

 第一にプーチンは原油価格暴落の影響でロシア経済がマイナス2・2%に落ち込み、国防費捻出をどうするか、議会から強く迫られる筈だった。シリア爆撃で、この議会の動きはぴたりと止に、プーチの経済失策への責任は問われていない。

 第二にアフガニスタンへの軍事介入の敗北以来、じつに35年ぶりにロシアは軍事行動にでたが、プーチンの人気は下がらず、ロシア政局が奇妙にも安定した。

 第三にシリアからの大量の難民がEU諸国を脅かし、ロシア介入への期待が欧州でも高まった。

 第四に国連に十年ぶりに搭乗したプーチンは「ISを征討するためにロシアは西側と協力する用意があり、ロシアを含めた国連軍もしくは多国籍軍の結成で対応を」(プランA)を呼びかけた。欧米諸国は、この対応を迫られるかたちとなった。

 第五にプーチンは同時にプランBを提示し、「ロシアと協力しなければISを征討できないという確信を西側に抱かせる」ために、ロシアは軍事行動にでた。

 第六にロシアは九月30日からIS空爆直前に、ウクライナ東部に展開していた武装勢力の撤退を開始した。
しかしロシア国内でのプーチン支持率は変わらなかった。

 第七にシリア問題の解決にはロシアと米国は組まざるを得ず、米国はウクライナ問題での対ロ制裁解除を迫られることを意味するが、オバマは、この方向にない。

 第八に、そうはいうものの最終的にオバマ政権はプーチンとの妥協を模索し、目の前のシリア問題解決に乗り出すことになるだろう。つまりプーチンのシリアへの賭けは、オバマの敗北に終わりそうである。

 以上が『TIME』の分析である。

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大東亜戦争の歴史的事実をもっと勉強しよう・・・南京記憶遺産に関して

支那事変勃発の年に生を受けた筆者は大東亜戦争の真正なる史実の記載には
非常な関心を抱いている。以下は蒙を啓かれた所論であり
全て渡部亮次郎氏から配信されたメルマガからの転写である。


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南京記憶遺産は、日中情報戦の一環だ
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            池田 法彦

RC(=支那)政府による「南京事件」世界記憶遺産登録申請をUNESCOが認定
してしまった。今回は首相以下外務省高官迄もかなり抗議したが、日本の
名誉と国益が棄損されかねない事案でも、外務省の実務交渉は何事につけ
ても国益よりも、妥協成立を目指しているとしか思えない。

軍艦島等の「明治日本の産業革命遺産」申請に於いても、強制徴用朝鮮半
島出身被害者の記憶を留めよ、と採択土壇場で韓国が騒ぎ、結果として情
報センター設置や遺産現場に強制徴用プレート掲載を妥協すると言う失態
を演じたが、日本外交官の国益観点欠如、質の劣化ではないか。

全米9カ所に慰安婦像等が設置されたが、皆片田舎の公園や図書館への設
置だ。今回は、観光客が多いサンフランシスコ市内への慰安婦像設置が市
議会全会一致で決まった。更に問題は、韓国系団体主体ではなく、中国系
が乗り出し主導していることに、注目すべき点がある。

従来日本貶め(Discount Japan)キャンペーンは韓国が国家を挙げて推進
してきたが、従軍慰安婦捏造が朝日新聞虚偽報道で世界に拡散し、勢いが
止まった韓国に代わり宗主国PRCのお出ましとなった訳だ。尤も、PRCは韓
国を助ける為ではなく、日本本格侵略の一環としての参入だ。

宮崎県にある平和の塔(八紘一宇の塔)の礎石の一部が、中国原産で戦時
中に日本が強奪して持ち帰ったので、PRCに返せとの運動が有る。「『八
紘一宇の塔』を考える会」と称するが、代表者は宮崎9条の会や日中友好
協会と密接な関係を持つ御仁で、宮崎県で画家をしている。

問題の塔は1940年の皇紀2600年を記念し、将に八紘一宇を象徴する為、満
州・台湾・朝鮮等の日本人会より石を寄贈されたもので、日本軍が強奪し
たものではない。南京民間抗日戦争博物館は、盗んだものは返せとして、
今月下旬にも宮崎県庁に返還申入れの文書を提出すると言う。

タイミングも含め何か胡散臭い。実は、例に漏れずの日中連携マッチポン
プの一環で、先に八紘一宇の塔を考える会の会長税田啓一郎氏が、PRCに
石の事実を伝え、どう思うかと嗾けたのだ。本人も認めている。

事実関係は別として、高さ36.4mの塔の礎石を抜き取ることは事実上困難だ。

一見すると些細な話のようだが、PRCは着々と攻撃準備をしている。大東
亜戦争のレゾンデートルである「八紘一宇」の塔から礎石の一部を抜き取
れとのことだが、有体に言えば無理難題を吹掛け、八紘一宇の塔の建立そ
のものへの非難運動に転化させ、出来れば塔の解体を狙う気なのだ。

本題に戻れば、南京事件は日本の真面な学者は、常識として皆虚構、嘘出
鱈目だと承知している。中学生用教科書でも「南京事件はなかった」と文
科省検定で合格した自由社版も有る位だ。流石に外務省も、慰安婦問題は
別として南京問題等一切掲載していない、国家の立場は明確だ。

毛沢東は戦後、南京事件で1回も抗議していない。南京入城1年足らずの
間、300回の記者会見で国民党は1度も虐殺非難をしていない。占領前後の
人口が等しく20万人はあり得ない。殺人目撃証言はマギー牧師の1件だけ
だ。南京虐殺という全ての写真が嘘だ。(証明されていない)

以上は「真実検証会」(略称)加瀬英明会長が、2008年胡錦濤首相に糾し
た質問状要約だ。勿論胡錦濤は無視し、返信はなかった。日本からも多く
の従軍記者が同行した。彼らも虐殺を報道していない。GHQが東京裁判
で、原爆投下・東京空襲と均衡を取る為、捏造した虚構に過ぎない。

そもそも支那の人は、弱肉強食、自己中の民族だ。日中情報戦争は、既に
仕掛けられている。


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2015.10.16

琵琶湖周航歌/基準調

国民に広く愛唱されている琵琶湖周航の歌は旧制三高水上部で生まれた。戦後の学制改革により三高は京大教養課程となった。琵琶湖周航歌は三高水上部の伝統を受け継いだ京大ボート部の歌として受け継がれた。この歌は世間的にも愛唱され歌い方もいろいろな変化を遂げた。三高で誕生した時の歌い方を基準調として京大合唱団が歌った。ここに示すのが基準調である。https://www.amazon.co.jp/gp/photos/gallery/XlW1tUnyRyKu2kVReybWlw


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京大学生寄宿舎の舎友会に出席した。

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注 掲載した写真は田井順之先輩が編集されたものを使わせて頂いた。

平成27年10月7日(水)
朝の散歩は中止してPCに対峙して過ごし、三つ池口バス停まで送って貰った。路線バスで川崎駅へ行き、Jrに乗り換え品川駅まで。品川駅から高輪和彊会館へは坂道があるのでタクシーで行った。11時30分開会の直前に着くことが出来た。次々に懐かしい顔ぶれが駆けつけてきた。総計28名の出席で同期生は山本農、池田、石崎、宮川、大熊の五人だけ。加賀山さんが別人に見間違うほど頭髪が剥げ丸々と太っているのが印象的であった。

この舎友会は寮母の野田もとさんの謦咳に触れた舎生達がその遺徳を偲んで開催されたのが嚆矢である。

開宴に先立ち八木先輩から現代のエネルギー問題についての解説があり大いに蒙を開かれた。

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↑エネルギー問題について講演する八木先輩。


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会員が老齢化したので会の存続についての自由意見が交わされたが大方の意向は存続である。幹事役がいないのが一番困ることだが山本(農)が手を挙げた。

最後にスクラム組んで寮歌を高唱し再会を約して散会となった。

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北親会の愛唱歌集も併せてアップしておく。

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2015.10.15

青薔薇海賊団による音楽会。

平成27年10月3日(土)
朝何時もの通り横溝屋敷直線コースを散歩。午睡から覚めて三つ池口まで送って貰い川崎駅西口まで。予定の12時半に時計の下へ到着。日和が良いので物凄い人の群れである。待つこと10分で橋田さんがやってきた。バスに乗り遅れたという。有楽町の読売ホールへは13時30分到着。人が多くてエレベーターに乗るのが大変。青い薔薇海賊団の公演である。
三人のテナー歌手(井ノ上了吏、上原政敏、秋谷直之)と女性ピアニスト北村晶子、女性チェリスト荒庸子の五人構成のカルテットである。テナー歌手の声には惚れ惚れした。また進行も面白いやり方であった。

最近購入したScanSnapを利用して当日のプログラムをアップしてみたが、なかなか使い勝手の良いツールである。


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