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2016年9月

2016.09.30

蓮舫、トランプ並みの敗北ー党首初対決


党首討論をテレビで視聴したものとして、我が意を得たりの感想文を発見した。以下は全て渡部亮次郎氏から配信されたメルマガからの転載である。

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蓮舫、トランプ並みの敗北ー党首初対決
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              杉浦 正章

「提案」も抽象論に終始

「蓮(はす)は泥の中からりんと茎を伸ばし花を咲かせる」とは、“イケ シャーシャー”とよく言ったものだ。よほど容姿に自信がなければ出てこ ない言葉だ。おまけに本会議で党首が言う発言だろうか。「おんな」を国 権の最高機関の本会議で“売り”にしてはいけない。

国会を利用したファッション雑誌の撮影のように、なにか民進党代表・蓮 舫に“舞上がり”のようなものを感じて、これで大丈夫かと他人事ながら心 配になる。幹事長・野田佳彦もそうだ。

巧言令色のご仁特有の、言葉に頼ってころころ変わる悪癖が目立つ。両者 の代表質問を聞く限り、3年3か月の民主党政権の大失政と、デフレに手 をこまねいた実態が浮かび上がるばかりだ。外交・安保・憲法など重要課 題で党論を統一できないまま、安易な質疑を繰り返す姿勢もありありと見 える。

先ず政治記者も政治家も気がついていないが、蓮舫ははじめから想像を絶 する“大矛盾”の質問を展開した。「消費増税の2度に亘る延期はアベノミ クスの失敗であり、ごまかしだ」と決めつけたが、民進党が閣議決定に先 だって延期を唱えたのは4か月前だ。もう忘れたのだろうか。

延期を党議決定した上で、5月に代表・岡田克也が党首討論に臨み、「消 費増税は延期せざるを得ない状況だ」と安倍に決断を迫ったばかりではな いか。若いのに健忘症では困る。  

また蓮舫は22回も「提案」という言葉を使って持論の「批判より提案」を 強調したが、その提案の内容が抽象的で具体性に欠けるものが多く、不発 に終わった。

例えば「今の時代に合った経済政策が必要だと提案する」は 具体性ゼロ の噴飯物だ。自らの得意の分野に安倍を引き込もうと介護・福 祉問題に 時間を割いたが、ことごとく安倍に数字で論破されている。

例え ば安倍が所信表明演説で子供の貧困に触れていないことを指摘した が、安 倍から「民主党政権時代には児童扶養手当は1円も引き上げられ なかっ た。

重要なことは言葉を重ねることでなく結果だ。100の言葉より1の 結果 だ」と逆襲された。

「アベノミクスの3本の矢は当たりもしなかった 上に、財政、経済、金 融市場がすべて傷だらけになった」という極端な主 張には、安倍の「雇 用は大きく改善し、有効求人倍率は全都道府県で1を 超え、企業収益は 過去最高」と反論された。まるでクリントンに論破され たトランプのよ うであった。「提案政党」どころか逆に「反対政党」の本 質がきわだった。

蓮舫質問の最大の欠陥は、細かい“重箱の隅つつき”に専念するあまり、 大局を見ていない点にある。まだ岡田の方が大局を見ていた。介護・福祉 はもちろん重要な政治テーマだが、政治はそればかりではない。極東の情 勢を見てみるがよい。

北の核武装は止まるところを知らず、中国の東・南 シナ海への覇権行動 は収まりそうもない。まさに極東の危機であるにも拘わらず、外交・安保 問題には一切言及がなかった。

知らないことは聞かな い姿勢で党首が務まるのか疑問だ。その点、社会 党委員長・土井たか子 は、外交内政ともに追及力を持っていた。最初の ハブとマングースの戦い は、7対3でマングースの勝ちだ。

一方野田も自らの政権の時に環太平洋経済連携協定(TPP)の交渉に 入ることを決断したにもかかわらず、真っ向から反対に転じた。NHKで の発言では、「情報開示が十分でないままだ」と不満を述べながら「勝ち 取るべきものを勝ち取っていない。私が躊躇したものを飲み込んだのでは ないか。協定案に賛成するわけにはいかない」と発言したのだ。

半世紀も 政治を見ていると声の抑揚で政治家の嘘が分かるが、野田の発 言も賛成から反対に回るための苦し紛れのものであろう。情報開示が十分 でないのに 「躊躇したものを飲み込んだ」とどうして分かるのか。首相 時代に「躊躇 している」との発言はなかった。

野田は本会議で憲法審査会の審議に関連して、自民党の憲法改正草案の 撤回を前提とするように求めたが、安倍は「撤回しなければ議論ができな いという主張は理解に苦しむ」と拒否した。

だいいち自民党幹事長・二階 俊博も自民党案にこだわらず議論を進める ように提案しているではない か。他党の草案を最初から撤回を求めるの はおかしい。

問題の所在は民進 党が自らの改憲案を未だに作れない党内事情にあるの ではないのか。蓮舫 質問も野田質問も政策論議の統一がないまま放置さ れている民進党が抱え る急所を露呈している。

討論を見たかぎり、デフレに手をこまねいて3年3か月失政を重ねた民 進党よりも、安倍政権の方がよほどましだとの考えに至るしかない。未だ に3年3か月の失政のくびきから逃れるに至っていない民進党の姿はどう しようもない。 


           

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2016.09.27

チームライセンス+というネットビジネスと安倍ダイジロウ

一見、荒唐無稽の大法螺に聞こえるサイトだが、第一話から第五話までのビデオを中断せずに真面目に全部.視聴してみると安倍ダイジロウという男の生きざまと使命感が理解できる。「学び放題稼ぎ放題」「チームライセンス+」という考え方を基本に設計されたビジネスプランは大成功を収めるであろうと思った。筆者も代理店の一翼を担うことにした。

継続は力なり、果報は寝て待て、稼ぐに追いつく貧乏なし、思う一念岩をも通すという諺を念頭に置いて見ると良い。

第一話
http://the-crest2016.com/wp/c4808/?utm_source=Spiral&utm_medium=Spiral_jido&utm_campaign=Spiral_jido_opt

第二話
http://the-crest2016.com/wp/r5895/?utm_source=Expa&utm_medium=Expal0926&utm_campaign=Expa0926_1&uid=00012398
第三話
http://the-crest2016.com/wp/s6960/?utm_source=Expa&utm_medium=Expal0926&utm_campaign=Expa0926_1&uid=00012398
第四話
http://the-crest2016.com/wp/s6960/?utm_source=Expa&utm_medium=Expal0926&utm_campaign=Expa0926_1&uid=00012398
第五話
http://the-crest2016.com/wp/t8848/?utm_source=Expa&utm_medium=Expal0926&utm_campaign=Expa0926_1&uid=00012398
第六話

と続くが頻繁に更新されるので最新版を確認することが大切である。

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ウイルス除去をうたう詐欺類似商法

一か月程前、突然来信のメールに添付されたファイルが開けなくなった。
調べてみるランサムウエアzentoと称するウイルスに感染していることが判った。外付けハードディスクに保存していたjpegの静止画像、エクセル、ワード、オアシスで作成したファイルが全てPDFファイルに書き換えられてzentoの記号がついていた。幸いSDHCにバックアップをとっておいたので、保存ファイル全滅の危機は免れることが出来た。


手早くウイルスを除去してくれる業者はないものかと、ネットで調べてみると【特急データ復旧】というがあるのを知った。同社のホームページから復旧に必要なPCの諸元や症状を記入して送信すると、5分も経たぬうちに担当の女性から電話があった。初期診断料は通常3万円かかるが、今回は無料であり、ハードディスクはヤマト運輸が預かりに伺うという。お客様には氏名だけを伝票に書いてもらえば良い。宛先は印刷したものを集荷人に持たせるという。

修理依頼の外付けハードディスクを梱包し集荷指定日時を待った。指定日になったので待っているとヤマト運輸の集荷人が来た。荷物を預けると宛先が書いてないので預かれないという。約束が違うと押し問答の末、荷物を預けることにした。

【特急データ復旧】の担当者に電話すると【そのような名前の社員は当社にはいません】という【矢口という名前は何回も確認している】とクレームをつけると【同業者の人かもしれないので調べてみます】ということになった。暫くして同社から電話があって、【矢口という人はデジタルデータリカバリー社の人です】という。


デジタルデータリカバリー社の矢口嬢に電話すると【私は営業課なので業務課につなぎます】ということになり担当者と会話した。【汚染がひどくて大変な作業になりますので多分百万円くらいかかると思います】という回答である。

これは詐欺類似の言動だなと判断し預けたハードディスクは返送して貰い、百万円ばったくられるのを免れることが出来た。

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2016.09.11

「大東亜戦争は継続中だ」

中国の最近の行動は現代の植民地主義であると思う。大東亜戦争の意義を日本人達は評価すべき時期であると思う。以下は全て渡部亮次郎氏から配信されたメルマガからの転載である。


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「大東亜戦争は継続中だ」
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       伊勢 雅臣

「大東亜戦争は継続中だ」と語ったインドネシア将軍

日本軍が引揚げた後も、インドネシアは植民地主義・共産主義と戦ってきた。

■1.「我々が取り組まねばならない植民地一掃の大事業」

インドネシアのサンバス将軍は、次のように語ったと伝えられている。

日本の戦争目的は、植民地主義の打倒であった。その目的の大半は達成し たが、植民地主義国はまだ残っているではないか。ソ連(ロシア)は最後 の植民地主義国だ。中国もチベットやウイグルを併呑した植民地主義国 だ。これから我々が取り組まねばならない植民地一掃の大事業は、中ソが 相手となる。[1, p111]

25年ほど前の発言だが、ソ連こそ打倒されたものの、チャイナによるチ ベット、ウイグルの弾圧・搾取は酷くなる一方であり、最近の南シナ海の 軍事基地化はそのまま、東南アジア諸国への侵略である。

しかし、この発言の真意を理解するには、インドネシア国民が第二次大戦 後も植民地主義と戦ってきた足跡を知らなければならない。インドネシア 国民から見れば、西洋植民地主義や共産主義と戦ってきた日本が大東亜戦 争の敗戦で引き上げてしまったので、その後の「植民地一掃の大事業」 を、彼らだけで取り組まなければならなくなった、というのである。

戦後のインドネシアの戦いを見れば、大東亜戦争の意義も、日本の今後の 使命も見えてくる。


■2.日本軍の支援を受けて独立準備

1602年から始まったオランダのインドネシア支配は過酷で、各地でコー ヒーや砂糖の栽培を強制し、その収益はオランダの国家予算の3分の1を 占めたと言われている。貧困に喘ぐインドネシア人の平均寿命は、一説に よれば、35歳まで低下した。

オランダ支配に抵抗して、インドネシア人民は何度も独立闘争を起こした が、そのたびに制圧された。そこに登場したのが日本軍だった。日本軍は 同じアジアの民としてインドネシア人に助けられ、わずか七日あまりでオ ランダ軍を降伏させた。

インドネシアに駐留した第16軍司令官・今村均大将は、独立運動の指導 者スカルノに対し、将来の独立に向けた準備を支援する代わりに、戦争に 協力するよう求めた。スカルノはこの取引に応じ、日本軍に物資や労務を 提供する代わりに、日本軍はインドネシア人による軍隊(PETA)の創設・ 訓練、官僚の育成、法制度や教育体制の整備などを進めた。[a, b, c]

 その上で、日本軍が敗れた1945年8月15日の二日後、スカルノは初代 大統領に就任して、独立を宣言したのである。


■3.オランダの「侵略戦争」

しかし、それで過去300年以上の権益をあきらめてしまうようなオランダ ではなかった。オランダの副総督ファンモークは、スカルノの独立宣言を 無視して、インドネシアの港町スラバヤにイギリス軍とともに、上陸した。

ファンモークは「インドネシア人は、日本軍が降伏してしまった現在、 我々が上陸すれば、彼らは直ちに元通り従順になるに違いない」と考えて いた。しかし、インドネシアは「日本軍のおかげで羊がトラになった」と オランダは驚愕した。

イギリス軍は連合軍の管轄として、日本兵の武装解除、本国輸送などの役 割を果たすためにやってきたのだが、インドネシア独立戦争に巻き込ま れ、大きな犠牲を出した後で、1946年11月に軍隊を撤退させた。

しかし、オランダは諦めず、1947年7月に戦車、飛行機、機関銃で武装し た部隊約10万人を投入して、大規模な攻撃に出た。インドネシア共和国 軍は兵員こそ2百万人もいたが、武器は日本軍から秘密裏に渡された小銃 4万丁ほどに過ぎず、大半の兵士は竹槍を手に立ち向かった。オランダ軍 は瞬く間にジャワの大部分と、スマトラ油田地帯を含む産業地帯を占領した。

オランダの「侵略戦争」は世界中の非難を浴び、国連安保理も「オランダ の敵対行動の即時停止」と「平和的手段での解決」を謳った決議案を採択 した。


■4.「植民地主義と戦うには力がなければ勝てない」

オランダは、この決議案を受け入れて、停戦に応じるかと見せかけたが、 占領地域からの軍隊撤退は拒否した。外交交渉が乗り上げ、局地的戦闘が 続く中、1948年12月20日、オランダは空挺部隊による第2次攻撃を開始。

オランダとの独立戦争では、日本軍人数千人が戦後も現地に残ってインド ネシア軍とともに戦った。そのなかには、インドネシア国立英雄墓地に祀 られている人々もいる。[d]

 国際世論、特にインドを始めとするアジア諸国はオランダによる都市の 無差別爆撃に激しい非難を浴びせかけた。国連安保理も1949年1月28日、 オランダに対して、インドネシアから撤兵するよう勧告する決議案を採択 した。

アメリカ議会の中では、これ以上、軍事行動を続けるならば、マーシャ ル・プラン(アメリカによる欧州経済復興援助)を打ち切るべきだという 声が出てきて、これが最終的にオランダを諦めさせた。結局、国連による 非難決議は、オランダの侵略に対する有効な阻止手段とはならなかったの である。

3年半の独立戦争で、インドネシア側が払った犠牲は死者だけで80万 人、負傷者は1千万人を超えた。しかし、オランダは謝罪するどころか、 戦闘を賄うために自ら発行した軍票60億ドルのインドネシア政府による弁 済、オランダ人官吏への恩給支給、オランダ人所有の不動産の権利承認な どを要求した。

インドネシア政府は独立確保のために、オランダの要求をすべて呑んだ。 そして再侵略の心配がなくなった1963年に、オランダの要求を否認する声 明を出した。その時の外相であったルスラン・アブドルガニー氏は、[1] の筆者・江崎道朗氏に次のように語った。


我々はようやく力がついてから全世界の見ているところでオランダとの約 束を全部破り捨てました。つまり植民地主義と戦うには力がなければ勝て ないのです。オランダと戦う力、つまり軍事能力を戦時中、日本が与えて くれたおかげで我々は独立することができました。[1, p80]

連合国が東京裁判で我が国を「侵略の罪」で裁いている最中に、原告側に 立っていたオランダは露骨な侵略をしていたのである。


■5.共産クーデターとの戦い

オランダからの独立を果たしたのも束の間、インドネシアは今度は共産主 義勢力の標的とされる。ソ連や中国はスカルノを操って、インドネシアを 共産化しようとした。1958年には、スカルノ政権はソ連から10億ドルも の武器援助を受けとった。

1963年、終身大統領に就任したスカルノへの反感から欧米諸国が援助を控 えると、中国は肩代わりし、共産党の勢力拡大に注力した。インドネシア 共産党は「入党すれば、いい仕事につける」と宣伝し、党員300万人、シ ンパ1800万人にまで膨張した。

1965年10月1日未明、ついに共産クーデターが勃発。大統領親衛隊の約5 百人の決起部隊が、陸軍将校の邸宅を次々と急襲し、大統領官邸を占拠し た。俗に「9・30事件」と呼ばれる。

 しかし、陸軍戦略予備軍司令官のスハルト少将が、共産クーデターに呼 応しないよう国軍幹部を説得し、即座に鎮圧に動いた。スハルトを中心と した陸軍が行動を開始すると、学生とイスラム教徒の民衆は共産党に立ち 向かった。

各地で民衆が左右に分かれて激突し、半年間で死者百万人に上ると言われ る内戦が繰り広げられた。この結果、共産クーデターが失敗に終わり、周 恩来主導のアジア共産化構想は頓挫した。スカルノは大統領の職位こそ解 かれなかったが、失脚して実権を失った。


■6.「日本にぜひ協力してもらいたい」

9・30事件の翌66年2月、インドネシア軍の司令塔となっていたアリ・ム ルトポ准将が来日して、福田赳夫外相、佐藤栄作首相と会談した。ムルト ポは、次のように訴えた。

束南アジアはこれまで、米中ソの代理戦争をしてきました。米中ソを入れ ないようにASEAN(東南アジア諸国連合)という垣根を作ります。 1967年にその構想を発表します。中国、ソ連、ベトナムに対抗する政治連 合です。

共産国の出方次第では、軍事連合にするかもしれない。しかし、我々が政 治団体とか軍事団体を結成すると言えば、アメリカにぶち壊されてしまう ので、当分の間は文化、観光、経済の団体という覆面をするつもりです。 日本にぜひ協力してもらいたい。[1, p121]

日本政府は察知していなかったが、9・30事件以降、インドネシアやマ レーシア、シンガポールなど東南アジアのリーダーたちは、「もうこれ以 上、巨大な象(米中ソ)に我々の士地を荒らされてはかなわない」と考え て、ピースゾーン(平和地域)としてのASEAN建設に向けて一致して 動いていたのだ。

日本政府は、スハルト大統領体制が発足すると、直ちに大規模な ODA(政府開発援助)を供与しインドネシア政府を支援した。

ムルトポ准将の言葉通り、1967年、タイ、フィリピン、マレーシア、イン ドネシア、シンガポールと反共を国是とする5カ国でASEANが誕生した。

昭和51(1976)年に総理大臣に就任した福田赳夫は、翌52年、東南アジア諸 国を歴訪し、マニラで、ASEANを全面的に支援する事を約束した。こ の演説は「福田ドクトリン」としてASEAN諸国から、今も高く評価さ れている。


■7.日本を助けたインドネシア指導者たち

インドネシアをはじめとするASEAN諸国は、日本を頼りにするばかり でなく、日本をできる限り助けようとした。アイゼンハワー政権のダレス 国務長官が、日本が講和独立後に、朝鮮戦争特需に代わる新たな経済市場 が必要と考えた時に目をつけたのが東南アジア市場だったが、東南アジア 諸国の指導者たちも、この方針を支持し、日本企業の東南アジア進出を支 援した。

1973(昭和48)年にOPEC(アラブ石油輸出機構)が中東戦争を有利に運 ぶために、石油供給を削減して、石油ショックが起こった。

この時、日本政府は内密にOPECのリーダーであるサウジアラビアの フェイサル国王に日本向け石油の供給増加を依頼したのだが、その際に同 じイスラム教徒として、国王との仲介をしてくれたのが、アラムシャ副首 相やモハメッド・ナチール首相らインドネシアの指導者だった。彼らはこ う語って、日本への支援を求めた。

__________
(大東亜戦争によって)キリスト教徒(オランダ)に支配されていた我々 イスラムの民を救い、その独立を支援してくれたのが日本であり、日本は イスラムの味方だ。[1, p90]
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 平成17(2005)年、小泉首相の靖国参拝に関して、中国政府がヒステ リックな批判を繰り返していた際にも、ちょうど訪日していたインドネシ アのバンバン・ユドヨノ大統領は「国のために戦った兵士のお参りをする のは当然のことだと思う」と参拝を支持した。


■8.「たった一度の敗戦で大切な目的を忘れてしまったのは遺憾だ」

 戦後も続いた日本とインドネシアの橋渡しをしたのが、中島慎三郎氏と いう一民間人だった。中島氏は戦時中は日本陸軍の防疫給水部衛生兵とし て、インドネシア各地で伝染病対策を行って、大歓迎を受けつつも、疲弊 した人々の生活に心を痛めた。

 終戦後に帰国し、東京新橋駅前で花屋を始めた。そこに出入りするよう になったのが、戦時中に陸軍士官学校や早稲田大学に留学していたインド ネシアの青年たちだった。彼らは帰国できないまま、母国の発展には日本 の協力が必要だと考え、日本との関係を築こうとしていた。彼らは中島氏 を父とも仰ぐようになり、やがて母国に戻って、政財界で活躍するように なる。

 アリ・ムルトポ准将を福田外相に引き合わせたのが、この中島氏であ る。ユドヨノ首相が靖国参拝を支持してくれたのも、中島氏がツテを辿っ て依頼したのである。

 冒頭の「我々が取り組まねばならない植民地一掃の大事業」と語ったサ ンバス将軍の言葉は、実は海部首相が行った大東亜戦争に関する謝罪演説 に激怒して、中島氏に国際電話で語ったものだった。それはこう続く。

 そんなときに行つた海部演説は、植民地主義打倒の悲願を放棄したこと になる。海部さんは日本の果たしてきた歴史を踏まえ、アジア・アフリカ の悲願を代表して、まだ残っている植民地主義を攻撃すべきだった。大東 亜戦争は継続中だ。たった一度の敗戦で大切な目的を忘れてしまったのは 遺憾だ。[1, p111]


 このサンバス将軍の発言を、中島氏は次のように解説した。

要するに、戦争に負けたからと言って、その戦争で自ら掲げていた理想 まで否定するのは無責任ではないかと、サンバス将軍は言っているのだ よ。その無責任さが結局、現在の日本の東南アジア政策のお粗末さになっ て現れているのだ。[1, p111]


「植民地解放」という理想を忘れてしまった現代日本が、現状維持だけを 旨とする「お粗末な外交」に堕(だ)してしまったのも当然である。それ を歯噛みして見ている国々がある。草葉の陰の我が先人たちも同様であろ う。日本が戦った植民地主義・共産主義との戦いとしての「大東亜戦争」 は、今も続いているのである。


■リンク■

a. JOG(045)「責任の人」今村均将軍(上)
 インドネシアでは、民族独立を目指すスカルノとの友情を貫き、ラバウ ルでは、陸軍7万人の兵を統率して、玉砕も飢えもさせずに、無事に帰国 させた。
http://www2s.biglobe.ne.jp/%257enippon/jogbd_h10_2/jog045.html

b. JOG(046) 「責任の人」今村均将軍(下)
 戦犯として捕まった部下を救うために、自ら最高責任者として収容所に 乗り込み、一人でも多くの部下を救うべく奮闘した。
http://www2s.biglobe.ne.jp/%257enippon/jogbd_h10_2/jog046.html

c. JOG(193) インドネシアの夜明け
 インドネシア独立を担った人々が語る日本人との心の交流。
http://www2s.biglobe.ne.jp/%257enippon/jogbd_h13/jog193.html
d. JOG(036) インドネシア国立英雄墓地に祀られた日本人たち
 多くの日本の青年たちがインドネシアを自由にするために独立の闘士た ちと肩を並べて戦ってくれました。
http://www2s.biglobe.ne.jp/%257enippon/jogbd_h10_1/jog036.html

■参考■(お勧め度、★★★★:必読~★:専門家向け)
  →アドレスをクリックすると、本の紹介画面に飛びます。

1. 江崎道朗『コミンテルンとルーズヴェルトの時限爆弾―迫り来る反日包 囲網の正体を暴く』★★★、展転社、H24
http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/4886563805/japanontheg01-22/

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●信用も誠実もない国がたくさんある

以下は全て渡部亮次郎氏から配信されたメルマガからの転載である。

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信用と正直
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Andy Chang

日本人は信用と誠実を命より大事にする。信用を失ったら自殺する
会社の責任者も居るぐらいだ。だが信用を大事にする日本が外国と
の交渉で相手国に騙されてはならない。

小保方晴子の論文にデータ偽造があったと言われ、指導教授の笠井
芳樹博士が自殺したことは日本人が「信」の字を大切にする証拠で
ある。

これに比べたらヒラリーは毎日新しいウソが発覚しているのに顔色
も変えずテレビの前で嘘の上塗りをしている。笠井教授の標準で言
えば、ヒラリーは一万回首を吊ってもまだ足りない。

しかも彼女は大統領になりたいのである。ヒラリーが大統領になっ
たらアメリカは信用できない国になることは明らかだ。

トランプも同じだ。暴言放言がメディアで批判されるとすぐにあれ
これ弁解するが、トランプは決して間違いを認めない。最近の選挙
戦はトランプとヒラリーの悪罵合戦でテレビを見る気がしない。

●信用も誠実もない国がたくさんある

日本人が信用を大事にするのは立派だが外国を相手にするときは注
意しなければならない。相手を信じては損をするだけである。外交
とは戦争である。相手はウソと謀略でかかってくるのに簡単に信じ
てはならない。

「白人がインディアンとの条約を破らなかったことはない、そして
インディアンが条約を破ったこともない」という。また、「ロシアは
条約とは破るもの、中国は条約とは守らないものと思っている」と
も言う。相手を騙すのが外交と思っている国がたくさんある。

オバマの広島訪問がそうだった。オバマは8年前に核拡散防止の講
演でノーベル平和奬を貰ったが賞を貰うのに必要な実績はなかった。
賞を貰って8年たって大統領の任期が終わりそうになっても実績が
ない。

オバマの広島訪問は人類の歴史で唯一の原子爆弾を使った国の大統
領として初めての訪問だったが、オバマは反省も謝罪も表明しなか
った。それでも日本のメディアは「悲惨な過去の清算と寛恕」でオ
バマを褒め称えたのである。

オバマはノーベル賞の実績を作りたかっただけなのに日本人はウマ
ウマと騙されたのである。

考えてみるがよい。日本は戦後から今日まで71年、一貫して謝罪と
遺憾と賠償を繰り返してきた。戦争で多くの国を侵略した、罪を認
め迷惑をかけたと何度も謝罪と賠償をしてきたが、中国や韓国は今
でも「歴史問題が日本の最大の弱点」として攻撃している。

オバマは原爆を使った国として反省も謝罪もしないのに、日本人は
何十万の人民が殺されたことを「清算と寛恕で終結する」という。

日本の外務省が戦争に負けてひたすらお詫びするのが正しいと思う
のは間違いである。相手国は日本の罪を繰り返して攻撃し続ける。
日本国は未来永劫に罪障國として諸国に対応しなければならないの
か、日本の外交政策は間違っている。

戦争は終わった、謝罪も賠償も済んだ。今後は謝罪、弁償、弁明、
一切やらない、平和な日本国として対等に付き合う、それが外交部
の最重要の任務である。

●外務省の背信

日本の友人が送ってきた記事に、山岡鉄秀氏の「外務省の背信」
(Hanada-2016年10月号)があった。2015年末の日韓合意で日本の
岸田外相の発言は「慰安婦問題は、当時の軍の関与の下に、多数の
女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題であり、かかる観点から、日
本政府は責任を痛感している」とあったと言う。しかも日本政府は
責任を痛感し、お詫びと反省を表明し、10億円を提供して財団を設
立すると言うのだ。

慰安婦問題では日本軍の直接の関与はなかった。それにも拘らず日
韓交渉では日本の外務省が軍の関与があったことを認め、反省とお
詫びと10億円の提供をするというのだ。こんなバカな合意をする日
本外交部は日本の為に存在するのか、それとも国益を損傷するため
に存在するのか。外交とは自国の国益を守る戦いをする場所である
のに、ありもしない慰安婦問題で謝罪と反省と賠償、外交ではなく
売国である。しかも最近の報道では韓国側は慰安婦像の撤去に言及
しないと言い出した。踏んだり蹴ったりではないか。

●日本の外交政策見直し

中国や韓国との交渉において日本は相手国との関係が悪化しないこ
とを最上課題としているみたいで、相手は国際関係が悪化するぞと
日本を恫喝している。外交とは自国の国益を守ることが最上の任務
である。国益に反する交渉はやるべきでない。日本政府は「今後は
歴史問題を交渉しない立場」を維持すべきである。

当然のことだが合意を文書にするときは外務省だけでなく、政府や
国会が一体となって一字一句、詳しく検討してから発表すべきであ
る。発表してから英語に問題があったとか文面が相手に悪用される
など、あってはならないことだ。

誠実と信用は日本人の誇りである。しかし相手も日本と同じ信義を
守ると思ってはならない。日本は国際間で信用され尊重されると同
時に、国益を守り自国の尊厳を傷つける外交をしない国となるべき
である。 

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2016.09.08

会議は踊る=秀逸のネーミング

優れたネーミングに感心した。以下は全て宮崎正弘氏から配信されたメルマガからの転載である。

国際秩序をやぶって一方的な侵略を繰り返す中国に  G20もアセアン首脳会議も無力。「会議は踊る」だけだった
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 中国杭州でのG20(2016年9月4日―5日)に引き続き、ラオスのビエンチャンで開催された「アセアン首脳会議」(9月7日―8日)。とくにアセアンの「共同声明」は南シナ海の仲裁裁判所の判決に関して、何の言及もなされなかった。
呆れるばかり、驚くばかり。
ともに「成果」は空っぽ、何のために国際会議を開催したのかという結末だった。

 しかし、静かな成果はあった。
 第一に米中対立が明確になったことである。オバマ専用機に赤絨毯を敷かないという中国側の「歓迎」ぶりは、カーター、ブレジンスキー時代から言われた「G2」構想が音立てて消滅したことを意味し、習近平が就任以来執拗にオバマに迫ってきた「新しい大国関係」は蜃気楼となって何処かへ消えた。

 第二にアセアン諸国が中国の脅しとカネを目の前に、いかに脆弱であるかを晒したこと。日本の頼りなさは以前からの問題だが、安倍首相は限られた条件のなかで、個別会談を重視し、プーチンの来日確約、韓国へは慰安婦像撤去再度要請など多少の得点があった。

 第三に数限りない「国際会議」に中国がきょろきょろと参加するようになってから、中国は自らの孤立感を自己認識できるように進歩したことである。とりわけ「シャングリラ対話」で、中国の強硬路線がアジアの多くから嗤われており、四面楚歌の状況であることを知覚した。
「米中戦略対話」は、経済に特化しはじめた。

 野蛮人がネクタイをし、文明人は裸に憧れるように、懸命に文明国に近づこうとする北京だが、国際会議での発言やパフォーマンスをともなう演出は、すべて国際世論に訴えようとするより国内の権力闘争への思惑が基軸となってきた。
 それでも「国際秩序」なるものが他の国々の価値観のなかで重要な位置をしめていることに気がついたらしい。


 ▼西側共通の価値観「自由」「民主」「法治」「人権」はまだ達成されない

 中国が軍艦を派遣して軍事力を誇示する。
フィリピン、ベトナムの領海である海洋の七つの珊瑚礁を破壊して人口島を埋立て、軍事施設をつくり、挙げ句に2600メートル級の滑走路まで敷設し、レーダー基地と防空ミサイルを配備した。

そのうえで一切の証拠を提示することなく、堂々と「古来より中国領だった」と居座る。
白昼堂々の強盗、侵略行為を、国際社会は弱々しく、「秩序を守れ」「航行の自由」「一方的な秩序の変更は許されない」と批判はしたものの、侵略者=中国を名指ししない。

 チャンバレンの宥和政策は、けっきょくナチスの横暴と中欧諸国への侵略をもたらした。チャンバレンは「平和を持ち帰った」と言ったが、お土産は戦争だった。
 ナチスはワイマール共和国というたぐいまれな民主制度の下で、選挙民が撰んだ結果がヒトラー政権の誕生だった。

 そして「初期のヒトラーはシオニズムに理解があった。ユダヤ人が中東の地に帰り、国家を建設することに賛同していた」(リビングストン元ロンドン市長)。途中から路線が変更となったのも、ドイツ国民の民意ではなかったのか。

 G20は、各国代表がそれぞれの主張をがなり立てるだけ、アセアンは、親中派のラオスが議長国、南シナ海を議題としないようにカンボジアとともに北京の意向を受けて、根回しをして、まわった。
要するにこれら一連の「国際会議は」えんえんとお喋りを続け、合間に踊りを愉しみ、ワインを空けて平和を語ったウィーン会議の再来でしかない。

 メッテルニヒの時代のように、宮殿で「会議は踊る」。されど侵略を制御することも、押し返すことも出来なかった。
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