短編小説

2014.07.15

 仮説 小野小町は男であった                            早島 潮                                     


 新嘗祭は、陰暦十一月の中の卯の日に天皇が、新穀を天神地祇に献上し自らも親しくこれを食する儀式である。天皇の即位後初めて行うものを大嘗祭という。翌日行われるのが、豊明の節会で天皇が豊楽殿へ出御して新穀を食し諸臣にも賜る。賜宴のあと五節舞姫の舞があり禄や叙位等の儀式が行われる。五節舞姫は天武天皇が創設したもので袖を五変翻して舞うところから五節舞といわれ、天皇直属の舞であり感謝・服従・臣従を意味するものである。大嘗祭には五人の五節の舞姫が任じられるが、叙位に預かる上に、天皇の燕寝に侍る慣行があったので権門、貴族は競って娘を進上した。

 嵯峨天皇は在位年数14年間(八0九~八二一)であったが、24才から38才までの青壮年期にあたり内寵を好んだ結果、后の数は少なくとも29人以上であり、皇子皇女の数は五十人以上に及んだという。

 従五位下陸奥介小野氷見の第三子岑守は嵯峨天皇の皇太子時代から侍読、近臣として仕えた。小野氷見には岑守の異母妹にあたる娘があり大町と呼ばれていた。
「岑守、賀美能皇太子が即位されて弘仁の治世が始まったが、帝の御機嫌はどうかね」と氷見は退出してきた岑守に聞いた。
「それが必ずしも御機嫌麗しいとは言い兼ねる状況なのです」
「どうしてだね」
「平城上皇との仲がどうもしっくりいかないからのようです」
「何故なのだ」
「平城天皇は、もっと天皇として治世にあたりたいと考えておられたようですが、病のために弟の賀美能皇太子にやむなく譲位されたのです。ところが天皇就任を固辞されていた賀美能皇太子は皇位を譲ずられて、嵯峨天皇として即位されるや七日後には法令をだして観察使の特典である食封を停止し、代償として国司を兼任させ公解稲の配分に与からしめる措置を素早くとってしまわれたのです。観察使の制度は平城天皇が創設されたものですから、上皇の感情をいたく傷つけることになってしまったらしいのです。もともと病が治れば重祚したいとの意向を持ったうえでの譲位でしたから、今上天皇が上皇の意図を無視して勝手なことをおやりになるという感情をお持ちになったようです」
「それは困ったことだ。由々しい問題に発展しなければよいが」
「上皇の病も大分軽快されたようですが、本復とまではいえないようです。そもそも平城上皇が今上天皇へ譲位されたのは病気が治らないのは早良親王や伊予親王の怨霊に祟られているからであり、皇位さえ退けば怨霊の禍から逃れることが出来、命を永らえることができると考えられたからなのですが、一進一退を繰り返しており本復する気配がないのです。そのために住まいを変えれば怨霊の禍がすくなくなるという陰陽師の勧めで既に五回も遷宮されましたが効果がありません」
「それは難儀だね。今度は平城京へ遷宮するという噂が流れているが、本当かね」
「そうなんですよ。そのため天皇も上皇に気を使われて藤原仲成を平城宮へ遣わして上皇のための新宮を造営しようと力を入れられているのです」
「ところで、今度の大嘗祭には小野氏からも五節の舞姫を進上してお上の内寵を戴くよう考えることが小野氏の繁栄にとって大切なことだと思う。そこで大町姫を進上しようと思っているがどうだろう」と氷見は岑守に言った。
「そうですね。大切なことですね。少し運動してみましょう」

 小野氷見の娘大町姫が弘仁元年の大嘗祭の五節舞姫に選任され天皇の寵愛を受けて男子を出産したのは翌弘仁二年九月のことであった。折りしも、薬子の変が発生し世情が騒然としているときであった。年初来体調をこわして病気がちであった今上天皇に対し病気が快癒した平城上皇が寵愛する尚侍(ないしのかみ)藤原薬子とその兄藤原仲成らに唆されて重祚を目論見、東国に赴き挙兵しようとして失敗した事件である。この事件で小野岑守は近江国固関使として鎮撫にあたった。薬子は自殺し平城上皇は頭を丸めて出家し失意のうちに奈良旧京の宮殿で十四年の余生を送ることになるのである。 

 小野氷見の娘大町は、密かに男兒を出産したが、女児として育てることにした。大町がそのように決意したのは次のような理由からである。今上天皇の後宮に住む皇后、后、夫人嬪等が生んだ皇子、皇女の数は五十人以上にものぼり生母の身分が高いか低いかでその生涯は決まっていた。男であれば皇位継承権はあるが、母が皇后でなければ、まず皇位につくことはできない。皇后に男子のない場合、后、夫人、嬪の生んだ男子に皇位継承権が廻ってくることもあるが、今までの歴史ではなまじ皇位継承権を持つが故に非業の死を遂げざるを得なかった例は枚挙に暇がないくらいである。その皇子が優秀であればあるほど政争の具として利用され命を全うする事ができない。例えば、遠くには山背大兄皇子、有間皇子、大津皇子、近くには早良皇太子、伊予親王等がある。その点女子であれば、母親の身分が高ければ高い程結婚の相手が少なくなるという問題はあっても、皇位継承権を巡って命をとられるということはない。

 大町は生まれた子供を女児として育てるにあたっては男根を切除するという大胆なことをおこなった。そして、出羽国へ国司として赴任することになっていた一族の小野良実に嬰児を女児として密かに託したのである。小野良実には実子の女の子がいたが、小町と別け隔てなく育てた。

 小野良実によって出羽国で幼年期を女児として育てられた小町は長ずるに及んで和歌の才能を開花させた。出羽国から帰京した時は十五才の年頃になっており、母大町の勧めによって仁明帝の更衣として宮廷に出仕したが、容姿端麗で顔も美形なので絶世の美女との評判であった。詠む恋の歌は情熱的で仁明天皇朝のサロンに集まる文化人達の憧れの的であった。特に次の歌は小野小町の恋の情熱を伝えるものとして有名である。
「思いつつぬればや人の見えつらむ 夢としりせばさめざらましお」
「わびぬれば身をうき草のねをたえてさそふ水あらばいなむとぞ思ふ」
 小町が才媛であることを伝える話は幾つもあるが、次の物語は謡曲「草子洗い小町」として古くから愛好者によって謡われているものである。

 明日内裏で催される御歌合で、大伴黒主の相手には小野小町と定められたが黒主は到底詠歌では小町にかなわないので一計を策した。小町の私宅に忍び込み、彼女が予め用意した詠歌を口ずさむのを立ち聞きしてこれを万葉集に書き入れ、古歌であり物真似であると讒奏して小町を陥れ奇勝を得ようとするはかりごとである。

 四月半ば、御歌合の会の当日小野小町、大伴黒主、凡河内躬恒、紀貫之、壬生忠岑等の面々が左右に着座して御歌合わせが始められた。紀貫之は帝の命令により小町の歌をよみあげた。
「蒔かなくに何を種とて浮き草の波のうねうね生い茂るらん」
「なかなか良い出来映えの歌だ」と帝はお褒めになった。
「おそれながらこの歌は古歌です」と黒主が抗議した。 
「どの歌集に出ているのですか。作者は誰ですか」と小町はひどい恥辱に黒主に抗議したところ
「万葉集に出ており、作者は読み人知らずです」と黒主がしゃあしゃあと答えた。
「証拠はありますか」と小町が追求すると
「これこの通り」と黒主は懐より草子を取り出して誇らしげに示したので列座の一同は唖然として小町と黒主の顔を交互に見比べたが、小町は悲憤に耐えず敢然と抗議した。
「草子に後から入筆したものと思われますので、清らかな水でその草子を洗ってみて下さるようお願い致します」
「小町の言う通りにしてみよ」と帝の勅許をえて、草子を洗ってみると小町の歌は見るかたもなく消えてしまったので一同目を見張って驚いた。悪だくみが露顕して非常に苦しい立場に立たされた黒主は自害しようと席を立ったが、小町のとりなしで帝が黒主をお赦しになったので小町は面目を施し聖代と和歌の道を讃える舞を舞って御歌合わせの会は終了したのである。

 この他に、小野小町を題材とする謡曲には「鸚鵡小町」「関寺小町」「卒塔婆小町」等があるが,何れも年老いて落魄した小町が登場してくるのである。これは若い頃美貌と才能に恵まれ、六歌仙にも選ばれ名声をほしいままにした才媛も年老いては醜い姿になり、果てはされこうべになるという人生無常の仏教思想を教えているものであろうか。小町の歌にも、衰えゆく容色を嘆げいた「花の色は移りにけりないたずらに我が身世にふるながめせしまに」というのがあるが、これらの謡曲を創作した作者のモチーフになっているのであろう。 そして「通い小町」は小町を恋して九十九回も通い続けた男を拒む小町が題材になっているのである。この拒む小町のイメ-ジは、糸を通す穴のない針を「小町針」と言ってみたり、川柳にも「とは知らず開かずの門へ九十九夜」と詠まれたりして、身体的に女性として欠陥があったのではないかと疑われている小町のイメージなのである。

 ところで小町の生みの親である大町が、嬰児小町の男根を切除するにあたっては、小野家の秘伝となっている隋の煬帝からの返書の内容が頭の中にあったのである。即ち隋・唐の朝廷には男根を切除した宮廷奉仕者「宦官」という人種のいることを知っていたのである。

 小野一族の先祖に当たる小野妹子は六0七年に聖徳太子の国書を携えて遣隋使として大陸に渡り、皇帝煬帝に「日出ずる処の天子、書を日没する処の天子に致す。恙無きや」という有名な国書を渡した外交官である。小野妹子は帰国にあたり隋皇帝煬帝より国書を託されたが、妹子は帰国後この国書は帰国途中に百済の国を過ぎるとき、百済人に掠めとられたので提出することが出来ませんと報告した。

 この国書盗難事件については、1)本当に国書を奪われたとする説と 2)国書の内容が日本を東夷として見下したものであったので、妹子が道中破棄して盗難にあったと偽ったとする説がある。
 大町が口伝された小野家に伝わる秘伝の隋の国書には「東夷の国は宦官を貢物の中に加えて朝貢せよ」との一条が入っていたのである。

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 雀と強盗                  

 1. 大寒に入り、シベリア方面から寒気団が、日本列島の上空に張り出してきた。布団の中で腕時計を眺めながら、一分でも長くとうたた寝の快楽を貪った中年の銀行員が、意を決して布団を抜け出してからの行動は素早かった。歯を磨き、髭を剃りながら頭の中で、家を出るまでの身支度の手順を考えている。
 今日は茶色の背広にしよう。服は洋服箪笥の右端の方に入っている筈だ。ネクタイは昨日、取引先の社長からフランス土産だといって貰ったのが、鞄の中に入っている。あれが茶色の背広に似合うだろう。Yシャツはクリーニング屋から夕方届いたのが下から二番目の引き出しに入っている。
 靴は下駄箱の一番下の段に茶色のが仕舞ってある筈だ。今日は寒そうだから厚手のオーバーにしたほうがいいだろう。オーバーは妻に言って出しておいて貰おう。
 中年の銀行員は外気の寒さに思わずオーバーの襟をたてて駅へ急いだ。
 今日は何か変わったことがあるかもしれない。あの頑固者の工事会社の社長が、定期預金をしてくれるかもしれないと思いながら、いつもの惰性で足が動いていた。
                                      
2.
                         
 一羽の雀が銀行内に飛び込んで一寸した騒ぎがあった。開店前でシャッターがまだ開いていなかったので、通用口から入ってきたのだろう。女子行員はキャッキャッ陽気に騒いでいる。両手をVの字に曲げて肩を震わせながら怖がっている女子行員もいる。
 箒を持ち出してきて雀を叩き落とそうとしている若い男の行員がいた。
 雀は行内の騒ぎをよそに、高い天井から吊り下げられたシャンデリアの上に止まって人間共の騒ぎを見下ろしている。中年の銀行員がどこから見つけてきたのか、採虫網と脚立を持ち出してきて素早く雀を捕らえてしまった。 可哀相だから逃がしてやろうと言う者もあれば、焼いて食べようという者もある。鳥籠に入れて飼ってみようと言う者もある。
 雀は中年の銀行員が子供の教材に貰い受けることになった。彼は伝票を仕舞っておく段ボールの箱を捜し出してきて千枚通しで空気孔を作り、雀をその中へ放した。雀は寒さのせいか暴れもせずにおとなしかった。
                                      
3.
                         
 中年の銀行員は、猟銃を抱えた若い男がサングラスをかけ、マスクをして入り口から入ってくるとカウンターへ近づいて行くのを目撃した。はてな、今日は防犯演習の日だったかなと考えていると、雀を箒で叩き落とそうとした若い男が、その猟銃を抱えた男に飛び掛かっていった。
 ズドンという鈍い発射音がした。若い行員はのけぞるようにして崩れ落ちた。キャーという女子行員の悲鳴。
「動くな。動くと撃つぞ」
 サングラスの若い男は,叫びざま天井と床に向けて一発ずつ発射した。
 逃げまわり悲鳴をあげていた行員と来客は動くのをやめて声を出さなくなった。防犯演習ではなくて、本物の銀行強盗だという認識が、一瞬間のうちに居合わせた人々の脳裏に刻みこまれた。この強盗は人を殺すことを何とも思っていないようだ。
 中年の銀行員は、入り口の硝子戸を開けて制服の警官が右手にピストルを構えながら入ってくるのを目撃したとき、まずいなと思ったが口がこわぱって声が出せなかった。
 バーンという物のはじけるような音がすると、制服の警官は前へ崩れ落ちて動かなくなった。パーンと再び銃声がした。反対側の入り口から同じようにピストルう構えながら入ってきた制服の警官も前者と同じように倒されてしまった。行内には重苦しい空気が漂い静寂が支配した。
                                      
4.
                         
 犯人の声だけがいたけだかに響き渡った。
 行員は全員犯人の前に一列に並ばせられた。右端から男子行員、女子行員来客という順番で。
「責任者は前へ出ろ」
「私が責任者の支店長だ」
 初老の眼鏡をかけた大柄な男が一歩前へ出ると
「十五数える間に五百万円用意出来なかったから、こんなことになったんやお前が悪いからや」これだけ言うとズドンと腹部へ発射した。支店長は倒れて両手をピクピク動かしていたが、間もなく動かなくなった。
                                       
5.
                         
 ガサ、ゴソという紙をはひっかくような音がした。
「なんだ」犯人は猟銃を音のする方向へ発射した。
 ガサゴソという音は前よりも大きくなった。
「あの音は何だ。お前調べてこい」犯人は中年の行員に命じた。
「今朝、店の中に迷い込んできた雀を段ボールの箱に入れているのでその音です」中年の銀行員は犯人の顔色を窺いながらおずおずと答えた。
「可哀相なことをするな。逃がしてやれ」
「可哀相なのはこちらですよ。どうか逃がして下さい」中年の銀行員はチャンス到来とばかり犯人に懇願した。
「お前ら大切な人質や。逃がすわけにはいかん。雀は逃がしてやれ」
 中年の銀行員はおそるおそる段ボールの箱に近づくと、段ボールの箱の蓋を開けた。雀はバタバタと飛び立ち、行内の天井裏を慌ただしく逃げまわった。
「うるさい」犯人は雀に向かって発射した。雀は石ころでも落ちるように落下した。
「逃げようとする奴はこうなるんや」犯人は銃口を並ばせた人質達の方へ向けながらニタリと笑った。
「オイ、お前。あそこに倒れとるポリ公が死んだか生きとるか確かめて来いナイフで耳を切ってみるんや」犯人は中年の銀行員に銃口を向けた。
「そんな酷いことを」中年の銀行員は銃口に怯えながら思わず口走った。
「なにおっ」犯人が声を発するのと猟銃の発射音が同時に聞こえた。
 中年の銀行員は右肩を撃たれて倒れ、床の上を転げまわった。
「おい。今度はお前の番だ。剃刀を持ってきて、あの男の右耳を切り取ってこい」犯人は身近にいた若い男子行員に命じた。
「はい」
 目の前で何人もの人間が虫けらのように射殺されるのを見せつけられたその若い男子行員は、顔を真っ青にして、剃刀を右手に持つと、まるで魔法にでもかかったように、今、倒れた中年の銀行員の傍らへ近寄ると、右耳を剃刀で切り取った。鮮血がほとばしり、ギャッーという声がした。
                                      
6.
                         
 銀行強盗事件は犯人が疲労して隙を見せたとき、突入のチャンスを狙っていた機動隊の狙撃隊員に狙撃され解決した。犯人は逮捕されて病院へ運ばれた。
 中年の銀行員も救急車で病院へ運ばれた。右耳を切り落とされ、右肩に散弾10発を受け、重傷であったが一命はとりとめた。強盗犯人は病院で手術を受けたが意識を回復しないままに息う引き取った。
 犯人に撃ち落とされた雀はごみ箱に捨てられた。
                                      
7.
                         
 中年の銀行員の耳を切り落とした若い銀行員は、事件解決後、奇妙な言動をするようになった。刃物を見ると「僕の耳を切り落としてくれ」と懇願するのである。
     (了)              

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蝋羅の結婚 

 暮れも押し迫り、営業担当者はカレンダーを持って挨拶廻りに忙しく、総務担当部長 加資美武史は大掃除の指揮やら年末調整の指示とか、迎春のための門松、しめ縄、保有 両のお札の交換等、目の回る忙しさのただなかに居た。

「部長、少しだけお時問を戴けないでしようか」と石沢蝋羅が真剣な眼差しで言った。 「面倒な話かいと加賀美武史は、心臓がキュンと鳴るのを意識しながらも平静を装って いた。
「ちよっと込み入っていますので」と蝋羅は人の良さそうな顔の頬に紅をさしながら答 えた。
「それでは、応接室へ行こうか」と加賀美武史は蝋羅を応接室へ促した。

 加資美武史はこの会社へ入社以来、人事担当者として、何度こんな形で女子事務員と 対したことであろうかと思いながら庶務の小母さんヘコーヒーと緑茶を頼んで応接室へ った。今までの経験では十中八九が退職の意思表示である。早速明日には求人広告会社 電話して補充採用の広告をうたなければなるまいと考えていた。職業安定所は最近「ハ ーワーク」等と呼び名を変えて、失業者達の集まる所という暗いイメージを払拭しよう しているが、若い女性達の職業紹介業務にはあまり寄与していない。駅頭で小銭を払え 簡単に入手できる「トラバーユ」とか「ビーイング」等という求人雑誌のほうが若い女 達にとっては手っとり早い情報源だし気にいった賞品でも選ぶ感覚で就職先を選べるか である。

蝋羅はローラと読み、一風変わったバタ臭い名前なので、珍しさも手伝って苗字で石 と呼ぶ者はなく「ローラさん」で通っていた。ローラは三年程前に欠員補充のため「ト バーユ」に求人広告を乗せた時、これに応募してきた三十人の中から唯一人選ばれた気 てが良く容姿端麗で秀逸な女子事務員であった。機転が効くことは営業事務には最も向 ており、その如才ない機知に富んだ電話のやりとりと来客の応対には客先に評判が良く 会社のイメージアップには大いに貢献している看板娘ともいうべき事務員であった。
 勿論ワープロはブラインドタッチの技能を有しており、汚い見積もり原稿でもこれを ちどころに立派なドキュメントに仕立て上げて呉れるし、検算を頼めば見とれる程の素 い指先の動きで電卓を叩き間違いを正して呉れるのである。そしてなによりも人柄がよ 、美人ですらりと伸びた脚はファッションモデルにしても十分通用するものを持ってい 。
年齢は28歳で適齢期にあり、社内外の若い男性からはよく電話がかかってきていたので 彼女を射落とす果報者はどんな男であろうかと社内の関心事であった。

「まさか退職したいというのではないだろうね。ローラさん」加賀美武史は単刀直入に 切り出してローラの顔を覗き込んだき込んだ。
「まことに申し訳ありませんが、そうなんです。三月一杯で退職させて戴きたいのです が」ローラは消え入りたい風情で加賀美の目を見上げながらなにかを訴えている。目標 定面接の際、加賀美の質問に対して暫くの間結婚の予定はないと断定したことを思い出 ていたのかもしれない。

「つい十日前の目標設定面接の時、少なくとも後一年間は縁談のエの字も無いし、辞め ことはありませんと言っていたばかりではないの」とつい詰問口調になってしまう。
人事担当者としては社内の人の異動には常に神経を尖らせておかなげれば人員計画に齟 齬を来すので、野暮を承知で質問をする習性ができている。

「まことに申し訳ありません」
「おめでたですか」
「いいえそうではありません」
「それなら、何故辞めるのかな。あなたのお友達田沢真美さんが退職するのでそれが引 金になったということかね」
「それも一つのきっかけです」
「田沢真美きんが、あなたより後から入社してきて、あなたより先に結婚退職するから 辛くなったというのかもしれないが、そんなことはよくあることで何も気にすることは いと思うがね」
「そんなことは全然気にしていません」
「それなら、何も辞める必要はないじやあないの。不景気で就職難の時代なんだから、 職先を探すのも大変だろう」
「それはそうですが、いろいろありまして」
「職場で人間関係が気まづくなったとか、お局さんが嫌がらせをするとか」
「そんなのではありません。皆さん良い方ばかりですし、今時の会社としてはお給料も いほうだし、残業もないから働く場所としては最高だと思ってます」
「では辞めなくてもいいじやあないですか」
「でも辞めたいんです」
「何故ですか」
「どうしても理由をいわなければなりませんか」
「勿論。理由なしに退職届けを受理するわけにはいかないよ」
「まだ決めたわけではありませんが、多分結婚することになると思います」
「付き合ってている人がいるということですか」
「ええ」
「それはよかった。相手はどんな人なの。会社の人なの」
「色々ありましてまだ申仕上げる段階ではありません。私自身の気持ちとしてはその人 結婚したいと心に決めているのですが、障害が沢山ありまして今月一杯で結論を出した と考えている所なのです」
「それなら敢えて相手の名前は聞きませんが、どんな問題があるの、よかったら聞かせ 貰えないだろうか」
「まあいいじゃありませんか。はっきりしたら御報告いたしますから」
「親に反対されているということなの」
「それもあります」
「相手の人が海の向こうの人で肌の色が違うとか」
「それは違います」
「特殊な地域出身の人とか」
「それも当たっていません」
「それでは年齢が極端に離れているとか、或いは姉さん女房とか」
「・・・・・・・・・・・」
「図星のようだね。それで何才くらい違うの」
「かなり離れています」
「一回りも違うのかな」
「そんなに離れていません」
「それでは何才なのよ」
「8才です」
「相手が年下ということですね」
「ええ。恥ずかしいわ」
「何も恥ずかしがることはないでしょう。最近のはやりだからいいじやあないですか。 花だって8才年上の姉さん女房だったでしょう」
「・・・・・・・・・・・」
「それはそうとして、あなたのように美人で聡明な人が何も年下の人と結婚しなくても い人は沢山いると思いますがね」
「端の人はやはりそう思うのでしょうね。それでは、これで」
「待ちなさい。結婚するかしないかの結論は何時だすの」
「年内には決めたいと思っています」
「先方の両親はこの縁談には賛成しているの」
「ええ。そちらは大丈夫です」
「問題はローラーさんの両親の反対が障害になっているということなの」
「そうです」
「御両親がこの結婚に反対される理由は多分経済的なことだろうと思いますよ。ローラ ーさんは今28才でしょ。すると彼氏は20才だ。その年齢だと、日本の年功賃金制度のも では給料が安くてやっていけないのではないかな。有名芸能人か有名なスポーツ選手で ければまず経済的にやっていけないと思う。人の親なら誰だってそう考えるよ」
「そうなんですよ」
「御両親がどうしても許して下さらないときはどうするつもりですか」
「その時は駆け落ちする覚悟です」
「決意は固いのだね」
「はい」
「あなたのような美人で聡明な人が、何故8歳も年下の男性と結婚しようなどと考える かよくわからないね。丁度恰好の適齢者が沢山いる筈なのに」
「たしかに、好意を寄せて下さる方は沢山いますわ。でも私の気持ちが燃え上がらない です」
「贅沢をいって」
「今回は、気持ちが燃え上がったというわけですか」
「そうなんです」
「何故ですか」
「とても目の美しい人なんです」
「目が美しい?」
「そうなんです。輝いているのです」と蝋羅が真剣な顔付きで言った。
 加賀美は「輝いているんですか」とおうむ返しに声をだしたが、頭を一発殴られた思  であった。

 加賀美は何時から自分の目は輝かなくなったのだろうかと考えた。加賀美が大学を卒 したのは日本の高度成長がその緒についた頃であった。加賀美には学生時代に付き合っ ている淑子という女性がいた。加賀美が理想主義的な人生観を語るとうっとりした表情 慎ましやかに聞いて呉れるのが淑子であった。淑子は土地の資産家の娘で三人姉妹の末 子であったが父を早く亡くし、賢い母の手一つで育てられ、田舎の小中学校は加賀美と じ町立の学校に通ったが、高校、大学はミッションスクールヘ進学した。

 加賀美は勉強が良く出来て小中学時代は開校以来の秀才だと言われていたが、両親が 地からの引き上げ者であったため、飢餓の辛さをよく知り尽くしていた。苦学しながら 立の有名進学校を経て国立の一流大学ヘ入学した頃、加賀美と淑子の交際は始まった。 賀美は弁護士になってゆくゆくは政治家になろうという志を持っていた。この志を淑子 よく語って聞かせていた。

 淑子は加賀美の言葉を信じて、あなたの目が輝いている限り、志が実現するまでどん ことがあっても付いていくわと言った。加賀美の志は簡単に砕けた。アルバイトをしな ら苦学を続けて、志を実現するよりも友人達のように学生生活をエンジョイしながら大 を卒業し、一流会社に就職して世間並の小市民的な生活をしたいとの誘惑が心に芽生え じめた頃、淑子との交際は終わっていた。

 志を捨てた加賀美に淑子が魅力を感じなくなったからである。加賀美は見合いをして 産家の娘と結婚し平凡なサラリーマンの道を選んで今日に至った。淑子は医者に嫁いで 人の子を設げたが夫に若くして先立たれ、学習塾を経営しながら二人の子供を育てあげ の責任を果たした。あのとき淑子の言った「目が輝いている」男として、弁護士になっ いたらもっと違った人生になっていただろうと思ったのである。

回想から現実の我にかえった加賀美は、年長者の貫祿を示さなければと平静さを装って 言った。
「私も二人の娘の親だ。幸い二人とも最近、世間並みな結婚をしてくれてほっとしてい ところだからローラさんの両親の心配はよく理解できるよ。やはり相手が年下だったら いに反対したと思うよ。外国人であっても多分反対するだろうな」
「普通の親ならそうでしょうね」
「そりやそうだよ。親が誰よりも娘のことは心配しているのが健全な家庭のあり方だと うよ」

「世間の常識に従って、年齢差も三才位年上の平均的な男性と結婚して子供を二人位生 で、教育ママをやり、郊外に戸建てのマイホームを持ち、あくせく住宅ローンを返済す ために家計をやりくりして夫の定年退職を迎える。あとは夫婦で海外旅行を何回か楽し で孫達に土産物を買って帰る。そんな中で生を終える。これが平均的な日本人の現代の 福というものでしょう」と世の中が分かりきっているような口ぶりである。
「ローラさんの幸福観とはどんなものですか」
「よく分かりませんわ。でも目が輝いて何かに向かって進んでいるという状態。心の満 とでもいったことではないかしら」
「心の充実という面に着目した点は最近の若い人には珍しく、敬意を表します。だが、 方の御両親の心配されるように幸福は精神だけではない。物質も伴うものですよ。そこ 老婆心ながら。幸福の条件というものについて話してあげたい。・・童話でも小説でも 王子様と王女様や若い男女が困難を克服して結ばれ、幸福な生活を送りましたというハ ピーエンド物語が多いのですが幸福の内容は書いていないことが多いでしょ。そこで幸 とはなにか、その内容を考えてみる必要があると思いますが、どうでしょう」

「そうですね。ぜひ聞かせで下さい」
「幸福の四条件ということを言った人があるんですよ。幸福の四辺形とも呼ばれていま す。その第一は、本人の健康です。男女とも精神的にも肉体的にも健康であること。第 に、経済的な基盤があること。つまり多くはいらないが文化的で健康な生活ができるだ の収入が確保されること。
第三に、二人を取り巻く人間関係が良好であること。感情的な蟠りがなく、親戚や兄弟 中に犯罪者や精神異常者がいないこと。第四に、自己実現ができること。自分でやって ることや生活していることに生き甲斐ややり甲斐を感じられること。この条件のどれ一 が欠けても幸福とはいえないと思います。こういう観点からローラさんの縁談を考えた き両親は第二の条件つまり経済的基盤のことを一番心配されて反対しておられるのだと う。その点をもう一度良く考えて結論を出した方がいいと思いますよ。何といっても親 子供のことを一番考えていてくれるのだからね」
「ありがとうございます。非常に良いお話を聞かせて戴きました。よく考えて見ます」


「昴さん。幸福の四条件て知つていますか」とローラは昴に云った。
「何ですか,出し抜けに」
「実は、今日会社に退職の意思表示をしてきたの。そうしたら部長が、幸福の四条件の 話をしてくだきったの」・
「それでは、本気で僕との結婚を考えてくれているんだね」
「そうよ。真剣よ。だから私の質問に答えて」
「志、健康、金、あとはなんだろう。セックスがうまくいくことかな」
「そうね。結婚生活ではそれは欠かせないわね」
「セツクスがうまくいかなくて、浮気をしたり離婚したりというケースが結構あるんじ ないだろうか」
「子供が出来なくて夫婦仲がうまくいかない、などということも聞いたことがあります よ」
「つまるところ、セックスがうまくいかないということでしょうね」
「僕達の場合、その心配はなさそうだね。君は十分満足しているようだし。よがり声は 高だものね」と昴が言うと
「まあ昴タラッ」とローラは昴を打つ真似をした。

「志、金、健康この三つはいいわね、セックスは家族愛に含まれると思うわ。もっと大 く把えて、その人を取り巻く人間関係ということよ。この四つの中で一番大切なものは だと思いますか」
「僕は志だと思う。将来に対する希望とでも言ったほうがよいのかな」
「部長に言わせれば自己実現ということですよ」
「私に言わせれば志ということだと思うよ」
「私達にいま一番欠けているのはお金ね」
「志さえあればお金はついて来るさ。健康で志があれば今お金のないことは問題にはな ない」
「私達の場合、私達を取り巻く人間関係が一つの阻害要件になっているわね」
「心配しているんだよ。ローラさんの両親は、ほんとに僕達の結婚を許してくれるだろ か。そのことだけが問題だと思う。いよいよとなれば、駆け落ちするだけの覚悟はして るんだけど、できれぼ祝福されて結婚したいからね」
「大体、目処はついているのよ。昴の気持ちが固くて心変わりしない限り、説得してみ るわ」
「その点なら、大丈夫だよ。ローラさんは僕の誇りであり、宝なんだから。志さえ堅持 ていれぼ、お金の問題や年齢差の問題なんか克服していけるよ。僕の心はローラさん以 にはないんだから」

「昴の志を聞かせて欲しいわ」
「僕の志は3年内に独立して、工事を請負えるようになり、5年後には会社を設立し15 後には市会議員になり、20年後には国会議員になることだ。今二十歳だから25歳で社長 35歳で市会議員、40才で国会議員、50歳で大臣になるということだ」
「素晴らしいわ。目が輝いているわ。それだけのことが言える若い人が最近いないのが しいわ。私が昴に注目したのは貴方の目が輝いていたからよ。そして仕事に夢中になっ いる姿よ。人の嫌がる残業や休日出勤を買ってでるのは何時も昴なので最初はこの人守 奴かなと思ったわ。だけどそれにしては目の輝きが違うのね。それが私の気持ちを動か たんだわ」

「ローラさんが私をそんなふうに思って呉れるのは有り雛いが、私には財産はなにもな ですよ。父親は私が小さいときに蒸発したし、残された母親は兄貴と私と妹を育てる為 、託児所に預けて、キヤバレー勤めをしたんです。とても貧しく人様に誇れるものは何 ないんですよ。あるのは健康と志とやる気だけ」
「私だって今までに幾つか縁談もありましたし、恋愛もして結婚しようと思った人もい すわよ。でも具体的に話が進んでくると逃げ腰になる男ばかりで、実りませんでした」 「何故ですか」
「私の理想が高かったから」
「ローラさんの理想とは」
「志の高い男であることよ」
「私は志が高いことになるのですか」
「現代の男はなんですか。皆、小市民的な発想しかできないのかしらね。マイホームを って、遅れず、休まず、働かずで適当に会社生活をすごせばいいと考えている人達ばか ですわ。管理社会だから実力の振るいようがないなどと言って適当にやっているのです ら。いじましいたらありやしない」
「志の高いことでは誰にも引げをとらないつもりです」
「自分は志が高いと口では言えるわ、でもそれを保持し実現することは難しいことよ。 志の高きが本物か偽物かを見分げる物差しがあるわ」
「その物差しとは何ですか」
「コンプレックスよ」
「コンプレヅクスだって」
「そうよ、しかも劣等感のほうがバネになるのよ。優越感のほうは往々にしてその人を 目にするわ。優越感に安住して自分を高める努力をしなくなるからよ」
「ローラのコンプレックスは何」

「八才も年下の男性と結婚すること、この劣等感がきっと人間関係を円滑にしていくバ になると思っているの、親戚や友人達はいろんなことを言うでしょう。でもそれは社会 既成観念に囚われた俗人の言葉よ」
「ローラ、僕は幸せだ、志を高くもって必ず実現するからね。志が挫けそうになったら 励して欲しい」



「部長、この前の御報告をしたいので少しばかり、お時間を頂けないでしょうか」と帰 り支度を済ませたローラが、加賀美の机の側ヘ来て言った。
「うまく進んだかね、今日は大した仕事もないからお茶でも飲みに行こうか」
 会社の近くにあるルノアールという喫茶店でコーヒーを注文すると、加賀美は単刀直 に切り込んだ。
「結婚することに話は纏まったの」
「はい。お陰様でなんとか纏まりました」
「相手は誰ですか。まさか社内の人間ではないでしょうね」
「ところがそうなんです、会社の工事課にいる珠洲河昴さんです」
「えっ、入社二年目の彼が」
「よく、社内の噂にもならずに巧くやったね」
「苦労しました」
「御両親は了解されましたか」
「はい。苦労しましたが、やっと納得してくれました」
「一番反対された点は何処でした。年齢ですか、それとも経済基盤」
「両方です。特に経済基盤のことを言われました。でもこれは子供ができるまで共稼ぎ れば克服できることですし、親と同居することにしましたので家賃もかかりませんし」 「それは良かった。だけど子供が生まれたら、幼稚園だ、学校だで費用は掛かるし働く とも難しくなると思うがね」
「それは、覚悟のうえです。母が孫の面倒は見てあげると言ってくれていますし」

「でも、どうしても分からないのは、あなたのように美人で聡明な女性が何故年下の男 と結婚するかということです。いくら流行りとは言え8才も年下とは」
「今だから言いますが私には人間のタブーを破った血が流れているのです」この言葉を にした時のローラの顔は青ざめていたが、目の輝きは何かを思い詰めたもののみが持つ 無を言わせぬ険しいものであった。
 
 ローラの語るところによれば、ローラの父は理髪業をしているが、何故か生まれ故郷 ことを話したがらなかった。九州の片田舎で生まれ、九州の地で理髪業の修行をした後 京し、現在地で理髪屋を開業すると同時に現在の母と結婚しローラを養子に貰ったと教 られていた。

 短期大学を本業して就職し最初に配置された課の独身男性と交際が始まり結婚を決意 たとき、出生の秘密を知ることとなった。その秘密とは九州の田舎で理髪業を営んでい 祖父には、男二人と女一人の子供がありローラの父は長男であった。父の弟と妹は小さ 頃から仲が良く妹は大きくなったら小兄ちやんのお嫁さんになるんだと言っていたとい ことである。子供達が思春期を迎えた頃、父の弟と妹が人の道を踏み外し妹が妊娠して まったのである。この嬰児を長男である父が養子にして育てたのがローラであるという である。なんともおぞましい話であるが、これでローラのような美人で聡明な女性が何 八才も年下の男性と敢えて結婚するかの謎がとけたと加賀美は思った。それにしても、 人の所為ではないがこれだけの宿命を背負った女性を包容して、敢えて結婚に踏み切っ 珠洲河昴の若いが故の無鉄砲な勇気とひたむきな愛情に一種の羨ましさを感じるのであ た。

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コンパスのような女性 

  「あなた、もういい加減に若い娘さんのところへ年賀状を出すのは止めて下さいよ。先方だって男の名前で年賀状がくるのは、迷惑なんですから」と妻の田鶴子が横から口を出した。
 中村 肇はせっせと年賀状の宛て名を書いている。朝から一心に書いているのだが、なかなか終わらない。几帳面な性格の肇は、自分に送られてきた手紙は全部住所を切り抜いて、名刺帳に整理してあるので、夏、冬二回は決まって三日間ほどかけて、年賀状と暑中見舞いを書くのが習わしになっている。肇は年賀状を印刷屋に頼んだことがない。儀礼的に出す賀状であるとはいえ、通り一片の文句を活字で印刷して出すことには抵抗がある。受け取る相手に心が籠もっていると感じて貰える賀状を出したいと心掛けているのである。そのため、肇は毎年趣向を凝らせた版画か水彩画を自分で一枚宛描くことにしている。余白には必ず一筆近況を書き添えなければ気が済まない律儀な性格である。
 肇の賀状はいつも評判が良かった。正月三日頃に配達されてくる肇宛の賀状には、綺麗な賀状をありがとうとか美しい賀状を拝受したとか、心の籠もった賀状に接し恐縮したという文句が書き添えられているものが多かった。 

 肇の傍らで書き上がった賀状に郵便番号を書き入れる作業を手伝っていた田鶴子が一枚の葉書を取り上げた。
「あなた、桜井香織さんという方から毎年賀状がきているようですが、どういう方ですの」
「幼な友達でね。コンパスのようなものさ」
「なんですかコンパスというのは」
「船に羅針盤というのがあるだろう。あれのことさ」
「どういう意味ですの」
「僕の人生を導いて呉れた人」
「まあ、憎らしい。その方と何かあったんですか」
「ハッハッハッ。冗談さ。コンパスという綽名がついていた」
「なあんだそうなの。それにしても上手な字を書く人ね」
「うん、書道は巧かったね。確か師範の免許をとった筈だよ」
「まだ結婚はなさらないのかしら」
「いや、結婚しているんだよ」
「あらそうなの。ご主人の名前を書いていらっしゃらないから、独身の方かと思っていましたわ。ご主人がおありになるなら、なおさらのこと、あなたが賀状をお出しになるのはおかしいわ。先方のご主人だって、男から妻宛の賀状が届いたりするといい気持ちはしないと思うわよ」
「わかった。わかった。今年から出すのは止めにするよ」

 肇は妻から詮索されるのがうるさくなったので、大きな声で答えておいてその日の賀状書きを終えることにした。なまじ、妻に詮索されたら、肇がコンパスのようなものさと言った意味を千言万語費やしても的確に説明することは出来ないだろう。田鶴子は肇が机の上を片付けだしたので、それ以上詮索するのは止めて台所へ立って行った。

 桜井香織は旧姓青山香織といい、肇と同じ町内の出身で、年も肇と同年である。肇が終戦後、満州から引き上げてきて住みついたのは、瀬戸内地方の畳表の産地として有名なH町であった。

 肇は小学2年生で、下に二人の妹がいた。満州で薬品会社の試験室に分析技師として勤務していた父は、応召し内地の通信学校勤務のまま、終戦を迎え、家族より一足先に、住み慣れた故郷のH町へ復員していた。そのため、肇の母は戦後ベストセラーになった藤原てい著「流れる星は生きていた」にでてくる主人公と同じような苦労をして肇と二人の妹を女手一つで引き連れてH町の親元へ引き上げてきたのである。
 肇がH町の小学校へ転校したとき、同学年にいたオチャッピィーな女の子が青山香織である。青山家はH町でも由緒ある家柄の旧家で、香織の母は見識高い美貌の未亡人であった。青山夫人は後妻であり、先妻の長男と自分の腹を痛めた三人の女の子を育てていた。香織は末っ子であった。なさぬ仲の長男は既に東京へ遊学しており、H町にはミッションスクールに通っている長女と小学5年の次女と末っ子の香織が親元から通学していた。

 青山夫人は亡夫が残した遺産と実家からの援助で豊かな生活をしているというのが世間の風評であった。青山夫人はなかなかの社交家で、婦人会の会長を勤めたり、学校のPTAの役員をしたりしていたが、なさぬ仲の長男を継子扱いして東京の学校へ追い出してしまったとか、女だてらにPTAの役員に名を連ねては、見識ぶった発言をするとか、娘達を中学からミッションスクールへ通わせて、見栄をはっているなどと噂されていた。それらの噂は戦後、物資の不足している時代に亡夫の遺産と実家からの援助でぬくぬくした生活をしていることへの羨望と若後家を通しながらも女手一つで旧家の体面を保っていこうとするひたむきな姿勢に対するやっかみが入り交じったものであった。

 財産を満州へ置き去りにしたまま裸一貫で引き上げてきて、一から新しい生活を始めた肇の両親も青山未亡人には羨望の念を持っており、世間の噂に同調しているようなところがあった。肇が転校してきたのは二年生の時である。世間の噂や近所の陰口が耳に入っていたので、肇は青山家の人達は特殊な世界に住む別種の人種のように考えていた。

 肇が小学三年になった夏休みに、瀬戸内海の小島で臨海学校が催されることになって、肇も初めて親元を離れ、三泊四日の臨海学校へ参加した。一学年百二十人ほどの生徒のうち、臨海学校へ参加した学童は30人程で比較的生活にゆとりのある家庭の子供に限られた。肇が香織の存在を意識したのはこの臨海学校でのことであった。

 臨海学校へ参加した30人の学童のうち、男子はサポーターと称する三角褌または六尺褌をつけており、海水パンツなどという贅沢な水着をつけている男子学童はひとりもいなかった。女子学童にしても水着を着ている者は2~3人で大半の女子はシュミーズのままで海に入った。水着を着ている2~3人の女子の中に青山香織がいた。
 香織は黄色の水玉模様の海水帽を被っており、シュミーズや三角褌をつけた学童の中では、目立つ存在であった。そして泳ぎのできる者は男女取り混ぜて10人程しかおらず、女子で泳ぎの出来たものは香織だけであった。肇は腕白小僧達に鍛えられているので泳ぎは得意であった。
 泳ぎの出来る10人程の学童は沖の飛び込み台まで泳いでいってはキャッキャッと騒ぎながら、水をかけあったりしてふざけていた。

 波打ち際から50メートル程の沖合にある飛び込み台の所では水深3mほどあり、そこから沖へ出ることは禁止されていた。学童達は丸太で作られている飛び込み台の一番低いところから飛び込みをして、潜水競争をしたり、競泳をしたりした。男子の中に混じって飛び込み台まで泳いで来て、低い所から飛び込みをする黄色い帽子の香織は水の女王のように振る舞った。
「誰か一番高い所から飛び込める人いるかしら」と香織が言った。飛び込み台の一番高い所は2m50cm近くもあるので、流石に腕白連中もしり込みした。
「おい。お前やってみろよ」
「随分高いもんなぁ」
 皆が尻込みするのを見て、肇は胸が激しく高鳴るのを感じた。ここはひとつ自分がいいところを見せたいと思った。肇は2m50cmもある高い所から飛び込んだ経験はなかったが、今ここで飛び込んで見せれば、香織の気持ちを引きつけることができるだろうと思った。肇は武者振るいすると、一番高い所へ登っていった。下を見ると柱につかまって香織が見上げている。黄色の水着と水玉模様の帽子が早く飛び込んでご覧なさいと囁きかけている。肇は使命感のようなものを感じると目を瞑って、飛び込んだ。耳がジーンと痛く水が鼻孔を激しく刺激した。随分長い時間水に潜っているような気持ちがした。ぽかり、水面に顔を出すと
「凄いわ。中村さん」と香織が感嘆の声を発した。肇は香織のその言葉を聞いてポット体が熱くなった。香織が命令するならもっと高い所からでも飛び込むことができると思った。憧憬の対象に一歩近づいたと思った。香織との間に絆が出来たと思った。

 臨海学校の最終日に、高波に浚われて、他校からきていた3年生の女の子が溺死するという事件が起きた。夕闇迫る頃、柩に入れられた遺体が宿舎から運び出されるのを遠巻きに眺めた肇は、飛び込みの時香織との間にできた絆がこの見知らぬ少女の死によって断ち切られたのではないかという不安な気持ちになった。

 肇は香織と同学年であったが、小学校を卒業するまで、同じ級になったことがない。香織は二人の姉がそうであったように、小学校を卒業すると、ミッションスクールへ進学したので、H町の新制中学へ進学した肇とは没交渉になってしまった。

 再び肇が香織と交渉を持つようになったのは、大学1年の夏休みのことである。激しい受験勉強から開放され、目的の国立大学に入学した肇は親元を離れて古都での学生生活にも漸く慣れ、祇園祭り、大文字焼きを土産話しにして初めて帰省した。肇が帰省するのを待ちかねるようにして、小学校時代の同窓会が開かれた。中学時代ではなく小学時代の同窓会であるところに意味があった。

 同窓会の幹事役を買ってでたのは桑野である。桑野は頭の良い男であったが、家庭の経済状態が許さず夜間高校へ通って、苦学力行しミシンのセールスにかけては特異な能力を発揮した。Rミシンでは3年間続けたトップセールスマンの実績を看板にして独立を試み、商事会社を設立して意気大いに上がっているときであった。桑野は自分の隆盛を同級生に誇示したいという気持ちがあった。また、とみに美人の誉れ高かった青山香織に近づきたいという魂胆もあった。そこで桑野は小学校時代の同窓会という奇抜なことを思いついたのである。H町にはH小学校とH中学校しかなかったから、H中学は小学校の延長であり、仮に同窓会を開くとすれば、H中学の同窓会を開くのが常識であった。ただ、中学時代の同窓会を開くことになると中学校からはO市のミッションスクールへ通学した青山香織が漏れてしまう。一計を案じた桑野は小学校時代の同窓会を開くという大義名分をたてておいて通知をだしたのである。

 中学卒業以来5年程経っていたので、久し振りに見る顔は皆立派な大人であった。当日30人程の同窓生が集まり、旧交を温めた。女子の中には既に結婚して母親になっている者もいた。

 餓鬼大将だった清山が学校菜園の西瓜畑に忍び込んで、西瓜に麦藁を突き刺し中の汁を吸ってしまったのを先生に見つかり、一日中廊下に立たされた話しとか、おませの栗坂京子が粗相して小便京子という異名をとった話しなど思い出話しに花が咲いた。

 餓鬼大将の清山が銀行マンになっており、物腰が柔らかく話し上手になっているのは驚きであったし、小便京子が化粧品会社のマネキンガールになって見違える程美しくなっているのも肇には新しい発見であった。幹事の桑野は「社長」「社長」と呼ばれ得意になってセールスの秘訣なるものを披露していた。

 青山香織は皆が楽しく談笑しているのをにこにこしながら聞いていた。桑野は誰彼となく如才なく話しかけていたが、栗坂京子と青山香織には特に親切に振る舞っていた。いつとはなしに、話題は恋愛論、結婚観、女性観、男性観へと転じていった。若い年頃の男女の集まりとしては当然のなりゆきであった。

 肇も桑野に促されて、恋愛論を喋らされるはめになってしまった。
 肇は小学校3年の時、臨海学校へ行って、飛び込み台の高い所から飛び込んだ話しをした。そして、あのとき未経験にもかかわらず、自分を一番高い所から飛び込ませる原動力となったものが、初恋の感情であり、純粋な恋愛感情というのは、そのようなものではないかと思うと述べ、この純粋な気持ちを大切にしたいと結んだ。肇は喋りながら、香織の方を注意していたが、香織は頷きながら、肇の話しを熱心に聞いていた。水玉模様の帽子を被り、黄色の水着を来ていた女の子が香織のことであると気づいている筈なのに、その表情からはよく読み取れなかった。しかし肇は香織の視線に眩しいものを感じていた。

 同窓会の翌日、桑野が香織の自宅を訪問しようと誘いにきた。青山香織の母は年頃の娘三人を抱えているので、若い男が遊びにきてくれるのを歓迎していた。娘三人とも中学校から女子ばかりのミッションスクールに進学させたので、親の目の届くところで男性と交際させるのを望んでいる。香織の姉二人の男友達もよく香織の家へ遊びに行っている。昨日同窓会で桑野が遊びにいってもいいかと尋ねたら是非来てほしい。母も歓迎する筈だと言った。自分独りで行くのも変な気がするので、肇も一緒についてきて欲しい。同級生の中で時間に余裕のあるのは学生の肇くらいしかいないので君を誘ったのだと言うのである。
 肇は桑野に誘われて香織の家へ付いて行った。
 H町の城跡のある山の中腹に、生け垣に囲まれた古風な造りの家が青山香織の家であった。桑野が案内を乞うと香織が出てきて、訪問客が肇と桑野であると知って笑顔を作り
「あら、珍しい方がいらっしゃったわ。さあどうぞ。どうぞ、お上がり下さい。お母様、桑野さんと中村さんがいらっしゃったわよ」と奥へ声をかけるとその声に香織の母親も奥から出てきて遠慮しないで上がってくれという。 桑野と肇が奥へ通されると、堀り炬燵の布団を取り払って机代わりに使っているらしい炬燵台の上には、今しがたまで母娘が談笑していたとみえ、いちごが皿に入れて置かれていた。
「よくいらっしゃいました。桑野さんも中村さんもお元気でしたか。二人の姉が嫁いでしまいましたので、香織と二人で寂しく暮らしていますのよ。色々、楽しいお話を聞かせて下さい。若い男の方のお話は頼もしくていいですね」と少し上がり気味の桑野と肇の様子を見て、香織の母は言葉巧みに話しかけてくる。やがて香織が台所からお茶を入れて持って来た。
「中村さんも桑野さんもH町に帰って来られたら、これからも是非、遊びにいらっしゃって下さい。香織の二人の姉達のお友達も皆さんよく遊びにいらっしゃって下さいましたわ。皆さんそれぞれ立派な社会人になられて。皆さんが成長なさるのを拝見しているのはとても楽しいことですのよ」
 香織の母は自分の息子達が親許へ帰ってきたような喜びようである。

 このようにして、肇は大学生の4年間、帰省すると必ず香織の家へ遊びにいくようになった。肇の学校生活の模様とか、香織の学生生活が話題になった。ある日話題が肇の将来の職業に及んだ時、肇は司法官を目指して勉強していることを披露した。肇には国家試験に合格する自信はなかったが、香織のために頑張るつもりであった。
「司法試験に合格したら、香織さんにプロポーズしようと思っています」と肇が意中を漏らすと香織は顔を朱に染めたが、             
「私は司法官は堅苦しくて嫌よ。お医者さんか、大蔵省とか通産省の公務員の方が好きだわ」と言った。
 肇は戸惑った。医者になることは法学部の学生にとって無理な注文であった。だが,大蔵省か通産省の役人になることはできる。この時以来、肇は司法官試験の勉強から上級国家公務員試験へと勉強方法を変えた。結果的にはこのことは功を奏した。

 4年生になって国家公務員試験に合格し、通産省入りが内定した肇は、卒業前の短い休暇を利用して帰省し、香織の自宅を勇み立って訪問した。香織と母は何時ものように肇を迎えてくれたが
「中村さん、良かったわね、通産省に入省がお決まりになって。おめでとうございます。お蔭さまで香織も、この度K大学の医学部でインターンをしている方と婚約が調いましたのよ。中村さんや桑野さんのような良いお友達と交際させて頂いたお蔭ですわ。これからも、帰省されたときには元気なお姿を拝見させて下さい」と香織の母が言った。

 香織の母の説明によれば、未亡人として女手一つで三人の娘を育て挙げ、それぞれに嫁がせることができた。女手で娘を育てるのだから、どうしても父親のようにはいかない。そこで、信頼出来る男友達を自宅へ招いて、親の目の届くところで交際させ娘に男を見る目を養わせたいと思って、肇や桑野と交際させた。肇や桑野が香織に好意以上のものを寄せていることは判ってていた。特に肇が国家試験に合格したらプロポーズしてくるだろうということも予想していた。香織が肇に好意を寄せていることも承知していた。しかし問題は肇が長男で、年老いた両親を扶養していく立場にあることだった。そして、香織の母にも最後の娘を嫁がてしまうと、老後の生活をどうするかという問題があった。そこで次男坊の医学生と結婚させるのが一番いいと思っていた。幸い良縁があったので婚約したということであった。

 肇は香織の母の説明を聞いて落胆した。目の前が真っ暗になる思いであった。春秋に富む時代に人生の方向を定める羅針盤の役割を果たした女性は手の届かない所へ去っていこうとしていた。その時、小学校3年生の夏、臨海学校で溺死した少女の柩桶を見たときの光景が瞼に浮かびやはり絆は切れたと思った。

 肇は大学を卒業して入省してから間もなく田鶴子と見合い結婚した。香織からは時節の挨拶が毎年送られてきた。肇も儀礼的に年賀状や暑中見舞いを出していたが、田鶴子に指摘されてからは出さなくなった。

 消息が判らなくなって4~5年経ったある日、香織から夫が心臓病で急死したという便りが届いた。数えてみると香織は35歳で、香織の母が未亡人となった年齢と奇しくも同じ年齢であった。

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泰西名画展                                      


 昨日までぐずついていた空も、今日は朝からカラット晴れ上がり、先祖の墓参りをするには絶好の行楽日和である。
 秋分の日の一日、吉川は父の墓前に額づき、父が急逝した日のことを思い出していた。それは7年前、丁度今日のような行楽日和の日曜日の一日を、家族揃って、上野の博物館へエルミタージュ美術館所蔵のルーベンスの名作「ダナエ」展を鑑賞に行った日の出来事であった。名作を堪能し、満ち足りた気分で家路につき、玄関を入ったところで電話のベルが鳴っていた。電話は大阪のある薬品会社の工場長として勤務していた父が心筋梗塞で倒れ、救急車で病院へ運ばれる途中絶命したと涙声で告げる母からの悲報であった。
                                 
 墓参りを済ませてから、東京へ岡 鹿之助展とミレー展を見に行こうとと子供達を誘ったが高校2年と中学1年の娘達は、中間考査中であるということを理由に吉川の提案をいともあっさり断った。妻は妻で、日曜祭日には会場が混雑してゆっくり見られないから、平日に主婦仲間と一緒に行くつもりであるという。

 家族と別れた吉川は、中年の寂しさとわびしさを胸に秘めて、ブリジストン美術館に身を置き、岡 鹿之助の詩情溢れる色彩美の世界に没入していった。芸術の秋とあって会場には人があふれ丹念にノートにメモをとる人、足早に通り抜ける人、連れに解説しながらゆっくり歩いていく人等いつもながらの展覧会の光景である。 
 ところが、さっきから吉川の隣にいる中年の女性はどうも気になる存在である。黒いスーツを着た小柄なその女性は、眼鏡をかけておりお世辞にも美人とは言えない容貌でどこか陰鬱な雰囲気をたたえている。
 彼女はどういうわけか、吉川が移動すると同じように移動し、吉川と並んで常に同じ絵を見ているのである。
 最初は別に気にもしていなかったが、吉川に寄り添うようについてこられると意識せざるを得ない。

 彼女から離れようと思いわざと足早に次の絵へ移ると、彼女も陰のように移動するし、ゆっくり時間をかけて、やりすごそうとしても吉川が動くまで動こうとしない。彼女の視線は絵に向けられており、吉川のことなんか全然意識していないというような顔をしている。変な人だなと思いながら、絵を見終わって会場から表通りへ出ると彼女も続いて往来へ出てきた。往来の雑踏の中でやっと彼女の姿が見えなくなったので、死に神から解放されたような気分で今度はミレー展の会場へ向かって足を運んだ。

 高島屋で各階の売り場を覗きながら八階のミレー展会場へ辿りつくと押すな押すなの人混みで、熱気と人いきれでムンムンしている。やっとの思いで入場券を手にして会場へ入ってみると、群衆の肩越しにしか、絵を見ることができない程の混みようである。
 田園風景を背景に配し、働く農夫達を描きだしたミレーの絵は叙情豊かであり、雑踏を忘れて画面の中に没入させてくれる。

 出口近くに羊飼いの少女と題する千八百七十年作の絵が掲げられている。 この絵の下にはバビロンの幽囚というもう一枚の絵が隠されておりx線撮影の結果、そのことが発見されたらしい。

 羊飼いの少女の絵の傍らにはx線で撮影したバビロンの幽囚の写真が展示されている。一度描きあげた絵だが、ミレーの意に沿わない出来ばえであったため、塗り潰されて羊飼いの少女の絵に生まれ変わったものであろう。
 バビロンの幽囚は構図だけは判るが、その色調までは判らない。どのような色の絵だったのだろうかと想像を巡らせてみる。

 このようにx線撮影の結果、下絵に異なったもう一枚の絵が隠されていた例は、7年前のダナエ展の時もそうであったことをふと思い出した。

 下に塗り潰されて日の目をみなかったもう一人のダナエの恨みが、あの日父の魂を呼び寄せたのではないかと当時、何の脈絡もなくふと思ったものである。

 遠くネブカドサネザル二世に捕らえられ、異国の地へ幽囚の身となったユダヤ人達の怨念は陽光を見ることなく、また数百年絵の下に隠されたのであろうか。そんな思いに耽りながら、ミレーの絵の鑑賞を終え、出口の方へ歩を進めたとき、吉川の目に止まったのは、あの黒衣の女であった。何時の間に忍びよったのか吉川の隣で熱心にx線写真で撮影されたバビロンの幽囚を見ているのである。

 吉川は背筋に寒けを感じて、早々に会場を飛び出して雑踏へ逃れ、家路を急いだ。

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 ベチャの面

 川の中に生える真菰の芽が枯れた茎の中から、新しい芽をのぞかせる頃になると、清一は田圃から粘土を採ってきて、ベチャの面作りを始める。ベチャというのは岡山県南部で藺草を栽培している地域の氏神様の秋祭りに、村中を闊歩する鬼のことである。
 清一は春の陽射しを浴びながら、濡れ縁に腰を下ろして、天理教の集会場を建設中の工事現場から拾ってきた40センチ角ほどの板切れの上に、粘土を置いて一心不乱にベチャの面型を作っている。竹のへらで目、鼻、口、牙眉を彫り込んでいく。傍らに置いた粘土を千切って団子にし、くっつけてみたり、外してみたりしては、出来るだけ恐ろしい形相のベチャに作らなければならないのだ。

 ベチャの面の良し悪しは、目、鼻、口がうまく作れるかどうかで決まってしまうので、この面型作りは大切な作業なのである。
 この地方では、小学校4~5年位の年頃になると、男の子達はベチャの面作りに取りかかるのである。秋祭りがくるまで、自分がどのような面を作っているかは、親友にも内緒にしておくのが、子供の世界のしきたりとなっていた。兄のいる者は兄から兄のいない者は父からその作り方を教わり、友人から教わることは決してしなかった。

 粘土で満足のいく形相の面型が出来上がると、これを適当な水分が残るまで、陰干ししてから、石鹸水を面型に塗りつける。次に新聞紙を細かく切って、水に浸し粘土の面型の上に貼り付けていく。新聞紙を二重、三重に貼りつけたところで作業は中断しなければならない。一日置いて、今度は書き潰した習字の半紙を持ってきて、メリケン粉で作った糊を面型に塗りつけ、その上へ半紙を貼り付けていく。半紙を四重、五重に貼り終わったところで糊が乾くのを待って芯になっている粘土を取り除く。
 清一がベチャの面を独りで作ってみようと思いついたのは、清一のクラスへ昨年の暮れに東京から転校してきた香織に,手作りの面を見せて褒めて貰いたいという気持ちが働いたからである。
                                   
 香織の父は、東京に本社を置くS紡績早島工場の工場長として、この町に昨年秋転勤してきた。藺草を栽培したり、畳表を織ったりして生計をたてている者の多い早島町には、織機を修理する鍛冶屋か、せいぜい織機を20台ほども置いて、畳表を織っている従業員10名程度の町工場しかなかったので、一部市場に上場されているS紡績の早島工場のように従業員500人を数える工場の工場長は町の名士として遇された。
 香織は都会育ちの娘らしく、動作はシャキシャキしており、色白の顔は母親に似て美形である。変化に乏しい町の学校の常で、新参者の香織の一挙手一投足は好奇の的となった。とりわけ標準語を喋る香織の言葉は悪童達の好個の材料であった。

「オッカァのことをオカァサマと呼んどるでぇ」
「先生ゴキゲンヨロシュウというのをわいは聞いたでぇ」
「こねぇだ、雨が降っとったじゃろう。せぇで,うちが傘にのせたぎょうか言うたらな、傘にノッタラ骨が折れるわよと言うんじゃぁ。うちゃぁ、もうおかしゅうて」
 清一は勉強はよく出来る方だったので、各学年とも三学期のうち少なくとも一学期間は級長になった。香織が転校してきたときは、先生のはからいで香織の席は級長の清一の隣に決められた。
 転校してきたばかりなのに香織は、清一達の知らないことをよく知っており、とても太刀打ちできない学力を持っていた。教室では良く勉強ができたが、まだ方言が喋れないので、遊び時間に悪童達から標準語を冷やかされると悲しそうな顔をした。

 香織が転校してきてから10日ほど経った日曜日に、清一達のクラスの主だった者5~6人が香織の家へ招待され、遊びに行くことになった。清一達が誘い合って、工場の近くにある社宅群の中でもとりわけ立派な構えの香織のうちの玄関で
「御免せぇ」と案内を乞うと香織がでてきて
「ようこそいらっしゃいました。さぁどうぞお入り下さい」と大人びた物腰で招じ入れようとする。声を聞きつけて香織の母も現れ
「まあまあ、皆さんようこそいらっしゃいました。香織の母でございます。香織がいつもお世話になっています。さあどうぞ、どうぞ」とにこにこしながら迎えてくれた。
 清一は何と言っていいか判らず、慌ててピョコンと頭を下げた。清一に続いて健介、剛、京子、栄もピョコリ、ピョコリと頭を下げた。
 通された応接間にはピアノが置いてあり、書棚には世界文学全集や日本文学全集、世界の思想大全集等の本がぎっしり詰まっており、清一には読めない分厚い外国語の本も並んでいる。壁には羊飼いと羊の群れを描いた大きな絵がかかっている。清一はこれとよく似た絵を先生に連れられて大原美術館に行ったとき見たことがあると思った。天井には豪華なシャンデリアが輝いており、床には茶色の絨毯が敷かれ、赤い革張りの安楽椅子が幾つか置いてある。

 健介、剛、京子、栄も落ちつかない様子でもじもじしている。何時もと勝手が違って、部屋の雰囲気に圧倒され、よそ行きの顔をして畏まっている。「さあ皆さん、どんどん召し上がって下さいね。香織は末っ子だし転校してきたばかりなので、お友達もなく寂しがっていますのよ。皆さんに仲良くして戴いて、岡山の言葉も沢山教えて下さいね」と香織の母はケーキを勧めながら、清一達の顔へ笑顔を投げかけた。香織も慣れた手つきで紅茶を配っている。香織の母の視線が剛に移ったとき、剽軽者の剛は慌てて
「岡山弁はすぐ慣れますらぁ。わいら生まれたときから岡山弁で話しょうりますがぁ」というと
「まあ、剛さんは生まれたときから、言葉を話したの。ソリャァ、ボッケェナァ」と香織の母が岡山弁を混じえて言ったので皆どっと笑った。
 香織の母の巧みなリードで清一達は畏まった気持ちもほぐれ、平気で方言が喋れるようになった。秋祭りのこと、ベチャのこと、投げし針のこと、茸狩りのこと、蜻蛉釣りや蝉捕りのこと、凧上げのこと、藺草刈りや田植えの手伝いのことなどこの地方で清一達の日常生活の一部になっている行事や遊びのことを皆かわるがわる得意になって話して聞かせた。香織は特に祭りのベチャに興味を持ったようである。この地方に伝わる桃太郎伝説とベチャの関係を清一は請われるままに、乏しい知識を振り絞って説明した。
 清一の話しに目を輝かせながら聞き入っている香織の姿を清一はとても美しいと思った。
「清一さんは何でもよく知っているのね」と香織が感心したように言ってくれたので、清一は満足した。香織のうちへ遊びにきて良かったと思った。
                                   
 清一は先刻から一心不乱に粘土を捏ねているがどうしてもうまくつくれない。時折、癇癪を起こしては九分通り出来上がった面型に竹のへらで十文字に罰点をいれて粘土を団子にしている。香織に見せて褒められるような面を作らなければと思うとなかなかうまくいかなかった。また最初からやり直して目を彫りかけていた。
「清一、毅君が投げし針を漬けにいこうと誘いにきとんさるよ」という母の声で清一は今日の面作りはやめることにした。
「きちんと後片付けをせにゃぁおえんぞな」という母のくどい小言を聞くのが嫌なので、「今片づけて行くから待っていてつかぁせぇ」と先手を打っておいて、急いで粘土を丸め、押し入れの中へ投げ込んだ。剛に入ってこられては面作りの現場を見られてしまうからだ。

 今まで,畳表を織っていたらしく、モンペをはいた母が藺草の泥で汚れた手を拭きながら毅を連れてきた。毅は既に長靴を履いて手には投げし針の糸を入れた籠をぶら下げている。
「清一ちゃん、何しょうたん。はよう、餌つけにゃあ、ええ場所全部とられてしまうがなぁ」と毅は言った。清一がベチャ作りをしていたことは気づかれずに済んだようである。
「そうじゃのう、すぐ持ってくるけぇ、ここで待っていてつかぁせぇ」と言い残して長屋へ投げし針を取りに走った。

 二人は秘密の溝から集めてきて、空き缶に入れておいた三角蛭を地べたにかがみこんでせっせと針に無言のまま取り付けた。長屋の奥からは母の織機を動かす音がカタンカタンと漸くたそがれ始めた裏庭に流れていた。

 清一は小学校四年生で農家の毅とは同級生であった。
 清一と毅が田圃の畦道を空豆の葉についている雨水でずぼんをぐしゃぐしゃに濡らしながら、六間川に来てみると既に人影が2~3人投げし針を漬けているのが目に入った。中学一年の富雄も弟の富次と一緒にきているようである。
「清一ちゃん、富雄がきているぜ、どねぇしょうのぉ。三軒地の方へ行こうかのう」と富雄の姿を目敏く認めた毅が相談した。
「そうじゃのう。あいつが一緒じゃと、盗られてしまうけぇのう」
その時富雄の方もこちらの姿を認めたらしく
「おーい清一と毅じゃねぇか。この辺はようかかるんかいのう」と声をかけてきた。こうなっては万事窮すである。
「おえりゃぁせんわぁ。昨日も百本漬けたんじゃが、かかったのは鯰とどんこだけじゃ」と毅が答えた。
「お前ら餌は何をつけとるんじゃ」
「わいらは三角蛭じゃ」
「そうか、お前ら三角蛭か。どこでとったんじゃ。わいら、三角蛭がおらんけえ雨蛙じゃが」と富雄が言ったので、清一も毅もこれは雲行きが怪しくなってきたぞと思うと案の定、富雄が癪にさわることう言いだした。
「おい、お前ら、わいらの投げしと取り替えてくれ。わいら百本もっとるけぇのう、お前らのを百本こちらへ寄越せや」

 清一と毅はお互いに顔を見合せたが、何しろ相手が悪い。富雄は中学一年生で、札付きの餓鬼大将である。大柄な上に腕力が強く,富雄の意に逆らうとどんな目にあわされるか判らない。勉強はできないくせに、悪知恵だけは発達していて、学校の先生達もその指導には手を焼いているのである。清一と毅は不承不承、折角臭い溝に入って、洋服を汚しながら集めた三角蛭を餌につけてある投げしを富雄のそれと交換した。六間川と早川は大体清一と毅の領分で、富雄達はこの近くへは姿を見せた事がなかったのに、今日は早々とやってきている。清一は鰻のよくかかる早川を富雄に占領された上に、三角蛭の餌のついた投げしまで取り上げられて、口惜しくて仕方がないのであるが、富雄の理不尽な暴力が恐ろしくて、言うことをきくより仕方がないのである。諦めた二人は、富雄から代わりに受け取った雨蛙のついた投げしを次々に川へ投げ込んで帰路についた。いつしか日はとっぷり暮れて、田圃では蛙のオーケストラが始まっていた。

 清一はベチャ面作りがうまくいかなかった上に、投げしまで良い餌を富雄に巻き上げられてしまい、面白くない一日だった。清一は家に帰りつくとうっぷんの持っていき場所がなかったので、飼い猫の三毛が清一の傍らへじゃれついてきたのを幸いとばかり思い切り蹴飛ばした。三毛はいきなり蹴飛ばされてギャォーと悲鳴をあげながら、すっ飛んで逃げた。
                                   
 清一の面作りは進んで、あとはエナメルしを塗り、面の頭に毛をつけるだけとなった。清一はさっきから、面の色を何色にしようかと考えている。赤色か、緑色のどちらかなのだが、装束のことも一緒に考えておかなければ、簡単には決められない。清一は緑色に塗って緑色のシャツを着、黒い袴をはいてみたいと思うのだが、清一の体に合いそうな緑色のシャツも黒い袴も自分の家にはなさそうである。赤なら、姉のセーターと腰巻きを借りれば、恰好だけはつきそうである。腹巻だけ母親にねだって縫って貰えばよいのだ。ここまで考えて清一は赤色に塗ることに決めた。後は頭髪につける棕櫚の皮を伯父の家へ行って貰ってくればよい。
                                   
 いよいよ秋祭りの日がやってきた。
 清一は親友の毅にも内緒で作ってきたベチャの面を被って往来を歩いているベチャの群れの中へ入っていくことを考えると胸がわくわくした。そして何よりも、ベチャ姿で香織のうちへ訪ねて行き、香織を驚かせてやろうと思うと心がはやった。

 この地方には、吉備津彦神社と吉備津神社とが山を幾つか越えた部落にあって桃太郎伝説が伝わっている。清一の住んでいる町は、岡山県南部の藺草と畳表の産地である。氏神様としては鶴崎神社というのがあって、何でも吉備津神社とはゆかりのある神社らしい。伝説によれば、吉備津彦の命が鬼退治をしたことになっており、鬼というのは瀬戸内海の塩飽諸島を根城として内海を暴れ廻っていた海賊だとの説がある。面白いことに吉備津神社と吉備津彦神社のお祭りには鬼がでない。鬼がでるのは鶴崎神社のお祭りだけである。清一の町は鶴崎神社の氏子が殆どなので、祭りといえば鬼がでるものと決まっている。鬼は通常小学校4~5年生の年頃から17~8才の青年までが、めいめいに作っておいた鬼面を被り、それぞれに意匠を凝らした装束を纏って、町を練り歩くのである。赤色または青色のシャツを着て、色付きのモンペ風のズボンをはき、足には脚絆を巻き手には手甲をする。腰には超ミニスカート風の腰巻きを巻き、腹には金時腹巻をつけている。ほう歯の高下駄を履き丹精して作った鬼面を被る。鬼面には棕櫚の毛で作った頭髪がつけてあり、背中へ長く垂れ流すのである。

 そして手には青竹を六尺くらいの長さに切った物を持ち、青竹をひきづりながら歩くのである。青竹の先は割ってあり、通行人を襲う時は青竹を地面に叩きつけて、パンパンと音を出す。このようなし青鬼、赤鬼が祭りともなれば40~50匹も出現して町中を練り歩くのである。17~18才の青年達は町の若い娘達の尻を追いかけ喜んでいるという具合である。
 清一は今年、初めて手作りの面をつけて、町へでたのであるが、近所の子供達を追いかけまわし得意になっていた。鬼面をつけて高下駄を履くと小学校4年生であっても、背丈は高くなり大人より大きくなることがある。

「ベチャよ。べちゃよ」とはやしたてて逃げて行く子供達を追っかけて、小学校前の文房具屋前までくると、餓鬼大将の富雄がするめを齧りながら、女の下駄を頭の上にかざして「香織の下駄はトウキョウセイ」と節をつけて歌っている。下駄をとられた香織が「返して頂戴」と泣きべそうかきながら富雄を追っかけている。
 清一は香織の災難を見ると富雄の恐ろしさが頭の中に閃きはしたが、それよりも香織の下駄を取り替えしてやらなければならないという考えの方が先に走った。つかつかと富雄の傍らへ近づいて襟首を掴むといきなり、頬に平手打ちを一発食らわせた。不意打ちにあってたじろいだ富雄が鼻の穴を大きく膨らませてピクピクさせている。すかさず清一が青竹を振り上げると、怯えた富雄は声も出さずに逃げ出した。

 清一はこんなに簡単に事が運ぶとは予想さえしていなかったのであっけにとられたが、富雄の逃げていく姿を見ると追っかけてみたくなった。追いかけてみると富雄は一生懸命逃げていく。相手が逃げるとますます面白くなって清一はどんどん追いかけた。今日こそは何時もいじめられている仕返しをしてやろうという気持ちが起きて、富雄が悲鳴をあげるまで追いかけ、青竹で叩いてやろうと清一は思った。面を被っているので、誰がやっているかわからないだろうという気持ちが富雄を大胆にした。いつも威張って清一達をいじめている富雄の姿が今日程みじめに見えた日はなかったと清一は思った。そして、香織にはベチャの面を見せるのはやめようと思った。走りながら今日の出来事は内緒にしておこうと思った。 

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 内容証明郵便  

 電話も鳴らないし、来客もないので、日曜日の仕事は能率が上がる。決算を控えて、遠野太郎は誰もいない事務所で、一心にパソコンのキーを叩いていた。一つの仕訳をインプットするごとに、その怪獣はビッビッと小気味よい声を発する。
 突然静かな部屋に電話がなった。
「東洋機工さんですか。有明ビルの2階の横山設計さんの後を貸して戴けませんか」
「一寸待って下さい。何の話でしょうか」
「やっぱりそうですか。どうも様子がおかしいと思った。横山設計さんが荷物を運び出していますよ」
「教えて下さってどうもありがとう。家賃が溜まっているんですよ。すぐ行ってみます」
 東洋機工は本業の鉄工業の他に貸しビルを幾つか持っている。その貸しビルの一つである有明ビルの3階に事務所を構えている神奈川電溶社から横山設計の夜逃げを通報してきたのである。
 遠野が駆けつけてみると、横山設計の若い男達がトラックに机や椅子を積み込んでいるところであった。ガランとした二階の部屋では横山が額縁を外している。
「横山さん。どういうことだね、これは。まるで夜逃げじゃないか」と遠野はいきなり大声で背中に浴びせかけた。
「あっ。月曜日に挨拶に上がろうと思っていたところでした。このところ仕事が少なくなって、事務所を構えていることが出来なくなりましてね」と横山がばつの悪そうな顔で言う。
「契約では退去二ヵ月前に通告することになっている筈だよ。会社が休みの日曜日に引っ越ししておいて、月曜日に挨拶にいくつもりでしたはないだろう」
「申し訳ありません。話が急に決まったものですから」
「たまたま、私が出勤していて、事務所の前を通ったからいいようなものの若し、私が休んでいたら、お宅の夜逃げは判らなかったかもしれない。溜まっている家賃はどうしてくれるんだ」と遠野は語気鋭く詰め寄りながらも、神奈川電溶社から知らせを受けたとは言わないだけの余裕はある。
「それも月曜日にご相談しようと思っていました。事務所を畳んで、私がある大手の会社の設計室へ働きに出ることにしましたので、働いた金で月賦返済にして戴こうかと考えていたのです」
「何をっ。この野郎。盗人たけだけしいとはあんたのことを言うんだ」と遠野は相手の胸倉を掴んで気負いこんではみたものの、暴力を奮って警察沙汰にでもなれば、元も子もなくすと思い直して誓約書を書かせることにした。 月額20万円の家賃を3ヵ月滞納していたので、60万円の債務である。これを3万円宛20回の月賦で返済するという誓約書を書いた後、横山はポケットから折り畳まれた紙幣を取り出すと、一万円札を3枚数えて差し出した。横山の手に残ったのは4~5枚の千円札だけであった。
「第1回目の返済金です。逃げも隠れもしませんから、今日のところはこれで許して下さい」
「この誓約書に書かれている住所は出鱈目ではないだろうな。こんな紙切れ一枚で騙されてはかなわんからな」
「嘘だと思われるなら,私についてきて下さい」
「うちには誰がいるのです」と遠野の語調もいくらか穏やかになる。
「女房がいる筈です。もっとも内縁ですがね」
「ここに書かれている電話が嘘のものでないか、確かめてみますよ」
「どうぞ」
 遠野は目の前でダイヤルを廻してみると、電話は通じたので横山が全く出鱈目を言っているのではないことだけは確かめられたと思った。誓約書を書かせたことだし、記載内容に嘘さえなければ、これを証拠に気長に債権を取り立てるしかあるまいと考え、横山を解放した。

 翌日、遠野は横山設計と賃貸借契約を結んだ時、仲介してくれた不動産屋にことの次第を話し、誓約書を見せた。
「家賃を滞納して夜逃げしようとした男が、こんな紙切れ同様の誓約書を本気で履行すると思いますか。自宅までついていって担保をとるとか、公正証書にしておくかしなければ何にもなりませんよ。それにしても3ヵ月も滞納させておくとは管理が甘いですね」とその不動産屋は笑っている。
 不動産屋が言ったことは本当であった。翌月の第2回目の返済約定日に、指定した銀行の預金口座を調べてみたが、振込はなかった。
 遠野は直ちに電話してみたが、聞き覚えのある女性の声で、横山は不在であると言う。
「何時お帰りですか」
「外国へ出張していますので、当分帰ってきません」
「有明ビルの家賃のことで何か聞いておられますか」
「何も聞いておりません」
「それでは、有明ビルの家賃のことで返済の催促のあったことを伝えて下さい」
「伝えるだけは伝えましょう」
 遠野は相手方に対して、返済を催告したという事実を後日証明できる証拠を残しておく必要があると考え、内容証明郵便を配達証明付きで横山宛出状した。

 遠野は1ヵ月後、入金の事実のないことを確かめてから、再度横山宅へ電話してみると、前に聞いたことのある女性の声で、横山は外国から帰宅したが、今は不在で夜7時になれば帰宅するから来てくれという。遠野は勤めが終わってから、横山を訪ね話しをつけようと思った。地図を頼りに探し出した横山のアパートは、商店街の裏側の通りにあった。呼び鈴を押すと一見して水商売と判る色気のあふれている女性が出てきて、名乗ると部屋へ招じ入れた。
「横山が大変ご迷惑をかけているようで、申し訳ありません。この前の内容証明郵便は確かに横山へ渡しておきました」
「ところで横山さんは」
「あいにく今夜から一週間の予定でまた出張にでかけてしまいました。横山とも相談したのですが、横山は事業に失敗したときにサラ金から借りたお金の返済で追いかけられています。私が横山に変わって、貴方からの借金はお返ししたいと思います」
「私の方は返してさえ貰えればそれでいいのだから・・・」
「月1回3万円。19回払いで代物弁済も可という内容証明郵便を書いて送って下さい」そう言って彼女は奥の寝室へ目で誘った。

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2014.07.14

愚直ということ       


 朝出勤してから一番にする仕事は、手提げ金庫の中の現金を勘定して出納帳の残高と照合することである。横山建設工事株式会社の経理マン東郷 武はいつものように一万円札 を数えていた。

 晩秋の寒くなりかけた日の朝の出来事である。部屋の入口が開いて人相の良くない二人の男が入ってきた。見慣れない顔である。

 これはおかしいと感じて
「どちら様でしょうか」と誰何した時には本能的に札束を金庫の中に収めて身構えていた。
 東郷が最初に考えたのは、暴力団が労災事故を種にゆすりにきたのではないかということであった。

 つかつかと東郷の所へ近寄ってきた闖入者の一人がポケットから身分証明書と裁判所の捜索許可証を取り出して東郷の目の前に示しながら言った。
「東郷 武さんですね。東京国税局の者ですが、法人税法違反の容疑で査察します。そこ を動かないで下さい」

 身分証明書には東京国税局査察部第二部長海野一郎という活字が印刷されていた。
「そんな無茶な。悪いことなんかしていませんよ」
「調べれば判ることです。現金を数えて下さいしと海野は東郷の抗議にはとりあわず、事務的に命令する。

もう一人の背の低いほうの男は、何ごとが起こったかとこちらの方ヘ注目している部屋 の中の事務員達に向かって言った。
「脱税容疑で査察しますから、皆さんは、仕事を止めて我々の指示に従って行動して下さい。今後暫く電話の使用を禁止します。電話はかけないで下さい。掛かってきた電話は我々が取りますから皆さんは許可がでるまで受話器には一切手をつけないで下さい」

 東郷の胸は早鐘を打つように高鳴っていた。国税当局が査察を掛けてきた以上、余程の確信をもっているのであろう。証拠もある程度掴んでいるのではなかろうか。架空外注工事代の計上が見つかってしまったらしいということは容易に想像がつくが、どの範囲までなのだろうか。どのように対応するか。頭は素早く回転しいろんなケースを想定する。

「東郷さんこちらへ来て下さい」と先程、身分証明書を提示した海野一郎が隣の応接間に東郷を呼ぴ込んで言った。
「今日は百人の捜査員があなたの会社の本社、東京支店、大阪支店、四国支店、九州支店ヘ手分げして動員されています。脱税容疑です。脱税の事実を認めますか」
「冗談じやありませんよ。脱税なんかしていませんよ」
「確信をもって言えますか。本当に脱税していないというのなら最後まで否認して下さいよ。もしやっているのならあまり手間をとらせないで、今すぐ認めて下さいよ」海野はじっと東郷の目を鋭い眼差しで覗き込むようにして言った。
「濡れ衣です。投書でもあったんですか。もしそうならその書類を見せてくださいよ」と東郷は食い下がった。

「捜査上の機密ですから教えられません」と言ってとりあってくれない。海野が今日の捜査の責任者らしく、主だった捜査員に指示をすると捜査員達は机の引出しや書棚のファイルを引出しては茶色の封筒にファイル名を転記して、番号を打ち、一件ごとに封入していき、更に段ボールの箱に封筒を格納していく。彼ら捜査員の鞄の中にはA4サイズの茶封筒がギッシリ詰め込まれているのである。彼らは査察に赴く時は目的地に着くまで相手に気付かれないように私服で手提げ鞄を下げている。東郷が捜査員の数を目で追ってていくと四十人位しかいない。海野が百人と言ったのはこけおどしかハッタりではないのか。

 それにしても社長はどうしたのだろうか。朝、顔を見たのに。
「一寸喪服を取りに家まで行って来る」と言い残して帰ったまま姿を見せない。
東郷は先程、海野が人払いをするかの如く、東郷を応接室にわざわざ呼び込んで「否認 するなら最後まで否認して下さいよ」と言った意味をどのように理解すれぽよいのかを必死になって考えていた。

 社長が朝、一旦出社したのに自宅からの電話で慌てて喪服を取りに帰ったことの意味もよく判らない。確かに古参社員の父親の告別式が今日午後一時よりあるのは事実である。そのことは昨日通夜に出席しているのだから、喪服を忘れる筈がない。するとわざわざ喪服を取りに帰ったと言ったのは口実で、今日の査察についてなにか情報が入ったのでそれを確かめに帰宅したのではないか。政界や中央官庁には沢山の情報ルートを持っているから、ホットラインで何かをキャッチしたのではなかろうか。それが海野をして「否認するなら最後まで否認してくださいよ」という一種の暗号として東郷に謎をかげてきたのではないかという気がしてならないのである。社長と連絡をとりたい。そうすれば、海野がなげかげた「否認するなら最後まで否認してくださいよ」といった言葉の謎が解けるのではないか。

 一つの解釈は庇理屈でもいいからとにかく事実関係を否認し通すことだそうすれば、政治力が働いて闇に葬り去られるという意味である。

 もう一つの解釈は商売仇による投書があってこれが査察の端著となっている場合である。この場合であれば内部に会社の機密を漏らした者がいることが予想されるから充分内部調査をしてから対処しなければならない。どの程度の情報が漏れているかを把握しなければならないから対処の仕方がむつかしくなる。その場合にはむしろ被害が少なくなるように事実関係を素直に認めて修正申告で済ませる方向で決着するよう工作する必要が生じてくるだろう。そのためにも社長と早急に速絡をとりたかった。だがそれができないのだから自分の判断で最善を選択するしかないなと考えていた。

「東郷さん。金庫を開けて下さい。それから清泉銀行に会社の貸し金庫が有るでしょうその鍵を出してください」と次席捜査員の韮山が東郷の側を離れずに指図する。
「貸し金庫には何も入っていませんよ」
「開けて見れば判ることだからとにかく鍵を出しなさい」と次第に命令口調になってくるので、東郷の胸の動悸はますます高まってきて、部屋の隅に置いてある金庫を開けようとするがダイヤルの番号を思い出せない。毎日、無意識にダイヤルを回して開けているのに今日は何度やっても金庫が開かない。
「気が動転してダイヤル番号を思い出すことが出来ないので、気を静めるために一服したいから喫煙室ヘ行かして欲しい」
「どうぞ」

東郷は海野の言うように本当に各支店にも捜査員が入っているのか状況を把握しようと 思って喫煙室の受話器をとると、
「東郷さん電話をかけてはいげません」とただちに、傍らにいる捜査員が待ったをかけるのでどうなっているのか状況が皆目判らない。外部から電話が掛かって呼び出し音がするとすかさず近くにいた若い捜査員が受話器を取り
「こちら横山建設工業ですがいま取り込んでいますので三十分後に掛けなおして下さい」 と言ってガチヤンと切ってしまうのである。

「大切なお客さんからの電話かもしれないのにそんな応対の仕方はないでしょう。仕事がとんだらどうしてくれるんですか」と営業課の藤本が食ってかかると
「脱税をするような悪い会社なんだから仕事の一つ二つ飛んだって仕方がないだろう」と生意気な答え方をする。
「嫌疑をかげられただけで脱税していると決まってはいないだろう。裁判もしていないし判決も出ていないのにひどいではないか。国家権力をかさにした横暴は許せない。告訴するぞ」と藤本も負けてはいない。
「まあまあ、そんなに興奮しないで。工藤さん、相手の名前は聞いてあるんだろう。藤本さんに相手の名前を教えてあげなさい」と日髪頭の年配の捜査員がとりなしたので険悪な雰囲気はおさまったが藤本は憤懣やるかたない気持ちを顔に露に示して相手を睨みつけながら部屋を出て行った。

「金庫はまだ開きませんか」と東郷に命令した韮山が催促をする。
「支店と連絡を取りたいのだが電話をかけさせて欲しい」
と東郷は韮山に訴えた。
「まだ駄目です。何を連絡したいのですか」
「支店にも捜査が入っているのか確かめたいのです」
「支店のすべてと関係子会社全部に捜査員が入っています。全ての取引先銀行と社長と経理担当重役の自宅にもはいっています。先程話したように百人の捜査員が手分けして今言った所ヘ入っているのです。徹底的にやりますから早く真実を喋ったほうがいいですよ」「社長は自宅にいるのですか」
「社長は自宅で捜査員に調べられていますよ」
「速絡をとらせてください」
「それは出来ません。早く金庫を開げて下さい。もし開けないのなら職権で金庫を壊しますよ。ダイヤル番号を忘れた振りをしても駄目ですよ。東郷さん。観念することですね」 と韮山は東郷の魂胆を見透かした口ぶりである。

 東郷がダイヤルの番号を思い出して金庫を開けて貸し金庫の鍵を取り出すと葉山の指示を受けた小鹿という捜査員が貸し金庫の置いてある銀行まで一緒に行って貸し金庫を開けてくれという。東郷もこうなったら下手に逆らっても無駄だと思いはじめていた。
「貸し金庫には何も入ってませんよ」
「この目で確認しないと信用できない。捜査とはそういうものです。銀行まで遠いのですか」
「歩けぽ三十分ほどかかるでしょう」
「会社に車はありませんか」
「全部現場ヘ出ていますから、歩くしかないですね」と東郷は少しでも時間稼ぎを試みるが捜査員もそこは見通しである。
「タクシーで行きましょう。公費で処理できますから東郷さんも一緒に乗って下さい」

 清泉銀行に到着して、窓口で横山建設工業だが貸し金庫を開けたいというと、係の者の態度がいつもと違ってよそよそしい。見ると既に別の捜査員が先に来ていて、いろいろ事情聴取されていたようである。早速貸し金庫を出して貰って合鍵であけるが中には何も入っていない。
「それ、ご覧なさい。何も入っていないと言った通りでしょう。私は嘘と坊主の頭はゆったことがありませんよ」と東郷は一つの関門を通り抜けたという安堵感に浸りながら言った。
「次は東郷さんの自宅まで御同行ねがいます」と会社から清泉銀行までついてきた子鹿 査員が、金庫に何も入っていなかったのは理解しかねるといった顔付きで新たな指示を した。

待たしてあったタクシーで自宅まで帰ってくると既に自宅の中には四人の捜査員が会社に入ったと同じ時刻に乗り込んできて、書斎の机や本箱の中を引っかき廻していた。
「パパお帰りなさい。朝からこうなんですよ。会社の方も大変でしょう。連絡しようとしても電話をかげさせて戴けないのよ。急病人でもでたときにはどうなるんでしょうね、連絡できなくて死んでしまったりしたら責任をとっていただげるのかしら。人の命は弁償しようがないと思いますけどね。それに若江は試験中だというのに勉強もできないんでよ。試験に失敗して浪人でもするようなことになったらかわいそうだわ」と妻の敬子も家宅捜査でかなり、気分を壊したらしく捜査員に間こえよがしに皮肉を言って訴える。
「心配しなくてもいいよ。何も悪いことはしていないんだから。何もでてこない所をつつくよりも、住宅金融専門会社の不良債権にまつわる不正融資を徹底的にやってもらいたいものだね」と東郷も鬱憤をぶっつけるが相手は反応を示さない。

東郷は会社の方はどうなっているのか気にかかるところだが、電話はかけさせてくれな いし、取り次いでももらえないのでさっぱり状況が掴めない。
「東郷さん、この印影はみたことがありますか」と紙切れに押した「中山」「谷山」「 藤」という印影を東郷の目先に突きつげる。その印影は見たことがある。溶接免許の期 限を更新するために溶接工から預かって手続きをしたとき使った覚えがある。
「さあ、見たことはあるような気もしますが」と反応を窺ってみる。
「その判子は何処にありますか」
「本人が持っているでしょう」
「中山、谷山、 佐藤という苗字はありふれたものだけど、この判子の持ち主は実在して いますか」
「実在してますよ」
「何者ですか」
「溶接工ですよ」
「この判子を使って架空の外注費を引き出していたのではないかね」とその捜査官は、
東郷が架空外注費を作りだして、会社の金を横領しているのではないかというような言いい方をする。
「何を。失敬な。でたらめを言うとただでは済ませないぞ」
「この判子があなたの机の引出しから出てきたのは何故ですか」
「免許の更新手続きで預かったままになっているんですよ」と東郷は答えたが内心これは大変なことになったと思った。迂闊だった。判子は本人に返しておくべきだった。

「先程までの調べでは、外注工事代の領収書は大半のものが銀行振込になっているから辿っていげば金の流れは判る。しかし幾つかの領収証にはこれと同じ印影が押されている。しかもその判子があなたの机の引出しからでてきた事実をどう説明してくれますか」
「それは、溶接工達は一人者が多く、昼間働いているので銀行ヘ金を下ろしに行く暇がないんですよ。だから、現金で払ってあげている。そのため領収書があるんですよ」
「なるほど、巧く考えたね、だけどこの程度の判子なら何処にでも売っているから簡単に手に人る筈だ。中山、 佐藤、谷山という溶接工が実在するかどうかを確認してみなけれ ばあなたの容疑は晴れないね」勝ち誇ったようにその捜査官の態度は横柄になってくる。
「ほかにも、これに類したものがあるはずだ。押収した資料ももうそろそろ局の方ヘ届く頃だから局ヘー緒に行ってもらってゆっくり説明を聞くことにしようじゃあないか」と捜査官は腕時計を見ながら言った。東郷が時計を見ると既に正午ちかくなっていた。

 国税局の取り調べ室は四畳程の広さで机が向ききあって置かれている。相対して座った担当官は藤村と名乗って今回の事件では東郷の取り調べ担当になったと自己紹介をしてから取り調べが始まった。次々と外注工事代の計算書や領収書、振込依頼書の綴りの中から付箋を付けた箇所を開いては突きつけてくる。
「この佐藤、谷山、中山という署名のある領収書の印影とあんたの机の引出しに入れてあった判子の印影が一致するのはどういうことかね」
「ですから、何回も言うように、溶接免許の更新手続きのために預かった判子を返し忘れていたんですよ」
「それでは説明にならないだろう。佐藤、谷山、中山をここへ連れてくることができるかね」
「できますよ」
「佐藤、谷山、中山の所へは裏付けをとりに行かせているから後でわかるだろう。そのとき泣き面かくなよ」
「確かめて貰ったほうがこちらも嫌疑が晴れて助かりますよ」

「それでは、この振込依頼書の宛て先に書かれている丸山太一という人に会ったことがありますか」
「会ったことはありません」
「そうだろう。架空の人間だから会える筈がないよね。この丸山太一の住所の番地には公衆便所が建っているんだ。証拠はあがっているんだ。そろそろ架空取引だったことを認めたらどうだ」
「私は経理マンだから、現場の担当が検印をして請求書を廻してくれぽ金を払いますよ。工事番号毎に収支の計算はしているのだから、当然原価性があるかどうかのチェックをしているわけだし、実行予算との対比もしているんだから、架空の工事代が発生する余地はありませんよ。振込先の住所が実在しないといわれるけれども、この業界には事情があって住所を知られたくない人だって働いていますよ。そうゆう人達でなげればこんな危険で汚くてきつい仕事をする人なんかいませんよ。日本経済の発展はそういう社会の底辺に犇いている人達が支えているということを認識して欲しいもんですな」

東郷は提示された丸山太一宛の振込依頼書をみて、よく調べているなと思いながらも知 らぬ存ぜぬで通すしかないと腹を決めて、苦しい答弁を繰り返していた。身にやましいところは一つもないので最後には真実を話すしかないのではないかと自問してみる。どの段階でどの程度かが難しい。頑強に否認を続けていても最後には認めざるを得なくなるのではないか。ロッキード事件、リクルート事件のことが思いだされる。最初は頑強に否認していた人達も最後には認めざるをえなくなっていくのがこの種の事件の今までの経緯である。どうせそうなら早い時期に事実は事実として認めたほうが今後の展開を考えた場合、得策ではないかという思いがちらつく。新聞に派手に報道されては恥晒しになるし営業活動上致命的なダメージをうけるであろう。会社を潰してしまっては元も子も無くなってしまうのではないか。囲碁の攻め合いの場面が髣髴と脳裏をよぎる。多少の尻尾は切り捨てても本体が生き残るほうが勝負の上では勝ちに繋がるケースが多い。

ドアーがノックされて今日始めて見る捜査官が部屋へ入ってきて、向かい側に座ってい る藤村になにか耳打ちしている。
「東郷さん、社長が白状して架空外注費があることを認めたよ。あんたもよく頑張った
ね。会社にもいろいろ事情があってやったことだろうし、社長の指示でやったことだからあなたの責任ではないよ。早く認めて楽になったら」と藤村は勝ち誇ったように優しい声色で言った。

 外界との連絡を絶たれ情報が入ってこないと頭が錯乱する。今の藤村の言葉は罠なので はないか。東郷を落とすためのテクニックとしてわざと伝令を寄越させてもっともらし さを装っているのではなかろうか。東郷の悩みは続く。
「本当ですか。それで社長はなんと言っているんですか」
「工事会社では仕事を取るために発注先の担当者にいろいろ経費がかかるので、架空の外注工事代を計上してこれを裏金として営業費に使ったことはあると言っっている。詳しいことは経理担当のあなたに聞いてくれと言ううことだ」
「社長と話をさせて下さい」
「まだ取り調べ中だからそれはできない。社長がそう言っているのだからあなたは真実さえ話せぱいいんだよ。それに社長は裏金を蓄えていた通帳を貸し金庫から出してきて提出したよ」

 東郷は捜査官が言っているのは本当だろうかと一応疑ってはみるものの、事態がそこまですすんでいるのであれば、これ以上頑張ってみても意味がないのではないかと思ったりする。疑わしきは罰せずという鉄則がある。挙証責任は捜査側にあるのだから、自白調書がそのまま証拠に採用されることはないであろうが、事実を曲げて供述すると後でのっぴきならぬことになるのは目に見えている。

 余計なことは言わないで事実だげを認める作戦でいくしかないと心を決めた。一生に一度か二度の重大な決断の時であった。命令を受けてやったことなので、首謀者ではないし、ましてや共犯でもない。例え兄弟であったとしても最後のところでは骨肉相争うことになるのが、人問の悲しい性ではないのか。源 頼朝と義経、足利尊氏と直義、歴史にはい くらでも例がある。少なくとも自分の身だけは護り、人を誹らず、貶めずの方針でいくしかないと覚悟した。

「わかりました。資料を提示して下さい。私の知っている限りの事実については喋りましょう」と東郷は覚悟を決めて言った。

 東郷が驚いたことに提示される資料は全て営業費を捻出するために社長から指示されて比較的利益率の良い工事の原価に算入した架空の外注工事代ばかりであった。国家権力が権限を奮って組織的に動けぽ、民間の中小企業が小細工を弄してもとても太刀打ちできるものではないと思った。

 取り調べが終わり解放されたのは夜の十二時を回っていた。社長と話ができたのはその時であった。
「社長、朝、一旦出社されたのにすぐ自宅へ帰られましたね、何か情報が入ったのです
か」と東郷は朝からの疑問をやっと投げかげることができた。
「ワイフから電話があって、自宅の回りに見知らぬ男達が四、五人いて様子を窺っているというので、労災事故の補償問題にかこつけて暴力団でもきたのかと思って帰ったんだ
よ。そうするといきなり、国税の奴達が踏み込んできて、ここへ連れてこられて今までかかったということなんだ」
「そうだったんですか。私は少し考え過ぎたようです」と東郷は疑問に思っていたことを口にした。
「裁判になるかもしれないから、税理士とよく相談しよう」
「そうですね。修正申告で済むように運動する必要があるでしょう」

 東郷は取り調べの際にいろいろと悩んだ心の葛藤を日記に次ぎのように書きつけた。

某月某日
 我が最愛の家族に告ぐ。これは貴方がたの夫であり、父である東郷 武が見知らぬ世界 ヘ旅立つにあたっての訣別の手紙と思って読んで貰いたい。

 父は人生の信条として、①威張らない。②嘘はつかない。③人を侮らない。④人を誹らない。⑤人を貶めない。という五つの行動規範を心に抱いて、五十五年の人生を愚直に生きてきました。そして日常生活もそのように行おうと努力してきました。悲しいかな凡人の弱さでこれが全うできなくて思い悩んだことが幾度もありました。

 人はそれぞれに価値観をもって生きていることでしょうから、どの価値観が正しいのかは神様しか判定できないことだと思います。

 父は価値観の根底に二つのものを堅持してきました。その一つは、性善説です。その二つめは価値相対主義です。

 先ず性善説ですが、これは遠く孔子、孟子の時代から現代にいたるまでどちらが正しいか結論の出ていない哲学上の永遠のテーマです。しかし、どちらが正しいか正しくないかは別問題として、人生を生きていく限り、真剣に人生の生き方を考えた人なら必ずぶつかった問題であろうと思います。父も若い頃この問題について友人達と議論しました。結論は出ません。結局は人それぞれの選択の問題に帰着するのです。父はこのテーマについて性善説を信奉することにしました。おそらく大学生の頃だと思います。それ以来性善説を信奉しています。

 その二は価値相対主義です。これはドイツの法哲学者ラードブブルフ先生が唱えられた説です。そもそもこの問題は人生もしくは世の中に究極価値というものがあるとすれば、それは絶対的なものだろうか、それとも相対的なものだろうかという素朴な疑問かも派生したものだと思いますが、よくよく考えてみれぽ、世の中によくある両者を足して二で割るという選択をなしにするとこのどちらかしかないのであります。

 父がこのラードブルフの法哲学の中でもこの価値相対主義という思想に触れて感激したのは大学三年生のとき加藤新平教授の法哲学の講義を聞いてからです。

 以上父の価値判断の基本原則について述べましたが、大学を卒業して以来今日に至るまで、父の挙措・言動は、すべて以上述べた原則にもとずいて行われていることが理解出来るでしょう。世俗の俗物どもにいわせれば、やれ融通がきかないとか頭が固いとか営業センスがないとか言って批判します。しかし、それは人それぞれの見方ですから、誹られようと侮られようと、父は意にも介せず生きてきました。世俗の立身出世は出来ませんでしたが、心になんのやましいことなく生きてきました。人に後ろ指を指されるような反社会的な行為も悪事もしたことなく、ひたすら愚直に生きてきました。

 このことが父の誇れる唯一のことです。よくきれいな空気だけ吸って生きられる訳がないとか、世間を知らなすぎるとかいかにも世間の辛酸をなめつくしたような言い方をする人が身近にいますが、人生に対する或いは世間に対する態度が不遜に過ぎ、ものの考え力がうす汚いと言わざるをえません。規範意識が乏しく倫理感の欠如した人問程、悲しくも哀れな存在はないといえましょう。私腹を肥やす為に脱税行為に行い、発覚すると会社のために行った必要悪であり、それがあたかも正当な行為で、たまたまバレたのは運が悪かったのだくらいにしか捉えられない破廉恥な人が身近にいることはまことに悲しいものです。
「国はなにもしてくれない。困った時に国が助けてくれたことがあるか、自分で稼いだ金を自分で使うのだから、自然犯とちがってなんら恥じることはない。誰でもやっていることではないか」とうそぶいて懲りるところが全然ないのは考えものです。

 悪法でも国法であると言って敢然として毒杯をあおったソクラテスの故事もあります。 国民である限り、国法には従わなければならないのは明白なことです。これは規範意識の問題に帰するでしょう。規範意識が欠如した社会はアナーキー以外のなにものでもないでしょう。

 権力の頂点にいるものに規範意識がなく自ら、禁則を破っておいて、下の者に対してルールを守れと説いてもそれは通用しないというのが、社会の経験則でしょう。
権力の頂点にいるから、人は命令には従うかも知れないが、腹の中ではせせら笑ってい るのが実情でしょう。面従腹背ということです。
 とかく弁が立ち愛想の良い人間には嘘つきが多く、ぶっきらぽうに見える人間に誠実な人が多いというのが、世の中です。

 あなた方がどのような価値観を持って生きていこうと自由ですが、反社会的な行為と自分の良心に恥じる不道徳な行為だけは絶対にしないようお願いしたい。
 これは、これから今度の脱税事件で裁判になるでしようが、父に万一のことがあった場合に、家族の者に読んで貰いたいと考えて認めた訣別の手紙であると思って下さい。
我が心中をよく読み取って欲しい。

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息子からの便り   

    
「老人は、多年にわたり、社会の進展に寄与してきたものとして敬愛されかつ健全で安らかな生活を保証されるものとする」と老人福祉法の第二条には、老人福祉の基本理念が高らかにうたわれている。

 それにもかかわらず、寝たきり老人が一人寂しく、看取ってくれる身内もないままに、餓死していたとか、病気を苦にして80歳過ぎの老夫婦が、大金を残したまま心中したという気の毒なニュースが時々新聞やテレビで報道される。
 このような悲しいニュースを注意して見ていると、共通して言えることは老夫婦だけで、もしくは配偶者の一方を失って一人だけで寂しく生活していたという人達が多いことである。

 このような不幸な老人の中には、身寄りもなく、蓄えもなく、収入もなくしかも病身で、あるのは絶望だけという全くお気の毒な人達もいるが、中にはかなりの蓄えもあり、身内もあるという人達が含まれている。前者の場合の救済は国家の老人福祉政策の強力な展開を待たなければ、如何ともなしがたいが、問題は後者の場合である。
 ある程度の蓄えがあり、身内もありながら、死に急がなければならない程老人を孤独に追い込んだものは何か、ということを考えてみなければならない。
                                  
「お母さん、さっき山田の伯母さんのところへ遊びに行ってきましたが、とても喜んでおられましたよ。それに最近、顔の表情に安らぎが出てこられましたね」
「そうなのよ。つい先日も勉さんから、手紙が届いたとかで、伯母さんは大変喜んでおられましたよ。勉さんも、最近では、生活に多少ゆとりが出来たらしく、時々お小遣いを送ってくるようになったようよ。伯母さんは、勉さんから届いた手紙を大切に仕舞っておいて暇さえあれば、何度も読み返しては寂しさを慰めておられるのよ。お母さんもその姿を見るとつい目頭が熱くなるわ。勉さんが早く立ち直って、帰ってきてあげるのが、伯母さんには一番嬉しいことなのよ。充さんがあんな死に方をしたので、伯母さんも、充さんのことは忘れようとして随分苦しまれましたからね。幸い、幸代さんと一緒に暮らしておられるから、伯母さんも何とか今日まで耐えてくることができたと思うのよ」

 久し振りに寸暇を盗んで、田舎の両親の許へ帰省した私は、近くのアパートでひっそり暮らしている山田の伯母さんのお見舞いをしたのである。

 山田の伯母さんは、父の姉で今年86才になる。山田の伯母さんほど女として、妻として、人の子の母として、また人間として、世の中の辛酸を嘗め尽くして何度も絶望の底に突き落とされながら、なお一筋の望みに生を託して人生を生き抜き、今、静かに晩年を安らぎの中に明日をまちながら過ごしている人を私は身近に見たことがない。

 山田の伯母さんは農家の4人兄弟姉妹の長女として生まれ20才で造り酒屋の長男の許へ嫁入りした。夫との間には女児の幸代をもうけたが、夫の女道楽に泣かされ、姑に嫁いびりの限りをつくされた。それでも、根が善人の伯母は夫や姑の仕打ちに耐えて、嫁として妻としての勤めによく励んだ。幸代の誕生に2年遅れて夫が妾に男の子を生ませた。家と家が婚姻し、女の腹は借り物の時代であった。幸代が4才の時夫は病死し、男児に恵まれなかった伯母は幸代と一緒に婚家から離縁され親元へ返された。伯母の離縁と相前後して婚家では妾の生んだ男子を嫡男として入籍した。
 話し好きで世話好きの伯母も余程辛かった時代だったとみえ、当時のことは口をつぐんで語りたがらない。

 間もなく、農家の山田家へ後妻として、幸代を連れて再婚した。再婚先には幸代より2才上の先妻の子、充がいた。再婚先の夫は働き者で伯母を愛し幸代を充と分け隔てすることなく可愛がった。夫との間には男の子、勉を設けた。夫婦仲円満で3人の子供は仲良く生育した。伯母の人生で最も幸せな時期であった。

 充と幸代が長じて年頃になったとき、二人の義兄妹は結婚し、勉は商業学校へ進学した。勉は勉強好きで成績も良く、戦後の就職難の時代に大手の繊維会社へ就職出来て、青雲の志を抱き親元を離れて東京へ赴任した。

 充、幸代の若夫婦も伯父伯母に似て、よく働き、何不自由ない暮らし向きであったが、充、幸代夫婦の間に子供が生まれないのが、伯父伯母夫婦の唯一の気掛かりであった。

 伯父・伯母、充・幸代の老若二夫婦が幸せな生活を送っていた頃、中学生であった私は、松茸狩りや兎捕り、魚釣り、夏祭りに招待され楽しい思い出を幾つも残している。

 私が大学生になって親許を離れ、伯父伯母とも疎遠になった頃、勉が東京に土地を買って自家を新築したので、伯父伯母が山林を売って援助したという話しを聞いた。やがて、会社を辞めて勉が独立し、繊維を扱う商事会社を設立して成功しているという噂も聞いた。それと相前後して充の酒量が増え時々酒乱を起こして伯父伯母を困らせているという話しが母の便りで耳に入った。

 私が東京に就職して結婚した後、海外赴任して田舎へも帰れなくなった頃伯母の不幸が始まった。勉が商売を大きくし過ぎて、折からの不況に災いされ、莫大な負債を抱えて倒産したのである。借金のかたに東京の自宅は人手に渡り、伯父伯母も連帯保証人として田舎の山林、田畑の大半を失ってしまった。悪い時に悪いことは重なるもので伯母が脳溢血で倒れ、半身不随になってしまった。

 勉は伯父伯母のお蔭で負債は完済したものの、妻子には逃げられ親許へも顔を出せず行方を隠してしまった。充の酒量は俄に増え酒乱をしばしば起こすようになっていた。それでも伯父が健在のうちは、家族に危害を加えるよしなことはなかったが、伯父が勉の行方を案じながら不幸な晩年を終えてから、充が狂った。
「お前の生んだ子が俺達を食い物にした。勉を何処へ隠した。勉の代わりにお前を殺してやる」
 充は右半身が不自由な伯母を刃物を持って追い回すようになってしまったのである。朝から飲んで歩き、僅かに残っていた山林、田畑を売り飛ばし、酒浸りの毎日に体もいつしか蝕まれていった。

 私の父が叔父として何度か充を戒めたが効き目はなく、充が酒乱を起こす度に生命の危険に晒される伯母と幸代を見かねて、父が引き取り近所のアパートへ住まわせることになった。同時に充と幸代は離婚し、伯母親子は山田の家を捨てた。それから間もなく充は心筋梗塞で看取る者もなく自宅でひっそり死んでいるのが、死後5日程経って発見された。

 伯母と幸代親子が私の実家の近くへ引っ越ししてきてから1年ほど経って行方の判らなかった勉から再起を目指し、小さな商売を始めたという便りが届いた。勉の消息が知れてから伯母の顔に明るさが戻った。
 今、伯母は幸代がレストランへ勤めて得る収入で細々と暮らしながら、勉がきっと元気な姿を見せるであろうと信じている。

 外国勤務を終えて帰国してからは私も実家へ子供達を連れて帰省する度に伯母を見舞うことにしているが、最近伯母の顔に現れる表情は、不幸な生涯を送ってきた者とは思えない安らぎに満ちている。それは、きっと息子の勉が明日には帰ってくると明日の一日を期待して待つ気持ちがそうさせているのではなかろうかと私は観察している。

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水 蜜 桃 綺 談


正慶二年(一三三三年)五月二十一日、鎌倉幕府十四代執権であった得宗の北条高時が天皇方の坂東武者新田義貞らとの鎌倉攻防戦に敗れ、東勝寺で自刃した。従う北条家恩顧の御家人数百人も得宗の後を追い鎌倉幕府は名実ともに滅亡した。
建武二年、中先代の乱(一三三五年、高時の遺子時行が、北条氏の再興をめざし建武新政府に背いた兵乱)の討伐に東下した足利尊氏が、新田義貞誅伐を奉上して叛乱に転じ、建武三年(一三三六年)正月京都に入った。
大江田氏経は十九才の若武者であったが、脇屋義助(新田義貞の弟)の配下として天皇方につき、箱根をはじめ各地で謀叛した足利尊氏の軍勢と戦った。建武三年二月十日から二月十一日の二日間にわたる摂津打出・西宮浜・豊島河原の戦で天皇方の北畠顕家に敗れた足利尊氏は翌二月十二日夜陰に乗じて兵庫の港から海路九州へ逃げた。大江田氏経は新田義貞軍の先鋒隊として陸路、取り残された足利尊氏軍を攻めたて、備前船坂(三石)まで追い詰め大勝した。
「長船村の垂光を呼んでくれ」
兵達に食事をとらせた後、大勝に機嫌を良くした大江田氏経は言った。京都を発つとき集めた兵糧運搬の人足達のなかに備前長船村へ帰りたいという刀鍛冶がいることを思いだしたのである。

「お呼びでございますか」
と鳥帽子を被り筒袖を着て括り袴に脚半を巻いた旅支度の若い男が畏まった。
「備前長船はここからいくらもないであろう。お主はこれから師匠の許へ帰るところであったな」
「はい。左様でございます。京からの道中お蔭様を持ちまして恙なくここまで帰ってくることが出来ました。これも一重に大江田様の軍勢の中に加えて頂けたお蔭でございますどうもありがとうございました」
と垂光と呼ばれた若い男が言った。
「お主と知り合ったのもなにかの縁。お主の鍛えた刀が欲しい。長船へ帰ったら一振り鍛えては呉れまいか」
「有り難いことでございます。垂光帰省後の初仕事でございます。心魂込めて鍛えさせていただきます」
「我等は備中福山城を必ず攻め落とすから出来あがったら、福山城へ届けて呉れ」
「はい。福山城は私が幼い頃修業したことのあるお寺でございますのでお易い御用でございます」
「そうか。それはまた奇縁じゃのう」
三石城に入って兵の疲れを癒したのち、大江田氏経は勢いに乗って更に進軍して備中の豪族荘常陸兼祐が拠る備中福山城を窺っていた。

延元元年、建武三年三月(一三三六年)梅の花がそちこちに咲きはじめた頃、都から遠く離れたここ備中の国山手村にも、鎌倉幕府滅亡と建武の新政混乱の噂はいつとはなしに広まり、福山城で戦が始まろうとしている気配に民百姓は末世が近付いたと恐れおののいていた。十日毎に開かれる市に集まってきた人々は、物を購うこともさりながら、近くまた戦が始まるのかどうかを確かめたがっていた。
「鎌倉では、北条高時様が自刃なされ、御家来衆も何百人と切腹されたそうじゃ」
「おお、怖しやのう。南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」
「都では火付け、強盗がぎょうさん出て、都大路は死人で埋もれているそうじゃ」
「あな、おそろしや。末法じゃ。南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」
「幕府は御醍醐帝を隠岐へ島流しにしんさったんでその罰があたって滅んだのじゃろうよ」
「まこと罰当たりなことよ。尊氏も帝に弓引いて、罰が当たり帝との戦に負けて九州まで逃げたそうな」
「その尊氏が九州から攻め上がってくるそうじゃ」
「それもそうじゃが、お館様が福山寺に砦を築いて戦の準備を始められたそうじゃ」「お館様は天皇方と足利方とどちらにお味方なさるのじゃろうかのう」
「幸山城のお館様の所へは天皇方からの使者が来たそうな」
「天皇方の軍勢は船坂山を越えてこちらへ向かって来ているらしいぞ」
「荘氏は源氏の系統じゃから足利に加勢しますらぁ。見ててごらんなせぇ」
「そうじゃろうか。そんなら福山城の兼祐様も幸山城の左衞門次郎様も一緒になって天皇方と戦うんじゃな」
「天皇様の軍と戦うちゅうことは逆賊になるということじゃな。嘆かわしいことよ」「また戦じゃ。恐ろしいことじゃのう」
村人達が、噂話をしているところへ、鳥帽子を被り筒袖を着て括り袴に脚半を巻いたごく普通の身なりの若者が現れた。変わっているところは蛇を首に巻き数珠を手にしていることであった。歳の頃は十七、八だが、鼻筋の通った顔には意志の強そうな眼が座っていた。眼光鋭くあたりを見廻しながら群れの中に入ってきた。

「南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経。皆の衆、南無妙法蓮華経じゃ、このお題目さえ唱えていれば救われるのじゃ」
とあたりの村人達の顔の中を一人一人覗きこむようにしながら重みのある声で言った。「南無阿弥陀仏。あなおそろしや、蛇ではないか」
最初に覗きこまれた老人があとじさりしながら言うと、群衆は蛇に怖じ気づいて若者から離れ、取り囲む形になった。
「お主、もしかして蛇丸様じゃぁありませんかのう」
と首をかしげながら問いかける白髪頭の太った女をその若い男は無視した。
「南無阿弥陀仏はお止めんせぇ。罰があたるぞな。南無妙法連華経こそが末法を救って下さるお題目なのじゃ」
と若者を取り囲んだ群衆の眼を一人一人順番に見据えながら南無妙法連華経を数回唱えた。
「なんじゃと。もっとゆっくりもういっぺん言うてつかぁさらんかのう」
信心深そうな中年の男が前歯の欠けた口をもぐもぐさせながら言った。
「何度でも唱えますらぁ。南・無・妙・法・連・華・経・・・南・無・妙・法・連・華経・・・南・無・妙・法・連・華・経じゃ」
「南無妙法連華経とははじめて聞くお題目じゃのう。わしらぁ、南無阿弥陀仏しか教えられておりませんけぇのう」
隣の杖をついた老人が前歯の欠けた中年の男の後をとって言った。
「そうじゃ。南無阿弥陀仏は美作から出られた偉いお上人様が広められたのじゃ。どねぇ名前じゃったかのう忘れてしもうたが」
と前歯の欠けた中年の男が続けた。
「栄西禅師じゃろうが」
杖をついた老人が言うと
「そりゃぁ間違うとりますがなぁ。栄西禅師はお茶を広められた坊さんでわしら、百姓には縁もゆかりもない偉いお上人様じゃ。南無阿弥陀仏を説かれたのは、法然上人じゃ。法然上人はのう、わしら百姓にも阿弥陀様の功徳が授かるようにと修業されて南無阿弥陀仏というお題目を教えてくださったのじゃ。法然上人は美作の国から出られたのじゃ」とその隣の老婆がしたり顔でまがった腰を手でさすりながら言った。

「何とまあ、物知りのおばばじゃのう。山手村の語り部じゃが」
と若い壺売りが感心しながら言った。
「皆の衆、ようお聞きんせぇ。法然上人も確かに偉いお坊様で、隣国の美作のお生まれじゃからお前様がたが信仰なさるのもようわかる。じゃがのう、南阿弥陀仏では救われないのじゃ。末世をお救いんさるのは南無妙法蓮華経しかないのじゃ」
と蛇を首に巻いた若者が確信に満ちた声で言った。
「お前さん、先程から南無妙法蓮華経としきりに唱えとりんさるが、そのお題目はどこで聞いてこられたんじゃ」
と前歯の欠けた中年の男が言った。
「都じゃ。鎌倉に日蓮という偉いお上人様がおられてな、南無妙法蓮華経を始められたのじゃ。これは有り難いお題目ぞな。お前らも聞いておられょうがのう。昔、文永の役といってな蒙古の大軍が九州へ攻め寄せてきたじゃろうが。そうよな、もう六十年も昔のことになるかのう。この蒙古の来襲を日蓮上人は六年も前に予言されたのじゃ」
「ほほう。蒙古襲来のことはわしも爺さまから餓鬼の頃聞かされて知っとるぞ。じゃがなぁ、お前さん日蓮上人が六十年も七十年も前に唱えられたのなら、日蓮上人さまは何才になられるのじゃ。たいそうなお歳よなぁ」
「もし生きとられりゃぁ百歳を越えとられましょうぜぇ」
「それじゃぁ、日蓮上人様はもうお亡なくなりなさったんかいのう」
「そうじゃ」
「では、お前さんは誰に教わりんさったんじゃ」
「わしが、南無妙法蓮華経のお題目を教えて戴いたのは日実上人といってな、日蓮上人のひ孫弟子に当たるお坊様じゃ。日蓮上人はもう五十年も前にお亡くなりになっていますらぁ。日蓮上人には高弟が沢山おられてのう、日像というお上人様が都へ初めて南無妙法蓮華経を伝えられたのじゃ。この日像上人の一番弟子が大覚上人でそのまた高弟が日実上人様なのじゃ。わしゃぁこの日実上人から南無妙法蓮華経を教わったのじゃ」
「日実上人は日蓮上人のひ孫弟子にあたられるというわけじゃな」
「そうじゃ。日実上人様は今、備中野山の妙本寺へ来ておられますがな」
「わしらにも教えてつかぁさるじゃろうかのう」
「教えてつかぁさりますらぁ。教えてもらいたかったら先ず、南無妙法蓮華経を唱えられぇ。このお題目だけが仏法の神髄じゃ。南無妙法蓮華経を唱えてさえいれば、貴賤、老若、男女の差別なく善人も悪人も、成仏出来るのじゃ。難しいお経もいらんのじゃ。修養もいらんのじゃ。この世の災難も避けられるのじゃ。あの世でも成仏できるのじゃ。南無妙法蓮華経を唱えんせぇ」
「戦が始まろうとしているときに南無妙法蓮華経はわしらを救ってくださるんじゃろうか」
「そこが南無妙法蓮華経のよいところじゃ。必ず救ってつかぁさるんじゃ。末法の世だからこそ、お釈迦様の正しい教えである法華経を広めなきゃぁおえんのじゃ。法華経がこの世の隅々までいきわたれば、この世が仏の浄土であることがはっきりするんじゃ」京都から戦火を逃れてきた備前の国の刀鍛冶の中に日蓮上人の法華宗に帰依しているものがあり、「南無妙法蓮華経」のお題目さえ唱えていれば貴賤、男女、善悪人等の差別なく一切衆生は成仏できると説いて廻っていた。この教えは他宗を認めず攻撃するところ甚だしいものがあるが、悪代官の厳しい取り立てに喘ぎ、飢餓寸前の百姓達には強烈な説得力をもっていた。この刀鍛冶の名を備前長船村の垂光という。 垂光は備中山手の領主荘左衞門次郎が端女に生ませた庶子である。母は彼の生後間もなく他界し、乳母の手によって育てられた。幼名を虎丸と称し、性豪胆でかつ才気煥発にして好奇心も旺盛で幼時から猫や犬を可愛がっていた。特に蛇を可愛がるさまには異常なものがあり、捕まえて来た蛇を布団に入れて寝起きを一緒にする程であった。虎丸の手は蛇を魅惑する形をしていたようで、蛇に向かって掌を広げ近付いて行くと、蛇は竦んでしまって動けなくなり、易々と虎丸に捕まってしまうのである。村人達は「お館様かたの蛇丸様」とあだ名した。この異常な性癖のゆえに兄である三人の嫡子達とのいさかいが多く、乳母からも疎んじられ、肉親の情愛を受けること少なく、次第に蛇をはじめとして犬、猫兎狐、狸、鶏等の動物の世界へ耽溺していくのであった。

 荘氏は備前山手村の幸山に館を築いていたが、居館とはいえ山の上にあり、土地の者は幸山城と呼んでいた。その幸山城の近くに福山があり、海抜三百メートルの山頂には十二の坊を持つ福山寺があった。福山寺の開山は不明であるが、天平年中(七二九~七四八)に報恩大師が建立したと伝えられている。聖武天皇の詔(七四一)により備中総社村に国分寺が建立され、金光明最勝王経と妙法蓮華経が安置された時期とほぼ同時代である。国分寺は鎮護国家・消災致福を祈って発願された官寺であり、律令制国家の手厚い保護を受け、近隣の村人達の崇拝を得て繁栄した。
 福山寺も創建当初は、国分寺同様近隣の山手村、清音村の村人達の参詣で賑わっていたが、源平合戦の頃から次第に荒れ初め、荘一族がこの地へ移住してきた頃には、法灯も消えかねない程度の荒れようであった。
 そもそも、荘氏がこの地へ源頼朝の代官として武蔵の国より移住してきたのは百四十年余前に遡る。荘氏の祖太郎家長が建久三年(一一九二年)一の谷の合戦で平重衡卿を生け捕りし、その功により恩賞として備中四庄を源頼朝より賜ったからである。
 太郎家長は神仏に対する尊崇の念篤く荒れ放題になっていた福山寺を修復し、氏寺として保護を与えたので、創建当時の殷賑を取り戻した。また荘一族は備中四庄(下道庄、浅口庄、窪屋庄、都宇庄)の経営に力を注ぎ新田を開発してその領地を広げた。


 当時の家督相続は、鎌倉時代に行われていた所領の分割相続から嫡子単独相続へと次第に移行していた。このため兄弟間で相続争いが頻発するようになっていた。特に腹違いの兄弟どうしの争いが多かった。そこで虎丸の父荘左衞門次郎は嫡子と庶子の間で相続争いが生じるのを防ぐために、虎丸を七才のとき、福山寺の僧円念に預けた。当時の氏寺の大半がそうであったように、福山寺でも寺僧は氏人から選ばれることが多く、僧円念も荘一族の氏人であった。円念の境遇は虎丸に似ていた。円念も荘一族の氏人ではあったが、庶子であり多数の嫡出の兄弟の中にあって、疎んじられながら肩身の狭い思いをして成育したのである。円念は備前岡山の真言宗福輪寺で修業を積んだ後、その侠気を荘左衞門に買われて福山寺の寺侍の元締に補されていた。福輪寺は日蓮宗の布教のため備前に入っていた大覚大僧正が備前津島で辻説法をしていたとき、当時の福輪寺の座主良遊が大覚に宗論を挑み論破され、一山ともに改宗して後、妙善寺と改名した名刹である。
 虎丸を預けられた時、円念は三十五才であったが、境遇の似ている虎丸をこよなく可愛がった。円念は出家とはいえ、寺侍達を取り仕切っていたから、剣術の腕は相当なものであった。


 福山寺の生活にも慣れてきたある日、円念の剣術の稽古を傍らで見ていた虎丸は、自分にも剣術を教えてくれと頼みこんだ。
 「虎丸よ。何故剣術を習いたい」
 「敵をやっつけるためです」
 「お前の敵とは誰のことだね」
 「私に危害を加えようとする者すべてです」
 「例えば誰だ」
 「幸山城の太郎太」
 「お前の兄ではないか」
 「兄であっても私に危害を加えれば敵です」
 「刀は何のためにある」
 「人を切るためです」
 「何故人を切らねばならない」
 「切らなければ自分が切られるからです」
 「それはそうじゃ。だがのう、人を切らなくてすめば、刀はいらなくなるとは思わないか」
 「人の心に支配欲、征服欲のある限り刀は人を切るためにあるのではないでしょうか」 「わしは人の心から支配欲、征服欲を無くすことができると思っているのじゃが」
 「それはどのようにしてですか」
 「人が皆、仏のみ心にお縋りして信心し、修業を積むことじゃ」
 「人が皆、信仰に生きる世が実現して、人の世に争いや戦が無くなれば刀は要らなくなるのでしょうか」
 「人を切る目的の刀は無くなるであろうが、刀そのものは無くならない」
 「何故ですか」
 「もともと刀の前は剣(つるぎ)と呼ばれた両刃であった。剣は突くための武器であって切るための武器ではなかった。そのうち剣を片刃にして切る目的で作られたのが刀なのじゃ。刀が剣に変わって多く使われるようになると、剣は祭りごとだけに使われるようになったのじゃ。同じように争いが無くなっても、刀は祭りごとのために残るであろうし、美術品として残るだろうと思うのじゃ」
 「刀が鑑賞のためだけにつかわれるような世がくるといいでしょうね」
 「そのためにも仏のお慈悲を広めなければならない」
 円念は虎丸にお経と武術を教えたが、それ以上に剣のもつ美しさを教えた。気性の激しい虎丸に刀の武器性よりも美術性の方が価値があることを悟らせ荘一族の中で争いが起きないようにするのが円念の役目だと自覚していたからである。動物好きな虎丸には武術よりも剣の美しさのほうが心の慰めになった。そんな生活の中で虎丸の心の中には刀の使い手であるよりも、鑑賞者であるよりも、刀を作る者になりたいという気持ちが育まれていくのであった。美の創造者になりたいという思いが心の奥底に沈澱していくのであった。


 虎丸が十才になったとき、福山寺の僧円念は父荘左衞門次郎に虎丸を備前長船の刀鍛冶景光に弟子入りさせることを進言した。この時代は後の江戸時代と違って士農工商という身分制度もできあがっておらず、農民が荘園内の田畑を耕作するが同時に武装もして外敵と戦うことが多かったし、鍛冶が武器をとって戦うこともあったので領主の庶子が刀鍛冶になることには違和感というものがなかった。
 「お館様、昔、村上天皇、冷泉天皇、一条天皇の佩剣を鍛えた名工として誉れ高い実成は長船の刀鍛冶でございました。しかも実成は虎丸様と境遇がよく似ておいででした。虎丸様は剣術の腕も磨かれ、お強くなられました。しかし御気性からして、剣の道を歩まれると荘家の将来にとって、由々しき事態が起こらないとも限りません。仏門で修業を続けられる御意志はないようにお見受けいたします」
 と円念は荘左衞門次郎に言った。


 円念の語るところにれば、実成は備前の国司が朱雀天皇(九三十~九四六)の御代に自分に仕える女に生ませた庶子であり、幼くして母を失い寺に預けられたが、やがて刀鍛冶に弟子入りして名工になったというのである。現在長船村で名工として売りだし中の景光は円念と母方の縁続きであるという。
 「そうだ、それは良い考えかもしれない。早速景光を呼んで呉れ」
 「心得ました」


 数日後長船から景光が幸山城へ呼び出された。
 「のう景光よ、お主の爺さまの光忠が打った刀は天下一品であったと聞いておるぞ切れ味といい右に出るものはなかったそうな」                    
 「はぁ恐れいります。お館様にそのように我が御先祖様のことをお褒めに預かるとはまことに晴れがましゅうございます。刀鍛冶として家門の誉れに存じおります」
 「お主の父の長光もこれまた天下に比類なき名工と聞いておる。弘安の蒙古来襲(一二八二)の折に執権時宗公が蒙古の使者を成敗された刀がお主の父長光の打った刀だということは天下にあまねく知られていることだからのう」
 「ははぁ、刀鍛冶として過分のお言葉。景光身に余る光栄に存じおります」
 「光忠、長光と我が荘家との付き合いも長いものじゃのう。光忠の打った刀を我が祖父が携え文永の役(一二七四)の折り、肥前の国へ出陣して以来の付き合いじゃ」
 「この乱世にあって、頼朝公以来の名門である荘家よりそのように長い年月御愛顧戴いたること、刀鍛冶として一門の誉れにござりまする」
 「ところで、景光おりいって願いの儀がござる」
 「ははぁ、これはまたなんでござりましょう。景光に出来ることでございますればなんなりとお申し付け下さいませ」
 「ほかでもないが、我が息子虎丸のことじゃ。そちも承知の通り、虎丸は気立てが優しく、生き物を我が友として成長して参ったが剣術の腕前も相当上がったようで、このまま進んで剣術の腕が磨かれると兄弟達との間で争いが起こりかねないという虞れがある。この円念坊に預けて仏門の道を進ませようと考えていたのじゃが、研ぎ澄まされた刃の美しさに魅せられてしまったらしい。刀鍛冶になりたいと言うのでな。武芸を習わせるよりも刀鍛冶にして武士の魂を磨かせたほうがあの子の将来にとっても荘一族の将来にとってもよいのではないかと考えるのじゃが、そちはどう思うかの」
 「お館様、それは良い所にお気がつかれました。乱世の世の中でありますれば戦に命を掛けるのも一生。刀鍛冶になって武士の魂を作り磨くのも一生と心得まする」
 「そうか、それでは景光よろしゅうお願い申す。虎丸を頼みますぞ」


 景光に弟子入りした虎丸は備前長船村で修業に励んだ。生来、好奇心が旺盛なだけに、一事に集中することが苦にならない性格で根気よく仕事に精をだした。加えて動物が好きな性格であったから細かな所の観察が鋭く師の景光も驚く程の上達振りであった。
 「虎丸よ。お主を幸山のお城から預かってきてはや五年が過ぎた。腕の方ももう一人前だ。ついてはいつまでも虎丸というわけにもいくまい。どうじゃ、我が祖光忠の一字を戴いて、以後は垂光と称すがよかろう」
 「ありがとうございます。ついては、お師匠様におりいってお願いがございます」
 「なんじゃ。申してみるがよい」
 「聞く所によりますれば、都には優れた刀鍛冶が集まっているとか、垂光も都へ上ってもそっと腕を磨きとうございます」
 「それもよかろう。山城粟田口派の国綱、備前直宗派の三郎国宗、福岡一文字派の助真等の流れを汲む名工達が技を競っているのが都じゃ」
 垂光はかくして都へ上り刀鍛冶として腕を磨き、かたわら日像によって都にもたらされた日蓮宗についての見聞を深めたのである。           

荘一族に荘常陸兼祐という土豪がおり、智略にたけていた。幸山城にいる荘左衞門次郎一族の分家筋にあたり、都宇庄を分与され福山の麓に館を構えて南部地域の新田の開発に精を出していたが、荘一族の中では欲深で物欲のためには信義を平気で破る油断の出来ない男と見られていた。荘常陸兼祐には男子がなく雪姫という娘が一人いたが稀にみる美貌の持ち主であった。彼は荘左衞門次郎の三人の嫡子太郎太、次郎太、三郎太の内末の子の三郎太を雪姫の婿に迎え入れようと申し入れ近く祝言をあげることになっていた。
 元弘の変(一三三一~一三三三)の頃から護良親王令旨とともに御醍醐天皇の綸旨や足利尊氏の催促状が使者によって届けられるので、何れに与するのが自分の為に得策かと考え悩んでいた。兼祐の本家筋にあたる左衞門次郎が早くから足利方に加勢する意志を示していたので、悩みは大きかった。備前児島には豪族の佐々木一族が控えており、有力な土豪飽浦信胤も積極的に足利方に助力していた。


 一方備前邑久郡豊原荘の地頭今木氏や大富氏は児島高徳と共に天皇方の有力な支持者であった。ところで、児島高徳については次のエピソードが残されている。
 後醍醐天皇が隠岐の島へ流されることになったことを知った児島高徳は帝を播磨船坂峠で奪回しようと待ち伏せしたが、天皇一行は山陽道を通らず、播磨の今宿(姫路)から美作へむかっていた。既に院庄(津山)に入っていた天皇にこの地にも天皇に心を通じる忠義の武士達がいることを伝えたくて、御座所近くの桜の大木に次の詩を書きつけた。
 「天 匂践を空しゅうするなかれ 時 范蠡なきにしもあらず」
 天は越王匂践(後醍醐天皇)を空しく殺し奉ってはならない。越王を助けて恥をそそいだ范蠡のような忠臣がいないとはかぎらないという意味である。
乱発される綸旨や令旨や檄は地方の豪族達の去就を決めかねさせていた。
荘常陸兼祐は始祖太郎家長が源頼朝の恩顧をうけた武将であることから、味方するなら同じ源氏の足利側にと心密かに決めていたが、戦況や政情が目まぐるしく変わるので、旗幟鮮明にすることなく日和見主義をきめこんでいたが何れの側に加勢するにしても、平地での戦よりも石垣を持ち山の上にある福山寺を砦にした方が戦い易いと考えて、福山寺に立て籠もって情勢を見守っていた。


一族の荘左衞門次郎はいちはやく足利直義の旗下に参じて、幸山城に布陣していた。幸山城は始祖太郎家長が武州から移ってきたとき築いた城であり、福山城とは指呼の距離にあった。
荘左衞門次郎の使者が足利方に味方するよう荘常陸兼祐の許へ幾く度か往来した。 垂光は、父左衞門次郎の密命を帯びて福山へ赴いた。垂光は墨染の衣を纏い僧に変装して、勝手を知った抜け道から福山城へ入城し円念と過ごした僧坊の前までたどりついたとき草むらに蛇をみつけた。垂光がいつものように左手の五本の指先を第一関節のところで曲げて掌を蛇へ向けると、蛇は竦んで身動きできなくなった。蛇を捕まえたとき、この様子を不審に思いながら見ていた警護の寺侍に誰何された。
「お主、何者じゃ。そこで何しとる」
「ご覧の通り蛇を捕まえたのじゃ」
「蛇をつかまえてどうする」
「首に巻いて南妙法蓮華経を唱えるのじゃ」
「さては、最近蛇を首に巻いて、新しいお題目を唱えてまわる怪しげな者がいるとの噂 ゃが、お主のことか」この寺侍は最近雇いいれられた悪党の一人らしく垂光の記憶にない顔であった。眉が濃く骨太の男でずんぐりした体格であった。
「さよう、南妙法蓮華経をお唱えんせぇ」
「怪しい奴だ、こちらへ来い」 垂光は寺侍に捕まえられて、警護小屋へ連れていかれた。警護小屋には垂光が昔円念の元で修業していた頃の顔馴染みも居たが、成長盛りに長船村の景光へ弟子入りしたので背丈、顔つきも変わっており、人相から虎丸であると気がつくものはいなかったが蛇をてなづけていることが彼らの記憶を呼び戻した。
「若い僧侶に身をやつした密偵が捕まったそうな。蛇を首に巻いてござるそうじゃ」「もしや、虎丸様ではなかろうか。蛇をあのように手なづけられるのは虎丸様をおいて他にはいない」と一人の男が言った。
「そうじゃ。虎丸様じゃ」
「なんでまた密偵のような真似をしなさったのじゃろうか」
騒ぎは城中へ広がり、女中達も見物に来た。
「何と涼しげな顔立ちの坊様でござろう」
「意志の強そうな目付きをしておられることよ」


噂を聞いた常陸兼祐の娘雪姫もお付の侍女を連れておそるおそる見物にきた。虎丸が福山寺にいた頃は雪姫はまだ三才で虎丸のことは覚えていなかったのである。
垂光がきっと正面を見つめている視線に雪姫の姿が写った。雪姫の視線と垂光の視線が交錯したとき蛇に睨まれた蛙のように、雪姫は竦み、体中に雷にうたれたような衝撃がはしった。
垂光は寺侍の総元締円念の前に引き出されことなきを得た。
円念に伴われて、兼祐の前に連れてこられた垂光をしげしげと眺めて兼祐は言った。「おう、これは虎丸殿、いや垂光殿でござったな。蛇丸殿も大きゅうなられたのう」「はあ、お館様お久しゅうございます。本日は、南妙法蓮華経をお勧めに参上いたしました」
「あの幼かった虎丸殿がこのように見事に成人されて、これはまた御説法に参られたとは、人も変われば変わるものよのう」
「これも、皆円念様の御指導と我が師景光様の御加護のせいでございます」
「ところで、幕府が滅びたうえに、帝の世継ぎの問題で争いが起こりこの山手の田舎にまでその影響がきておるぞ。はてさて、どちらが勝つのやら」
「それはさておき、お館様は足利方と新田方とどちらへお味方なさるおつもりですか」
「何れも源氏ではないか」
「私の見るところ足利殿の方が器量が大きいように思います。今でこそ逆賊になっておりますが、この乱世を纏めていけるお方は足利尊氏殿をおいてほかにはないと考えます」
「それは、左衞門次郎殿のお考えか」
「そうです。それがしも父の考え方に同意しております」
「これはまた何故そのように思うのかの、訳を聞かせてはもらえないかの」
「さればでごさいます。それがしも、幼き頃より、生き物の世界に興味をもち争いの無い世界はないものかと考えてまいりましたが、動物どもは己の生活の領域をあらすものに対しては、果敢に死を掛けても戦います。しかしながら、己の生活の領域が確保されれば決してそれ以上のことは致しません。まして人間のように、己の名誉や家門の名誉のために争うことを致しません。足利殿はこの世に争いのない世界をつくろうと考えておいでなのです。おそれながら、現在の戦は皇位継承をめぐっての争いであろうかと考えます。天皇様を取り巻くお公家衆が民の迷惑も考えずに名誉欲と権勢欲の権化と化し権謀術策を巡らして、諸国の武士を我が味方に取り入れ天下をほしいままに動かそうということから起こった争いであると考えております。ところが、足利尊氏殿ははやくこの世の争いを無くして、民百姓が安心して暮らしていける世をつくりたいとお考えなのです。足利一族のことよりも、天下泰平を願って戦っておられるのです。それが証拠には源氏同門の新田義貞と戦っておられることでもお判りでしょう。新田殿が天皇方の策略に踊らされて、源氏の中でも下積みであった新田家の名誉を挽回しょうとしておられるのとは、志の高さが違うと思うのです」

 父兼祐の傍らで雪姫は垂光の弁舌にほれぼれしながら聞き入っていた。なんと理想の高い高潔なお人柄なのであろうかと思いながら。
「なるほど、志の高さと申されるか。それにしてもお父上もお若いのう」
と常陸兼祐は志の高さだけで世の中が動けば何の苦労もないのにと心の中でつぶやきながら言った。
「しかも、今でこそ賊軍と言われていますが、必ず新しい帝の綸旨が下りると信じております。その節には立場が逆転し、新田義貞軍が逆賊になるのです」
「我らは武家だから、主人に忠節をつくすのが本分であろう。しかし恩賞あってこその忠節であろう。どちらの側の恩賞が多いだろうか」
「足利殿だと思います。ところで、お館様天皇方の先鋒隊の大江田氏経殿は必ず福山城を攻撃してきます」
と垂光は言った。
「何故、分かる」
と兼祐が聞いた。
「実は私は大江田様の刀を一振り鍛えてお届けすることになっておりますが、そのお届け先が福山城なのです」
「なに。お主はどちらの味方なのだ。二股かけているのか」
「刀鍛冶にとっては自分の作品を買って下さる方が大切なので敵味方はありません」「先程から、お主は足利方の方が正義で、天皇方は不正義だと言っているではないか」
「その通りです。しかし刀を買って戴くことはこれとは別のことなのです」
「そういうものかのう。いずれにしても、天皇方にお味方するか足利方にお味方するかはよく考えてみよう。父上に宜し伝えられよ」
と言って垂光を引き取らせた兼祐はまだ結論を出さなかった。日和見主義に徹しようと思っていた。


一方天皇方の新田義貞軍の先鋒隊、大江田氏経からの勧誘の使者が荘左衞門次郎の許へ往来した。
「これは正義の戦でござる。その証拠に逆賊足利尊氏は九州に逃げたではないか。全国には帝の綸旨を奉じたてまつる武士達が結集しようとしているのだ。天皇親政を実現しようとするものでござる。我が陣について正義を実現されよ。勝利の暁には恩賞として官位官職が下されましょうぞ」
と大江田氏経の使者は言った。
「いかにも、帝が親しく政を行われるのは結構なことでござるが、現在の知行地さえ安堵されないことがあると聞き及ぶが如何に。我等は源氏の恩顧を受けた者。足利殿は我等の棟梁でござる。この世に戦をなくそうとしておられる無欲の足利殿にお味方致す」 左衞門次郎は荘兼祐との間で争っている所領のことを思いながら言った。
「新田殿も源氏ぞ。足利殿は天皇に弓引いた逆賊であるぞ。ここのところをよく御勘案あれ」
「御忠告なれど、乱世に生まれた武家の宿命。志の高い足利殿にお味方申す」
この時の左衞門次郎は、周辺の豪族達は足利軍に加勢すると読んでいた。加勢しないまでも、中立を保ち形勢をみて、戦に分のあるほうへなびくであろうとみていた。今、左衞門次郎が足利方に加勢すれば雪崩のように周辺豪族達は自分にならって足利方へなびくものと自負していた。ただ心配なのは同族の荘兼祐の動向であった。使いに出した垂光の報告では荘兼祐は旗幟を鮮明にすることなく日和見主義でいく気配であった。戦乱の世のならいとは言え同族が敵味方に分かれて争う愚だけは避けたいと思っていた。       
 幸いなことに児島の飽浦信胤が兵を率いて福山城に駆けつけ荘常陸兼祐を説いて足利軍に加勢させたと知り、足利軍の有利を確信していた。
荘一族を味方に引き入れることには失敗したが大江田氏経は、左衞門次郎の予測に反して付近の豪族達を味方に引き入れることに成功した。大江田氏経が軍使に言わせたのは次のきまり文句であった。
「これは正義の戦である。天皇親政を実現するための戦である。勝利のときには加勢した武将には官位官職が恩賞として下される」
田舎の豪族達は乱世に力を蓄えてきた武士であり名門の出でない者たちは天皇家に組みし官職を貰うことで社会的な権威を獲得しようとした。彼らにとっては、手柄をたてて都で官位官職を手に入れることは魅力であったし、天皇家に忠誠を誓うことが彼らの倫理感にもあっていた。

大江田氏経は、日和見主義者の多いこの地域では最初に行動を起こし、緒戦で圧倒的に勝つことが肝要と考えた。夜陰に乗じて全軍に火矢を持たせ一斉に福山城内へ放たせた。火矢を放ってからは全軍一斉に突撃をさせたのである。戦には勢いというものがあり、緒戦で勢いに乗った側が有利に展開することが出来る。大江田氏経は自ら先頭に立って栗毛の馬に跨がり緋縅の鎧に兜を被り、福山城に向かって突撃した。雪崩の勢いの突撃であった。博打のような戦法であったが相手の出鼻を挫いて充分であった。奇襲攻撃といえた。 ところが思いがけないことが起こった。敵側より弓矢の応戦は全くなく城の門が開いて白旗をかかげた兵達がなんの抵抗をするでもなく大江田氏経軍を城内へ導きいれたのである。荘常陸兼祐と飽浦信胤とが共謀した裏切りであった。一番堅固な城と目されていた城を天皇方に渡し、逆賊となっている足利方を打ち破れば荘左衞門が領している下道庄、浅口庄、窪屋庄の領地が恩賞として貰える手筈になっていた。大江田氏経の軍使が密かに福山城を訪れた時の約束であった。このような密約に助けられて大江田氏経が福山城をなんなく攻めて落としたのは延元元年四月三日(一三三六年)九州にいた足利尊氏が西国武将を結集し上洛を開始したときであった。                      
  福山城に布陣した大江田氏経は山陽道のこの要衝の地を天皇方の第一線とし、荘常陸兼祐と飽浦信胤との降参兵を天皇方に加えて大江田氏経軍兵士達の士気は大いにあがった。

     
この時の模様は太平記に次のように述べられている。
『新田左中将の勢、すでに備中、備前、播磨、美作に充満して、国々の城を攻むる』 
この当時所領は嫡子分割相続で細分化しており、所領を増やすには荒野を開拓するか戦争で勝ち敵方の闕所(没収地)を分配して貰うしか術がなかった。元来武士は武芸をもって支配階級に仕える専門職能集団であったが、支配階級が分裂すれば彼らも分裂するのは必然の成り行きであった。恩賞を貰うためには勝つ側に加勢しなければ意味がない。恩賞の貰えない戦には参加しないほうがよい。当時降参半分の法という慣習があり降参人は所領の半分ないし三分の一を没収されて許されていた。従って、降参や寝返りが多く後年の江戸時代の武家社会の慣習とは大きく異なっていた。去就の自由があり主従関係は恩賞次第という即物的なものに左右された。荘常陸兼祐と飽浦信胤の裏切り行為と同じようなことが行われるのも珍しいことではなかった。


                   
九州で陣容を立て直して、軍勢を海陸の二手にわけ東上を開始した足利勢は尊氏が五月に児島下津井に千余隻の水軍で到着し吹上に三日間陣を張った。一方山陽道を東上した弟の足利直義は福山城を延元元年(一三三六年)五月十四日三方から取り囲んだ。足利直義の軍勢は三十万にのぼった。対する大江田氏経は城内に僅か一千五百の兵力であった。  早くから足利方に加勢していた荘左衞門次郎はこのときも足利直義軍の旗下に参じ裏切り者の荘常陸兼祐を打ち破ろうと先鋒隊を買って出て福山城を攻めた。しかしながら城に籠もった大江田氏経直轄の城兵は士気が高く常に奇襲戦法で足利の大軍を悩ました。その勢いで本陣をつき足利直義に迫って、彼を討ちとらんばかりの勢いであった。しかしその後は膠着状態が続き勝敗の帰趨は予想すべくもなかった。裏切り者のこういう局面での決断には常人では考え及ばないものがある。荘常陸兼祐の判断も異常であった。戦況を観察していた荘常陸兼祐は一旦は天皇方に味方したものの勢力を盛り返した足利軍の方に勢いがあると見て再び裏切った。手兵に命じて密かに城内の数箇所に火を放ち火災を発生させたのである。この火事が引き金となって、城内は大混乱に陥り、足利方の軍勢の総攻撃にあい城兵五百騎が討ち死にした。氏経は四百に減ったにも関わらず、二十六回にも及ぶ逆襲をし、ついに三石城にいた新田義貞軍と合流した。

                               
荘常陸兼祐は軍使を足利直義に派遣し、難攻不落の堅城を無血開城したと見せ掛けて敵を安心させた。その上で城に火を放って天皇方を混乱に陥れ、足利方に勝利を導いたのは手柄であるから、その手柄に免じて所領を闕所とすることなく,安堵して欲しいと懇願した。 

        
五月十五日から十八日までの三日間の激戦であった。この福山合戦では荘左衞門の三人の子供太郎太、次郎太、三郎太も参戦した。三郎太は捜し求めて、裏切り者の荘常陸兼祐の首を打った。
「降参半分の慣習があるとはいえ兼祐殿あまりにも、信義にかけましょうぞ。武家は忠こそを尊びたきもの。雪姫殿とのことは破談にしてくだされ。御免」と涙ながらに刃を走らせたのである。
荘常陸兼祐の首は高梁川の河原に曝された。


  
円念は雪姫を密かに城外へ連れだし長船村の刀鍛冶景光のところへ保護を頼んだ。いちはやく幸山城に布陣した荘左衞門はこの福山の合戦での功を認められて猿掛城の城主に封じられ、以後小田庄も知行地に加えることになった。


   
垂光は福山の合戦のあと、仏門に仕えたことのある者として城内で討ち死にした荘常陸兼の首のない遺体や大江田氏経軍兵士の夥しい数の死体を弔った。

    
福山の合戦のあと大江田氏経の求めに応じて鍛えた一振りの刀は転戦する大江田氏経の手元へ届ける術もなく、暫く垂光の許にあった。

    
一三三八年新田義貞が越前藤島の戦いで敗死し、大江田氏経も戦死したという便りが垂光の耳に入った。無常を感じた垂光は刀の武器性が嫌になり刀鍛冶を辞めた。そして、桃作りに専念しながら荘常陸兼祐と大江田氏経軍兵士達の菩提を弔った。雪姫は円念に助け出されたあと暫く長船村の景光鍛冶のところで庇護をうけていたが、荘三郎太との婚約も破談となり、失意の日々を送っていた。円念の世話で水光の女房となり彼と共に桃を作るかたわら父と兵士達の菩提を弔った。後年垂光の作る桃はまるで蜜のような味のすることからいつとはなしに「水蜜桃」と呼ばれるようになった。水蜜桃の名だたる産地は福山城と幸山城のあった山手村と清音村である。(平成五年一月四日脱稿)
                                     

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