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2016年1月

2016.01.29

政界に蠢く怪しげな大臣秘書達・・・


以下の二つの記事を読むと甘利大臣の突然の辞任の裏に隠された真相は二人の怪しげな大臣秘書の仕掛けた罠であることが良く判る。

以下二つの記事は全て渡部亮次郎氏より配信されたメルマガからの転載である。

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甘利大臣は嵌められた!
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     池田 元彦

これは緻密な計画に基づく嵌め業だ。URとの仲介を求めた相手に対し音声 録音、文書記録、渡した紙幣の記番号コピー、加えて面談現場写真を撮る とは、当初から意図的に用意周到に仕組んだ謀略だ。文春への告発者一式 武氏も甘利大臣秘書の清島健一氏も何故雲隠れするのだ。

集られたと本気で告発するなら、相手は警察だ。それを週刊文春に膨大な 証拠を渡し、事細かく説明し特ダネ献上するのは、甘利大臣をターゲット に選び、最早独走体制にある自民党を混乱させ、7月の選挙での大逆転を 画策する一味かその回し者、或は支援する工作スパイしかいない。

週刊文春記事等によれば、2013年11月14日に「大臣室で甘利大臣に面会。 桐の箱に入った羊羹と一緒に、封筒に入れた現金50万円を『これはお礼で す』と渡し、14年2月には神奈川県大和市の事務所でも50万円渡した」と のことだ。この各50万円は明らかに大臣を狙った犯行だ。

2回で100万円渡し、甘利大臣と一緒に写真を撮るとは証拠写真の意図丸見 えだ。後の千百万円はどうでも良い話だ。甘利事務所・自民党への献金 か、清島秘書の懐か、清島等秘書達とのパブ等での遊行接待に使った費用 だ。清島秘書は強制、或は自主的に共犯化したと推測される。

薩摩興業は50年前創業だが高々資本金1千万円、従業員5名の型枠大工業 だ。URとの係争は薩摩興業の借地部分を地主が勝手にURに売却したことに 端を発するが、清島秘書の口利きで薩摩興業はURから2.2億円をせしめ た。これは利権仲介ではなく、クレーム支援だ。

口利き料は暗黙で3%‐5%が一般だと言う。12百万なら、4億円程の利権 (例えば工事落札額)への謝礼となる。URへの2度目のクレームは1.3億円 産廃撤去費補償の回答しかなかった。要はクレーマー薩摩興業の仕掛け人 が一色氏であり、それに載せられたのが清島秘書と言う構図だ。

清島秘書は江田憲司国会議員の秘書で、江田議員落選時に甘利大臣秘書と なったが、金の匂いを嗅ぎ分ける永田町一のワルと永田町筋では評判と言 う。一色氏の当初の接触は、薩摩興業の件ではなく外国人ビザ申請で利便 を図って貰うことだった。そもそも怪しいお仕事関係者のようだ。

薩摩興業の敷地真南部分東西600m区間は、千葉県道189号線未完成部分 だ。千葉ニュータウンの為に30年前から建設するも、薩摩興業南側東西計 600mの工事が未だ工事中なのだ。偏にこの辺りの地主が頑としてURに売却 しないからだ。薩摩興業はその地主からの借地者だ。

薩摩興業及び土地の地主、そして一色氏は、売却・移転拒否や工事への 様々なクレームで億単位の補償金をせしめ、未だ以て県道完成を邪魔して いると第3者的には見える。そして、甘利大臣退任を引出し自民党混乱・ 参議院選大敗を狙うと思われる、黒幕は誰か、何れ判るだろう。

日経新聞とTV東京が22~24日に世論調査をした。自民党支持率は前回調査 から1ポイント低下の47%、不支持率は34%で2ポイント低下した。11月 以降横這いだ。甘利大臣の金銭授受疑惑の報道直後だが、支持率に影響は なかった。国民は、この悪辣な謀略に騙されていない。

一色氏は、数年前からこの事件とは関係ない形で、甘利大臣の事務所に、 自身の名前でも政治献金を毎年繰り返していた御仁だ。継続は力なり、甘 利大臣も気を許していたに違いない。これが本当に謀略であるなら、かな り根深い謀略だ。

近年反対勢力以外に、海外反日国家からの謀略指示、支援も有り得る。政 治家はご用心の程を。

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ダメージ最小の電撃辞任、野党に肩透かし
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杉浦正章

“捨て身”の甘利に自民に同情論
 
「潔い。滅私奉公の古武士を見る思いだ」と自民党幹部が漏らしているが、前経済再生担当相・甘利明は自らを捨てて政権にとって一番ダメージの少ない選択をした。

勢い込んでいた野党は肩透かしを食わされ、前につんのめった。短期的には後産のような痛みが続くだろうが、野党は景気後退に直結する来年度予算を人質に取ることは出来まい。野党が頼みとするマスコミもさらなる追及をして政権を揺さぶる動きには出まい。

したがって早晩国会審議は安定軌道を取り戻し、首相・安倍晋三の支持率も大きなダメージを回避できるだろう。安倍はデフレ脱却の瀬戸際の経済や、サミットを軸とする外交、さらには夏の国政選挙に向けての基盤作りに専念できる。

甘利の突然の辞任は報道ステーションの古舘伊知郎が「私たちマスコミはもっぱら辞任しないと読んでいた。大きく外れた」と反省の弁を述べていたが、一キャスターに「私たち」などとは言ってもらいたくない。

ちゃんと見通した者もいる。それにしても朝日も読売も全国紙はおしなべて慎重な報道を続けた。というより「辞任へ」と踏み切る読みをする政治記者がいなかった

最近の政治記者はこまっちゃくれているばかりで度胸と、政治記事に不可欠な「動物勘」がない。朝日は29日の朝刊で「数日前に辞任を覚悟」と見出しを取っているが、そんなことを知っていたらなぜ報道に反映しないかと言うことだ。

読売は渡辺恒雄が安倍と本社で会食するなど極めて親しいこともあってか、最初からかったるい控えめの報道であった。

甘利の引退表明はさすがに第一級政治家としての矜恃と潔さを感じさせるものであった。「国政に貢献をしたいとの自分のほとばしる情熱と、自身の政治活動の足下の揺らぎの実態と、その落差に気が付いたときに、天を仰ぎ見る暗澹(あんたん)たる思いであります」は、田中角栄の首相退陣声明の中の「一夜,沛然として降る豪雨に心耳を澄ます思い」を思い起して格調が高い。

「私自身に関わることが、権威ある国会での、この国の未来を語る建設的な営みの足かせとなることは、閣僚・甘利明の信念にも反します」はまさに「滅私奉公」の思想だ。「政治不信を、秘書のせいと責任転嫁するようなことはできません。それは、私の政治家としての美学、生きざまに反します」も文学的で、説得力がある。

筆者は大和市に住んでいるが、これを聞いて次回の選挙は甘利に一票を投ずる気になった。選挙区では同情論が強く、選挙があれば大量票を獲得するかも知れない。

古くは田中角栄、最近では小渕優子の大量票獲得の例がある。安倍は選挙の洗礼を経れば、再び甘利を重要ポジションに据えられる。ダブルなら甘利は半年の辛抱だ。

様々な裏話が出ているが、朝日の話が一番面白い。安倍が「例え内閣支持率が10%下がっても続けてもらいたい」と励まし、甘利は「この言葉にかえって迷惑をかけられないと思った」というものだ。

誰でも首相から「私の支持率が下がっても続投せよ」と言われたら、ヤバイと思うことは間違いない。自民党内の反応を探ると、圧倒的に甘利に対する同情論が強い。

甘利はまさに「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もある」という極限の選択をしたことになる。政治資金報告に合計100万円の記載があるのだから、議員辞職の必要は無い。

野党は民主党幹事長・枝野幸男が「これで幕引きというわけにはいかない。1週間もかばい続けた首相の責任は大きい」と感情論丸出しの反発をしているが、安倍は何も1週間かばい続けてはいない。

逆に説明責任を求めている。それに1週間で辞任は最速の部類に属する。野党は閣僚辞任で振り上げた拳を降ろす場所がなくなったのが実態だ。

「幕引きというわけにはいかない」のなら予算を人質に取るのか。やってみるが良い。この景気の正念場で予算の早期成立は国家的な必須課題であり、野党が審議ストップに出るなら、マスコミの矛先は野党に及ぶだろう。

最速辞任の重要ポイントは安倍が夏の参院選挙を衆参ダブル選挙にすることが可能な選択肢を維持したことであろう。辞任しないままずるずるとダブル選挙をやれば、相乗効果どころの話ではない。

衆参相殺効果をもたらし、政権を失いかねない危機に直面する可能性があった。安倍がダブルの可能性を残したのは政局運営にとって大きなプラス材料となるだろう。なぜなら自民党衆院議員の緊張感を維持出来るからだ。

甘利の後任の元自民党幹事長・石原伸晃は、有能ではあるが、あの病気が再発しないかと心配である。あの病気とは「失言症」である。「胃ろう発言」や「金目発言」を繰り返せばまたまた大問題になりかねない。

よほどきつく戒める必用がある。反安倍の朝日は社説で「幕引きにはできぬ」と吠えているが、読売は社説「政権とアベノミクスを立て直せ」で野党に内政、外交両面での建設的な論戦を求めている。

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2016.01.27

 中国発大不況のいま

中国発の世界大恐慌が始まった。以下すべて宮崎正弘氏から配信されたメルマガからの転載である。

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「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」 
平成28年(2016) 1月26日(火曜日)
          通算第4790号 <前日発行> 
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 中国発大不況のいま
  製造業も開発業者も石炭も鉄鋼もみーんな倒産寸前だ
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 全人代の席上で、次のような驚くべき発言が飛び出している。
「一部の地方政府に倒産の可能性があるので、気をつけて欲しい」(15年12月の全人代常務委員会で陳笠・常務副委員長)。

 すでに明らかになった地方政府の債務は邦貨換算推定で320兆円から340兆円。公式発表でも290兆円。この金額は地方政府の歳入の弐年分、殆どが不動産の無謀な開発と担当党員のポケットに消えた。
そして「発狂的投機」は「風と共に去りぬ」。

 借金を棒にする性癖がある中国人の経済活動から容易に想定できたリスクだが、それにしても想像を絶する巨額、返せる筈がないだろう。つまり、これらの開発費は銀行の不良債権と化ける。

 フィナンシャルタイムズが「中国の債務はGDPの290%だ」と報じたが、もし、そうであるとすれば、中国全体の債務は2900兆円となる。リーマンショックより、規模は壮大にして未曾有の数字である。
 無謀かつ無計画。そして借金に無関心と無心。貸し込んだのは国有銀行とシャドーバンキング、そして理財商品などからの迂回融資、あげくにヤミ金融。皮肉なことに後者のヤミ金融は胴元が殆ど公務員だ。

 「ここに巨大都市を造ろう」と呼びかけて、人口過疎の農村や湿地帯、いやはや海まで埋立てて人口島をつくり、セメントを流し込み、いい加減な地盤改良工事の果てに鉄筋、セメント量を誤魔化す手抜き工事を繰り返した。
摩天楼がニョキニョキと人のいない過疎地、海の上、湿地帯、砂漠に建てられた。
 歴史始まって以来のバブルが中国で実験されたと考えると、その深刻な有様が理解できるだろう。

 鬼城(ゴーストタウン)の現場を何回かみたが、ため息より先に気絶しそうになる。
 誰も住まない百万都市はまず先頭を切って、内蒙古省オルダスの砂漠に出現した。いまでは蜃気楼のごとき鬼城となって世界的にその名が轟く。

筆者が現地に飛んだのは、すでに五年前のこと、まだ日本のメディアは「中国の不動産ブームは続く、価格高騰中」とか、現場とは乖離した報道をしていたっけ。
 北京からパオトウへ飛んで、バスで二時間チョットでオルダス市内へ。そこからタクシーを雇ってカンバシ新区まで一時間半ほど南下した。
 

 ▼「邯鄲の夢」「夢幻」「胡蝶の夢」

なにしろ内蒙古の奥地、人口過疎の砂漠にいきなり百万都市をつくってのけたのである。オルダスといえば、チンギスハーンの御陵があるところだが、漢族の入植激しく、オルダス市の人口30万、しかも建ても建てたりで、市内だけでも空きマンションが20万人分ほどあるかと思えるのに、そのほかにオルダス近郊のカンバシ新区に百万都市を実際に造った。

ぴかぴかの政府庁舎、豪華ホテルに噴水公園、付随する政府機関の建物、そして企業誘致、大学誘致のあてもなく、なぜ、人口が増えると想定したのだろう?
ハイテクの精密機械部品企業が押し寄せるとでも思ったのか。付近に大学理工学部でもなければエンジニア確保は出来ず、また精密機械の生産は砂漠地帯のような地盤の軟らかな場所には不向き、食品加工なら近くに湖か河川が流れていなければ立地条件を満たせないではないか。

デベロッパーの社員と公務員だけが仕方なく入居していたが、百万都市に人口わずか2万8000人。ホテルだけ意外に混み合っていた理由はと言えば、「中国最大の幽霊都市」を一目見ようと中国全土から「物見遊山」の客である。笑い話にもならない。

 「邯鄲の夢」の邯鄲市でも20万人が住める団地が出現し、廃墟。重慶の住宅団地は30万人の鬼城。遼寧省鉄嶺も、貴州省貴陽の新都心も、この中に入る。

 胡錦涛前政権が政治目標の筆頭に置いた天津近郊開発は世界最初のエコシティ造成を目指した目玉のプロジェクトだった(曽妃旬大工業団地)。
工事は資金難で続かずに中断し、いまでは摩天楼の残骸、コンクリートの固まりだけ残し、六車線のハイウェイは途中で切れ、かけ損なった橋梁が海に突き出している。
 政府庁舎予定だったビルは一階が海水に浸され、蟹が捕れるそうな。
 
リゾート開発も凄まじい惨状を露呈している。
たとえば雲南省の山奥にゴルフ場を隣接させ、5万戸の別荘群を建設したところを見たことがあるが、リゾート都市の全体がまるっきりの空き屋。恐ろしいほどの幽霊都市で夜、電気が点っていたのは豪華ホテル(政府高官が視察にくるし、バイヤーが見学に来ると泊めるため)と、その従業員宿舎、入り口にあるコンビニだけだった。
 (だって雲南省の山奥、隣はミャンマーという僻地、ちかくに温泉が湧くと言っても、遠きリゾート地にいきなりの豪華別荘群とは無謀な企みだったんだ)

「中国のハワイ」と呼びかけて開発された海南島も、あるは、あるは。別荘マンションの無惨な廃屋の列。一度、海南島の南端、三亜の中心部の不動産屋の前で張り紙をみていたら店員が飛び出してきた。
客がいない証拠だろう。


 ▼地方政府の歳入は三分の一に激減している

地方政府は不動産バブルが吹き飛んで歳入が激減、最悪の遼寧省では三分の一まで落ち込んだ。
ほかも成績の良い市町村レベルの地方政府でさえ歳入は半減、まさに天国から地獄へ。そして問題は何かと言えば、銀行の貸し付けが不良債権化するという恐怖である。
連鎖で銀行倒産にいたるのは、もし資本主義国家なら当然のなりゆき、ところが全体主義の中国では、国有銀行の倒産はありえない。またまた銀行に資金を注入して延命をはかることは目に見えている。
 だから庶民は人民元安を織り込んで金銀の宝飾品や高級時計など換物投機、外貨への両替、富裕層は高級なクルマの購入、海外不動産買いにはしる。

 「不動産在庫」がどれほどのものかと言えば7億1853平方メートル、過去弐年間で50%増えた(これは中国が発表する公式統計で、本当はもっと多いだろう)。
この数字に基づいて、中国のマンションは平均80平方だから、じつにマンションの885万戸が空室という計算になる(実態はおそらくこの10倍)。

 オフィスビルはテナントが一店も入らないビルが北京の真ん中でさえ目立ち、ショッピングモールもあちこちで休業もしくは閉鎖、廃屋のビルにはネズミやイタチが棲み着いている。

「毛沢東の聖地」といわれる延安で、大規模なショッピング街が完成していたが、一軒の入居もなかった。
これも既に数年前の出来事、観光地として有名な大理も、おなじようにがらーんとしたショッピング街が落成していたがテナントはゼロだった。

不動産不況により、関連する建機、建材、セメント、板ガラス企業は軒並み低迷、最大の板ガラスメーカーが倒産している。
セメント業界は再編の最中、一番遅れているのが鉄鋼メーカーの再編だが、企業買収合併は資金不足と指導部の方針が決まらず右往左往。

過剰在庫の典型は鉄鋼、石炭である。
鉄鋼は生産能力が9億トン、2015年だけでも余剰在庫をダンピング輸出して、国際的には平均で一トンの生産コスト50ドルなのに対して中国は90ドル。
それを半値でも売るから、一億ドンは無理矢理に裁けたが、その煽りでインドのタタが経営不振、韓国ポストは倒産寸前、ベトナムの製鉄会社は倒産したほどに悪影響は計り知れない。
石炭労働者の給与遅配は常識となり、炭鉱夫の数十万人が既に解雇され、千数百の鉱山は閉山した。各地で激しい労働争議が起きている。


 ▼中国の風邪で周辺諸国は肺炎になった

 2016年になって、新しい不動産開発の件数は前年比90%の落ち込み、したがって余剰建材、セメント、鉄鋼はダンピング輸出だが、余剰人員はどうするのか。

それが、かのAIIB、BRICS銀行とシルクロード構想である。海外へプロジェクトを輸出し、この余剰在庫を処分し、余剰労働者を派遣するのである。

すでに悪影響は中国依存の高いアジア諸国にあらわれ、中国がこじらせた悪性の風邪で周辺諸国は肺炎になった

たとえばマレーシアの国営ペトロナスは従業員の大幅削減と設備投資を打ち切った。台湾は新卒組に国内では雇用機会が激減したため、しかたなく中国大陸へ出稼ぎにでていたが、これも人員整理、もしくはタイやベトナムへ転勤である。

インドネシアの石炭企業も設備縮小と人員整理、フィリピンのカジノ企業「ブルームベリーリゾート」は中国からの博打客激減のため、株価が30%も下落して悲鳴を挙げた。
スマホ産業はとうに中国市場の淘汰をみこして、インドへ工場を新設し、企業ごと移転する会社もあるほどだ。 

ちなみにアジア諸国の対中国貿易依存度は、台湾がトップで26・2%、ついで韓国が25・4%,シンガポールは12・6%,マレーシアは12・1%、タイが11%となっている(数字は日本経済新聞、1月22日)。

いやいや中国の企業ですら、まもなく人民元安がくることを見越して外貨建て社債の前倒し返済にあてる企業が続出している。
宝山製鉄はドル建ての短期債権38億ドルをそそくさと返済した。人民元が強い内に、そしてドルと交換できる内に。

中国政府は「人民元はこれ以上下がらない。外貨両替を焦る必要はない」とプロパガンダに懸命だが、誰も政府の言うことを信用しないって。
げんにサウスチャイナモーニングポスト(1月24日)がすっぱ抜いた中国人民銀行高官の極秘メモは、「春節前に7兆円余の通貨供給を市場に行ったが、景気浮揚効果をあげるにせよ、人民元下落は避けられなくなるディレンマがある」と書かれていた。


▼中国依存度の日本の高い自動車、精密部品にもじわり悪影響がでてきたゾ

 日本のメーカーにもどかんと悪影響がでている。
 対中国輸出の稼ぎ頭は自動車と精密電子部品だが、自動車に関して言えば、まだ悪影響は微少で、理由は高級車が売れるから。またトヨタは世界全体の12%を中国に依存しているが、工場増設を見送っている。

 対照的に日産は中国依存度が高く、VWの35%中国依存ほどではないにせよ、20%を超えている。ホンダは工場新設を見送る。
 自動車部品は親企業に連携し、凸凹も同じだが、オプションの車載部品はすでに減産するメーカーが目立つ。

 他方、スマホなどITI精密部品や、コンピュータ液晶などは中国の落ち込みの余波を被り、京セラ、村田製作所、TDK、日本電産アド軒並み悪影響がでてきた。
 「中国発大不況」はこれからが本番である。

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2016.01.13

門田隆将 国民の命を守ることが憲法違反なのか? 「内なる敵」のため迷走し続ける邦人救出問題

【月刊正論】に掲載された門田隆将氏の所論に全面的に共感を得た。以下は全て産経新聞からの転載である。

 2015年12月5日、映画『海難1890』が封切られた。
 私は土曜日朝の8時40分からの最初の回を観に行った。それは、私にとって、「待ちに待った公開」だったからだ。
 日本とトルコの友好125周年を記念して、両国の合作で制作された『海難1890』は、1890(明治23)年に起こったトルコ軍艦「エルトゥールル号」の遭難事件と、その95年後のイラン・イラク戦争におけるテヘランからの邦人救出劇を描いたものである。
 私は“邦人救出”をテーマに、2015年11月、この二つの事件と、さらに「湾岸戦争(1990年)」「イエメン内戦(1994年)」「リビア動乱(2011年)」を取り上げたノンフィクション『日本、遥かなり』(PHP)を上梓している。
 これらの出来事の中で、窮地に陥り、日本という国から見捨てられ、かろうじて「生」を保った在留邦人たちの姿と怒りを実名証言で描かせてもらった。私は自分自身が取材した出来事を、映画が「どう表現しているのか」を知りたくて、早朝から映画館に出かけていったのである。
 私は映画を観ながら、日本とトルコの友好125周年を記念した作品に相応しいものだと思った。
 目頭が熱くなるシーンが何度もあり、観客の心を見事に捉えていた。人間の真心や友情、国と国との友好の本当の意味というものを観るものに考えさせてくれる映画だった。
 拙著『日本、遥かなり』と映画は、伝えたいことが、根柢の部分で共通していたのではないかと思う。
 人が人を助けるということはいかなることか。そして、国家にとって自国民の救出が持つ意味は何か、そのことが十分表現されていた。
 「どうして、日本が日本人を助けられないんですか!」
 映画の中で、テヘラン在住の日本人教師を演じる忽那汐里(くつな・しおり=二役=)が、日本から救援機がやって来ないことについて、そう叫ぶシーンがある。まさに、この映画の“核”である。
 どこの先進主要国でも行う「自国民の救出」を日本だけがなぜできないのか。それは、そのことに対する痛烈なメッセージだったと思う。
 エルトゥールルの奇跡
 1890年9月、和歌山県串本の紀伊大島沖でトルコ軍艦エルトゥールル号が台風で難破し、587名の乗組員が死亡、または行方不明となった。しかし、同島の樫野地区の村民たちが懸命に救助活動をおこない、「69名」のトルコ人の命が救われた。
 海岸にうち上げられた瀕死の乗組員を背負って崖をよじ登り、近くの寺に運んで懸命に救命措置を施した村民は、それぞれの家からわずかに蓄えていた食糧を持ち寄り、乗組員に食べさせた。必死の介抱が69名のトルコ人を大惨事から「生還させた」のである。
 この遭難事故に心を痛めた明治天皇が、犠牲者を手厚く葬り、生還者をトルコに送り届けることを指示したことで、国民から一挙に多額の義援金が集まることになる。日本の軍艦「金剛」と「比叡」によって、無事、本国に送り届けられた生還者たちは、日本人が自分たちにやってくれたことを伝えた。それがトルコの人々の胸を打ったのである。
 その後、日露戦争で日本が勝利し、露土戦争で長くロシアに苦しめられてきたトルコの人々は、日本への尊敬を増していく。そんな日本人へのトルコ人による感謝が具体的なかたちとなったのは、実にそれから「95年後」のことだった。
 1985年3月、イラン・イラク戦争が激化し、イランの首都テヘランに連日のように空襲がおこなわれる事態となった。
 さらに3月17日に、イラクのサダム・フセイン大統領が、イラン上空を「戦争空域」に指定し、「48時間経過後、イラン領空を飛ぶものは、軍用・民間を問わず、すべて撃墜する」と宣言。テヘランに駐在していた外国人はパニックに陥るのである。
 欧米各国は次々と救援機を派遣し、自国民の救出にあたった。だが、日本から救援機は来なかった。
 この時、伊藤忠の森永堯・イスタンブール事務所長が長く親交を結んでいたトルコのオザル首相に頼み込み、トルコ航空の救援機派遣を実現する。それは、トルコ航空のパイロットやスチュワーデスが戦下のテヘランに「志願」して飛ぶという「時を超えた恩返し」に繋がっていく。
 テヘラン在住のトルコ人と、200名以上の邦人が待つメヘラバード空港に2機のトルコ航空機が派遣され、邦人が救出されるのである。
 拙著では、妊娠していたスチュワーデスが、エルトゥールル号遭難事の時の恩義を日本人に返すために妊娠の事実を誰にも告げずに飛んだエピソードも紹介させてもらった。
 このエルトゥールル号遭難事件とテヘランからの邦人救出劇は、日本とトルコの歳月を超えた友情として、今も語り継がれているのである。
 ノー・ジャパニーズ
 しかし、その美談の陰には、自国民が窮地に陥っても、これを救出しようとしない日本の姿がある。それは、自国民の命をいかに蔑ろにしているかを示すものにほかならない。
 先進主要国は、この時、自国民をどう救出したか。
 事態が切迫してきた時、各国の航空会社の通常便はキャンセルされ、「特別便」となった。もともとの通常便のチケットは解約され、すべての座席が自国民救出のために使われたのだ。では、自国民を収容して、それでも空いた席はどうなったか。
 ヨーロッパの航空便ならば、それは、「ヨーロッパ人優先」となった。
 もともとその通常便のチケットを持っていた邦人は、空港のカウンターで、「ノー・ジャパニーズ」というひと言で搭乗を断られている。非常事態の際の現実を、邦人はその時、目の当たりにしたのである。
 テヘラン日本人会は、テヘランの日本大使館を通じて、日本航空に救援便派遣の要請をおこなうが、日本航空は救援便を出すにあたって、
 「イラン・イラク双方から“安全保証の確約”をとること」
 という条件を提示した。
 戦争の当事者である両国に「フライトの安全保証」を要求するという、誰も考えつかなかった条件提示によって、事実上、日本航空は救援機派遣を拒否したのである。
 それは、ナショナルフラッグと呼ばれる英国航空、フランス航空、アエロフロート航空、ルフトハンザ航空……等々、各国の特別便が飛来する中、テヘラン在住の邦人にとって、「絶望」と、世界の「現実」との遭遇だったに違いない。
 それとともに、「自国民の命を守る」という国家としての責務を放棄する日本の情けない姿を、テヘラン在住の邦人たちは、突きつけられたのである。
 フセインによる撃墜宣言のタイムリミットぎりぎりで邦人救出に成功したトルコ航空のオルハン・スヨルジュ機長(当時59歳)は、イラン領空を出てトルコの領空に入った時、
 「ウェルカム・トゥ・ターキー(ようこそ、トルコへ)」
 と機内にアナウンスする。その時、機内を揺るがす大歓声が湧き起こった。それは、トルコとの長い友情の末に実現した“奇跡の救出劇”にほかならなかった。
 しかし、国家にとって、最も大切な自国民の「命」は、信じがたいことに、これ以降も日本では「見捨てられ」つづけるのである。
 迷走する自国民の救出
 トルコ航空によるテヘランからの邦人救出劇の2年後、1987年5月、政府は、政府専用機2機を360億円で導入することを決定する。これによって、いざという時の「邦人救出」が可能になったかと思われた。しかし、実際には、日本から邦人救出のために政府専用機が飛来することはなかった。
 そのことが如実に示されたのは、1994年5月に勃発したイエメン内戦である。
 イエメンは、中東のアラビア半島の突端に位置する人口およそ2350万人を擁する国だ。1990年に北イエメンと南イエメンが合併し、「イエメン共和国」が誕生したが、旧勢力間の溝は埋めがたく、内戦が勃発したのだ。
 航空攻撃やスカッドミサイルが飛び交う戦闘は、首都サナアにも及んだ。ただちに各国からは自国民救出のために、救援便が飛んで来る。
 軍用機も次々と飛来し、自国民救出という国家の責務が果たされていった。だが、この時も、日本からは救援機は来なかった。
 当時の秋山進・イエメン大使は在留邦人を各国の救援便や軍用機に乗せてもらうために奔走する。
 首都サナアだけで駐在の邦人は100人を超えており、その救出を他国に“委ねた”のである。懸命の説得で、戦下のイエメンから、ドイツ、フランス、イタリア、アメリカの軍用機が邦人を救出していった。
 青年海外協力隊(JOCV)のイエメン調整員事務所の伊東一郎所長(当時43歳)は、この時、自国民の命を軽んじる日本の現実に直面した。
 「私は、この問題は、“自衛”ということの意味をどう解釈するかという問題だと思っています」
 と前置きして、こう語ってくれた。

 「あの時、私たちは救出に来てくれた他国の軍用機に乗せてもらって、在留邦人に犠牲者は出ませんでした。しかし、それは、たまたま運がよかっただけのことです。救出を待っている時、ほかの国のボランティア団体の人たちから“なんで日本はお金があるのに、救援機が来ないのか。もっと貧乏な国だって来ているじゃないか”と言われました。それが他国の人たちの率直な感想です。安全保障問題で、よく普通の国になる、ということを言いますが、しかし、普通の国というのがどういうものか、ということを、日本の国民のほとんどが知らないと思います。私はむしろ、そっちの方が問題じゃないかと思っています」
 国家が「自国民の命を守る」という当たり前のことが、日本では「許されないこと」なのである。
 倒錯した法理
 それは、一体、なぜだろうか。
 自衛隊機が邦人救出のために海外に派遣されることに対して、日本では大きな反対論がある。
 「海外での武力行使に繋がる」
 「それは、憲法違反だ」
 そんな信じがたい主張をおこなう政治勢力やジャーナリズムが日本には存在しているからである。いや、むしろ、その方が優勢だといってもいいだろう。
 国民の「命」を守ることは、言うまでもないが、「究極の自衛」である。そのことが、「憲法違反になる」という倒錯した法理を説く政治勢力や学者、ジャーナリストが、日本では驚くほど多い。
 どこの国でも、腹を抱えて笑われるようなそんな空虚な言論が大手を振り、実際にマスコミでは、その意見が大勢を占めている。
 「自国民を助けに行くことは不自然でもなんでもなくて、“自衛”なんです。なにも戦争を仕掛けに行くわけでもないし、当たり前の話だというふうに、世界の誰もが考えている。でも、その国際常識がないのが、日本なんですよ」
 伊東氏もそう語る。
 「戦争は嫌だ、という人が多いですが、戦争なんか誰だって嫌なんですよ。誰も戦争なんかやりたくない。だから、それとこれとは次元の違う話だ、ということがわからないんです。日本のようにボケるほど平和な国というのは幸せなんだろうけれども、あまりに考え方が現実離れしています」
 イエメンで自分たちが救出されたことを伊東氏は、こう捉えている。
 「私たちが助けてもらったケースなどは、自国民の救出を日本が“他国に委ねた”ことになります。それは、逆の場合もなければ、少なくとも対等なつき合いとは言えないですよね。しかし、では、東アジアで同じようなことが起こり、今度は他国から救出を頼まれた時、日本はどうするんでしょうか。自国民の救出すらできない日本が一体、どんなことができるのか。イエメン内戦の場合、国際社会が、力を合わせて私たちの命を守ってくれました。しかし、日本はどうするのか、私はどうしてもそのことを考えてしまいます」
 そこには、世界の常識から逸脱した日本の姿がある。そして、残念なことに、自国民の命を助けることを「憲法違反」などと言う“内なる敵”への配慮から、日本はいまだに有効な法改正ができないままなのである。
 イエメンでの出来事が教訓となって1994年11月、自衛隊法が一部改正され、第百条に〈在外邦人等の輸送〉という項目が加わった。
 〈輸送の安全が確保されていると認める時〉は、航空機による当該邦人の〈輸送を行うことができる〉とし、輸送は政府専用機で行い、困難な時は、〈その他の自衛隊輸送機で行う〉ことができるようになったのだ。
 しかし、その要件の中には、〈安全の確保〉がなによりも優先されたため、紛争国への派遣は、認められなかった。つまり、イエメンのような紛争地帯には飛んでいくことが「できない」のである。
 邦人救出のために奔走した秋山進・イエメン大使はこれに対して、外務省の内部文書で以下のような意見を提出している。
 〈先の内戦の際、独、伊、仏及びジョルダンの協力を得て約100名の邦人を無事国外に脱出させることが出来た。イエメン内戦を契機として改正された「自衛隊法第100条」は「当該輸送の安全について、これが確保されていると認めるときは」航空機による輸送を行うことが出来るとしているところ、他の先進諸国が実施している様に、「危険があれば、それを排除してでも邦人を救出する」ことの出来る制度が早急に確立されることが望まれる〉
 それは国際紛争の実態をはじめ、「現場」を知る外交官として、当然の提言だっただろう。
 それでも救えない日本
 『日本、遥かなり』では、2011年2月のリビア動乱の際の邦人救出問題も詳細に描かせてもらった。
 前年暮れに起こったチュニジアでのジャスミン革命が、独裁者カダフィが支配する隣国リビアにも波及。首都トリポリをはじめ、リビア全土が大混乱に陥った。しかし、この時も日本からは邦人救出のための航空機は飛ばなかった。
 邦人は、各国の民間機、軍用機、あるいは軍艦……等々でかろうじてリビアからの脱出を果たしている。
 つまり、この時も、危機一髪の事態で、他国に救出を“委ねて”切り抜けている。それは、いくら政府専用機ができようと、課せられたさまざまな条件のために、他国のように「なにを置いても自国民を救出する」という行動が取り得ない日本の実情が露呈されたことになる。
 そして、残念なことに紆余曲折の末に2015年9月に成立した一連の安全保障関連法(安保法制)でも、その実態は変わらない。
 それは、2014年5月15日、内閣総理大臣の諮問機関である安保法制懇(安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会)が出した報告書の中の重要部分が安保法制には「採用されていない」からである。
 邦人救出問題について、報告書には、こう書かれていた。
 〈国際法上、在外自国民の保護・救出は、領域国の同意がある場合には、領域国の同意に基づく活動として許容される。(略)なお、領域国の同意がない場合にも、在外自国民の保護・救出は、国際法上、所在地国が外国人に対する侵害を排除する意思又は能力を持たず、かつ当該外国人の身体、生命に対する重大かつ急迫な侵害があり、ほかに救済の手段がない場合には、自衛権の行使として許容される場合がある〉
 そして、報告書は、「国家の責務」という言葉まで用いて、こう提言している。
 〈多くの日本人が海外で活躍し、2013年1月のアルジェリアでのテロ事件のような事態が生じる可能性がある中で、憲法が在外自国民の生命、身体、財産等の保護を制限していると解することは適切でなく、国際法上許容される範囲の在外自国民の保護・救出を可能とすべきである。国民の生命・身体を保護することは国家の責務でもある〉
 この提言の一部は、安保法制によって実現した。自衛隊法の改正によって、<在外邦人等の保護措置>という項目が新設され(第八十四条の三)、在外邦人がなんらかの危機に陥った時、これまでの「輸送」だけでなく、「救出・保護」を自衛隊が行えるようになったのだ。
 防衛大臣は、外国における緊急事態に際して生命又は身体に危害が加えられるおそれがある邦人の〈警護、救出その他の当該邦人の生命又は身体の保護のための措置〉を内閣総理大臣の承認を得て、これを行わせることが可能になったのである。
 しかし、その要件として、領域国が公共の安全と秩序を「維持」しており、領域国の「同意」があり、さらには領域国の関連当局との「連携・協力」の確保が見込まれる場合にのみ、自衛隊は、在外邦人の「救出・保護」を行える、とした。
 これは、逆にいえば、この三要件が満たされなければ、自衛隊は在外邦人の「救出・保護」にはあたれないという意味である。
 つまり、「邦人救出」には、いまだに、手枷足枷が嵌められており、そのため、自衛隊は海外で窮地に陥った在留邦人を救い出すことは極めて難しいのである。安全の確保を絶対条件とする「邦人輸送」に続き、国会審議と反対勢力への配慮から、懸案の在外邦人救出問題は解決を「阻止」されたのである。
 「大きな犠牲が必要」
 私は『日本、遥かなり』の取材の過程で、かつて駐ペルー特命全権大使を務めた青木盛久氏(76)に話を伺った。
 青木氏は、1996年にペルー日本大使館公邸占拠事件に遭遇し、ペルー政府の要人やペルーで活動する日本企業の駐在員らと共に127日間もの人質生活を体験している。
 青木氏は、のちにケニア大使も務め、外務省での外交官生活は40年近くに及んだ。その間、多くの紛争や事件に遭遇しており、邦人救出問題にも詳しい。その青木氏に邦人救出問題について、意見を求めたのだ。
 「国として邦人救出のために法整備を行い、そのためにさまざまな選択肢を持つことについては賛成しますが、これは、五年や十年でできる話じゃありません」
 青木氏はそう語った上で、こんな意見を披瀝した。
 「そういうものを選択肢として持っていない国は、主要国としては日本だけでしょう。しかし、ほかの国と同じように、自国民を救出できるような法案は、また“戦争法案”と言われてしまいます。要は、国民の意識が変わらないと、とても無理でしょうね」
 これを実現するためには、「大きな犠牲」が必要だと、青木氏は指摘する。
 「日本は、“大きな犠牲”が生まれるまでは、そういう選択肢をたぶん持たないだろうと思うんですね。つまり、その選択肢を持っていなかったために、多くの邦人が海外で命を失うことにならなければ、国民の意識は変わらないと思います。残念ですが、日本人の意識が変わるには、それが必要なのでしょうね」
 在留邦人の生命を救うという「究極の自衛」を阻止しようとする人々と、そのことによって生まれるに違いない犠牲者-私は、憲法が存在している「真の意味」さえ理解できない人々の罪の大きさを、どうしても考えてしまうのである。
×   ×   ×
【門田隆将】 昭和33(1958)年、高知県生まれ。中央大学法学部卒。ノンフィクション作家。『なぜ君は絶望と闘えたのか』(新潮文庫)、『太平洋戦争 最後の証言』(角川文庫)、『死の淵を見た男-吉田昌郎と福島第一原発の五〇〇日』(PHP)など著書多数。『この命、義に捧ぐ台湾を救った陸軍中将根本博の奇跡』(角川文庫)で山本七平賞受賞。
※この記事は月刊正論2月号から転載しました。 筆者注=以下広告につき削除。

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2016.01.09

外務省は「ヘタレ」の巣窟  平井 修一

この所説に膝を叩く共感を得た。以下は全て渡部亮次郎氏から配信されたメルマガ 頂門の一針3793号  2016・1・9(土) からの転写である。
     
日本のインテリの半分以上は自虐史観に洗脳されたままで、それは外務省 も同様で、「日本は悪者だったから、諸外国とは贖罪意識をもって付き合 うべきだ」という、ほとんど狂気じみた思考に呪縛されている。

結果的に日本外交は「事なかれ主義」「相手の顔色をうかがう下手からの 折衝」「お詫びとODA」「とにかく友好・親善第一」「喧嘩、ダメ、絶 対!」となっている。一言で言えば「ヘタレ外交」だ。まったく進歩して いない。

「“反日国”元駐在大使対談 変わる中国・韓国とどう付き合うべきか 元 駐中国大使・宮本雄二×元駐韓国大使・武藤正敏」(ダイヤモンドオンラ イン2015/12/28)を読んで、小生は嘔吐しそうになった。完全に腐っている。

<──中国は超大国になりましたが対日姿勢に変化はありませんか。

宮本?いや実はね、変わり始めたんですよ、歴史観が。

歴史観というのは、中国共産党が中国を統治するために必要なものなんで す。だから統治の状況によって変わります。

第2次世界大戦後、毛沢東の時代の中国は、日本にも国民党(現在の台湾 の与党)にも勝ったため、勝者の歴史観を持っていました。共産党の求心 力も盤石でした。

でも、独裁的な統治に次第に不信感が募り、天安門事件が起こった。そこ で、共産党が統治する理由が再び必要になったのです。

ここで被害者の歴史観に変わりました。戦争の被害者である中国を救った のが共産党だという論理をつくったのです。そして、その悪役が日本でした。

*中国で薄れる悪役・日本 韓国はガス抜きに必要

武藤?なるほど、非常に面白いです。でも今、中国は世界の大国になった。

宮本?そうです。経済も発展し、オリンピックでも一番多く金メダルを取 れるようになった。「今の強い中国を造ったのは共産党だ」──。そんな メッセージを伝えるべく、習近平国家主席は、再び勝者の歴史観に変えて いるんです。だから、中国は日本を悪役にする必要が薄れてきているんで すよ。

武藤?一方で韓国の政治はまだまだ日本を悪役にする傾向が強いです。経 済成長は実現しましたが、教育にお金が掛かったり、退職が早かったり余 裕がありません。

さらに、サムスン電子に代表される輸出型企業も成長に陰りが見えだし、 足元の韓国経済は厳しい。

若者を中心に国民に不満がたまっていて、そのガス抜きが必要。その矛先 が日本なんですね。

宮本?そういう意味だと、中国は国民レベルの感情も悪くはない。確か に、不満はありますよ。でも、全体として国民の生活ははるかに豊かに なった。

格差が拡大しているといわれますが、高所得者層の所得の伸びが低所得者 層のそれに比べて速いからです。ボトム層の所得が下がっているわけでは 決してない。だから韓国より余裕を持って日本に接することができるんで しょう。

武藤?そうでしょうね。ところで、われわれはどうやって中国・韓国と接 すればよいのでしょう。韓国でいうと、もっと両国がお互いの国益を考え た戦略的な付き合いが必要です。

そのために、まずは、日本が過去の歴史に対するトラウマを払拭しないと いけません。政府が過去の反省をした上で、新しい日本を築いていく姿勢 を対外的に示せば、日本国民の受け止め方も変わると思います。

宮本?ご指摘の通りです。自分の反省も込めて言うと、日本はもっと早く に新しい時代の外交スタイルを確立しておくべきでした。

日本の戦後の近隣外交は、戦争の贖罪意識の上に行われてきました。戦争 で悪いことをしたにもかかわらず、先に経済発展を遂げた。だから、いわ ば罪滅ぼし的に、できる限り中国・韓国の主張に歩み寄ったのです。

しかし、その贖罪意識を理解できる世代が日本国民に少なくなっている。 私だって戦後生まれだからピンときませんよ。ましてや若い人はもっと分 からない。

そんな状況下では、新しい時代や世代にふさわしい付き合い方が必要です ね。歴史は過去の教訓として忘れませんよ。だけど時代は変わったんで す。中国はそういう考えに乗ってくると思いますよ。

武藤?韓国も変わらざるを得ないと思います。反日ではいられない環境に 世界が変わっていますから。例えば、TPP(環太平洋経済連携協定)の大 筋合意により、国境を越えた経済圏が構築されようとしています。韓国も 急きょ、参加を表明しました。反日だから入らないだなんて言えば、輸出 市場から取り残されてしまいますから。日本と中国・韓国の関係が大人の 付き合いに変わるのを期待したいです>(以上)

宮本は「中国は日本を悪役にする必要が薄れてきているんですよ」と言う が、まったくの嘘だ。中共独裁の正当性が揺らぐ今、「抗日戦で悪逆非道 の日本に勝ったのは中共だ」と宣伝しまくっている。千秋、抗日戦勝利パ レードを大々的に行ったばかりだ。宮本は健忘症か。

人民網2015年12月31日から。

<中共中央政治局は12月30日午後、中華民族の愛国主義精神の歴史的形成 と発展について第20回集団学習を行った。

学習を主催した習近平中共中央総書記は「偉大な事業には偉大な精神が必 要だ。中華民族の偉大な復興という中国の夢を実現することは、現代中国 の愛国主義の鮮明なテーマだ。愛国主義精神を発揚するには、愛国主義教 育を永久不変のテーマとしなければならない」と指摘した>

愛国主義教育とは反日教育のことだ。反日は中共独裁が続くかぎり変わり はしない。中共が軟化したような素振りを見せるのは、日本との商売がう まく回らなくなったからで、中共が歴史観を変えたためではない。

韓国の場合は最高法規の「国民感情法」でもっとも賞揚されているのは反 日を叫ぶことで、もっとも非難されるのは親日である。反日で「我々は正 義だ、道徳的に日本より上だ」と常に確認していないと彼らは死んでしま う。反日はアヘンのようなもので、韓国人は中毒患者、反日病なのだ。

クネが日本にすり寄ってきたのも、日本との商売がうまく回らなくなった からで、国民の多くは宿痾の反日病のままだ。

武藤は「政府が過去の反省をした上で、新しい日本を築いていく姿勢を対 外的に示せ」というが、戦争で敗けた以外に何を反省しろというのか。

マッカーサー自身が「あの戦争は日本の自衛戦争だった」と米国議会で証 言している。自衛戦争は自然権で、すべての法規の上位に位置する。正当 防衛である。

宮本や武藤のオツムのレベルの無知蒙昧官僚が外務省に巣食っているわけ だ。ヘタレ外交を一変しないと日本は道を誤る。反日のレッドパージ、お 花畑のリベラルパージが必要だ。(2016/1/7)

 

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2016.01.03

【日韓ウラ戦後史】日本人の常識とは異なる美意識

裏面史に隠された真実には成程そういうことだったのかと疑念が氷解することが多い。日韓関係をめぐる慰安婦問題についての謎が本レポートで解ける思いがした。日本人の美意識・倫理観に照らせば慰安婦のようなことは表沙汰にはしたくないのが常識であるが韓国ではそれが恥ではなくまかり通る文化的背景があるということが良く判った。

以下は全て産経新聞からの転載である。

【「慰安婦」日韓合意】 .

 日韓国交正常化から、51年目に入った。昨年来、半世紀に及ぶ両国外交をふり返る書籍の出版が目立つ。まじめな学術書が多い中、ヤクザや右翼、在日人脈の活躍を取り上げた異色の本が売れている。元公安調査庁第2部長、菅沼光弘さん(79)へのインタビューを、出版プロデューサーの但馬オサムさんがまとめたもの。出版の狙いを菅沼さんに聞いた。(村島有紀)

 東京都新宿区の事務所。笑顔で出迎えてくれたのは「著者」の菅沼さんだ。現在、アジア社会経済開発協力会を主宰する。

 東大卒業後、昭和34年、公安調査庁入庁。旧ソ連や中国、北朝鮮など対外情報の収集に従事し、平成7年に退官した。日本のヤクザ社会、北朝鮮、統一教会などについて情報収集し、韓国へも数多く渡航している。

 昨年11月初旬に発売されたのが、『ヤクザと妓生(キーセン)が作った大韓民国~日韓戦後裏面史』(ビジネス社・1500円+税)。

 「このタイトルでは、『まるで、嫌韓本みたいじゃないか。いまさら嫌韓もないでしょう』と文句を言ったんだけど、出版社がこっちのほうが売れるということで決まった。実際に売れてるみたいですね」


同書は、インターネット書店「Amazon」の朝鮮半島部門で上位をキープする。本を出した理由を問うと、「両国の外務省が表だって交渉しても、100年経っても1000年経っても、折り合うところはない。日韓がうまくいかないのは、汚れ役を買って出る漢(おとこ)がいなくなったことだ。それから、日韓関係は二国間の関係ではなく、米国を加えた日米韓の3カ国の関係で常に考えないとダメだと言いたかった」と話す。

 同書は、菅沼さんの言葉を基に、戦後に形成された在日勢力の成り立ち、日韓国交正常化の内幕、金大中氏拉致事件などについて語られる。ざっくばらんなホンネ話といっていい。その合間に但馬さんが当時の時代背景などを説明している。

 菅沼さんは「日韓関係は常に米国の意向に左右される。日韓国交正常化も、慰安婦問題の解決も、とにかく陰に米国の強い要請があった。特に国交正常化交渉は、朝鮮戦争の後、韓国が疲弊し、このままでは共産政権になるという危機感もあった。朝鮮戦争で経済を立て直した日本から、これまで米国が支えていた財政支援を日本に肩代わりさせようと、交渉を急がせたんだ」


 1965年に実現した国交正常化は、予備交渉も含め14年かかった。51年、最初の交渉相手は、反日で知られる李承晩大統領。翌年には突然、日本海上に「李承晩ライン」を設定、竹島を含めた広大な水域への漁業管轄権を一方的に主張し、日本の漁船を次々に拿捕(だほ)した。当然、交渉は遅々として進まず、経済優先を掲げる朴正煕大統領が61年に政権を掌握し、交渉が本格化した。

 「国交正常化交渉において、日本にとって最も障害になったのが、李承晩ライン。漁業権の問題が非常に大きく、拿捕された漁民は、山口県が一番多かった。そのため岸(信介)さんが、いろいろと動いた」

 著書によると、日韓交渉の裏ルートは2つ。1つ目は、KCIA(韓国中央情報局)の初代部長を務めた金鐘泌と児玉誉士夫ライン。2つ目が、大統領府秘書室長だった李厚洛と矢次一夫ライン。「今の日韓には、裏のチャンネルがないのが問題。当時は国士というか任侠(にんきょう)というか、とにかく、民間人でありながら、国のために尽くす人がいた。今は、議員外交とかいって外国詣でを繰り返すが、半分が自分のためだ。国として裏工作を担うシステムがない。そうしているうちにドンドン、国益が失われていく」

接待役は準公務員

 菅沼さんによると、65年の国交正常化の立役者となったのは、在日人脈と日韓の政治家たちの潤滑油となった妓生たち。李氏朝鮮時代に発展した妓生は、国を挙げて中国からの使節をもてなす準公務員的役割。高い知性と李王朝由来の伝統的な接待術で、日本の政治家を骨抜きにしたようだ。

 「李朝時代、さまざまな問題を和やかな接待で切り抜けるという文化が発達した。今でいうなら、北朝鮮の『喜び組』と同じです。韓国もオイルショックのころ、石油を確保するために、中東の産油国のプリンスたちを読んでトップクラスの妓生を集めた。大統領が職権で、女優や歌手を『国に奉仕せよ』と集めたわけだから」

 65年の日韓基本条約締結前、日韓両国内では激しい反対運動が巻き起こった。朴政権はソウル全域に戒厳令を宣布して、軍隊でデモを鎮圧(6・3事件)。日本の朝鮮半島統治に伴う補償は、韓国政府が一括して受け取り、個人補償義務を負うことで合意して条約が締結された。条約に基づき日本政府は、無償3億ドルと有償2億ドル(低利子借款)を、10年かけて韓国政府に支払ったが、韓国政府は資金の大部分を高速道路建設や送電線などインフラ整備に使い、個人補償に使われた額はごくわずかだった。

 「日韓基本条約で解決していた日韓併合の後始末が、いつまでたっても続くのは、韓国では『そうあるべきだ』が歴史だから。慰安婦問題がこじれるのは、韓国は日本より文化的に優れているという思い込みがあるため。つまり、日本のような蛮族に、わが民族の女性が身を任すわけはないという考えです。日韓併合前の釜山では、餓えから日本人に身を売った女性が死刑になったほど。日本人と寝るのは罪だから、『強制された』といって初めて罪が許される。だから、韓国では『強制』でなければなりません」


手本は芳洲か白石か?

 韓国独自の論理により、振り回され続ける日韓関係。打開策のヒントとして菅沼さんが挙げたのが、藤沢周平の時代小説『市塵』だ。

 『市塵』では、江戸時代中期、徳川将軍の対外的な呼称を「日本国大君」から「日本国王」に変更し、李氏朝鮮国王と対等な関係を築こうとした新井白石と、小中華思想を信奉し朝鮮側の反発を恐れ反対する対馬藩の儒学者、雨森(あめのもり)芳洲(ほうしゅう)の対立が描かれる。

 「事実がどうであろうと、朝鮮には朝鮮の事情があるとして、対馬の貿易利権を守るためも朝鮮の考えを尊重しようというのが雨森芳洲。それに対して、朝鮮の文化や事情を熟知した上で、日本と朝鮮は対等という原則を貫こうとしたのが新井白石だ。今の日本でも、雨森芳洲の考え方が圧倒的多数派でしょう。(昨年12月28日の)慰安婦問題の日韓合意も雨森式に近い。困難であっても原則を貫かないと、いつまで経っても関係は変わりません。朝鮮半島は地政学的に大事。わが国の敵対勢力に牛耳らせないために、どうするかを考えるインテリジェンスが必要です」

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