朝日新聞誤報問題の顛末

2015.11.16

朝日新聞の捏造記事はこうして作られる。

渡部亮次郎氏から配信されたメルマガで朝日新聞の記事捏造体質がよく判った。以下は全て転写である。
     
 
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朝日新聞、マスコミ界の北朝鮮
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伊勢 雅臣

~ 永栄潔『ブンヤ暮らし三十六年』から

 真っ当な報道記者は、こうして排除されていく。

■1.『ブンヤ暮らし三十六年:回想の朝日新聞』

朝日新聞や『週刊朝日』などで36年の「ブンヤ暮らし」を務めた永栄潔
(ながえ・きよし)氏が、その内幕を描いた『ブンヤ暮らし三十六年:回
想の朝日新聞』が話題を呼んでいる。Amazonでは20件ものカスタ
マーレビューが寄せられ、うち星5つが16件、星4つが2件という高評価だ。

弊紙でもこれまで登場いただいた朝日新聞記者の素顔が描かれていて、な
るほど、こういう人物が、こんな風に朝日の中をかき乱し支配していった
のだな、と納得できる場面が多かった。

本稿では、そのうちの印象的な場面をいくつかご紹介しよう。弊誌では朝
日が行ってきた偏向報道を何度も論じてきた[a]が、それがどんな風に生
み出されてきたのか、がよく判るだろう。


■2.本田雅和記者の豪腕

最初に登場いただくのが本田雅和記者。日本軍が中国で「百人斬り競争」
をしたとでっちあげて、山本七平氏から「論理的にありえない話」と論破
された本多勝一記者[b]、沖縄のサンゴ礁を自分で傷つけた上で環境破壊
を戒める記事をでっちあげた本田嘉郎記者と並んで、「朝日の3ホンダ」
と並び称される一人である。

本田記者は、「従軍慰安婦」問題が昭和天皇の責任であったと追求する市
民団体による「女性国際戦犯法廷」(平成12 (2000)年)を準備段階から
支援し、積極的に報道するのみならず、主催団体と一緒に北朝鮮にまで渡
航して、協力を求めている。

その4年の後、北朝鮮が送ってきた横田めぐみさんの「遺骨」が偽物と鑑
定され、「北朝鮮を制裁すべし」との世論が高まっていた最中に、その中
心であった安倍晋三・経産相(現首相)と中川昭・経産相(故人)が
NHKの「女性国際戦犯法廷」に関する番組に「圧力をかけた」と、本田
記者は朝日の第一面で糾弾した。

 しかし、中川氏がNHK幹部と会ったのは番組放映の後なのに「放映
前」と書き、幹部が安倍氏には予算説明に行ったのに「安倍氏が呼びつけ
た」とした。安倍・中川両氏から「事実無根」と訂正・謝罪を求められ、
NHKからも公開質問状が寄せられたというなんとも強引な捏造報道をす
る人物であった。[c]


■3.「崩御」か「死去」か

 永栄氏は、その本田記者と大激論をしたそうだ。昭和天皇が病床にあっ
た昭和63(1988)年暮れ、二人は『週刊朝日』編集部に属していた。ある
日、緊急部会が開かれ、天皇が亡くなられた時の言葉遣いをどうすべきか
が諮られた。編集局、出版局ごとに意見をまとめて、全社で統一すること
になったからだ。

 本田氏がさっそく手を挙げて、こう言った。

ぼくは、『死去』がいいと思います。『崩御』は絶対に反対です。『崩
御』という時代錯誤の用語を使うことは、天皇制を認めることになる。た
だ、そんな用語のことより、ぼくは、われわれがいま取り組むべきは天皇
の戦争責任を追及することだと思います。

新聞は一度も天皇責任に正面から切り込まない。新聞がやらないのであれ
ば、『週間朝日』でやるべきです。そのことを議論しませんか。[1,p49]


他の人からは「ご逝去ではどうか」という案が出て、編集長から意見を
求められた永栄氏は、こう語った。


崩御が特別な用語だというのはその通りだろうが、崩御を使うことは天
皇制を認めることになるという理屈が分からない。天皇は憲法に「国民統
合の象徴」とあり、天皇は憲法上も特別の存在であるわけだ。・・・

天皇や皇后が亡くなったことをいう崩御という言葉があるのに、ご逝去に
するというのは、「朝日は天皇の敬意を払うつもりはない」という意思表
示と受け止められないか。そのことも考えておくべきだ。ただ、近代日本
の苦闘と天皇への共感共苦が底にあるなら、「死去」でも構わない。[1,p49]

本田氏は、永栄氏の発言中も「おかしいですよ」「議論が逆立ちしてい
るよ」と何度も挙手した。発言が終わると真っ向から反論し、いつしか二
人の論争が延々と続いて周囲はうんざりしたという。


■4.「噫(ああ)軍神乃木大将」

最後に、編集長が「それでは『ご逝去』ということにしましょう」と締
めくくった。どこの部も「ご逝去」で上層部に提案したということだった
が、実際に昭和天皇の崩御を伝える号外、新聞見出し、『週刊朝日』と
も、すべて「崩御」で統一されていた。どうしてそうしたかの説明は、編
集長クラスにもなかったという。

 永栄氏は「乃木大将夫妻の自刃[d]を知った夜の朝日社内が思い出され
ておかしかった」という。


明治天皇の大葬で猫の手も借りたい編集室に乃木希典・静子夫妻自決の
ニュースが飛び込む。「この忙しいときに馬鹿が」「記事のないときに死
んでくれりやあいいのに」などと罵声が飛びかい、見出しをどうするかが
問題になる。「心中だな」 「共同自殺や」。その場にいた生方敏郎の
『明治大正見聞史』 (中公文庫) に出てくる挿話だ。

挿話はこう続く。主筆が隣室から出てきて、「このさい慎んだらどうで
す。聞き苦しい」と言う。そこへ社長が出社する。「乃木が死んだっての
う。馬鹿な奴だなあ」。「社長万歳!」 の歓声が一斉に起こる。にもか
かわらず、翌朝の新聞が「噫(ああ)軍神乃木大将」と、誠忠無二の人の
殉死を悼む記事で埋まっているのを見、生方は唖然とする。そんな話だっ
た。[1,p50]


朝日社内には北朝鮮のような強力な社内統制があるようだ。


■5.「クビにしてやる」

その統制がどのように行われるのかを窺わせる逸話も、永栄氏は語って
いる。永栄氏が入社早々の頃、朝日は日本の報道機関で唯一、北京に特派
員を置いていたが、その報道があまりにも他紙と違うので、戸惑ったという。

当時、文化大革命が進む中で、それを伝えた日本の各社北京特派員は
次々と追放され、朝日の秋岡特派員のみが北京に残っていて、差し障りの
ない報道だけをしていた。[e]

それに対する批判が高まると、当時の広岡知男社長・主筆が、「相手の
厭がることを取材したり書いたりする必要はない」という趣旨を朝日の第
一面に書いていたのに永栄氏は驚き、「私たちは日々、相手の嫌がること
を取材している。こういうことをお書きになるなら、社長をお辞めになる
べきだ」と社長に手紙を出したが、咎められることもなかった。

永栄氏の剛直さは見上げたものだが、社長としては一介の新人社員の手
紙など無視しておけば済むと思ったのではないか。ところが、社論に背く
報道がなされると、対応が違ってくる。

『週刊朝日』が昭和46(1971)年12月10日号で、「林彪のナゾを負う ----
ここ3 ヶ月の中国首脳25人の動静全調査」という特集を組んだ。 林彪副
主席の動静が同年10 月1日を最後に報道されなくなり、側近たち の名は
それ以前から公式報道から消えている事実を調べて、林彪の周辺で 何か
が起きているのではないか、と書いた。

突然、姿を消した林彪の行方を追って世界のマスコミがさまざまな分析
をするなかで、中国現地紙から林彪一派の動静を調べて、異変が生じてい
る可能性がある、と書いたのは、報道機関としてごく真っ当な取り組み
だった。

ところが、編集長の工藤宜(よろし)氏自宅に、まだ夜も明けきらない
うちに、外報畑の元香港特派員が電話してきて「クビにしてやる」と言っ
たそうだ。朝日では一介の記者でも、主流派に身をおけば編集長クラスに
対してこういう口の利き方ができるようだ。

実際に工藤編集長はその後、数週間で解任されたそうだ。「相手の嫌が
ることを書いたりする必要はない」と言っていた社長のもとでは、中国の
「嫌がることを書いた」工藤編集長を飛ばすのは簡単なことだったのだろ
う。こうして真っ当なジャーナリストは左遷され、社論に忠実な似非
ジャーナリストが出世していく。[1,p277]


■6.「こんなもの、載せられるか!」

社論に沿わない記事がいかに排除されるか、永栄氏はご自分の経験も書
いている。

1980年代前半、永栄氏が大蔵省を担当した時は、消費税論議の真っ最中
だった。消費税導入を説く経済学者や経済研究機関のレポートが相次いで
発表されており、永栄氏はそれらの提言を短い記事にまとめた。

その晩、君和田正夫デスク(のち編集担当専務、テレビ朝日社長)に、
「うちは消費税反対なんで、ボツにしたぜ」と言われた。社論に合わない
見解は、消費税のような国民的論議が必要な事柄でも載せないと知り、や
はりそうなのか、と思った。・・・

「おかしいですね」と言おうかと一瞬思ったが、不肖に言う必要のないボ
ツを告げる君和田さんの済まなそうな表情に接し、「わざわざどうも」と
不肖は答えた。[1,p191]


2003(平成15)年3月、アメリカがイギリスなどの有志連合とともに、 イ
ラクを空爆したおり、朝日の社説は「空爆已(や)むなし」だった。朝
日の従来の論調からは理解しがたい社論で、どういう事情でこうなったか
は判らないが、当然、朝日の読者には「戦争は避けるべきだ」と考える人
も少なくなく、そんな意見が読者から「声」欄に寄せられ、採用された。

「声」欄は、不肖が当時属していたオピニオン編集部の管轄だった。
「声」欄のゲラを読んだその日の当番局次長がオピニオン編集部に怒鳴り
込んできたらしい。局次長は「こんなもの、載せられるか!」と怒り、た
だちに差し替えられたという。

不肖はその場に居合わせなかったが、出先から戻って騒ぎを聞き、「読者
の意見なのだから、このまま載せると突っぱねればよかった」と言った。
入社同期の同僚が「いや、社長も論説も、上が全部、駄目だと言ったらし
いんだ」と声を潜めた。[1,p192]

この時は、永栄氏の同僚はみな空爆に反対で、一人の若い女性記者など
は「空爆已むなし」の社説に抗議して、会社を去ったという。こうして、
その時々の社論に盲従する人ばかりが朝日に残り、出世することになる。


■7.「どんな些細なことでも、自分の目で見、耳で聞く」

永栄氏が富山支局の新米記者になって、最初に担当したのは警察担当
だった。ある日の未明、車が交差点脇の電信柱にぶつかり、折れた電信柱
が民家の屋根に倒れかかったという事故が警察の当直簿に記録されてい
て、それを300 字ほどの原稿にしてデスクに提出した。

デスクは「朝早うから、ご苦労さんやったな。ところで交差点だけど
な、四差路かいな、三差路かいな」と聞いた。「四差路だと思いますけ
ど、もう一度、調べてきます」と答えると、デスク曰く「調べてくる? 
現場に行ったんと違うかいな。それからな、『思います』はあかん。あん
たがどう思おうが、四差路は四差路やし、三差路は三差路や」。

交通課に聞いて戻ると、「電信柱はどのへんで折れたんかいな」「屋根
瓦のほかに被害ないやろな」「前にも同じような被害に遭ったということ
はないやろな」と聞かれ、そのたびに交通課に聞きに行って、職員一同に
大笑いされた。

それらを書き込むと、最初の原稿の3倍くらいになったが、デスクが修
正した原稿には、追加情報は何も残っていなかった。

要するに、不肖への訓練だったのだ。どんな些細なことでも、自分の目
で見、耳で聞くことの大事さを教えようとしたのだろう。悪戦苦闘だった
が、視界がいっぺんに広くなった気がした。[1,p63]


■8.報道機関か、プロパガンダ機関か

こうした事実報道の基本を叩き込まれた事もあってか、永栄氏が特ダネ
をものにして社内表彰を受けたのも、大阪本社管区内では他の誰よりも多
かったかも知れないという。しかし、先輩たちには、何度もこう言われ
た。「永ちゃんは書けるのに、ほんま、惜しいわ。ウチと方向が違うから
なあ」

しかし、「方向が違う」というだけの問題ではない。林彪の行方を探求
しようとると怒鳴り込んだり、数人切れば刃こぼれしてしまう日本刀で
100人斬りをさせたり、と朝日の主流派は「特定の方向」ありきで、そ れ
に向けて事実を隠したり、捏造までしているのである。

朝日新聞社の中にも、永栄氏やそのデスクのように丹念に事実を調べる
所から出発する本物の報道記者は少なくないはずだ。しかし、そういう真
実の報道をしようとする人が「方向が違う」記事を書くと没にしたり、左
遷してしまうのが朝日の体質のようだ。

自由民主社会においては、正確な事実を提供して、国民に向かうべき
「方向」を考えさせるのが報道機関の役割だ。特定の「方向」に沿って事
実を取捨選択したり、時には捏造したりするのはプロパガンダ(思想宣
伝)機関である。

朝日新聞社は、自由民主主義社会に必要な報道機関と言うよりは、北朝
鮮や中国にこそふさわしいプロパガンダ機関のようだ。

捏造・偏向報道は「従軍慰安婦」「原発」だけではない。捏造・偏向報道
は国民を誤った方向に導く。国民一人ひとりがその実態と手口を学ぶこと
で、事実を見抜く力をつけましょう。週刊メール入門講座「国民欺く捏造
報道」 http://bit.ly/1vSb8va

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2015.09.17

元朝日新聞・植村隆氏インタビュー詳報

以下は全て産経新聞からの転載である。歴史資料として保存することにした。

元朝日新聞・植村隆氏インタビュー詳報

「阿比留さんだからと逃げることはない」

朝日新聞の初期の慰安婦報道に関わった植村隆元記者(北星学園大非常勤講師)が、初めて産経新聞のインタビューに応じた。インタビューは7月30日午後に札幌市内のホテルで行われた。インタビューを担当したのは本紙政治部の阿比留瑠比編集委員と外信部の原川貴郎記者。約2時間にわたってやりとりが続いた。
インタビューの詳報を10回にわたり紹介します。

「(インタビューを)産経新聞がやってくれるの想定していなかった」

植村「どうも初めまして植村です。いろいろご質問があるということなので、順次やろうと思うんですが、その前にちょっと、今回わざわざ東京から来られて、ちょっと取材経緯といいますか、意図といいますかですね、その辺のところを教えていただいて…と思うんですけど。いいですか」
阿比留「どうぞ。まず今回は、当初は植村さんに特に焦点をあてる意味ではなくして、朝日新聞による慰安婦検証記事からちょうど1年になりますので、それで1年で何が変わったか、変わっていないのかみたいなことを特集しようということになっておりました。そして、今回改めて植村さんに取材を申し込んだところ、今回はお受けいただけるということですので…。ならばそれは植村さんのインタビューをきっちり載っけたいなということですね」
植村「ああ。そうすると私のインタビューということですか? 原川さんの話だと、特集記事の中にデータとして生かすということだったんですけれども」

原川「まあ、まあ、そうですね、インタビューというか、この取材自体はもう、形式としてはインタビュー取材でしかないと思うんですけど」
植村「ええ、もちろんそれはそうですよね」
原川「形式として植村さんにお伝えしていましたように、いわゆる一般記事の中でご見解とかご発言を引用させてもらうのと、あとおそらくそれでは全て盛り込めないでしょうから、その部分は別途、その一問一答形式とかですね」
植村「そういうのを産経新聞がやってくださるんですか。今まであまり想定していなかったんだけど」
阿比留「いや、でもこれは今までも何度か植村さんには、まあそのたび違う人間かもしれませんが、取材は申し込んで…(きました)」
植村「いや、あのねえ、去年の10月くらいに申し込まれたことは一度あって、その時は書面回答させていただいて、対面取材はなかったですよね。それで1月9日に阿比留さんとお会いして、『どうぞ』ということだったんですけど、その後は申し込みはなかったですよ(注:植村氏は1月9日に文芸春秋と東京基督教大の西岡力教授を相手に損害賠償と謝罪記事の掲載などを求める名誉棄損訴訟を起こし、その後に記者会見した)」
阿比留「その後は植村さんにスポットをあてる理由が特になかったものですから、申し込んではなかったと思いますけれど。そういうわけでですね、せっかく植村さんにお話いただけるならば、今までわれわれが疑問に思っていた点も説明していただければお互いすっきりするかなあということです」

植村「なるほど。すっきりしてくれるのかしら」
阿比留「それは話次第でしょうけど」
植村「でもまあ一つは、もともといただいた質問状に書かれたのも、私が文芸春秋で手記を書いたことにかなり網羅されていると思うのですけれども。だいたい経緯は分かりました」
「取材担当者が変わった理由は?」
植村「今までいろいろなインタビューというのは…当然、僕は今すっごいバッシングを受けているんですよ。その一言、一言で激しく反応する人がいて、基本的にインタビューであればゲラをもらったりしているんですけれども、産経新聞というのはそういうことをやってくださるんですか」
阿比留「それは普段はしませんが、例えば植村さんが話した部分だけをピックアップして、それをお渡しするくらいのことはできるかと思います」
植村「ああ、そうですよね。だいたい今までどこの新聞社もそういうふうにやっていただいている。というのはご存じだと思うんですけど、あの、ひどいんですよ。卑劣な攻撃。娘が脅迫されてましてね。『殺す』というので、パトカーが家を回っているとかですね。そんなような状況なのでね、その辺は非常に配慮していただきたいというのと。分かりました。
それからもう一つお尋ねしたいのは、今日あの、今回ですね、最初の取材の時には原川さんと、もう一人の別の政治部の方が申し込まれて、僕が『(7月)29(日)か30(日)くらいだったら都合がいいですよ』ということになったんですが、突然、その、えーっと、取材担当者が変わったというのはなんか理由があるんですか」

原川「特にないですよ。まあ7月中ということでお願いしていて、どの日になるか分からないので取りあえず取材に行ける可能性が高い別の者を私の名前とともにお伝えしたところ、たまたまいただいた日にちというのがどうしてもその記者の取材が入っていて動かせないということで。そういう経緯です」
植村「ふーん」
原川「それでじゃあもう一人、原川の他に誰を取材に行かせるかということで阿比留記者になったと…」
植村「ということで」
原川「別の日程であればそのまま…」
阿比留「私は29日または31日だったらダメだったんですよ。今日30日ならあいていた」
植村「ということはもう一人の人は29日も30日もダメだった?」
原川「そうです」
植村「なんとなく裏読みする人がいてですね、阿比留記者が最初から申し込んだら植村が断るんじゃないかと」
阿比留「はは」
植村「なぜそんなことを言うかと言ったら、結構そういうのがやっぱり流れているんですよ。産経新聞から逃げ回っているというのがね。ご存じだと思うんですけれども、そういうのがありまして。僕は阿比留記者だから逃げるということはなくてですね、それは1月9日に名刺交換したとき、阿比留さんがね、『取材しますから』と言って、その後もお待ちしていたんですけれども(取材依頼が)なかったということがあったんで。別に阿比留さんが申し込んでくださっても、植村は別に、もともと逃げてなくてね、産経新聞には回答しているんですからね。その辺のところは正確に把握していただきたい」

阿比留「別に逃げられたとは思っていませんけどね。その前段階としてうちの記者が(北星学園)大学に行って(大学側と)交渉したけれど結局無理だったということもありましたからね」
植村「まあ、それは手続きはあると思うんでね。最初にどっか申し込んできたらあれだけど、突然来て大学がびっくりしたみたいで。まあ、あのよかったんです。僕は阿比留さんと実はお会いしたいと思っておりまして。というのは今日取材受けますけれども、せっかく阿比留さんが来たんで、これは私にとっても、とっても大事なチャンス。なぜなら産経新聞の方々とこうやってお話できる。で、まあ、僕は今、名誉毀損訴訟もやっていたりするんで、本来ならなかなかね、その、慎重なことにならざるを得ないんだけど、阿比留さんがいらしているということもあったんで。ちょっとまあ、インタビューに入る前に一つだけ阿比留さんに聞かせていただきたいことがあって」

「『歴史戦』でいきなり植村の話が出てくる」

植村「あのー、私は、『歴史戦』(産経新聞出版)という本を読ませていただいて。ここに阿比留さんの序文がありまして、ここを見るともういきなり植村の話が出てくるんですよね」
阿比留「ああ、(平成26年9月11日の朝日新聞社の木村伊量前社長の記者会見時の)質問のところですね」

植村「質問のところね。これ、阿比留さんの文章だと思うんですけど、『記事では(元慰安婦の)金(学順氏)は匿名となっていたが、親から売られたという事実への言及はなく、強制連行の被害者と読める書きぶりだった』というのが書かれていた。これについてちょっと最初に教えておいてほしいの。まあ今日の質問とも関連してくると思うんですが、やっぱりこれだけの部数の本にこういうふうに書かれているということでね。これ、一体どういうことですか。『親から売られたという事実への言及がなく』というのはどういう意味ですか」
阿比留「金さんが『母親に40円でキーセンに売られた』というふうに述べていることに関して、その時点で植村さんがですね、どの程度知っていたのか知らなかったのか分からない段階で、当然持つ疑問だと思うんですね。あと連行ということ、強制連行ということも…」
植村「ちょっと待って。要するにキーセンに売られたことが問題なんですか」
阿比留「私は重要なことだと思っているんです。それは後での質問…」
植村「もちろん出てくるんだけど。それもまあ、今ねえ、これテーマ設定ということで。キーセンに売られたということと慰安婦になったことがどういうふうに関わっていると…」
阿比留「慰安婦とは限りません。例えば売春婦という場合もありますけども、いわゆる軍関係じゃなくてですね。すでにキーセンに40円で売られた段階で、そういうふうになる可能性がですね、当時の朝鮮、日本でも似たようなものだったといいますが、あったわけですから。そういったことを個人の来歴の中ですね、どういう育ち方をしたかということについて重要だと私は考えました」

植村「可能性があるということで、個人の、まあ売春婦みたいな、可能性があるということでそういうのを書く必要があるんでしょうか」
阿比留「あのー、その人のですね、どういう立場でどういうふうな暮らしをしていたかということはやはり必要だと思いますね」
植村「ああそうですか。(言いたいことは)分かりました。じゃあ産経新聞は、親から売られたというのを当時、書かれていたんでしたっけ」
原川「キーセンについては、当時の訴訟、1991(平成3)年12月6日の訴訟を受けての記事などでは、当時は特に金学順さんだけにスポットをあてた記事ではなくて、訴訟全体を書いているものですから、そういうくだりはありませんね」
植村「個人の来歴を、もし仮に阿比留さんが必要だと思えば、当時、産経新聞は書くべきだったんですかね」
阿比留「それは、しかしその例えば、植村さんがご自身が書かれた記事は匿名ではあるけども、個人にスポットをあてた記事ですよね? 個人にスポットをあてた記事であれば、私は産経が、過去の記事全部をチェックできているわけじゃないので分かりませんけれども、書いた方が正確であろうと思います」
植村「なるほどね。書いた方が正確だったと。分かりました。それはまあ、あの、意見ですね。それからもう一つ。強制連行の被害者という書きぶりだったと。これもたぶん後で上がってくると思うんですけど、やっぱりアジェンダ設定で聞いておいた方がいいと思うんですけど。これはどういうふうに」

「『強制連行』僕は使っていない」

朝日新聞で初期の慰安婦報道に関わった植村隆元記者(北星学園大非常勤講師)が初めて産経新聞のインタビューに応じた。インタビュー詳報の2回目は次の通り。聞き手は本紙政治部の阿比留瑠比編集委員と外信部の原川貴郎記者。

「『連行』を強制連行の意味にとる?」

阿比留「もう一つ付け加えるならば、植村さんの記事は朝日新聞が(韓国女性の強制連行を証言した唯一の日本側証人、自称・元山口県労務報国会下関支部動員部長)吉田清治氏を取り上げ始めた後に出ておりますので、吉田氏が強制連行したという対象、まあ、似たような、吉田氏がやったとはかぎらないにしても…」
植村「うん、吉田清治さん、なるほどね」

阿比留「その当事者がとうとう名乗り出たかというふうに受け止められる可能性はあるわけですね」
植村「ということは吉田さんが金学順さんを連行したという…」
阿比留「いや、そういう意味じゃなくて、そういうふうに吉田さんが、もし本当に強制連行したなら個人だけじゃなくてほかに似たようなことをやった人がいるということになりますので、その誰かがということですね」
植村「連行のところ、まあこれからまたちょっと議題全体でいいんですけど。例えばね、産経の正論の筆者の西岡(力・東京基督教大教授)さんという人が、連行という言葉について、ここにこういうふうに書いているんですよ(論文集の中を示して読み上げる)『朝日に限らず、日本のどの新聞も金さんが連行されたプロセスを詳しく報ぜず、大多数の日本人は当時の日本当局が権力を使って、金さんを暴力的に慰安婦にしてしまったと受けとめてしまった』とある。この場合の連行というのは、原川さんどういう意味ですか。強制連行の意味ですか」

原川「まあ、強制連行、まあ先ほど阿比留も申し上げたように『連行』という言葉自体が、強いる、本人の意思に反して、どこかへ連れて行くという意味がありますから、ま、あの、強制連行というか、ま、あの、どこかに連れて行かれたんだろうなと…」
植村「だから僕もどこかに連れていかれたんだろうかなという、原川さんと同じ考えで使ったんですよ」
阿比留「でも『戦場に連行』と書かれています」
植村「これはどうですか。じゃあこの(西岡氏の論文中の)『連行』というのは強制連行の意味にとるんですか」
阿比留「これはしかし、個別具体に見ないとこれだけじゃちょっと分からない」
植村「分からないけれども、これは金学順さんの話ですよね」
阿比留「うん。あっ、この西岡さんが書いているもの、そのものがという意味ですか」
植村「うん、そうそう、連行の部分の…。つまり、連行というのは僕は連れていかれた、原川さんと同じような意味ね」
阿比留「それは西岡さんに直接聞いていただかないと、無責任に答えるわけにはいかない」

「挺身隊が慰安婦の意味で使われていた時代が長かった」

植村「なるほどね、分かりました。じゃあ最後に、始まる前にアジェンダ設定。『強制連行の被害者と読める書きぶりだった』とあるんですけど、私は何回も繰り返しているから阿比留さんももちろんご存じだと思うんだけど、だまされたって書いてはいるんだけど、これってやっぱり強制連行の被害者と読める書きぶりと、阿比留さんは判断される」
阿比留「やはりリード(前文)を読むとですね、『女子挺身隊の名で戦場に連行された一人が』と書いてありますので、これは強制連行というふうに普通、読めるんじゃないかなと思います」

植村「読めるんじゃないかなと。もう一つ質問させてほしいんですが、強制連行って、僕は使っていないと言うんだけど、阿比留さんはずっと強制連行だというふうに言ってる。ところで強制連行って書いたらまずいんですか」
阿比留「強制連行? まあ、主語が問題ですよね」
植村「まあ、主語というか、普通、『強制連行』とよく書きますよね、日本の新聞はね。金学順さんは、僕は強制連行と書いたつもりはないんですよ。だけど阿比留さんたちはいつも強制連行の被害者うちの一人と。じゃあ僕がもし仮に強制連行と書いていたとしてなんか問題があるんですか」
阿比留「要するに、ここが植村さんと後で話をしようと思ったんですけれども、要は主体がですね、軍や官憲による強制連行であるか、あるいは民間の業者や、女衒その他もろもろが無理矢理引っ張っていったと。無理やり引っ張っていったのを強制連行という言葉を使うとするとそれも強制連行になるんでしょうが。主語、主体が誰によるかによって全然話が違ってくると思っているんですね」
植村「なるほどね。全然話が違ってきて、そうすると、何が、軍が主体だったら強制連行、事実じゃないとかそういうこと」
阿比留「そうですね」
植村「ん~。民間業者は強制連行じゃないと」
阿比留「民間業者のことは、一般的に強制連行という言葉を使うかどうか分かりませんが、強制連行とまあ、仮に言っても構わないと思いますけども、一般的には使っていないですよね」
植村「軍がやる?」
阿比留「軍や官憲ですね。官憲というのはこの場合は主に警察を指しますね」
植村「なるほど。で、私の記事も軍や官憲が強制連行したみたいな書きぶりだったというふうに解釈された?」

阿比留「最初の女子挺身隊の名で戦場に連行され、と書くと、軍や官憲が主体であろうと普通は考える。それは植村さんの意図がどこにあったかは、これから、後で話していただければいいんですけど。そう読み取れるということです」
植村「そうするとやはり金学順さん、軍や官憲じゃないのにあれを書いたから強制連行と読める書きぶりだったというふうに書いているわけだね」
阿比留「まあそれもね、実は(本の記述は平成26年9月11日の木村伊量前朝日新聞社長の記者会見の)全文(掲載)じゃなくてちょっと縮めてるからそうなっている部分もあると思うんですけどね…」
植村「だけど縮めているったって僕はこれしか読めないからね。そしたら、ほかの新聞も強制連行といっぱい書いているんですよ。これね。阿比留さん、資料集(植村氏の支援団体作成)を見ていただければ。当時、まあいっぱい書いているの。それでね、後でゆっくり見といていただければと思いますが…。参考メモで、『挺身隊=従軍慰安婦』という図式で。まあ、見ていただくと当時、多分、阿比留さんはご存じだと思うんだけど、女子挺身隊とか挺身隊が慰安婦の意味で韓国で使われておった時代が長かったんでね。まあ、それはちょっと参考なんですが」

「(産経の報道は)間違っている?どこが間違っている?」

植村「一つお聞きしたい。そうしたら、阿比留さん、この記事はどう読む?(平成3年12月7日付の産経新聞大阪本社版記事を示す)」
阿比留「ああ、(記事は)間違っていますね」
植村「間違っている?」
阿比留「はい」
植村「間違っている?」
阿比留「間違っていると思いますね」

植村「どこが間違っているんですか?」
阿比留「『日本軍に強制的に連行され』」という(部分)」
植村「これは産経新聞の記事ですね?」
阿比留「だから、うちが間違っているんですね」
植村「訂正かなんかやられたんですか」
阿比留「これは今日、初めて見ましたから訂正したかどうかはちょっと分かりません」
植村「これ、間違っているんですか」
阿比留「間違っていると思いますね」
植村「2回も書かれていますね?」
原川「別の記事ですか」
阿比留「これですね。この部分のことを言っているんですか」
植村「いやいや、その日本軍に…」
阿比留「あっ、こっちか」
植村「日本軍に強制的に連行、とありますよね」
阿比留「うん。間違っていると思います」
植村「間違っている! これは『金さんが17歳の時、日本軍に強制的に連行され、中国の前線で、軍人の相手をする慰安婦として働かされた』というのを書いた12月7日の産経新聞大阪版。これは金学順さんの記者会見の時の取材で書いていますね。これ間違っている?」
阿比留「うん」
植村「間違っている? これはね93(平成5)年8月(31日付の産経新聞大阪本社版)の記事。(記事を読み上げる)太平洋戦争が始まった1941(昭和16)年ごろ、金さんは日本軍の目を逃れるため、養父と義姉の3人で暮らしていた中国・北京で強制連行された。17歳の時だ。食堂で食事をしようとした3人に、長い刀を背負った日本人将校が近づいた。『お前たちは朝鮮人か。スパイだろう』。そう言って、まず養父を連行。金さんらを無理やり軍用トラックに押し込んで一晩中、車を走らせた」って出てるんですけど、これも強制連行ですね。両方主体が日本軍ですけど、それはどうですか」

阿比留「間違いですね」
植村「間違いですか? ふ~ん。これがもし間違いだったら、『朝日新聞との歴史戦は、今後も続くのだと感じた』って阿比留さんは書かれているんだけど、産経新聞の先輩記者と歴史戦をまずやるべきじゃないですか。原川さんどうですか」
原川「私、初めて見ましたので、どういう経緯でこうなったか、どこまで調べられるか。これはちょっと日付をメモさせてもらって」
植村「いや、あげます。調べて、間違いだったらそれがどうなのか、どうするのかも含めて知らせください。歴史戦というのは、もし歴史戦を皆さんがやっておられるんであれば、たぶん真実のためにやっておられると思うんです。皆さんがね。であれば、先ほど間違ったとおっしゃったことに対しても、謙虚に向かうべきだと思います」
阿比留「そうですね」

「日本のジャーナリズム史に残る取材だ」

植村「阿比留さん、やっぱり今回の取材というのは日本のジャーナリズム史に残る取材だと思うんです。なぜならば、やはり阿比留さんがこういうふうな形で、私はだまされて慰安婦にされましたと書いているにもかかわらず、強制連行の被害者と読める書きぶりだったというようなことで本を出されている。僕は非常にそれによってやっぱり迷惑をこうむっている。
僕はだから言論戦できちっと今日、説明しますけど、それと同時にあなたたちの会社、そしてあなたたちの言動もまた歴史に検証されるということを理解していただければと思います。今回のインタビューは、私も発表させていただきます。そういうことであります。じゃあ、あの、長々としゃべりましたけれども。ちょっとじゃあ、阿比留さんどうぞ」

「(証言テープは)持っていない」

阿比留「まずですね、(昨年12月発売の)文芸春秋に発表された手記の中でですね、平成5年8月11日付の初報の記事(※植村氏の署名記事。「日中戦争や第二次大戦の際、『女子挺身隊』の名で戦場に連行され、日本軍人相手に売春行為を強いられた『朝鮮人従軍慰安婦』のうち、一人がソウル市内に生存していることがわかり、『韓国挺身隊問題対策協議会』が聞き取り作業を始めた。同協議会は十日、女性の話を録音したテープを朝日新聞記者に公開した。-中略-尹代表らによると、この女性は六十八歳で、ソウル市内に一人で住んでいる。-中略-中国東北部で生まれ、十七歳の時、だまされて慰安婦にされた」と記述)ですね。これは、『テープを聞いた日のことはいまでも忘れられない』と(手記に)書かれているのですが、(元慰安婦と最初に名乗り出た金学順氏の)証言テープというものは今どこにあるんでしょうか」
植村「あ、これはもちろん僕は持っていません。それはだって、韓国挺身隊問題対策協議会のテープでありまして」
阿比留「持っていないわけですね」
植村「持ってないです」
阿比留「つまり、聞いたのはその時一度だけということでしょうか」
植村「そうですね。はい」
阿比留「そうすると、あまり細部のことは、記事にした以上のことは明確に覚えていない部分もあるということになりますか」

植村「そうですね」
阿比留「それでですね、私ども、ちょっと不思議なのはですね、誰とも分からない、挺対協が出元とはいえですね、誰とも分からない、名前も分からない、証言テープだけですね、しかも1回聞いただけでですね、このような記事にできるものかなあと不思議なんですね」
植村「うーん、なるほどね」
阿比留「記者の作法としてですね」

「状況を分かって☆ミいんだ、阿比留さん」

朝日新聞で初期の慰安婦報道に関わった植村隆元記者(北星学園大非常勤講師)の産経新聞インタビュー詳報の3回目は次の通り。聞き手は本紙政治部の阿比留瑠比編集委員と外信部の原川貴郎記者。

「テープだけ聞いて書いたわけではない」

植村「(言いたいことは)分かりました。それが、まあ、いつも阿比留さんがおっしゃっていたことなんで、ここで言いましょう。阿比留さん、僕の記事(1991年8月11日付朝日新聞大阪本社版社会面記事)って読まれたことあります?きちんと」
阿比留「きちんとと言うか、どの記事ですか」
植村「だから僕のその、批判されている記事」
阿比留「ああ、読みました」
植村「じゃあ、ちょっと見てみましょう。(資料集の)5ページですよねえ、どうぞ。この記事というのはですねえ、まあ阿比留さんも新聞記者を長くやられているから分かると思いますけれども、信頼できる韓国の団体が慰安婦のおばあさんの証言を取り始めた、というのがメーンの記事ですよね。前文にありますよね、女子挺身隊の名で戦場に連行された朝鮮人慰安婦のうち一人がソウルに生存していることが分かって、韓国挺身隊問題対策協議会(挺対協)が聞き取り調査を、作業を始めたと。まあ、要するに新聞で言うところの一報なわけですよね。その場合、当然信用できる団体が調査しているということで取材に応じてくれた。そして記事を見ていただくと分かりますけれども、これ『尹(貞玉)代表らによると』というのがずっと長くあって、つまりテープだけ聞いて書いたわけではないのです。突然僕が一人の部屋に置かれて、テープだけ聞いたわけじゃない。テープを聞きながら解説をしてもらうわけですよね。調査団体に」
阿比留「テープを聞きながら解説をしてもらったわけですね」

植村「テープを聞きながらというか、先に解説してもらってテープを聞かせてもらったんだと思いますけど。同時にやると、だって二重の言葉になって、聞き取れないでしょ。だから要するに、何かテープだけで書いたとか、よく、たぶん言われるんですけれども、テープだけじゃなくて、当然、調査団体の調査結果というのは聞いているじゃないですか。それはここの部分ですよ。原川さん、ちょっと見てください。『尹代表らによると』というのがあるでしょ? ここは要するにテープじゃなくて尹代表の情報でありますよね。だからほら、僕らの取材ってそうじゃないですか。テープ一つ聞いて勝手に書けとかいって調査団体は言わないよね。ということ」

「最初から『チョンシンデ(挺身隊)のハルモニ』」

阿比留「うーん。それでですね、そのテープの中には、西岡(力・東京基督教大教授)さんがよく指摘していることでもあるんですが、挺身隊の名で連行されたという、『挺身隊』という名前は出てきているんですか」
植村「それは、阿比留さん、1月9日(の提訴後の記者会見時)に聞かれた(質問)ですよね」
阿比留「ええ」
植村「だからまあ同じ答えです。それはやっぱり、あの、定かじゃないですね。で、なぜ定かじゃないかと言ったら、当時、あの、もうこれ、何回も言いますけど、韓国では女子挺身隊とか挺身隊がイコール慰安婦だったんで、僕も尹貞玉さんの取材をするときに、チョンシンデ(挺身隊)のハルモニというわけですけどねえ。チョンシンデハルモニの取材をするということで。向こうもチョンシンデのハルモニが証言したということでやっているわけだから、当然最初からもう、まあ慰安婦という言葉じゃなくて、チョンシンデのハルモニの話だということでずっと聞いていたから、所与のものと言いますか、もう前提というか、そういうこともあるし、当時、韓国では尹貞玉さんの取材をした人たちは皆、資料集の中にも書きましたけど、3ページね。もう、いろんな形で、当時使っていたわけですよね。挺身隊。だから尹貞玉さんの話を聞けば、だいたいそういうふうに書いていた。だから…」

阿比留「あのー、分かります。その事実関係は分かります。それでお聞きしたいのは、女子挺身隊と慰安婦の混同が韓国でかなりあったというのは分かるんですね。で、植村さん自身はどう思われていたんですか」
植村「僕もね、それは手記でも書いていたんだけれども、当時、韓国に行ったら分かるんですけど、挺身隊イコール慰安婦という形で使われておったんですよ」
阿比留「はい」
植村「この3ページのところに、まあ、植村はこんなことを、ほかの新聞社をあげて言ったとか言われるとあれだけど、まあ、要するに当時、そういう状況だった。で、それね、なんでかといったら、これもちょっと阿比留さんにあげようと思って持ってきたんですけど、これ見て(平成3年9月3日付産経新聞大阪本社版生活面の記事を示す)」

「読売とか産経とかに出ている」

植村「産経新聞だと思うんですけれども、まあ、挺身隊の名で戦場になんとかなんとかみたいな言い回しの記事というのは当時、読売とか産経とかいろんなところに出てるんですよ。つまり当時はどこでもそういうフレーズがあったの。私もそれが全く前提でしたね」
阿比留「弊紙がどこまで使っていたか分かりませんが、使っていたとして責任逃れする気は全然…」
植村「責任逃れとかじゃないの!阿比留さん! 僕はそれで捏造記者って言われているんですよ。ねっ? だけどそういう時代状況だったということを分かってほしいんだ、阿比留さん」
阿比留「ええ。だけど、そういうことは分かるんですが…」
植村「じゃあ、これ産経新聞なんだけど、これ尹貞玉さんにインタビューして書いた記事だよ。つまり、当時、尹貞玉さんたちは、そもそも(韓国)挺身隊問題対策協議会と書いているじゃない? だから挺身隊ということで慰安婦のことをずっと語ってきていたから、これがあったんだよね」

阿比留「ただね、朝日新聞の中でも波佐場さんのですね、挺身隊と慰安婦…(注:朝日新聞の波佐場清ソウル特派員は平成4年1月16日付朝日新聞朝刊のコラムで、「慰安婦」と「挺身隊」が混同されていると指摘していた)」
植村「まあもちろん、それはその後にはそういうことがあったでしょう。しかし、これは混在していた時代の話ですよね。で、これだって同じ時期」
阿比留「いや、だからね、私はね、これを書いた記者は、ちょっと署名が入っていないから分かりませんが…」
植村「これはどうですか? 阿比留さんから見たらこんなのやっぱりどう思うのかな。僕は、当時は当然、産経もそういうことがあったんだろうなあと思って。ちょっとそれも今日聞こうと思ってね」
阿比留「まあこれもなんか少し逃げた書き方ですけど、間違っているかもしれませんけどね。ちょっと、あの、それでね…」
植村「まあ、だから時代状況で…」
阿比留「はいはい」
植村「…植村も韓国でそういうふうに使われていたのを使っていたということです。もう、それを理解してほしい。だからそれをあなたたちが判断するのは自由だ。だけれども、自分たちもこういうふうな慣用句を使っていたのにもかかわらず、僕だけをそういうふうに言うというのは一体どういうことなの?」
阿比留「それはね、植村さんが韓国留学経験もあって、一応韓国の専門家だと思ってるからですね、一般の記者だから許されるという話じゃないけども…」

植村「いやいや、だから一般の記者だったら許されるとか許されないじゃないと思うんだけれども…。韓国留学経験でおっしゃると、阿比留さんね、(資料集の)7ページ見てもらえます? これは北海道新聞の記者が(平成3年)8月14日の(金学順氏の)単独インタビューの時に書いている記事ですね。原川さん、ちょっと見ます? それでね、7ページを見るとね、(読み上げる)≪戦前、女子挺身隊の美名のもとに従軍慰安婦として戦地で日本軍将兵たちに凌辱されたソウルに住む韓国人女性が14日、韓国挺身隊問題対策協議会に名乗り出、北海道新聞の単独インタビューに応じた≫とあるわけですよね? 同じ…、まあ、ちょっと違うけど、女子挺身隊の美名のもとにというふうな表現がある。つまりこの人は韓国語ができるソウルの支局長ですよ。で、この人に僕は聞いた。それは文春の手記にも出ていると思うんだけど、この筆者は『あなたがそんな取材をしていることは知らなかった』というのです。あれ大阪の記事ですからね。やっぱ当時、そういうふうなのが使われていた」
原川「当時、女子挺身隊と慰安婦の混同が韓国において見られて、それをそのまま当時は植村さんも…」
植村「うん、僕もそういうふうに。そうやったね」
原川「この(産経新聞大阪本社の)記者がどういうことでか、分からないけれども、他紙にも同じ…」
植村「まあ、当時だから、僕、思い出すと、当時、ほとんど挺身隊という言葉を使った。つまり、その時に、まさか阿比留さんに、二十何年後に攻撃されると思っていないから、普通にその慰安婦の意味で挺身隊という、僕は『チョンシンデハルモニ』とかいう言葉を使っていて、それが普通だったんだ。ソウルの一般記者であろうと、まあ、一般記者は分からないかもなんだけど、韓国語が分かる記者たちは。そういう時代だったんだよね」

阿比留「われわれね、その時代にね、私はもう社会部にいたか、地方支局記者だったか覚えていませんけど、当然、知る由もないわけですが、植村さんが言うことはなるほどと思う一方でね、例えば毎日新聞の元ソウル支局長の下川正晴さんとかが、一生懸命に挺身隊と慰安婦との混同を間違っていると言おうとしていたと」
植村「言っているのかい」
阿比留「言っていたらしいですね。挺対協にも申し入れしたし…」
植村「ああ、そう。それはちょっと下川さんに聞いたらいいと思うんだけど、僕はちょっと下川さんのその状況は分からない」

誰にだまされたのか「分からない」

原川「それで、1番目の質問のその記事ですが、これはテープにおいて金学順さんは具体的にどう言っていたかは先ほどの表現だと、定かではないと?」
植村「そうですね。それはもう(今年)1月9日に答えていますので」
原川「一緒に説明をされていた尹貞玉さんとか、挺対協の人たちは、テープの主は女子挺身隊として戦場に連行された人だと、そういう説明はして…」
植村「いや、女子挺…、あの、挺身隊のおばあさんだよと」
阿比留「挺身隊のおばあさんね」
植村「おばあさんね。まあ、それは挺身隊のおばあさん、チョンシンデ(挺身隊)ハルモニと言うんですが、これはまあ一つの用語なんですよ。いわゆる日本語で訳すと慰安婦のおばあさんというんですかね」
原川「強制という言葉は使われていないですが、そのチョンシンデハルモニが戦場に連行されたというこの表現はどこから? どういう情報を得てこう書かれたんですか」
植村「いや、まあだから、それは、だって、あの、本人がだまされて、行った先が戦場なわけじゃないですか。中国だけどね。だから、そういうことですよね。だって慰安婦というのは戦場以外には普通ないじゃないですか」

阿比留「あのお、それでだまされたということは最初の記事にもですね…」
植村「出てる」
阿比留「出てますけど、これ、誰にだまされたと言ってたんですかね」
植村「いや、それは分からない」
原川「だまされたとしか言ってないんですか…」
植村「まあ、だから、阿比留さん、僕から言わすと、まあ、かなり、そのまあ、非常にディテールの質問だと思うんだけど、それは分からない。僕はその時にだまされて慰安婦にされたおばあさんだな、ということがあって…。えー、でもね、考えてみたら17歳の女性がね、韓国では17というのは16くらいかな、日本で。どういう形で行ったかという、何十年前のことを正確に果たして言えるかどうか。で、金学順さんは強制連行されたというふうに受け止められる証言をずっとしているんですよ。だから産経新聞の記者も(産経新聞大阪本社版の1991年12月7日付や93年8月31日付記事を念頭に)間違いじゃない。その時はそういうふうに言っていたはずなんですよ。一番最終的な記録もそうなってる。誰にだまされたというのはもちろん聞いてません。つまり、だまされたということは、意に反して慰安婦にされたということだから」

「嫁さんとの結婚前から慰安婦取材していたる。」

朝日新聞で初期の慰安婦報道に関わった植村隆元記者(北星学園大非常勤講師)の産経新聞インタビュー詳報の4回目は次の通り。聞き手は本紙政治部の阿比留瑠比編集委員と外信部の原川貴郎記者。

「強制連行みたいなことはイメージなかった」

植村「産経新聞は日本軍に連行されたとはっきり2回も書いているよね、金学順さんのことを。僕は、日本軍にだまされたかどうか分からなかった。そんなふうなことは分からなかった。あとの取材で見るとね、日本軍にだまされたわけでもないというのが分かってくるんだけど」
阿比留「(文芸春秋の)手記にも書かれていたように、つまり、当時の認識として、いわゆる今で言うところの強制連行のようなものではなかったという認識だった?」
植村「うん、もう、それはねえ、どこかに書いたと思うんだ」
阿比留「手記に書いてあります」
植村「書いてあるよねえ。その言葉(『暴力的に拉致する類の強制連行ではないと認識していた』)。僕は吉田清治さん(※ 韓国済州島で女性を強制連行したと証言。朝日新聞は平成26年8月、吉田氏の証言を虚偽と判断し、記事を取り消した)の影響を受けていないから。取材したこともないし、記事を書いたこともないので。まあ、だからそこは、あんまりその強制連行みたいなことはイメージなかった。その、いわゆる古典的な意味でのね、ずっと吉田さんが言っていたような。吉田さんに会ったことないから、僕は」

阿比留「なるほどね。さてそこでですね、(平成3年)8月19日にですね…」

「当時の報道を踏まえた上で歴史戦をやってほしい」

植村「あー、その前に、ちょっともう、ついでに言っておくわ。それでね、本人(金学順さん)も、記者会見で挺身隊だったとかいろいろ言っているんだ。それは、当時の新聞記事を見るとよく分かる。ついでに、(北海道新聞の過去記事を示して)北海道の新聞なんてあまり見ることないと思うんだけど。やっぱり僕のテープのところでは定かじゃないんだけど、北海道新聞の記者が直接取材したときは、本人がそういうふうに言っていたみたいだね。言っていたと北海道新聞は書いているんだよ。
だから、阿比留さん、もう何回も言うように、僕を標的にしていじめるのはまあ、しようがないけれども、しかし、当時の時代状況を見て、自分のところの新聞、読売新聞、北海道新聞を見ればどういうことか、僕は責任転嫁しているわけじゃないんだよ。阿比留さんみたいな影響力のある人が、強制連行みたいに書いたということで、ばんばんばんばん盛り上がるわけだけど、じゃあ当時の報道はどうですかというのを冷静に踏まえた上で、歴史戦をやってほしいんだ」
阿比留「ええ、自社もそうですし、私も読売新聞の事例も書いたことありますしね」
植村「だからそういうふうにやってほしい。つまり、植村をやるのはいいけれども、その当時の時代状況がどうだったのかというのを、原川さん、だってそういうことでしょ? やっぱり、ジャーナリストとして。違います?」

原川「まあ、時代状況はそうですね。ただ…」
植村「時代状況を説明しないとその時代にどういうふうなことがあったか分からない」
原川「ただ、挺身隊と慰安婦という言葉については、やはり毎日新聞の元ソウルにおられた下川さんとか、あるいは先ほども名前が出た波佐場さんですか、あるいは、やはり元朝日新聞の特派員の前川恵司さんですか、当時はソウルにおられなかったですけども、韓国のことを、歴史を勉強している方からすると、挺身隊と慰安婦が混同されているなというのがよく分かっていて、それが問題だなというふうには思っておられたそうですから」
植村「まあね」
原川「そういう時代、そういう人たちも…」
植村「そういう人もいるけど、まあ、多分、そうじゃないという人もいるでしょうから。もうちょっと広く取材されればいいと思いますし。(週刊)金曜日なんかは、1960年代ぐらいから挺身隊の名で連行みたいな記事が(韓国に)あるというのが出ていましたよね。吉方(べき)さんという人の記事かな。もし必要だったら参考に送りますけど。まあそんな感じの時代ですよ」

遺族会幹部の義母への取材「特権的ではない」

阿比留「さて、それでですね、関連してまず、これは西岡(力・東京基督教大教授)さんが言っていて、それを否定されているし、朝日の第三者委員会も関係ないとした最初の(平成3年8月11日の)金学順さんの記事を書くにあたって、何らかの関係者からの便宜があったんじゃないかということは否定されました。私も、前後関係からいってそうだろうと思います」

植村「ああ、そう。一つ、ぜひ、書いてよ。阿比留さんみたいな、影響力のある人がそれ、書いてくれるの、すごく…」
阿比留「ただね、一方で(3年)8月19日の『朝鮮人慰安婦 補償求め提訴へ』という記事は、これは太平洋戦争犠牲者遺族会の話なのでですね、これはやはりちょっと一応はっきりさせておいた方がいいと」
植村「ああ、もちろん、もちろん。これはだから、ここにも、記事も書いてますけど、これは取材して書きましたよ。それで、まず大前提として、1990(平成2)年の夏ぐらいから私は韓国に2週間行って、夏にですね。慰安婦のおばあさんの証言を集めようとしてたというのは理解してもらえますよね。で、その時に、(後に韓国挺身隊問題対策協議会代表になる)尹貞玉さんとも知り合いました。それから、遺族会にも当然行きました。遺族会にも聞きました。そういうふうなことですよね。
で、あのー、当然、遺族会と知り合いになりますよね。うちの家内がまあ、そこにいたから、僕は知り合うわけだけれども、うちの嫁さんと結婚する前から僕は慰安婦の取材をしておったんですよね。つまりそういうこと。当然、まあ、金学順さんが記者会見して、それで、金学順さんの記者会見はね、結構やっぱり影響力があったんですよ。本当は僕もそこにいればよかったんだけど、手記にも書いたけど、まさかその本人が突然(8月11日の記事が出た)3日後に記者会見するとは思わなかったから、(日本に)帰って。それで、やっぱりこれみたら、当時のだから、記者会見ですよね。なんか、日本政府相手に損害賠償訴訟も辞さない決意を明らかにしたと出てるんです。これ、北海道新聞のここ(過去記事)にね。
つまり、やっぱりもう、その時に挺対協とかそういうのが盛り上がっていたわけですよね。そういう中で慰安婦の裁判をやるということで、遺族会がそういうような動きをしているというのは(弁護士の)高木健一さんってご存じですか」

阿比留「もちろん」
植村「高木さんと私はもう、その前から親しかったので、しょっちゅう出入りしていた。それで、いよいよ、裁判準備するというので。だから、遺族会だけの情報で書いたんじゃないんです。高木健一さんの弁護団。弁護団の許可がないと取材できませんからね。弁護団。それから『ハッキリ会』。臼杵敬子さんのハッキリ会。これは市民団体なんですが、当時は弁護団の通訳なんかもやっていて、弁護団を支援する団体、それと遺族会、この3つに取材して、そういう動きがあるということで、記事を書いたのは間違いない。
で、遺族会の会長とか、あるいは(遺族会幹部で義母の)梁(順任)さんにも取材した。だけど、別にそれは特権的な取材じゃなくて、ご存じのように僕は1990(平成2)年の夏からずっと取材しているわけですよ。で、遺族会だって取材しているけど、90年の夏には(元慰安婦の女性が)出てこなかった。で、91年の8月には挺身隊問題対策協議会で、まあ、テープとそれとその調査報告みたいなものですか、そういうことだって話を聞けたんだけど、(金さんには)会えなかった。
だけれども、そういう流れの中で、遺族会もやっているというのは分かりますよね。だからその弁護士たちが行くということで、私が同行許可を高木さんにもらって、高木さんと連絡をとってましたし、私、東京によく連絡したり、行ったりしてたんで」

「8月11日の記事は挺対協」

阿比留「当時の高木さんとか福島瑞穂さんたちと?」
植村「福島さんは直接ねえ、連絡しなかった。高木さんが団長で、かつ広報担当といいますか、要するに団長が取材に応じていた。福島さんももちろんこの、8月19日の記事のときにはいたんだと思います」

阿比留「高木さんたちは8月11日の記事の報道には関係はあるんですか」
植村「いや、みんな誤解されているんだけれど、8月11日の記事は、これは韓国挺身隊問題対策協議会(挺対協)。これご存じですよね。遺族会もご存じですよね。違う団体ですよね。要するに、その、90年夏に2週間行って、空振りになった。でも僕がそこで一生懸命やっていたのはみんな知っているわけですよね。関係者は。尹貞玉先生とかは。なぜなら、尹貞玉先生の教え子なんかに協力してもらって、地方に出張したりしたこともあったんです。
その辺のことは『ミレ』という大阪の雑誌に書いたということも出ていますし、これ見ていただければと思います。で、結局、まあその時はダメだったんだけれども、91年の7月末か8月初めだと思うんですが、いずれにせよ、僕が取材する前にですね、ソウル支局に僕はしょっちょう電話してたんですよ。僕は、語学留学で1987(昭和62)年から88年まで1年間、ソウルにいて韓国語がよくできてて、当時、支局長と支局員の2人しかいなかった。で、僕がまあ、しょっちゅうソウルに出張していた、大阪から。
そういう関係で電話したら、支局長から、挺対協が慰安婦のばあさんの調査を始めたらしいと聞いた。で、テープもあるらしいということで始まったということがここに書いてあると思います。ま、そういう経緯であります。だから、これには遺族会の梁順任さんは一切かかわっていないのと、それで、これは遺族会とも関係ない。この時はね。なぜなら、梁順任さんの日記があって、まあ、それもいずれ資料になるんで、ちょっとお渡しはできないんだけど、これは文芸春秋の手記で見ていただければと思います。日記帳を見ると、(記事の)あとで(金学順さんと)会っている。だから、いずれにせよ教えようがないし、僕もそこから聞いたわけじゃあないんですよ」


「訴訟を有利にするつもりはなかった」

阿比留「それじゃあ、ちょっとまとめますと、(8月19日の記事は)もちろん、遺族会も取材対象だから、いろんな情報はあったかもしれないけども、特権的な取材ではなく、取材対象の一つにすぎなくて、で、特別、今言われているような利害関係者の訴訟に有利なように記事にしたということは違うということですか」
植村「あー、あの利害関係者の有利になるような記事というのは私の記事のどこの部分が利害関係者の有利になると判断されたんですか。僕はそういうつもりはなかったんですけど」
阿比留「まあ、こういう記事に対して、一般論として、こういう動きがあるということをですね。記事化することによって後押しするという」
植村「あのー、これね。当時の韓国の聯合通信の記者も取材していまして、同着になっていますね。それで、ここにも書いていますけど、つまり僕が特ダネでやるんであれば、そんな聯合通信の記者に教えるわけないわけで、やっぱり関心を持っている記者が取材をしていたというだけで、当然、この取材をしている中で出てくるわけですから。この流れを見てほしい」

「金学順さんに会ったのは、弁護士聞き取りの同席の時だけ」


朝日新聞で初期の慰安婦報道に関わった植村隆元記者(北星学園大非常勤講師)の産経新聞インタビュー詳報の5回目は次の通り。聞き手は本紙政治部の阿比留瑠比編集委員と外信部の原川貴郎記者。

「間接情報であまり答えられない」

阿比留「分かりました。それでじゃあ、一応これも、ハッキリさせておきたいので、(元朝日新聞ソウル特派員の)前川恵司さんが当時の植村さんの担当デスク、大阪本社担当デスクに取材した。そしたら、(1991年12月25日の記事は)植村氏からの売り込み記事だったと。『彼は義母が遺族会の幹部であることを言わなかったし、私も知らなかった』と」
植村「これに関しては、前川さんに僕、会っていないし、直接取材していないんだけれども、これ、大阪のデスクってどういう人ですか。前川さんから何か聞きましたか」
阿比留「まだ聞いていないですね」
植村「じゃあ、そんな間接的な情報であんまり答えられないんだけど、売り込みじゃないですよ」
原川「売り込みではない?」
植村「売り込みとかじゃないですよ。で、そのデスクの根拠って何か、産経新聞として前川さんのデータ以上にあるんですか。独自に」
阿比留「ないです。いや、だから確かめているわけですね。(当時の担当デスクは)義母が遺族会の幹部であることを言わなかったし、私も知らなかった、と」
植村「当時の社会部はですね、知っていたはずですよ。社会部のデスクですか、その人は」
阿比留「(前川氏の文章では)大阪本社の担当デスク」
植村「じゃあ、聞いてみてください、直接それは」

「金学順さんに会ったのは、弁護士聞き取りの同席の時だけ」

阿比留「で、(前川氏が)知っていたらと尋ねると(担当デスクから)即座に原稿は使わなかったとの答えが返ってきた、と。それもちょっと違うという感じですか」
植村「うん、もちろんね(違う)」
原川「この8月19日の(太平洋戦争犠牲者遺族会の元慰安婦女性が日本政府を相手取った訴訟を準備しているという)記事を書くために、平成3年の8月11日の(『元朝鮮人従軍慰安婦 戦後半世紀重い口を開く』という)記事を書かれて、12日には確か1回、日本に戻られて、それでまたソウルに…」
植村「そうそう。おお、すごいなあ。僕の動き表をつくっているの? いいなあ。ちょっとコピーさせてよ。取り調べだなあ、原川記者(笑)」
原川「いやいや、時系列で見た方が分かりやすいと思いまして。それであのー、この19日の記事を書くにあたって何日かソウルに滞在されて…」
植村「いやいや、これは僕はよう分からんけど…、あの、まさか、取り調べとは思わなかったから」
原川「いやいや」
植村「原川さんまた別途きて、手帳があるんで、残っているんだけど、僕の記憶では要するに弁護団が入っているときに取材している記事です」
原川「細かい日にちまで、そこまではうかがわないんですけども、要はこの1回日本に戻られてまたソウルに行って…」
植村「それはなぜかと言ったら」
原川「で、その時に、金学順さんに取材は申し込まれなかったんですか」

金学順さんの記者会見は「知らなかった」

植村「ああ、その時はやらなかったね。なぜなら、8月のね、14日の、要するにそれは残念なことなんだけど。8月14日に、インタビューというか共同会見があったじゃない。普通の記者だと、当然ながら自分らが取材した、存在をスクープした、一報をスクープしてるわけだから、その人の生の声やったら聞きたい。しかし、僕は、記者会見というのを知らなかったから。知っていたら当然、大阪社会部はOK出したと思うんだけど、僕も知らなかったから、そのまま帰った。で、突然それやったみたいです。それは、あのー、多分、北海道新聞の記者にも聞かれれば分かると思います。多分、突然やったんじゃないかと思う。当時の状況を知っている人がいるはずですから」
原川「で、手記には悔しい思いを書かれてましたけれども」
植村「ああ、だから申し込まなかった。それはなぜなら、慰安婦のおばあさんたちの動きがどんどん出てきて。要するに、高木弁護士の方の動きを追っかけていたということです。簡単に言えばね。だって一旦存在が明らかになって、その人が記者会見して最低限書いているじゃない。僕は要するにその前に書いていたから。要するに、まあ、(元慰安婦として証言する女性が)一人出たと、また出るみたいな感じの話でした」
原川「で、それでこの、先ほども話に出ました12月25日の記事。この間、書かれた署名記事というのはこの2本、いわゆる金学順さんに関する署名記事というのは当初は、8月11日は匿名であったけれども」
植村「まあ、金学順さんですね。その後、金学順さん…」

原川「それと、今度は、もう、名乗り出て、訴訟も起こされた後に掲載された、この3年12月25日の…」
植村「署名がね、出ている91年の記事は多分その2つで。後ね、だから、産経も、会社で朝日のデータベースって入れます? 入ってみてください。植村と金学順を」
原川「いわゆる一般向けのデータベースですね」
植村「それでひいてみてください。そこに出てる通りで、僕の記憶ではこの2つと。その後、金学順さんが亡くなった時も書いている」

「弁護士の前での話を記録すべきだと思った」

原川「手記で書かれてたと思うが、この11月25日に初めて金学順さんと会ったと」
植村「あ、結局、僕の場合、一旦存在を書いて、そして、その後、続報という形で小さいけど、金学順さんの記者会見を追っかけた。フォローね。これね(記事を示す)。そして、まあ、じゃあ、弁護士たちが聞くから、弁護士たちの前でしゃべったことというのは一つの記録だろうと思ったんで、高木さんに同行許可をもらって同席した。だから、この辺で聞き取りしている後ろの方に僕がいた。それは多分ね、手記にもその辺の経緯は書いたと思う」
原川「その時は、金学順さんとは会われたけども、こういうような取材、質問して答えていただいて、というそういう取材は?」
植村「うん、だから、ここにこう書いているように。弁護士らの聞き取り調査に同行し、金さんから詳しい話を聞いたっていうんだけど、弁護士の質問、やり取りを僕は横で聞いていた。なぜなら、弁護士が質問しているとき、僕が質問するのは失礼だし、じゃあ、その後、別にやったらいいじゃないかと言うんだけど、僕としては法的なプロセスとして、もうこれは訴訟準備しているんで、弁護士の前で言うのが一番話としては記録すべきだろうなというふうに思ったんで、一石二鳥だからね」

原川「なるほど。で、これについては横で聞いていたものを録ったテープを再現したとありますけど」
植村「ま、テープを再現したと、ここでまたテープにこだわるけど。要するに、テープを再現した、当時ちょっと使った。要するに、あれだね、聞き取り調査を再録したというか、それを紹介するという意味の文章です」
原川「で、11月25日に初めて金学順さんに会われて、都合、97(平成9)年に亡くなられるまでに何度、金学順さんにお会いになったんですか」
植村「一度だけ。うん。なぜなら、最初の人だったけれども、その後も、何人か慰安婦のおばあさんが登場しはじめてくるから。あんまり個々の、なんというのかな、もう何回も会ったということはなかったです。それで、その後実は、まあ、ここ(文芸春秋の手記)でも書いたけど、僕は『文藝春秋』92年4月号から、西岡(力・東京基督教大教授)さんに、こういうふうに(批判を)やられていたから。そして、その時は阿比留さんと同じでさ、要するに家族がどうだみたいなことをね、遺族会の幹部の義理の息子みたいなこと。
やっぱり、僕としてはトラウマになっていた。つまり僕がどんどん書けば書くほど、同じことがやっぱり繰り返されると思って、少し距離を置いていたというところ」
原川「そうすると訴訟がその年の12月6日に、東京に原告団が来て。その時は…」
植村「ああ、そうか、そうか。ごめん、ごめん。その時は、訴訟の時はもちろん現場にはいた。そういう意味ではね」
原川「司法クラブ?」

植村「司法クラブじゃなくて、司法クラブは別に司法担当がいたから。そうだね。ちょっと今、言い間違った。こういう聞き取り調査をしたのは、1回だけれども、もちろん提訴の時は東京社会部と僕は一緒に(取材を)やったから」
原川「それは記者会見を取材したのではない?」
植村「記者会見だけじゃなくて、もちろん、記者会見というのは裁判所だけども、その動きというのも、やっぱり分担してやっていたから」
原川「じゃあ、その時も、署名ではないが記事は書かれてるんですか」
植村「まあ、社会部だから、当然チームで取材しているから。当然、だって最初から取材していて、大阪でちょこっと書いているから呼ばれて、もちろん一緒にやっていた」

訴状には「養父とはなかったね」

原川「(質問しても)よろしいですか?」
植村「それで、ちょっとここで言っておきたいんだけど、例の聞き取り調査のところ、まあ、どうせ聞かれると思うから」
原川「11月25日の?」
植村「これがね。これ1回、産経の原川さんに確か、書面でやったときに」
原川「私が朝日新聞広報部を通じて、質問をして…。まあ、あのその時は、取材申し込みの取り次ぎをお願いしますということでお願いしたら、朝日新聞社からは、植村さんからは、お受けできない旨の返答があったけれども、植村氏の見解が示されたので、それを、その資料を送ることができますということで。だから、直接は取材を受けていただいたという認識ではないんですけど」

植村「僕としては質問を受けて、それの答えを書いて資料を送ったということです。まあ、でも記事が出ていたんだけど。その時には、多分送ったと思うけど、これ(ハッキリ会が弁護団の聞き取りを記録した)ハッキリ通信の2号でね、念のため今日、お渡しした方がいいと思って持ってきました」
原川「この11月25日の記事について質問いたしますと、金学順さんが、慰安婦となった過程で、訴状とかその他、金学順さんが日本で講演していた時に言われていたような養父の存在がここには出てこなくて、地区の人と言って…」
植村「まあ、そうなんだよね。まあ、でも、それを言うとさ、もう何回も同じことになるんだけど、多分ご存じで聞いているだろうけど、最初、この弁護団の話し合いの時もね、結局、(ハッキリ通信2号では)これは町内の里長なんだけど、これは韓国語で言ったから訳し方はちょっと違うと思うんだけど、そういう風にしゃべっていたんで、それを僕が僕なりの言葉で書いたということですよね」
原川「ところが、この間、訴状が提出されて…」
植村「養父とはここ(ハッキリ通信2号)にはなかったね」
原川「(訴状が)提出されましたよね。で、その他、講演でも確か、提訴のために日本に来られて、その後しばらく日本に滞在されて、(12月)16日に金学順さんが帰国されるまで、数百人規模の集会を7回、関西中心に、東京でもやられたそうなんです。その時のものであろう記録を見ていると、養父ということがでてきている。仮に11月25日に養父という言葉が出てこなくても、なぜ、それをそのまま1カ月後もこの『地区の人』という、1カ月前の情報のまま書かれたのか」

植村「まあ、これは多分、いくつかの、金学順さんの講演会だけじゃなくて、いろんな記事とかも見られていると思うんですけれども、例えば、これ1991(平成3)年12月7日付の産経新聞大阪本社版記事が、12月6日のね、大阪での記者会見ですよ。ここには、『日本軍に強制的に連行され』とあるじゃないですか。この人(金学順さん)の証言というのは、ずれがあるというのはご存じですよね。
まあ、それ以上はやめましょうや。なぜなら、そういうことで弁護団の前でしゃべった、だから弁護団の前でしゃべったこと(を書いた)、そして、訴状では要するにいい仕事があると言って、養父と行ったと、養父が出てきますよね。だけど、それは、僕の目の前では言われなかったから。要するに弁護団の前でしゃべったことの記録だから、それはそうですよ。そんなことを言えば、この時は強制連行って書いている新聞だってあるわけでしょう」

「意に反して日本軍の性の相手をさせられたというところをずっと書いている」

朝日新聞で初期の慰安婦報道に関わった植村隆元記者(北星学園大非常勤講師)の産経新聞インタビューの詳報6回目は次の通り。聞き手は本紙政治部の阿比留瑠比編集委員と外信部の原川貴郎記者。

「(金さんが)言わないことは書けないと思った」

原川「でも訴状を読まれているわけですから」
植村「さまざまな例もあるけれども、(この)訴状は聞き書きのまとめではないですよね」
原川「聞き書きのまとめではなくて、さらにやっぱり裁判に訴えるわけですから、より情報に正確性を期すものだと思いますけども」
植村「民事訴訟というのはご存じですよね。刑事の起訴状とは違って、要するに弁護団の主張を書くわけですからね。私としては、ここ(弁護団の聞き取り)で養父って言わなかったから、言わないことはやっぱり書けないと思った。これは弁護団の前でしゃべったことだから、それで書いているだけ」
原川「それで、違うなということが分かると、金学順さんが当時、日本にしばらく滞在されて、関西でも何カ所か講演されているので、そういう場所に取材に行ったり、あるいは直接本人に、それだけではないだろうが、改めて取材、確認取材とか、そういう機会は設定されなかったんですか」

植村「これは、さっき言ったように、そこ(弁護団の聞き取り)の場でそういうふうに言ったということなんですよ。もっと言うと講演会で言ったこともそうですが、法廷で金学順さんが、どういうふうなことを言ったかというのはご存じ?
僕らは、弁護士の前とか、法廷とかそういうふうな所で見るから。それをちょっとお知らせしようと思って。まあ、だから、こっちの講演でこういうこと言っているからこうだとか言われても、やはり、その、なんちゅうんですかね、あの、いろんな所で多少ずれているのを、じゃあ、そのたびに違うことになるのかと言ったら、例えば、陳述書。これ平成6年6月の陳述書。それなんか見るとやっぱり、産経新聞と同じことを書いている。要するに日本軍に連れて行かれたと。まあ、養父は出てくるんですけど。それ(証言)はさまざまなずれがあると。あ、阿比留さん、金学順さんに取材したことあります?」

「慰安婦問題のスーパー記者みたいなイメージがあるかも」

阿比留「ありません」
植村「なんで取材しなかったの」
阿比留「韓国語できませんし」
植村「通訳をとか、使ってやったりもしなかった?」
阿比留「そういう機会はなかったですね」
植村「慰安婦の取材ってやられたことはあります? 直接」
阿比留「まあ、ナヌムの家に行ったりとか、そういうことはありますけどね」
植村「そこで、聞き取りとかされた?」
阿比留「まあ、テープを聞かされたんですけどね。ビデオテープ」

植村「ああ、見学に行かれたということですね。なるほどね。要するに直接、生身のおばあさんのインタビューというのは原川さん、されたことありますか」
原川「私はありません」
植村「阿比留さんは?」
阿比留「直接はないです」
植村「ですね。聞き取りというのはやっぱり(証言に)ずれがあるというのはご存じですよね。(金学順さんの場合も)それは、秦郁彦先生も本の中で書かれていると思うので、そういうことなんですよ。で、僕が言いたいのは意に反して、日本軍の性の相手をさせられたというところが共通してるんで、それをずっと書いているわけですよね、私の記事にはね。
まあ、そこのところなんで、一つ一つ証言のそこのところが出ていないじゃんとか言われても、産経新聞のこの記事と同じで、僕はやっぱり意に反して慰安婦にされたということがずっと一貫しているんで、この証言というのは記事として存在意義があるんだろうなということ」
原川「分かりました。それで、今一度確認ですが、11月25日に高木(健一弁護士)さんとかの聞き取り調査に同行されたのと、あとは12月6日に東京で提訴があったとき、その周辺で、直接は(取材は)」
植村「僕は韓国語ができますから、遺族の取材とかで。いわゆる社会部とかでいうところのそういう取材ですよね」
原川「その後、関西で講演されたりとか、東京で講演されたりとか、そこは取材されてない?」

植村「あんまりね、だから、ほら、ご存じのように、みなさん僕が慰安婦問題のモンスターみたいで、何かスーパー記者みたいなイメージがもしかしたらあるかもわかんないけれども、僕は大阪社会部で人権担当記者だったわけです。在日コリアン担当で、その流れの中でやっていて、ずっとそれ(慰安婦問題)ばっかりはやっていなかった」

「済州島取材のメモは報告した」

阿比留「ちょっと時間が押してきたので、多少、順不同になりますけど、すいません。これはね、植村さんが影響を受けていないとおっしゃっている(自称・元山口県労務報国会下関支部動員部長の)吉田清治氏についてはどのような見方をされてますか」
植村「取材したことがないので、分かりません」
阿比留「取材したことがないそうですけども、それは直接は」
植村「直接取材したことはない、もちろん」
阿比留「ですね。ただ、(朝日新聞社の)第三者委員会の報告書にもありましたように、ソウル特派員時代に、済州島に行って取材されたわけですよね」
植村「それはもうそこに出ている通りであります」
阿比留「どんな取材をして、どんな結果になったかということを少し教えていただけないですか」
植村「第三者委員会の報告書に出てる通りで、ちゃんと取材しました。だけど具体的にどうだということは、それは、新聞記者が新聞記者に聞くべき話ではないと思いますので。ただし、ちゃんと取材して上げた報告書の反映が、第三者委員会(の報告書)にも出ていたと思うんだけど、阿比留さん見なかった? それを引用していただければと思います。第三者委員会にはしゃべりましたので」

阿比留「その1999(平成11)年のですね」
植村「97(平成9)年だね」
阿比留「97年か。そうか97年か。朝日の最初の検証記事。あれには植村さんの取材成果というのは具体的に…」
植村「僕はね、メモを上げて報告はしているんだよね。朝日のあれ見ました。(以下、読み上げる)≪済州島の人たちからも、氏の著述を裏付ける証言は出ておらず、真偽は確認できない≫ 要するに、四行しか記事には出ていないけれども、報告書はもっと長いはずだよね。ということであります」
阿比留「つまり、そういう趣旨のことをメモ上げしたと」
植村「まあまあ、メモ上げですよね。報告、報告書と言ったのか、メモ上げか、そういう分担で。当時、ソウル支局に私はいまして、97年ですよね。確かこれ。金大中の大統領選挙の年だった。すごく忙しい中で、まあ、(済州島に)行ってくれということで行って、それでメモを上げて、報告した」
阿比留「何日間ぐらい行ったんですか」
植村「それは第三者委員会に出ていると思うけど、そんなに長くは行っていない」
阿比留「当時、ソウル特派員という形で、何かを決定する立場ではなかったと思うんですけども」
植村「そういうことです」
阿比留「どれくらいの影響があったのかなということがやっぱり気になると思うんですけど」
植村「だからここに記事が出ているじゃないですか。つまり僕はちゃんと報告しているということですよね」
阿比留「今回、(朝日は)去年の記事取り消しにあたってはですね、済州島にまた改めて人が行って、今回は虚偽であると結論したと。前回は結論していなかった。これは最初、冒頭、趣旨を言いましたように、植村さん個人というか、朝日全体のことを聞きたい」

植村「申し訳ない。それはちょっと朝日の、今回済州島に行った人とか、あるいは取材班に聞いていただければと思う。その差は私には分からない」
阿比留「分からない?」
植村「それは分からない」
原川「それでまた、8月11日付の記事に関連する質問ですけれども、朝日新聞の第三者委員会が次のようにこの記事について指摘しているが、どう思われるか。報告書の17ページにあるんですけれども」
植村「僕は、これ朝日の記事しかないから、ちょっとどんなところか読んでくれる?」
原川「(朝日の第三者委員会の報告書を読み上げる)前文は一読して記事の全体像を読者に強く印象づけるものであること、『だまされた』と記載してあるとはいえ、『女子挺身隊』の名で『連行』という強い表現を用いているため強制的な事案であるとのイメージを与えることからすると、安易かつ不用意な記載である。そもそも『だまされた』ことと『連行』とは、社会通念あるいは日常の用語法からすれば両立しない(読み上げここまで)、と指摘しているんですけれども、この指摘はどう受け止めていますでしょうか」
植村「まずね、これ阿比留さん専門家だから分かると思うんだけど、いくつかポイントがありますよね、第三者委員会の報告はね。捏造(ねつぞう)ではない、義母の便宜供与がない。そこのところもちゃんと書いてくれないかな」

「捏造記者でないことは第三者委員会の報告書からもわかる」

阿比留「いや、ちゃんと書きますよ」
植村「お願いしますよ。つまり植村が捏造記者でないということがここの第三者委員会の報告書からも分かる。そこを僕は強調したい。当時、金学順さんのことについて、さっき言いましたように、いろんな新聞がまあ、『強制連行』と書いたりしている。産経新聞は2度にわたって金学順さんを取材して、日本軍に強制連行されたと書いているわけですね。そういう時代状況の中で、安易かつ不用意で強制性みたいなことですよね。強制的な事案であるとのイメージを与えるもので、というんだけど、イメージじゃなくて、『強制連行』と伝えているメディアがあるということにも触れてほしかったなあ、と。
つまり当時の時代状況としてね、なぜなら金学順さんは、強制連行されたということを何度も言ったりもしているわけです。それを産経新聞が正確に伝えて、ああいうふうなことになっているわけだから、僕としてはだから、むしろ、やっぱり植村が捏造記者じゃない。義母の便宜供与がなかったというところが、非常に、この第三者委員会で判断としてはすごい意味があるなと思っています」

「大学には娘を殺すという攻撃があった」

朝日新聞で初期の慰安婦報道に関わった植村隆元記者(北星学園大非常勤講師)の産経新聞インタビューの詳報7回目は次の通り。聞き手は本紙政治部の阿比留瑠比編集委員と外信部の原川貴郎記者。

「大学への攻撃が続いて、大学がすごく大変なんだ」

原川「ただ、その、このだまされたというこの日本語ですよね、だまされたという言葉と連行という言葉を同時に使うのは日本語の日常の用語法上、両立しないという指摘だと思うんですけど」
植村「ああ、そうなんですか。ま、それは僕はちょっとね、分からないんだけど。ま、僕が日本語の専門家じゃないわけですけれども、別に、先ほど言った西岡(力・東京基督教大教授)さん(の過去の論文)でね、『連行されたプロセスを』ということで、これはプロセスが、あるいは人身売買だったかも分からんし、だまされたかも分からんし、強制連行かも分からんと。戦場に連れて行かれたという意味で私は書いたわけで、それがそういう意味で書いたということを繰り返したい」
阿比留「それでですね、大きな意味で、先ほどから西岡さんの名前を出されているわけですが、やはり、いろんな判断があったんでしょうが、最初に(批判論文を)書かれて、社内に報告書も上げさせられたわけですよね。結局、問題はないということになったそうですけども、その報告書では、どういうことを書かれたんですか」

「大学には娘を殺すという攻撃があった」

植村「それは結論しか言えません。そこの(『文藝春秋』の)手記に書いてるのを参照してください。報告書の内容まで私が言えないじゃないですか。会社のものだから。ただし、問題がないということだった。で、確かに、その後も、ご存じのように、植村批判がずっと続いてきましたよね。だけれどもまあ、私はまあ、もちろん、最初に説明して問題ないと言っているわけですから。会社的な問題はなかった。今回はご存じのように去年、転職が決まったときに激しい攻撃が(転職先の神戸の)大学にあった。そして北星学園大学には娘を殺すという脅迫状が来た。これも阿比留さん書いてくれないかな」
阿比留「書きますよ」
植村「つまり、僕、本当に許せないんだ。阿比留さんたちはちゃんとこの記事はどうだって言っているけど、そうじゃなくて、やっぱり尻馬に乗るというかね。申し訳ないけれども、やっぱり植村が、何か問題があるんだということで、メールとかそういうことで大学への攻撃が非常に続いて、大学がすごく大変なんだ。これも書いてほしい。で、阿比留にさんに、ぜひお願いしたいのは…。あ、ちょっとごめんね(携帯電話が着信する)」

「産経新聞の私の置かれている状況を伝えてほしいんだ」

植村「まあ、とにかくそういうことで、激しい批判がでている。そこのところを産経新聞がぜひね、私の今、置かれている状況を伝えてほしいんだ」
阿比留「それは約束しますよ。でも一方でですね、例えば、確か植村さんがロサンゼルスかどこかで講演をされたときの話で、西岡さんや櫻井(よしこ)さんがそうした卑劣な動きをあおっているというような趣旨のことをですね…」

植村「ああ、あれはね、あおっているというか要するに、えーっと…」
阿比留「ちょっと言い過ぎではないかなという気もするんですよね」
植村「うん、まあ、あの要するに、『社会の怒りをかき立て、暴力的言辞を惹起しているのは朝日や植村氏の姿勢ではないでしょうか』ということを(櫻井氏が書いている)。やっぱり、それに影響されているんじゃないかと、私は怒っておるわけなんです。まあ、言い過ぎかどうかは、これはまあ、法廷でもそれが出ていますので」
阿比留「ああ、そうですか」
植村「はい、当然それは出てきますから、あの、法廷に来ていただければ、またそれもやりとりが…」
阿比留「あとですね、やはり外国での米国での講演でですね。まあ、歴史修正主義者という言葉を使いまして、代表格のようにして例えば安倍晋三首相のことを挙げられたりもしてましたけども、外国でですね、あまりよく事情を知らない人の前で、そういう文脈で話すといらぬ誤解を招くんじゃないかと思うんですけど」
植村「そもそも僕が言い出したのではなくて、多分そういうふうにずっと受け止められるような行動があったんじゃないですかね。僕が初めて言ったんでしたっけ、阿比留さん、そういうふうな表現を」
阿比留「初めてかどうか知りませんけど」
植村「違うと思います。河野(洋平官房長官)談話、村山(富市首相)談話についてのぶれと、この間の動きをみたら、そういう流れの中の人ではないかと。なぜなら、歴史教科書の問題でも中川(昭一)さんと一緒にやられてきましたよね。そういう流れを言ったわけで、それは別にどこでも言ってますんで、米国だけではないですよね」

阿比留「ただ、しかし、あの中でですね、自民党の『日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会』のことを触れられてますけども、彼らがやってきたことは、むしろその、いい意味での修正というと変な言葉遣いですけども、歴史を正しているだけじゃないかと思いますね」
植村「そこはもう、ちょっと論議が広がると思うんですけど、村山談話、河野談話という2つの談話を変えよう、あるいはそれをなき(もの)にしようという動きがありますよね。僕は、やっぱりそれは大きな意味では歴史修正じゃないかと思うんです。なぜなら、それは世界に向けた日本政府のマニフェストですよ。そして、それでいろんな外交関係、いろんなものができた。にもかかわらず、それが揺らいでいる、ということを言ったわけです」

「阿比留さんは金学順さんを何だと思っているんですか」

原川「えー、そうですねえ、いろいろ…。えっと、植村さんご自身は、慰安婦と挺身隊の言葉の混同に戻りますけども、いつ混同に気が付かれたんですか?」
植村「これがね、だから、混同ということよりも」
原川「あー、これは別のものだ、と気づかれたときがあったんですか?」
植村「いや、今でもね、慰安婦のことをチョンシンデと言う韓国の年寄りはたくさんいるんですよ。それで、おばあさんたちもそれは言う。で、気付かれたというか、どこかでこれが間違いだとかね、そういうふうな、僕は、認識じゃなくて、やっぱりそういう時代の認識で、そのおばあさんたちって挺身…、あの、金学順さんって慰安婦じゃなかったんですか?」
阿比留「ただ、でも、金学順さんは別に挺身隊じゃないんじゃないですかね」

植村「いや、だから挺身隊というふうに、ご本人が言ったり、それから周りが言ったりしている。つまり、その場合の挺身隊というのは、勤労挺身隊の意味ではないんですよ。慰安婦のことを韓国ではそういうふうに言われている。だから、当時はそういうふうな言い回しと時代認識があったということなんですよ」
阿比留「今はどうですか」
植村「まあ、今は使いませんよね、確かにね。もう使わなくなっている。それは別に私だけじゃなくて、新聞自体がね。じゃあね、それはだから、その時代はそういう風なことですよね。でも、じゃあ、金学順さんは何だったんですか。慰安婦だったんですか。慰安婦だったんでしょう、阿比留さん」
阿比留「おそらく慰安婦だったんでしょうね」
植村「で、金学順さんは強制連行で慰安婦になったんですか」
阿比留「それは分かりません。強制連行、先ほど一番最初に、広い意味でいうのと、狭い意味と」
植村「狭い意味もね。いわゆる人(狩り)。この日本軍が連れて行ったという産経新聞の報道的なものですよね。産経新聞のこのね。これは、(事実)じゃないと思っている? と、思っているよね?」
阿比留「(事実)じゃないと思います」
植村「じゃ、(事実じゃ)ないと思ってるよね。じゃあ、何なんですか。つまり、僕はだまされたというふうに本人が言いましたよ、という風に書いているんだけれども、じゃあ、阿比留さんは金学順さんを何だと思っているんですか」
阿比留「いや、慰安婦ですね」
植村「慰安婦で。慰安婦で、どうやって慰安婦になったと思っているんですか」
阿比留「親に売られてて」
植村「親にどこに売られたんですか」

阿比留「まあ、養父とされる人間に預けられた段階で、もう母親に売られているわけですね」
植村「で、キーセン(妓生)の学校ですよね。キーセン」
阿比留「ええ」
植村「阿比留さん、キーセンって何かご存じですか」
阿比留「芸妓(げいこ)、芸子。まあ、いわゆる…、植村さんは芸者という言葉を使われましたけども、芸者というのも実は簡単な意味じゃありませんけれどもね」
植村「うーん」
阿比留「それに、芸者とは、必ずしも一致しないかもしれませんが、いわゆる遊芸を売ったり、場合によっては春をひさぐこともあるような」
植村「う~ん」
阿比留「いろんな人を含めていっているのでしょうね」
植村「金学順さんは、キーセン学校のとき売春婦だったんですか。その意味でいうと。春をひさぐ」
阿比留「さあ、ただ、売春婦にする目的で、その養父が育てた可能性はありますが、そこまでは…」
植村「可能性でしょ」
阿比留「そこまでは分かるわけないですよ」
植村「分からんでしょ。じゃあ、金学順さんがどうやって、どういう経緯で慰安婦にされたんですか。人身売買ですか」
阿比留「まあ、人身売買が発端でしょうね」
植村「人身売買で、誰に売られたんですか」
阿比留「最初は母親ですね」
植村「いや、母親が誰に売ったんですか」
阿比留「だから養父にですね」
植村「で、養父は誰かに売ったんですか」
阿比留「そのへんははっきりしません。何かいろいろ…」

植村「なのに何で、それが人身売買というんですか」
阿比留「最初に母親に、もう養父の男に40円で売られたと自分で言っているわけじゃないですか」
植村「だけどそれが、それが、慰安婦になった理由ですか」
阿比留「発端でしょうね」

「僕は慰安婦担当ばかりやっていたわけではない」

植村「そしたら、この産経新聞(平成3年12月7日付の大阪本社版記事)は日本軍に連行されたと言っているんですよ。で、当時、金学順さんは最終的な法廷の陳述でも、そういうふうに言っているんですよ。何が真実か、私が間違っていて、あなたが合っているんですか? 言えないでしょう。結論でいえるのは、金学順さんが意に反して慰安婦にされて、いやだと言っていることが僕は問題だと思うんだ。そこは、阿比留さんと見解が違うかも分からんけれども」
阿比留「慰安婦という境遇に置かれた方の中で、嫌な思い、あるいはその境遇自体が嫌だと思った人がたくさんいることは当然だと思うし…」
植村「はい」
阿比留「同情もします」
植村「うんうん」
阿比留「同情だけじゃなくて、真摯に受け止めたいと思いますが、一方で、なぜ今、世界で日本が、日本だけが悪者にされているのかということは…」

植村「じゃあね、金学順さんが、どういう人だったんですか。ぼくは金学順さんのことしか、ま、ほかにも何人か書いているけれども、基本的に僕は強制連行の慰安婦に会ってないから。だまされた、と書いているんだけども。それをいうとまあ、原川さん、これ記事みた? どっかの記事に言ってたと思うんだけども、ま、要するに、もう一人の人も、これもだまされているんですけれどもね。だまされたようなケースで僕は書いているんだけれども。あの~、それのどこが問題なんですか。僕が強制連行って金学順さんのことを伝えたんですか」
原川「いや、私は当時むしろ、まだ学生でしたから、それこそ、この慰安婦のこと、特に金学順さんのこと、当時は匿名でしたけども、初めて書かれた植村さんですし、署名記事は2本とはないとはいえ、いろいろ、この…」
植村「あ~、それは90何年頃ですか。この記事が出た頃?」
原川「いや、だから、その時は、大学生ではないですね、中学生ですね。つまり、その私は当時、(金学順さんに)アクセスすることはできなかったし、この記事を果たして認識していたかといえば、ダイレクトに認識していなかったかもしれません。ところが金学順さんの記事を署名記事で2本、書かれている植村さんだから、もっと金学順さんのことをいろいろ取材されているのかなと思って」
植村「うんうんうん」
原川「いろいろ、金学順さんの記事に出ていないことを聞けるかな、と思ったんですけれども」
植村「いや、そんな、だから、書いているしかないです。僕はだから、慰安婦担当でそればっかりやっていたわけではないということですよね。で、金学順さんの証言について知りたければ、後で僕がコピーでもあげますが、法廷証言なんかがありますので。そこではキーセン学校が一体、どんなものだったのか、とかいう…」


「朝日の侵略戦争の反省を伝えようという作業に誇り」

朝日新聞で初期の慰安婦報道に関わった植村隆元記者(北星学園大非常勤講師)の産経新聞インタビューの詳報8回目は次の通り。聞き手は本紙の阿比留瑠比・政治部編集委員と原川貴郎・外信部記者。

「朝日は慰安婦問題にきちんと取り組んできた」

阿比留「さて、それでですね。今回、朝日新聞のですね、問題を、いいですか」
植村「あ、はい、はい、どうぞ」
阿比留「植村さんにお話を聞きたいことはあったわけですけども、植村さんというよりも、吉田証言の報道も含めた朝日新聞の問題をずっと関心を持って眺めているわけですが。朝日新聞の今回、いや、昨年の検証(記事)。あるいは1997(平成9)年の検証も含めて、慰安婦報道について何か思うところはありますか。それとも特にないですか」
植村「個々のことは、私、取材してないので分かりません」
阿比留「はい」
植村「分かりません。特に、私、会社も辞めているので分かりません。で、それは、朝日新聞であればそれぞれ担当の部署があるので聞いてもらえればと思うんだけれども。僕は、朝日新聞はですね、やはり、慰安婦問題についてきちんと取り組んできた。この資料集、ちょっと見ていただければと思うんですけども。
『新聞と戦争』という連載をずっと、やってたんですよ。2007(平成19)年頃かな。1年間。朝日新聞で。外報部で国際ニュース担当だったんだけど、朝日新聞の戦争責任というのを追っかけて。これ、口絵にあるんですけどね。取材班のメンバーでやった。これ、ジャーナリズム大賞とか取ったんだけど。(石橋)湛山の。ここの中に、朝鮮半島に植民地をつくった後、朝日がどんなことをやったかみたいな、ようなことをやっておった。そしたら、けっこう、朝日新聞やっぱり当時ね、侵略戦争とか、植民地とか美化しているわけだ。で、非常に僕はショックを受けて、あの~、すげえなあと思って。そういうのが、この本で、これ文庫本で出てるんで、あの、見ていただければと思いますし、データベースで出てきますけど。

京城支局という、朝日新聞の戦前の植民地支配時代の、まあ、あの支局がどのようなことをやっていたかというのをずっと取材していた。当時の記事をみたら、やっぱり結局は植民地支配を正当化するというか、まあ当たり前だろうけどね、当時は。そういう中での報道だから、やっぱり日本が朝鮮半島を植民地にして発展させたとか、そんな記事が多いんですよ。
で、結局、戦争協力したわけですけれども、朝日新聞は、それを戦後反省して、やはり、侵略戦争に対する反省そして植民地支配に対する反省と謝罪、おわび。そういう気持ちがやっぱり社の一つのジャーナリズムの柱だったと思う。だから慰安婦問題も多分そういう流れ。女性の人権の流れ。松井やよりさん、ご存じだと思うんですけども松井やよりさんが、80年代にさまざまな形で発掘してきた、そういう流れがあった。
そして、90年代になって韓国の民主化が進む中で、それまで沈黙していた元慰安婦のおばあさんたちが語り始めた。ご存じの通り、松井やよりさんは、(韓国挺身隊問題対策協議会代表の)尹貞玉さんとも交流があって、やっておったわけですよね。私も人権担当でした。在日コリアンとか、大阪で担当していて」

「当時どんな記者も良心に従って取材していたと思う」

植村「大阪は在日コリアンがすごく多い。僕は、(かつて猪飼野と呼ばれたコリアンタウンの)ど真ん中に住んでいて、在日コリアンの人権問題とかやっていて。そういう流れの中でこういう取材をしたわけです。やっぱり基本的に戦後、朝日新聞がやってきた、アジアへの侵略戦争の反省と、それを伝えようという作業。そういう作業というのは、僕自身、それを誇りに思っているし、ま、そういうこともあって、朝日新聞にも入ったわけですけれども。そういうことです。そういう流れのなかで、慰安婦問題に朝日新聞は多分、取り組んだんだろうなと。これ別に、ご存じのように、チームでやったわけじゃないんですよ」

阿比留「ええ」
植村「自然発生的にいろいろ。僕は在日コリアンの人権問題の中で、そういう問題に関心を持って始めた。そういう流れ。松井さんは女性の人権とかね。もちろん紆余曲折はあったけれども、やっぱりその姿勢は堅持してほしいし、これからもそういうような姿勢で報道を続けてほしいなというふうに思っております」
阿比留「まあ、大きなところでは分かりました。ただ、吉田証言を18本取り消すなどですね…」
植村「それは、僕、ちょっと記事を書いてないんで、書いた人に聞いてください。多分、前川(恵司)さんなんかも…。前川さんと交流、ありますよね」
阿比留「多少あります」
植村「じゃあ前川さんの記事も、多分12月に取り消されているんで。それで、僕の記憶では前川さんの記事が一番、最初だったと思うんですよね」
原川「ええ、川崎版ですね」
植村「(自称・元山口県労務報国会下関支部動員部長の)吉田清治さんがね、世の中に登場した。結構長い記事です。それは、だから前川さんに聞いてください。僕は関係してないことには(回答)できません。ただし一つだけ言えるのは、当時どんな記者たちも良心に従って取材をしていたと思うんです。例えば、これは産経新聞の大阪本社の人権問題取材班…もちろんご存じだと思うんですけれども。この中に吉田清治さんのことが出てくるんです。『終わらぬ謝罪行脚』ということでね。これまあ、私、記事もみてたんだけど、今、(大阪本社版の連載をまとめた)本も持ってきたんですが、吉田清治さんの謝罪の旅を紹介している記事ですね。で、その中に、まあ、尹貞玉さんのこんな話も出たり。

で、ただね、産経新聞、この当時、これは93年くらいの記事だから、『吉田さんの証言が明らかになるにつれ、その信ぴょう性に疑問をとなえる声があがり始めた。証言を裏付ける被害者側の証人が依然、現れないからだ』みたいなことが書いてある。これは産経新聞で報道されてましたよね。でも、その後、またいいことを言っている。『が、被害証言がなくとも、それで強制連行がなかったともいえない。吉田さんが、証言者として重要なかぎを握っていることは確かだ』ってことで書いているんですけども。
こういうふうな取材をした記者は朝日新聞だけじゃなくて、産経の中にもいた。僕はこういう人たちの良心に従った行動に対して、一つひとつ具体的な取材のデータが分からないから、コメントはできない。だけれども良心に従って取材はしたんだろうなと。記者精神に基づいてやったんだろうな、という。被害者の証言を聞いたり、あるいは、こういう加害者の証言を聞いたりしたんだろうなということは何か分かりました。だから、良心に従って吉田清治証言を取材したんだろうなと。多分、それは朝日の記者であれ、産経の記者であれ、やったんだろうなというふうに思っています」

「朝日新聞のどこが問題だと?」

原川「それに対して早い段階で、秦郁彦さんから疑問が呈され、訂正するまでに時間がかかったことについては。去年の確か3月までは朝日にいた」
植村「いた」
原川「長らく朝日におられた元朝日の記者としてはどうごらんになっていますか」
植村「それはもう、あの、前川さんに聞いてもらうと一番詳しいんじゃないかと思うんですけれども。前川さんが一番先に吉田清治さんを紹介した方ですよね。僕は吉田清治さんに会ったことがないのでコメントできない」

原川「吉田さんというよりも、会社、会社としての姿勢についてはどう思われますか」
植村「僕は、だから、さっき言ったじゃないですか、ね。やっぱり、あのいろんな紆余曲折はあるけれども、大きな流れの中では人権侵害の問題をやってきたということは、僕は、間違ってなかったと思いますよ。もちろん、それは吉田さんのことを取り消したということ、事実はあるからね、そういうことはあったでしょう。だけれども、だからといって、慰安婦問題すべてが間違っていたかと言ったら、全然、僕は違うと思います。あの、ここで阿比留さんにおうかがいしたいんですけれども、朝日新聞の報道のどこが問題だと? 簡単に言えば。吉田清治さんを書いたからですか」
阿比留「いや、いろんな所に問題がありますね。もちろん、これは別に慰安婦問題だけに限りませんけれども、とにかく日本と過去の日本を悪者にしたいとしか思えないんですね」
植村「過去の日本は、全く悪者じゃなかったんでしたっけ」
阿比留「いいところも、悪いところも…」
植村「そうでしょ、だから、いいところも悪いところもね」
阿比留「悪いところばかり過度にですね、取り上げようとしている」
植村「だけどさ、子供の論理だよね。侵略戦争があって、アジアに多大な被害を与えたとかいうところはもう世界の共通認識じゃない。阿比留さんはちょっとそれ違うのかな。侵略戦争とか、過去のね」
阿比留「多大な迷惑、というか被害を与えたということには何の異論もないですね」
植村「うんうん。で、慰安婦がたくさん証言して被害を(受けたと)いっているということも認める?」
阿比留「というよりも、朝日新聞が(平成4年1月の)宮沢(喜一首相)訪韓の直前にですね。女子挺身隊の名で強制連行して20万人といわれる…」

植村「(「従軍慰安婦」の用語解説として『主として朝鮮人女性を挺身隊の名で強制連行した。その人数は8万とも20万ともいわれる』とした平成4年1月11日付朝日新聞朝刊の)メモだね、メモだね、ふーん」
阿比留「ああいうのを長年放置したことを日韓関係も含めて、ずいぶんと悪影響を及ぼしたのは間違いないと思いますね」
植村「それ何か、具体的なデータとして、そういうのがあるんでしたっけ」
阿比留「例えばあの、えー、独立検証員会の…」

「朝日のおかげで日本がおとしめられた証拠は?」

植村「でも、60年代くらいから女子挺身隊の名前で慰安婦にされたという韓国の記事があると(週刊)金曜日に出ていた。朝日新聞のおかげで何か日本がおとしめられたとかいう具体的な証拠があったら教えてほしい」
阿比留「たとえば、前駐韓大使の武藤(正敏)さんの最近の本を読んでも、私が今、指摘したあれ(平成4年1月11日付の朝日記事)が出たことによって急激に反日感情が高まって、その後の宮沢さんが(韓国に)行って、宮沢さんが訳も分からず8回も謝罪したという…」
植村「まあ、(言いたいことは)分かりました。ただ、あのメモは僕が書いてないってことは分かっているよね」
阿比留「ええ」
植村「じゃ、もう、その話やめよう。ただ、大きな流れの中で日韓関係を朝日新聞が悪くしていると思いますか?」
阿比留「思いますね」
植村「ああ、そうですか。僕はそうは思わないんで。その辺はちょっと見解の相違だと思うんだけれども。僕は、朝日新聞はやっぱり日本と韓国の和解をするために、過去を直視していたと思う」

「捏造記者というと名誉棄損になると訴えたかった」

朝日新聞で初期の慰安婦報道に関わった植村隆元記者(北星学園大非常勤講師)の産経新聞インタビューの第9回詳報は次の通り。聞き手は本紙の阿比留瑠比・政治部編集委員と原川貴郎・外信部記者。

「米国で187人の歴史研究家の声明がありましたよね」

原川「強制的に慰安婦にさせられた、その人たちが20万人にものぼるという誤解がその世界に広がっていますけれども。こうした誤解について植村さんは慰安婦問題に取り組まれた方としてどのようにお考えなんですか」
植村「僕は何人いたとかいう話をいろんな人に聞かれたことがあるんですが。ちょっと聞きたいんですが、原川さん、慰安婦問題って何人が正しいんですかね」
原川「まあ、実態は定かではないんですよね」
植村「それ、それ、聞きたいのよ僕」
原川「しかし、まあ、日本人慰安婦の数が外国人慰安婦より多いのは確かなんだろうと思います」
植村「あの~、僕はこれを言うと水掛け論になるから言わないけど、最近、米国で187人の歴史研究者らの声明というのがありましたよね。ごらんになったと思うんだけど、そこにまさにその答えが出てる。ちょっと、これを読ませていただくと、『慰安婦の正確な数について、歴史家の意見は分かれていますが、恐らく、永久に正確な数字が確定されることはないでしょう。確かに、信用できる被害者数を見積もることも重要です。しかし、最終的に何万人であろうと何十万人であろうと、いかなる数にその判断が落ち着こうとも、日本帝国とその戦場となった地域において、女性たちがその尊厳を奪われたという歴史の事実を変えることはできません』と書いていますね。つまり数の問題。まさか、300人とか400人レベルとは思っていないよね? 慰安婦って、いないんですか?」
原川「慰安婦はいたと思いますよ」

植村「だから、だから」
原川「慰安婦をいなかったというふうに全存在そのものを否定されている方っていうのは、植村さんがご存じの範囲でいますか、そういう人」
植村「いやいや、いないと思いますよ」
原川「そうですよね」
植村「だから、歴史家の中で、数字の確定ってできてないじゃないですか」
阿比留「まあ、確定ではありませんが秦郁彦さんは2万数千人と見積もっていますね」
植村「まあ、そうですね。それは多分、秦さんもいろんな変遷があったと思うんですが。それはいろんな見方があります。じゃあ2万人だったら問題ないのかということですよね。だから、数の問題はこの声明通りで僕が答えるべき話ではないと思います。
ただし、世界はそういうふうに見てはいないということがこれで分かる。これはどんな人が、声明を出したかといったら、これはもう、(米ハーバード大名誉教授の)エズラ・ボーゲルさんとか、(米歴史学者の)ジョン・ダワーさんとか、(米歴史学者の)キャロル・グラックさんとか、さまざまな知日派の人たちですよね。そういうのが出ているということを指摘することで、僕の答えに代えさせていただきたいというふうに思います」

「朝日の外に出た時に激しい攻撃があった」

原川「あの、また質問が変わるんですけども。(東京基督教大教授の)西岡力さんの92年の論文で初めて批判された。そのとき西岡さんは取材もされなかったと手記に書かれていましたけども」
植村「そうそう。取材申し込みがなかったんで知らなかった」
原川「なぜ、ごくごく最近まで20年以上も、反論はされなかったのかと」

植村「一つはさっき言ったように、もう初期の段階で、朝日新聞は別に問題じゃないとしていた。かつてその頃、西岡さんも捏造とは言ってなかったんだよ。これが、なぜか97、8年頃かな、変わってきている。まあ、それにしても、新聞記者活動をやるにおいては、いろんな人にいろんなことを言われるけれどもね。今回、やっぱり大きいのは、それは手記にも書いたけれども、僕が朝日の外に出たときに、すっごい激しい攻撃がありましたよね。
僕の娘は高校の2年生だった、去年。で、全く生まれてもない時に、おやじが書いた記事で激しいバッシングがあって、娘の顔写真までさらされて。自殺するまで追い込むしかない、ということまで書かれた。この時に僕はすごいショックを受けてね。もちろん、これは西岡さんが言ってるわけじゃ全然ないですよ。だけれども、社会的な雰囲気として、極めて異常なことが去年起きていた。それはちょっと分かると思うんだけど、朝日バッシング。家にさまざまな記者が来たり、張り込みされたり、まるで犯罪者のように書かれた。僕だけだったらまだ耐えられますよ、阿比留さん。
でも、じゃあ、阿比留さん、考えてごらんなさい、阿比留さんが多分、あれだけバシンと極言されているさまざまなこと。それに対する意見の違う人っていると思いますよね。でも、その背後勢力が娘さんを脅迫したりしたらどう思う? 阿比留さん、これはきちっとコラムで書いてくださいよ。つまりね、植村を攻撃するのはいいと。おかしいと言えばいい。だけど娘を攻撃するのはおかしいじゃないといってくれないかな」
阿比留「それはね、記事でですね、私は、こういうことは絶対に許されないということは書きました」
植村「もうちょっと書いてよ、じゃ。被害の実態も伝えてよ」


「息子の友達まで巻き込まれる事態になった」
阿比留「それは今回の…」
植村「他の記者たちはみんな」
阿比留「今回のインタビューでそれはやりますから」
植村「だけど、やってないじゃない、まだ」
阿比留「今回のインタビューで、と言ってますよね」
植村「今回って、今日じゃなくて?」
阿比留「今日ので」
植村「だから、被害状況、聞いてないじゃない。僕の娘のこと」
阿比留「あ、今まさにお話になっている」
植村「今、話してるんだけど、(産経新聞が事前に植村氏に送った)クエスチョン(質問項目)に入ってなかったじゃない。だから、そんなことも産経新聞も書いてほしいんだ。つまり、産経ってすごく影響力あるんだよ。だから、僕はじゃあ、そのデータも言うからお願いしたい。つまり、僕をバッシングしたりするのね。やりたい人は仕方がない。そういう意味では。だけれども、娘まで巻き込まないでほしい。そして息子まで。息子の(同じ植村姓の)友達まで巻き込まれる事態になった。だから、簡単に言うと、こんな事態を食い止めるために、裁判を起こしたんだ。
つまり、この時代、この雰囲気。なぜなら、僕は(昨年)12月の、何日か忘れちゃったけど、今年1月号の文芸春秋に手記をすごく詳しく書いたんですよ。今日言っているようなことを。でも、その後もバッシングは続いているんだ。そして2月には、大学に『娘を殺す』という脅迫状が来たんだよ。そして警察が、パトロール、うちの娘が登下校の時には、パトカーが周辺警備するような状況なんだよ。やっぱりこれは許されないと思って、言論活動もしてます。いろいろ書いてます。インタビューにも応じている。で、ま、今回、最後にね、面談できてよかったんですけれども」
植村「しかしね、それだけではとどまらない。だから植村の、あるいは娘とか、あるいは植村が捏造記者ということを言うと名誉棄損になる、ということを社会に訴えたかった。だから(訴訟を)やった。つまり非常に激しい攻撃が北星学園大学にあり、警備費用が何千万円もかかっている。そういうふうな状況をとめるためにやったんです」
「『歴史戦』やるなら被害者の証言も聞いてほしい」

朝日新聞で初期の慰安婦報道に関わった植村隆元記者(北星学園大非常勤講師)の産経新聞インタビューの第10回詳報は次の通り。聞き手は本紙の阿比留瑠比・政治部編集委員と原川貴郎・外信部記者。

「阿比留さんは僕の敵じゃないと思う」

阿比留「今、訴えられているのは、西岡(力・東京基督教大教授)さんの他、櫻井(よしこ)さんと花田(紀凱・月刊『WiLL』編集長)さんですか」
植村「いやいや花田さんは訴えてないよね。(『WiLL』発行元の)ワックとかはもちろん、訴えていますが、花田さんは訴えてない。産経新聞にぜひお願いしたいのは、さまざまな考えはあるだろうけれども、家族までこんなふうなこと(脅迫・攻撃)を許す社会、これ、右であれ左であれ、リベラルであれ、なんであれ、やっぱり許せないと思うんですよ。だからこそ、世界が、こんなに関心もっているわけなんです。
ぜひこれを食い止めるためにお力を貸してくれないかなあ。だから、本当にそういうことをぜひやめろと。まあ、いろんな社説でもちょこっといわれたり、阿比留さんもちょこっと書かれてるけど、具体的な実態と許せない事実を書いていただいて、バンとね、阿比留さんみたいな影響力のある人が…」
阿比留「いや、まあ、影響力はともかくとして、それは書きますけども」
植村「ぜひ、お願いします」
阿比留「あと、その…」
植村「で、それから強制連行の問題の間違いとかいうこともぜひその後の調べも教えていただきたい」
植村「あのー、最後にね、ぜひ、訴えたいのは元産経新聞の正論の常連メンバーで今、そこから外れている方で、小林節さんという方がいらっしゃって、その小林節さんは私の弁護団にも入ってくださっておるんですよ」
阿比留「司法記者クラブの記者会見でひどい対応とられましたよ」
植村「何かそんなことありました。どういうひどい態度でしたっけ?」
阿比留「ええ、まあ」

植村「で、その時に、ここの(資料集の)どこかにメモがありますけど、やっぱり、その一部の人々は敵と認めたら激しく嘘をついてでも攻撃する、みたいなね。そういうような傾向に歯止めをかけたいから、われわれは裁判を起こすんだという、弁護団の思いを代弁してくださったんですが、私もまさにその同じ思いで今おりまして、それもぜひね。阿比留さんと小林さんも多分、面識はおありなんだと思うんですけど、産経の正論まで書かれていた人まで、これですよ(資料を示す)。
名誉毀損の裁判、これ多分、司法記者クラブで配ったと思うんですけれども、(読み上げる)『最初は挺身隊と慰安婦の混用・誤用の問題で、それは当時の彼国における用法と他紙の報道にならったもので、特別に批判に値しないものを、いつの間にか、悪意の捏造の話に変更され、それが攻撃の根拠にされた。しかし、重要な点は、その悪意が何ら実証されていないことである。だから、不法行為である。しかも、その架空の事実を根拠として、当人の就職先や未成年の子供にまで攻撃が向けられた。これは犯罪である。これは、冷戦時代のイデオロギー論争と同質で、相手を敵と認定したら、嘘をついてでも罵倒する手法である』」
植村「僕は、本当に、阿比留さんはね、僕の敵じゃないと思う。だけれども、阿比留さんはね、『歴史戦』ということで私をこういう形で書かれている。歴史の前に、真実の前に謙虚に、そして慰安婦のおばあさんのことも、阿比留さん、全然、取材、直接、被害を聞かれたことないと思うけれども、やはり歴史戦をやるには、そういうふうな被害者の証言も聞いてほしい。それだけじゃなくて、金学順さんを強制連行と書いた産経の記者たちにも話を聞いてほしい。つまり、当時、どういう状況だったのか、ということですよ。お願いします。本当にお願いします」

原川「あ、一点、すいません、よろしいでしょうか。91年12月25日の記事ですけれども、あの記事が掲載された段階ではすでに金学順さんを原告の一人とする訴訟ならびに…」
植村「もちろん、それ(提訴)は(91年)12月6日ですからね」
原川「ええ、で、遺族会が、実態は一体となって」
植村「うん、まあ、原告を支えるみたいな形でしょうけどね。はい」
原川「そういう意味では、義理のお母さんは、当時はもう遺族会の代表ではなく、まだ幹事の時代ですかね」

「僕が産経との間を仲介するのも…」

植村「あのときは多分、記事を見ると金鍾大(キム・ジョンデ)さんという方が会長で、主に僕はその方と非常にね、男同士で酒飲んだりして。それはまあ、さっき言ったように、僕は遺族会も取材してたし、韓国挺身隊問題対策協議会の尹貞玉さんにもお会いして。あの、阿比留さん、尹貞玉さんにお会いしたことあります?」
阿比留「尹貞玉さんはないですね」
植村「ああ、ぜひね、1回お会いされたらいい」
原川「それは例えば、植村さん経由で直接アクセスできればいいんですけれども、植村さん経由で産経新聞が取材を希望していると、それはどうですか」
植村「ああ、尹貞玉さん。それちょっと僕が、産経新聞との間を仲介するのもあれだろうから。それは自分でやられればいいと思うんだけど。まあ、ちょっとそれは僕が間に入ると不思議な感じがするんだけど、ただ、つまり、どういうことかと言ったら、いろんな人に取材をしておったということで、その一つとして遺族会の会長、それから梁順任さんにも取材した。それはだから、家族だからということではないんですよ」
原川「でも、家族が支援する裁判に関係…、その原告の一人の記事を新聞紙上に掲載することについて、詳しくはその人に聞いてくださいということでしたが、前川さんの文章によると、そのときの担当デスクが、もしそういうのだったら、もう…」

植村「まあ、だからその、これ、その前川さんと」
原川「(紙面に)載せなかったということを…」
植村「はいはい」
原川「言われていますけれども」
植村「当時の担当デスクというのは、社会部の担当デスクは僕が結婚してるのも知っているはずだしね。多分、だから社会部のデスクじゃないと思うんですよ」

「朝鮮半島を植民地化した負の遺産を見つめていかなきゃ」

原川「で、その裁判を支援する義理のお母さん、息子としての、その関係者としての一記者が、ああした記事、原告に関する記事を載せることについて、特に、そのなんでしょう、逡巡とかね」
阿比留「葛藤とか、そういうのは」
原川「葛藤というのはなかったんですか」
植村「まあ、その当時はね、最初から何回も言うけれども、僕は結婚する前からずっとこの問題を取材してきたわけじゃないですか。それはもう、大阪社会部のデスクたちはみんな知っているわけです。手記にも書いてます。
僕は梁順任さんと結婚したんじゃなくて、単にその娘と結婚したわけでね。母親と結婚したわけではないわけですし、それと僕は別に家族のために書いたわけじゃないんですよ。それはもうさっきから言いましたように、朝日新聞がずっとやってきたことと同じ、戦争中に侵略戦争に加担して、朝鮮半島を植民地化したその負の遺産に対してやっぱりきちっと見つめていかなきゃなんないなと思って、取材したんです。まあ、もう、それ以上言えない。はい。ああもう4時だな」
阿比留「じゃあ、その時間の約束なので」
植村「あ、ありがとう、あ、まあ、どうもご苦労さまでした」
植村「阿比留さん、まあ、というふうな感じなんで、ざっくばらんにお願いしますよ。今日のやつでやっぱり一番大きいのは、産経から逃げたとか阿比留さんに」
原川「あ、そうだ。すんません」
植村「何で(取材から)逃げたのかという話?」
原川「逃げたというか」

植村「逃げてはない」
原川「なぜこれまでは取材受けていただけなかったのか」
植村「まあ、(昨年)8月の段階で、朝日が、検証記事を書くまでは、僕はどこも受けなかったんだ。産経新聞からは(取材)申し込みというのは、(昨年)10月にあったんだな」
原川「10月は私ですけども。その前段にも、あの時は、大学に(別の記者が取材依頼の取り次ぎを申し込んだ)…」
植村「あれ、それはちょっと僕はよく分からんけど、正式な申し込みがあったのは、10月ぐらいだったのか。まあ、その時は申し訳ないが、ちょっとまだ、いろいろと混乱しててさ、まあ、あの文書を見た時に、まあ、これだったら、まあ、ちょっと申し訳ないけど、(文書回答のみで、インタビューは受けなかった)ということはあったけど」
原川「分かりました。では、ありがとうございました」
植村「お願いします。それでもうさっきから何度も言うように、これは歴史に検証される話ですし、僕らは要するに産経の皆さんと戦争するつもりもないし、歴史戦するつもりもないんです。ただ、やっぱりこういうふうな、娘とか大学までね、こんな(攻撃される)ようなことが起きる世の中は防ぎたい。産経新聞と朝日新聞が、(慰安婦問題の)共同の取材班をつくったらどうですか。僕もちょっとだけまだ知り合いがいるから。阿比留さんやる気ないか?」
阿比留「やるんだったらそれ全然構わないですけど。ああ、ただ、まあ、私一人じゃ決められないですけどね」

植村「もちろんもちろん。だけど阿比留さんはすごく力のある人だから、それおもしろいんじゃない。産経と朝日が共同調査チームで、どこまで分かっててどこまで分かってないかってどうですか。いや、まじめに僕。結局、そうしないと。僕ら戦争するような関係じゃないじゃない、ジャーナリスト同士で、と思ってるの。それ、どう」
阿比留「相手側に誠意があればこっちは構わないです」
植村「いやははは。朝日の連中は相手方に誠意があればとかいうと思うんだけど。多分、朝日の現場の記者たちとこんな、こう違うじゃないかってあんまりやり合わないでしょ」
阿比留「この問題ではやり合わないですね」
植村「でも、もしそういうこともあったらおもしろいんじゃないか。このままいったら、いろんな意味で日本がじり貧になるよ。本当に僕は、それすごく(心配)だから、もし、そういう気持ちある? あるんであれば、みんな素っ頓狂でびっくりするかも分からないけど。でも、阿比留記者と朝日の記者が共同でやって、どこからどこまで言えるのかみたいな形の話だったらおもしろいんちゃうかな。僕ら2人、こんな戦争ずっと続けてもさ。ひとつそれよろしくお願いします」
阿比留「朝日の記者と対談の企画があって受けたことあるんですけども、向こう側が嫌だと言ってきたことがありました」
植村「あ、対談とかも。その時はいつ頃?」
阿比留「それは、1年ぐらい前」
植村「じゃあ、阿比留さん、もしそんな話があったら」
阿比留「最後は(社内で)ちょっと詰めないとあれですけど」
植村「それは多分、対談だから、お互い。それってすごい、いいよね。ぜひ、じゃあ、それも提案しますんで」
(終わり)


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2015.08.04

【朝日新聞慰安婦誤報取り消しから1年】

産経新聞に掲載された記事を転載し記録に留めると共に今後の展開を注視していきたい。

【朝日新聞慰安婦誤報取り消しから1年】
元朝日記者・植村隆氏にインタビュー 「テープ聞いたの一度だけで記事書いた」


 朝日新聞が自社の慰安婦報道に関する記事の一部の誤報を認め、関連記事を取り消してから5日で1年となる。初期の朝日の慰安婦報道に関わった植村隆元記者(北星学園大非常勤講師)が、初めて産経新聞のインタビューに応じた。

 朝日新聞は昨年8月5日付の特集記事で、「韓国女性を強制連行して慰安婦にした」と証言した唯一の日本側証人、自称・元山口県労務報国会下関支部動員部長、吉田清治氏の証言を虚偽だと判断し、関連記事16本を取り消した(後に2本追加)。国家総動員法に基づき工場などで働いた「女子挺身隊」と「慰安婦」を混同した報道を繰り返したことも認めた。だが、謝罪はしなかった。

 特集記事は、元韓国人慰安婦の女性について「女子挺身隊の名で戦場に連行」と事実と異なる報道をした元朝日新聞記者、植村隆氏の記事については、「意図的な事実のねじ曲げなどはありません」と結論付けた。


こうした姿勢に、朝日が設置した第三者委員会(中込秀樹委員長)も、昨年12月公表の報告書で朝日の検証記事について「自己弁護の姿勢が目立ち、謙虚な反省の態度も示されず、何を言わんとするのか分かりにくい」と厳しく批判した。

 この朝日新聞の第三者委による報告書も、批判の対象となった。

 朝日の慰安婦報道を独自検証した「独立検証委員会」(中西輝政委員長)は今年2月、朝日の第三者委報告書についてこう問題点を突いた。

 「国際社会に与えた影響を分析する部分では見解をまとめられず不十分」

 その上で独立検証委は、平成3~4年の吉田虚偽証言、女子挺身隊の誤用、あやふやな元慰安婦証言、20万人強制連行説を広めた軍関与を示す文書発見と続く一連の朝日報道を次のように結論づけた。

 「数々の虚偽報道を行い、結果として、『日本軍が女子挺身隊の名で朝鮮人女性を慰安婦にするために強制連行した』という事実無根のプロパガンダを内外に拡散した」

 朝日が、宮沢喜一首相(当時)の訪韓直前の4年1月11日、朝刊1面トップで「慰安所 軍関与示す資料」の見出しで掲載した記事は、朝日の第三者委も「慰安婦問題が政治課題となるよう企図して記事としたことは明らか」と分析。独立検証委は、「韓国紙が慰安婦問題を集中的に取り上げるのは、4年1月からだ」と指摘した。

 独立検証委の副委員長を務めた西岡力・東京基督教大教授はこう断言する。

 「虚偽の加害者(吉田氏)証言に加えて、虚偽の被害者証言も書き立てた。それによって『女子挺身隊として強制連行』という虚構が作り上げられ、国際社会に広まった。その責任を朝日が認め、検証しない限り、反省したとは到底言えない」

 7月30日に産経新聞のインタビューに応じた元朝日記者、植村隆氏は3年8月11日付朝日朝刊社会面(大阪本社版)で、元韓国人慰安婦だと初めて名乗り出た金学順氏(記事では匿名)の証言を署名入りで韓国メディアに先んじて報じた。昨年春に退社し、札幌市の北星学園大学の非常勤講師を務めるが、記事をめぐって、大学や家族らへの脅迫が続いたため今年1月、過去に記事を批判してきた西岡氏らを名誉毀損で訴えた。

 「事実は本人が女子挺身隊の名で連行されたのではないのに、『女子挺身隊』と『連行』という言葉の持つ一般的なイメージから、強制的に連行されたという印象を与える」「安易かつ不用意な記載であり、読者の誤解を招く」

 3年8月11日の植村氏の記事について、朝日の第三者委報告書はこう断じた。

 植村氏は記事で「『女子挺身隊』の名で戦場に連行され、日本軍人相手に売春行為を強いられた『朝鮮人従軍慰安婦』」のうちの一人だと金氏を紹介した。

 産経新聞の取材に対し、植村氏はこの記事は韓国挺身隊問題対策協議会で一度だけ聞かせてもらったテープをもとに同会から背景説明などを受けて書いたと説明。テープについて「僕は持っていない」と語った。テープを聞いた時点では、女性の名前は知らされなかったという。「女子挺身隊」という言葉が出てきたかどうかに関しては「定かじゃない」と答えた。

 だが、記事が出た直後、金氏の経歴をめぐる異なる事実関係が明らかになる。

 金氏は3日後の14日に実名を明かしてソウルで記者会見を開いた。翌15日、韓国紙ハンギョレは「母親によって14歳の時に平壌のキーセン(妓生)の検番に売られ、検番の養父に連れられていった」と報じた。

 金氏らが12月に東京地裁に起こした賠償訴訟の訴状も、金氏の経歴に関し「養父に連れられて中国へ渡った」とあり、「挺身隊の名で連行された」と記載していない。

 朝日新聞は昨年8月の検証記事で、金氏が挺身隊の名で連行されたかどうかについては見解を示さなかった。その後、「この女性が挺身隊の名で戦場に連行された事実はありません」との「おことわり」をデータベース上に追記。事実上、誤報を認めた。

 植村氏は第三者委の指摘について「強制的に連行されたような印象を与えるということだが、印象ではなく『強制連行』(という表現)で伝えているメディアがあることにも触れてほしかった」と語った。「植村が捏造記者じゃないことが報告書からも分かる。そこを強調したい」とした。


. 朝日の第三者委報告書は同じ3年中、植村氏が金氏について書いたもう一つの署名記事も取り上げた。12月25日付朝日新聞大阪本社版の「日本政府を提訴した元従軍慰安婦・金学順さん」の記事だ。

 この記事は1カ月前の11月25日、植村氏が高木健一弁護士らによる金氏へのヒアリングに同行した際に録音したテープを基に書いたものだが、金氏が12月6日に起こした賠償訴訟の訴状にも記載されたキーセン歴が書かれていなかった。

 独立検証委は「金さんが、吉田清治が主張していた女子挺身隊の名で強制連行された被害者であるかのような錯覚を作り出すのに、大きな役割を果たした」との見解を示す。

 また、植村氏の韓国人の義母は当時、金氏らを原告とする賠償訴訟を支援した太平洋戦争犠牲者遺族会の幹部だった。植村氏は「結婚する前からずっと、この問題を取材してきた。別に家族のために書いたわけじゃない」と述べた。


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2015.08.01

安保法案・ヒゲ隊長質疑詳報

安保改定質疑についてヒゲ隊長の説明を記録として留めておくことにした。以下は全て産経新聞からの転写である。


【安保法案・ヒゲ隊長質疑詳報(1)】

「プラカードより法案掲げろ!」


 集団的自衛権の行使容認を含む安全保障関連法案は28日、参院平和安全法制特別委員会で実質審議がスタートした。「ヒゲの隊長」として知られる自民党の佐藤正久元防衛政務官が質問のトップバッターとなり、元自衛官の経験を生かし法案の必要性について政府の答弁を引き出した。やりとりの詳細を紹介する。
          

 佐藤正久氏「日本を取り巻く環境が厳しくなったとの認識は、多くの政党が共有している。であれば、厳しくなった環境から、日本国民のリスクを下げるため自衛隊に動いてもらうことが必要だ。そのための法律を整備するのは政府だけの責任ではない。われわれ国会議員が国民の代表として、与野党関係なく、いかに国民のリスクを下げるか、そのために自衛隊にいかに動いてもらうかの法案を出すべきだ。プラカードを掲げるのではなく、法案を掲げてしっかり議論すべきだと思うが、首相の考えは」

 安倍晋三首相「国民の命と平和な暮らしを守り抜いていくことは政治家にとって最も大切な責務だ。本来、与党も野党もない。わが国を取り巻く安全保障環境はますます厳しさを増しており、情勢をしっかりと分析・評価し、国民の命と平和な暮らしと領土、領海、領空を守り抜くため、砂川判決の言う必要な自衛の措置とは何かをとことん考えぬいていく責任がある。衆院では維新の党が対案を提出し、議論がかみ合った。野党にも対案や独自案を提出していただき、安全保障に関する法律は、できる限り一致点を見いだす努力を重ねていくことが政治家に課せられた責務だ」


 佐藤氏「法律がなければ自衛隊は動けない。法律がなければ訓練もできない。法律ができたからといって、すぐ結果を出せるわけではない。自衛隊はスーパーマンではない。自衛隊にしっかり結果を出してもらうためリードタイムをとって法律を整備することも大事な仕事だ。隊員の訓練という観点から法案成立の必要性について答弁を求めたい」

 首相「自衛隊の活動では訓練も含めて法的根拠をあらかじめ明確にしておくことが必要だ。法的根拠を明確にすることで、平素より各国と連携した訓練や演習などを可能とすることができる。法的根拠を定めておくことは極めて重要だ。例えば日本近隣で武力攻撃が発生し、わが国への武力攻撃が発生したとは認定されないが、公海上で米艦がミサイル攻撃を受けた場合、日本の艦船が米艦船を守ることができるとなれば、日頃からそのような事態を想定して訓練や運用上の協力をすることができる」

 「しかし、日米間でも現場で相互協力を深め、訓練を重ね、十分な連携態勢をとることは一朝一夕にはできない。あらゆる事態に対処するための十分な準備を行うためにも、一日も早い平和安全法制の整備が不可欠だ。そのことで切れ目のない対応が可能となる」

 佐藤氏「安全保障環境がどれだけ厳しくなったか、われわれの認識と、国民の認識にギャップがある。どういうことが日本周辺や世界で起きているかについて議論を進めたい。まずロシアだ。ロシアは昨年、クリミア半島を併合した。力による現状変更といって過言ではない。ウクライナはクリミアを施政下においているが、ウクライナはNATOの一員か」

 岸田文雄外相「ウクライナはNATOには加盟していない」
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 佐藤氏「加盟していないので米国や英国、フランスの集団的自衛権の対象ではない。国連もロシアが常任理事国の1カ国だから実際に動くことはできなかった。結果的にロシアにクリミアを編入された。そして、ロシアがクリミア編入に動いているとき、中国はベトナム沖で石油探査を行っていた。掘削機の周りでは漁船や巡視船などが警備し、軍艦も出たという報道もあった。ベトナムが抗議しても力が違うのではね返される。相手が中国だから国連も動けなかった。ベトナムが助けてほしいといっても集団的自衛権の対象国がない。南シナ海での岩礁埋め立ても、このベトナム沖での石油掘削での(国際社会の)対応を見てから始まったという見方もある」

 「中国には『戦略辺境』という考え方がある。国力に応じて国境は変わるものだと。第2次世界大戦の後、西はチベットに武力侵攻し自治区にした。西北でウイグルを自治区にした。北で内蒙古も自治区にした。今度は海軍力がついたこともあってか、南シナ海、東シナ海にまた進出の動きがある。ベトナムからフランス軍がいなくなったら西沙諸島に武力侵攻して半分を占領した。米国がベトナムから撤退したら残りの西沙諸島の半分に侵攻した。ベトナムのカムラン湾からソ連がいなくなったら、ベトナムが領有していた南シナ海の6つの岩礁を占領し、フィリピンから米国がいなくなったら南沙諸島のミスチーフをとった。まさに力の空白に応じてどんどん侵攻していった。さらに中国は先の防衛白書で方針転換を表明した。陸軍重視から海軍重視、海軍を近海から遠洋を含む複合型へ、空軍を領空防護型から攻防兼務型に変えた。この動きをどう見るか」


 中谷元防衛相「中国は1950年代から70年代にかけ西沙諸島へ、80年代以降は南沙諸島へ、力の空白を突く形で南シナ海全域に進出してきている。近年は南沙諸島における急速かつ大規模な埋め立て活動を強行するなど、海洋進出をより活発化させている。こうした中国の軍事的動向の背景には、自国防衛のほか、領有権主張の強化、海洋権益の獲得、海上輸送路の保護などの目標があると考えられる。中国はより遠方の海空域における作戦遂行能力の構築に努めつつ、今後とも海洋活動のいっそうの拡大、活発化を進めていくと考える」

 佐藤氏「人ごとではない。中国は南シナ海の7つの岩礁を埋め立てているが、ファイアリークロス礁には3000メートル級の滑走路がみてとれる。ほとんど滑走路、誘導路が完成している。近くの別な岩礁も埋め立てし、すでに軍艦も寄港する動きがある。今後、中国が南シナ海に防空識別圈を設定する可能性も否定できない。南シナ海で中国の航空優勢・海上優勢が図られた場合、日本の安全保障にも大きな影響があるのではないか」

 中谷氏「中国は現在埋め立て中の地形について軍事利用を認めると公言しており、今後、港湾、滑走路、レーダーなどの軍事施設を建設していく可能性がある。軍事施設が建設された場合、一般論として言えば、海警や海軍、空軍のプレゼンスを増大させる可能性があり、南シナ海の安定的利用に対するリスクが増大しかねない。わが国への安全保障への影響は否定できない。『A2AD(接近拒否・接続拒否)』というが、マラッカ海峡などのチョークポイントを経由した米軍などの南シナ海への接近を阻止し、行動の自由を制限することで、中国の海空軍の南シナ海から西太平洋への進出を容易にする効果、つまり接続拒否が生じる可能性がある」

 佐藤氏「中国は防空識別区を公海上に設定している。入ってくる際は事前に通報せよ、通報がなければ軍事的措置も辞さないとして、あたかも領空のような主張をしている。今までは中国本土から遠いためレーダーが届かなかった。ところが、今回のガス田は防空識別圈の真ん中に、日中中間線を逆利用する形で、西側のほうに乱立している。軍事利用の可能性は」

 中谷氏「中国は海洋権益の獲得等を目的に東シナ海で海洋プラットホームの設置など、石油や天然ガスの採掘に関する活動を継続している。中国側がその軍事利用を表明しているわけではないが一般論で言えば、レーダー配備の可能性、ヘリパッドをヘリ等の展開のために利用する可能性が考えられる。政府としては警戒監視活動に万全を期し、今後の情報収集などに支障を来さない範囲で、公表できるものについては公表していく」

半島有事なら数十万人が日本へ避難」

 佐藤正久氏「尖閣諸島に一番近いヘリポートはガス田で、距離は300キロしかない。那覇までも360キロ、佐世保までも580キロしかない。非常に近いところに海洋基地がどんどんできている。この現実を人ごとではなく、自分のこととして考えないといけない。なぜ中国がどんどん南西諸島や沖縄にプレッシャーをかけているか。中国の艦隊は青島や寧波から太平洋に出る際、南西諸島が邪魔になる。南西諸島、台湾、フィリピンを結ぶ線が第一列島線だ。伊豆諸島、小笠原、マリアナ諸島を結ぶのが第二列島線だ。第一列島線の内側の南シナ海、東シナ海は米国の艦艇などを入れず、第一・第二列島線の間で迎え撃つ方針のもと、どんどん南西諸島にプレッシャーをかけながら、沖縄を抜けて太平洋での訓練、年々、増加している傾向がある」

 「一番怖いのは潜水艦だ。船の下で魚雷を爆発すれば船体がたわむ、その反動で船体は逆に折れて真っ二つになる。韓国の哨戒艦が潜水艇の魚雷一発で真っ二つにされ、46人が亡くなった。その潜水艦、水上艦艇、航空機が南西諸島やバシー海峡を抜け、どんどん活動を活発化させている。南シナ海を潜水艦の聖域とし、潜水艦からミサイルを発射する動きも出てきている」

 「尖閣諸島を行政区に持つ石垣市議会が7月14日、平和安全法制の今国会での成立を求める意見書を可決した。日本の最前線で、中国等の領海侵犯を受けている石垣市議会の意見だが、所見は」


 安倍晋三首相「残念ながら、南シナ海で中国は大規模な埋め立てを行っている。東シナ海ガス田の問題も、2008年の合意が守られていない。同時に尖閣の領海に公船が何回も侵入している状況の中で、石垣市の皆さんは最も日本の南西に位置している街なので、その地理的性質上、わが国の安全保障環境の変化を日々、肌で感じているのだろう。石垣市の意見を真摯(しんし)に受け止める必要がある。永田町では感じえない肌感覚の危機感を持っているのだろう」

 「こうした安全保障環境の大きな変化の中で、日本もわが国のみで自国を守りきることはできない。わが国独自に守っていく気持ちは必要だが、しっかりとした同盟関係を機能させることで抑止力を強化し戦争を防ぐ。力による現状変更は行うことはできないと相手方に理解させつつ、平和的な発展をお互いに進めていくことが重要ではないか。つまり平和的発展の道に方針を変更するよう促していくことも大切だ。そのためにもしっかりと備える。切れ目のない平和安全法制を整備する。日米同盟が揺るぎないものだと内外に示すことで、この海域も含めてわが国の平和と安全を守り抜いていくことができると確信している」

 「日米同盟はわが国の安全保障の基軸だ。駐留する米軍のプレゼンスは不測の事態に対する抑止力としても機能している。わが国の平和と安全を確保していくためには、平時、グレーゾーン、集団的自衛権に関するものも含め、あらゆる事態に切れ目なく日米が一層、協力して対応てきるようにしておく必要がある。平和安全法制が整備されれば平素から米艦などの防護を行うことが可能になり、自衛隊と米軍の連携した警戒態勢などの強化につながる」

 「重要影響事態では米軍により充実した支援を行うことが可能となる。存立危機事態では自衛隊と米軍の一層緊密な協力が可能となる。平素より幅広い種類の訓練や演習を実施できるようになる。さまざまな危機に対する日米の共同対処能力は飛躍的に向上する。日本が危険にさらされたときには、日米同盟は完全に機能するようになると言ってもいい。そのことを世界に発信することで紛争を未然に防止する力、すなわち抑止力はさらに高まり、日本が攻撃を受ける可能性は一層なくなっていく」

 佐藤氏「朝鮮半島もこの数年で環境が変わった。朝鮮戦争はまだ終わっていない。終戦ではなく休戦だ。休戦状態のまま、正規兵だけで北朝鮮が約145万、韓国が約65万、にらみ合っている状態で、その間に国連軍が割って入っている状態だ。朝鮮戦争の国連軍の後方司令部は横田基地にあり、7つの在日米軍基地に後方基地としての機能があるため、国連旗が日米の国旗とともに立っている。これが現実だ。日本政府と朝鮮戦争の国連軍との地位協定がある。国連軍が立ち上がった場合に便宜を図る協定がある。朝鮮戦争の国連軍は何カ国で、どのような国々か」

 岸田文雄外相「朝鮮国連軍は1950年、朝鮮戦争勃発時に創設され、1953年、休戦協定発効後に逐次撤退を行ったが、現在でも朝鮮半島の平和と安全の保持のため、韓国に司令部を、日本に後方司令部を配置している。締約国は現在12カ国ある。わが国のほか、米国、豪州、英国、カナダ、フランス、イタリア、トルコ、ニュージーランド、フィリピン、タイ、南アフリカ。以上12カ国だ」
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 佐藤氏「国連軍がまた動く場合、地位協定に基づき日本政府も便宜を図らないといけないし、彼らも朝鮮半島に来る義務も責務もあると考える。そういう状態を考えながら今回の法整備を行わないといけない。今、韓国にはどれくらいの数の邦人がいるか」

 岸田氏「長期的に滞在している在留邦人は約3万7000人だと承知している。旅行者や出張者などの短期旅行者数は時期により変動はあるが、平均的には約1万9000人程度だ。合計すると5万6000人程度と見積もられる」

 佐藤氏「約5万6000人の邦人がいる。邦人以上にフィリピンやベトナムの人がいる。米国人もいる。何かあれば民間人を含め、第三国の人が避難する先は、ほとんどが日本だ。数十万人が日本のほうに来る。そういうことを前提に、邦人の安全を確保し、場合によっては国連軍と連携して対応することが求められることを理解しないといけない」

 「北朝鮮は日本を射程に入れる数百発の弾道ミサイルを保有している。ノドン、ムスダンといわれるが、1300キロの射程だと考えると韓国用ではなく日本用だとの見方がある。韓国用ならもっと射程の短いスカッドで十分だという話もある。昨年3月、北朝鮮は初めてノドンを西海岸から東海岸方面に発射した。今までは東海岸から東か、西海岸から南へ撃っていたものを、今度は西から東、自分の頭の上を飛ばした。間違いなく精度と自信が向上している。そういうミサイルを北朝鮮が持っている事実がある」
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「そのミサイルから日本人をいかに守るか。発射される前にそれをたたけばいいが、実際に日本を射程に入れるノドンは車載式だ。事前に車が動いて、ミサイルを立てて撃つので、発射前にたたくことはかなり難しい。山岳地帯もあれば、森林もある。日本国民を守るには撃たれてからたたくしかない。その場合に最も有効なのはイージス艦だといわれているが、日本の(ミサイル防衛システムを搭載した)イージス艦は現在4隻しかない。うち1、2隻は整備に入っているので、3隻ないとカバーできないときは、日米で連携する必要がある。さらに二重、三重の盾にするのが望ましい。当然の話だ」

 「まさに日本と米国が連携し、平時から有事まで互いに守り合う態勢をとることが抑止力につながる。たミサイルが日本に着弾する前、日本国民の命を守るためには、国際法上は集団的自衛権の行使と言わざるを得ない場合もある。平時からグレーゾーン、有事まで切れ目なく連携することが非常に大事で、それを可能にするのが今回の法制だ。ミサイル防衛について今回の法制にかける思いは」

 首相「政府が『必要な自衛のための措置の中に集団的自衛権は含まれない』という考え方を示した昭和47年、あの時代には北朝鮮は弾道ミサイルを保持しておらず、核開発も行っていなかった。ミサイル防衛では、北朝鮮がミサイルを発射すれば、海上ではイージス艦からミサイルを発射し、上空で撃ち落とすという仕組みになっている。米国の衛星からの情報をもとに、イージス艦がデータリンクをしながら落とす。日米共同で情報を収集・分析し、軌道を計算しながら対処できることになっている。その一角が崩されると、例えば米艦が攻撃を受けることにより、日本のミサイル防衛に穴が空いていくことにもなる。その米艦を守るのはわが国を守るための集団的自衛権に当たる。かつての解釈を行った40年前にはなかった状況が出現し、その必要性にもわれわれは直面している」

 「ミサイルに『ピストル』は非現実的…」


 佐藤正久氏「朝鮮半島有事の具体例で、邦人輸送、重要影響事態、存立危機事態の3パターンに分け、事態の進行ごとに、今まで何ができなかったのか、今回の法案で何ができるのか。議論したい。数十万の民間人を輸送する場合もある。日本だけでなく、いろんな国々が協力をして行う。民間の輸送力も軍事的な手段も使う。大変な輸送オペレーションになる」

 「まず平時だ。A国とB国で緊張が高まる。爆弾テロがB国でどんどん起きる。相互の非難が起き、緊張が高まっていく。邦人を含む民間人が日本に避難してくる。このときはまだ民間の輸送力が主体だ。そういう時、今回の法律ができることで何がやりやすくなるのか」

 中谷元防衛相「現行法では自衛隊の航空機、船舶、車両を用いて在外邦人などの輸送を行うことは可能だが、輸送に限られており、武器使用権限も自己保存型に限定されている。今回の法改正で在外邦人らの保護措置を新たに設け、任務遂行型の武器使用権限を付与する。これによって一定の場合には輸送だけでなく、警護や救出も可能となる」

 佐藤氏「次に重要影響事態だ。A国からB国への武力攻撃が切迫している。B国で何者かによる爆弾テロがさらに頻発する。一部、A国からB国に対し、休戦協定違反のような銃撃や砲撃がある。民間輸送もだんだん難しくなる。実際、私がイラクに派遣されたも、日本の航空会社は組合などの反対もあり使えなかった。そういうときに多くの国々が連携し、民間人を輸送するオペレーションが始まる。今回の法改正で何ができるようになるのか」

中谷氏「重要影響事態に関し、今般の周辺事態法改正では米軍以外の外国軍隊などにも後方支援活動が行うことができるようにしている。自衛隊が活動する地域をわが国領域などに限ってもいない。このため、例えば民間人を輸送する他国軍の艦艇などが重要影響事態に対処している場合には、公海上での補給などの支援が可能になる。改正後の自衛隊法第95条の要件を満たす場合には、自衛隊と連携して当該活動に従事している米軍などの部隊の武器などを、武力攻撃に至らない侵害から防護することも可能となる。在外邦人らの輸送や保護措置は要件を満たす場合、重要影響事態でも行うことが可能だ」

 佐藤氏「民間人を守るため国際社会が連携しているときに、お互い動きやすくなる。例えば、米国のヘリが邦人を乗せ、海上自衛隊の艦艇の甲板に降りる。その際、今までできなかった米国のヘリに対する給油や整備支援もできる。場所は戦闘が起きていない現場だ」

 「さらに事態が進み、存立危機事態となったとする。A国からB国への武力攻撃が発生し、わが国にとっても非常に影響がある場合だ。休戦協定は破棄され在韓米軍への攻撃も始まった。そういう場合での民間人の輸送は、軍用機や軍艦でないと難しい。法制で何ができるようになるか」

 中谷氏「存立危機事態が認定された場合は、例えば取り残された邦人を運んでいる米艦をはじめ、事態の拡大防止、早期収拾のため活動している米艦の防護などの措置も、新3要件に該当する場合には実施することが可能となる」

【安保法案・ヒゲ隊長質疑詳報(3)】

 佐藤正久氏「朝鮮半島有事の具体例で、邦人輸送、重要影響事態、存立危機事態の3パターンに分け、事態の進行ごとに、今まで何ができなかったのか、今回の法案で何ができるのか。議論したい。数十万の民間人を輸送する場合もある。日本だけでなく、いろんな国々が協力をして行う。民間の輸送力も軍事的な手段も使う。大変な輸送オペレーションになる」

 「まず平時だ。A国とB国で緊張が高まる。爆弾テロがB国でどんどん起きる。相互の非難が起き、緊張が高まっていく。邦人を含む民間人が日本に避難してくる。このときはまだ民間の輸送力が主体だ。そういう時、今回の法律ができることで何がやりやすくなるのか」

 中谷元防衛相「現行法では自衛隊の航空機、船舶、車両を用いて在外邦人などの輸送を行うことは可能だが、輸送に限られており、武器使用権限も自己保存型に限定されている。今回の法改正で在外邦人らの保護措置を新たに設け、任務遂行型の武器使用権限を付与する。これによって一定の場合には輸送だけでなく、警護や救出も可能となる」

 佐藤氏「次に重要影響事態だ。A国からB国への武力攻撃が切迫している。B国で何者かによる爆弾テロがさらに頻発する。一部、A国からB国に対し、休戦協定違反のような銃撃や砲撃がある。民間輸送もだんだん難しくなる。実際、私がイラクに派遣されたも、日本の航空会社は組合などの反対もあり使えなかった。そういうときに多くの国々が連携し、民間人を輸送するオペレーションが始まる。今回の法改正で何ができるようになるのか」

 中谷氏「重要影響事態に関し、今般の周辺事態法改正では米軍以外の外国軍隊などにも後方支援活動が行うことができるようにしている。自衛隊が活動する地域をわが国領域などに限ってもいない。このため、例えば民間人を輸送する他国軍の艦艇などが重要影響事態に対処している場合には、公海上での補給などの支援が可能になる。改正後の自衛隊法第95条の要件を満たす場合には、自衛隊と連携して当該活動に従事している米軍などの部隊の武器などを、武力攻撃に至らない侵害から防護することも可能となる。在外邦人らの輸送や保護措置は要件を満たす場合、重要影響事態でも行うことが可能だ」

 佐藤氏「民間人を守るため国際社会が連携しているときに、お互い動きやすくなる。例えば、米国のヘリが邦人を乗せ、海上自衛隊の艦艇の甲板に降りる。その際、今までできなかった米国のヘリに対する給油や整備支援もできる。場所は戦闘が起きていない現場だ」
 「さらに事態が進み、存立危機事態となったとする。A国からB国への武力攻撃が発生し、わが国にとっても非常に影響がある場合だ。休戦協定は破棄され在韓米軍への攻撃も始まった。そういう場合での民間人の輸送は、軍用機や軍艦でないと難しい。法制で何ができるようになるか」

 中谷氏「存立危機事態が認定された場合は、例えば取り残された邦人を運んでいる米艦をはじめ、事態の拡大防止、早期収拾のため活動している米艦の防護などの措置も、新3要件に該当する場合には実施することが可能となる

 佐藤氏「弾道ミサイル対処でも事例を議論したい。弾道ミサイルを警戒中の米軍の艦艇の防護で、平時、重要影響事態、存立危機事態と、何ができるようになったのか議論したい。まず平時だ。緊張状態が高まってくる段階ではどうか」

 中谷氏「今までは警戒監視の強化しかできなかった。平時で緊張感が高まっている状況では、弾道ミサイルへの警戒を含む情報収集、警戒監視活動を自衛隊が米軍と連携して行うということが想定される。今回の法改正により、米軍などからの要請を受け、防衛相が必要と認めた場合には、自衛隊と連携して当該活動に従事している米軍部隊の武器などを武力攻撃に至らない侵害から防護することや、平素における米軍への物品、役務の提供を実施することが可能となる。自衛隊と米軍などが連携した警戒監視態勢の強化につながり、状況に応じたより実効的な対応が可能となる」

 佐藤氏「重要影響事態。さらに緊張が高まったときはどうか」

 中谷氏「従来は米軍以外の他国軍への物品、役務の提供はできず、防護もできなかった。今回の周辺事態法の改正により、例えば弾道ミサイルの警戒監視等を行う他国軍の艦艇などが重要影響事態に対処しているといえる場合、公海上で補給などの支援を行うことが可能となる。要件を満たす場合には、平素から引き続き、自衛隊と連携して弾道ミサイル警戒を含む情報収集・警戒監視活動に従事している米軍を武力攻撃に至らない侵害から防護することも可能になる」

 佐藤氏「今までは米国のイージス艦に海上自衛隊が給油する場合、わざわざミサイル警戒を解き、日本の領海に戻ってもらわないとできなかった。これからはミサイル警戒を公海中で実施中のイージス艦に対し、海上自衛隊が公海上で給油できるようになる。さらに事態が進み、存立危機事態になったとき、何ができるようになるのか」

 中谷氏「現在は個別自衛権しか認められていない。状況が悪化して存立危機事態が認定される場合では、例えば弾道ミサイル警戒にあたっている米艦をはじめ、事態の拡大防止や早期収拾のために活動している米艦の防護などを、新3要件に該当する場合は実施することが可能となる」

 佐藤氏「今までできなかったことが可能になる。要は日本人の命を守るためだ。他方、このような朝鮮半島などの近隣有事で『集団的自衛権の行使は必要なく、周辺事態法に基づき、日本領海内での補給支援だけでいい』とか、『警察権に基づく権限で米艦防護をやればいい』という意見も一部にはある。しかし相手の武力攻撃に警察権で対応するのは、まさにミサイルにピストルで立ち向かうという感じだ。極めて非現実的な考えだと思うが、所見は」

 安倍晋三首相「わが国の近隣で武力紛争が発生し、米国も武力攻撃を受けている状況下で、警察活動として防護を行うことは、まさにピストルでミサイルに立ち向かうようなもので、現実的には実施困難だ。海上警備行動といった警察活動は、警察官職務執行法に基づく権限しか行使できない。あくまで犯罪など不法行為への対応を主目的とした仕組みだ。自衛隊員は十分な権限を与えられず、不法な武力攻撃に身をさらすことになり、隊員の生命を不必要なリスクにさらすことになる。それにもかかわらず日本人の命を守る目的を達成することは困難となる。合理性のある適切な対応とは考えられない。そもそも、米国が武力紛争の当事者となっている場合、米艦を防護するのは外形上、武力の行使と評価されるおそれがある」

 佐藤氏「次に、事態が乱立してわかりにくいという議論がある。重要影響事態、存立危機事態は、ともに日本への武力攻撃がまだ発生していないが、日本に影響がある事態という観点では同じだ。日本への影響度がより大きいものが存立危機事態だとの見方もできる。存立危機事態は重要影響事態に包含されるといわれるが、こういう理解でよいか」

 中谷氏「その通りだ。重要影響事態はわが国の平和および安全に重要な影響を及ぼす事態であり、存立危機事態はわが国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これにより、わが国の存立が脅かされ、国民の生命、自由、幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある事態だ。存立危機事態は概念上は重要影響事態に包含される。存立危機事態は、重要影響事態との比較において、より重大かつ深刻な事態であるということは言うまでもない」

 佐藤氏「次に存立危機事態と武力攻撃事態等だ。武力攻撃事態等には、日本に対する武力攻撃の切迫度合いから『武力攻撃予測事態』『武力攻撃切迫事態』『武力攻撃事態』がある。存立危機事態と評価観点が違うが、国の存立が脅かされ、国民の生命、自由、幸福追求の権利が根底から覆されるという根本では共通の概念だ。要は両方に該当する場合が多いと説明されているが、この考え方で間違いないか」

 中谷氏「武力攻撃事態は存立危機事態と異なる観点から評価される概念であり、ある状況において、それぞれの観点から評価した結果、いずれの事態にも該当することがあり得る。現実の安全保障環境を踏まえれば、存立危機事態に該当する状況は、同時に武力攻撃事態等にも該当することが多いと考えられる。一方、存立危機事態に認定される場合が、同時にわが国に対する武力攻撃が予測、切迫していると認められないこともある」


 佐藤氏「まさに重なる場合が多い。(例外的に)はみでる一つの例が、ホルムズ海峡での機雷掃海という場合があり得るという理解でよいか」

 中谷氏「実際にどのような場合がありえるかは、事態の個別具体的な状況に即して全ての情報を総合的に判断し、客観的合理的に判断するものであり、一概に答えることはできない。しかし、あえて言えば、ホルムズ海峡で機雷が敷設される事例は、存立危機事態に該当しても武力攻撃事態等には該当しない場合として想定されるケースだ」

 佐藤氏「武力攻撃事態等は『予測事態』『切迫事態』『武力攻撃事態』に分かれている。一方で、存立危機事態は、予測事態と切迫事態の間で起こる『ケース1』と、切迫事態と行為発生の間で起きる『ケース2』の場合がある。ケース1,2はどういう場合が該当するか」

 中谷氏「現実の安全保障の環境を踏まえれば、存立危機事態に該当するような状況は、同時に武力攻撃事態等にも該当する場合が多いと考えられ、一概に答えることは困難だ。しかし『ケース2』についてあえて言えば、わが国近隣で武力紛争が発生し、米国も武力攻撃を受けている。その時点では、まだわが国に対する武力攻撃は発生したとは認定されないが、攻撃国はわが国も射程にとらえる相当数の弾道ミサイルを保有しており、『東京を火の海にする』などの言動から、わが国にも武力攻撃の発生が差し迫っている状況にある。こうした場合は、わが国に対する武力攻撃が発生する明白な危険が切迫していると客観的に認められるような場合になっていることもありうる。同時に、弾道ミサイル発射の兆候がある中で、米艦が警戒にあたっており、米艦を防護しなければならない場合は、こうした状況を総合的に勘案して存立危機事態を認定する場合もありうる」
【安保法案・ヒゲ隊長質疑詳報(4)】

シーレーン防衛、逃げれば「臆病者」

 佐藤正久氏「ホルムズ海峡について議論したい。ホルムズ海峡を含めた日本のオイルシーレーン、日本の油の8割、天然ガスの約25%がペルシャ湾から日本に来ている。1日約60万トンの油が来なければ日本の工業製品も生活も維持できないといわれている。日本の油はペルシャ湾に依存しており、一番狭い部分がホルムズ海峡だ。日本関連船舶だけでも年間、4000隻が通っており、もっともホルムズ海峡を使っているのは日本だ」

 「イランは2012年にEU制裁に対抗してホルムズ海峡を機雷封鎖するという法案も提出した。仮にホルムズ海峡が封鎖されたら一番影響を受けるのは日本だといわれている。おそらく株価は大幅に下がり、物価にも深刻な影響が出て、冬場は灯油の高騰も予想される。備蓄は半年分だけで、液化天然ガスは備蓄も困難だ。備蓄を放出する動きがでれば株価はさらに暴落し、状況によっては経済や国民生活に深刻かつ死活的な影響が出ることも予想される。他方、日本の機雷掃海技術は世界トップクラスといわれている。湾岸戦争終了後のペルシャ湾での掃海実績の評価はどうだったか」

 中谷元防衛相「平成3年、防衛庁は機雷除去のために海上自衛隊の掃海艇をペルシャ湾に派遣した。同年6月5日から9月11日まで活動し、計34個の機雷を処分して10月に帰国した。海上自衛隊の活動はペルシャ湾の船舶航行の安全確保などに寄与することで、国際社会におけるわが国の平和的、人道的な貢献策の1つとして大きな意義があったもので、湾岸諸国や欧米諸国をはじめとする国際社会の高い評価を得たものだと承知している」

 佐藤氏「私がイラクに派遣されていた2004年4月、ペルシャ湾でタンカー『高鈴』が被弾した。日本関連の船舶だ。若干へこんだが乗組員は全員無事だった。守ってくれたのは米国だった。日本タンカーを守るため、結果として米海軍の若者2人とコーストガード1人が命を落とした。彼らにも奥さんや小さな子供がおられた。しかし、その時米国が日本に言ってくれた言葉は『同じ活動をやっている仲間を助けるのは当たり前だ』だった。海上自衛隊がインド洋で給油支援を行い、陸上自衛隊や航空自衛隊がイラク、クウェートで汗を流していたことを指して、そう言ってくれた」

 「残念ながら、今から8年前の選挙で衆参ねじれが発生し、法案の継続ができなくなり、海上自衛隊は一時、活動を中断して日本に帰ってきた。その途端、現場ではいろんなことを言われた。『なぜ米国の若者が日本の油を守るために命を落とさないといけないんだ』と。英国のフィナンシャル・タイムズには『これは武士道ではない。日本は臆病者だ』との一面広告もあった。当時、民主党の小沢一郎代表は、給油支援は憲法違反だとして法律延長を認めなかった。新たな法律を出し直し、衆院の3分の2の再可決を経て、再び海上自衛隊にインド洋で給油支援をやってもらった」

 「その際、私も横須賀に出港の見送りにいった。多くの政治家やマスコミ、ご父兄もいた。派遣される司令官は『憲法違反といわれたわれわれにも意地と誇りがある。日本国民の代表としてしっかり汗を流してくる』という趣旨の発言をした。与野党多くの議員がいた。その言葉に涙した議員も与野党関係なくいた。日本が一番ホルムズ海峡を使っている。世界トップクラスの掃海技術があるのに、本当に日本は、国際社会が共同して掃海しようとするとき何もしなくていいのか。私は日本も汗をかく必要があると思うが、所見は」

 岸田文雄外相「ホルムズ海峡はわが国のエネルギー安全保障上、たいへん重要な輸送経路だ。そのホルムズ海峡に関し、今回の法制の新3要件の第1要件が満たされる場合、つまり、わが国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃の一環としてホルムズ海峡に機雷が敷設され、わが国の存立が脅かされ、国民の生命、自由および幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある場合であれば、当然、わが国はその事態に対処するため、あらゆる努力を行うことになる。機雷掃海は広い海域を各国が協力して実施するのが通例だ。湾岸戦争の際も各国が協力し、ピーク時で約30隻の掃海艇が約7カ月かけて掃海作業を行った。海上自衛隊は機雷処理の高い能力と実績を有しているので、そもそも、わが国の存立が脅かされる事態が生起している以上、わが国が各国と協力して機雷掃海にあたることは当然、考えられる」

 佐藤氏「日本も国際社会の一員だ。国際社会が共同で危機に対処しようというとき、できないことは無理だが、できるなら汗をかくのは当然だ。一方で、機雷掃海は危険も伴う。砲弾が落ちている状況では通常、機雷掃海は行わないが、停戦前であっても安全が確保されている状況なら掃海することはあろうかと思う。例えばイラン北部で散発的に戦闘が起きており、停戦前であっても、ホルムズ海峡には砲弾が飛んでこない状況なら、機雷掃海することは可能だと思うが、どうか」

 中谷氏「機雷掃海は非常に攻撃に脆弱(ぜいじゃく)で、戦闘が現に継続しているような現場では困難だ。また、実際に掃海活動が行われるか否かについては個別具体的な状況に即して判断する必要がある。そのうえで言えば、防衛省・自衛隊は現在、掃海艇27隻から構成される世界有数規模の掃海部隊を有している。平成3年に機雷の掃海を行ったが、浅瀬で流れの速い、非常に掃海が困難な、残された機雷を除去したということで、世界各国から技術的にも高い評価を得た。この後も平成23年からペルシャ湾で開催される多国間の掃海訓練に参加している。そもそも海上自衛隊の掃海部隊は、わが国への武力攻撃が発生している状況で敷設された機雷を除去するために整備しているものであり、敵から大きな損害を受けることなく作戦を遂行できる状態であれば掃海を実施することは可能だ」

 佐藤氏「ホルムズ海峡は日本にとっても非常に重要な海峡だ。共同で掃海する場合、新3要件に合致すれば、隊員の安全性にも留意しつつ機雷掃海できるようにしておくことが必要だと思うが、見解は」

 安倍晋三首相「例えばわが国周囲に機雷が敷設されれば物資の輸入がストップする。国民生活に死活的な影響が出ると考えられるわけだが、ホルムズ海峡に機雷が敷設された場合にも、これとかなり近い死活的な影響が及ぶことがありうる。その中において、わが国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃の発生を前提として、例えば石油などのエネルギー源供給が滞ることにより単なる経済的影響にとどまらず、生活物資の不足や電力不足によるライフラインの途絶が起こる。国民生活に死活的な影響、冬場などで石油ガスが途絶える状況が発生すれば、国民の生死にかかわるような深刻、重大な影響が生じる可能性を全く否定するわけにはいかない」

 「そうしたことを総合的に評価し、ホルムズ海峡での機雷敷設を契機として、状況によっては存立危機事態に該当することもありうる。新3要件に当てはまる場合もありうるということだ。その場合には自衛隊の安全性に十分留意しつつ、機雷掃海を行うことができるようにしておく必要がある。いずれにせよ掃海は事柄の性格上、戦闘行為が行われている海域そのもので行うのは困難だ。そういう点を十分に考慮しながら行っていくということになる」

 佐藤正久氏「今回の法案で自衛隊の活動領域や新たな任務が増える。自衛隊の任務でリスクを伴わないものはないが、リスクがあるからといって何もしなくていいということではない。国家・国民のリスクを下げるために自衛隊にリスクを負ってもらうなら、そのリスクを小さくすると同時に、そのリスクを負ってもらう自衛隊に名誉と処遇を与えるのも政治の責任だ。最高指揮官としての考えを」

 安倍晋三首相「自衛隊員の使命は国民の命と平和な暮らしを守ることであり、国民のリスクを下げることだ。そのためにこそ自衛隊員は自らリスクを負うことになる。このため自衛隊員の任務はこれまでも常にリスクを伴うものだ。わが国有事における任務は文字通り命がけのものとなる。隊員にとっては極限に近いリスクの中で国を守ることになる。災害派遣も警察や消防では手に負えなくなったから自衛隊員が出動するわけであり、危険をはらむものだ。平和安全法制の整備によって、新たに付与される任務にもこれまで同様、リスクがある。われわれはこのようなリスクについて深刻に受け止めており、あらゆる手段でリスク低減を図っている。今後も法制、教育訓練、実際の派遣に至るあらゆる面でリスク低減の取り組みを行う」

 「それでも自衛隊員のリスクは残る。しかし、それは国民の命と平和な暮らしを守るためであり、自衛隊員に負ってもらうリスクだ。彼らが高い士気と誇りをもって任務を遂行できるよう、安倍政権で新たに策定した防衛計画の大綱、中期防衛力整備計画では、栄典や礼遇に関する施策を推進すると明記している。昨年は元統幕会議議長に対して瑞宝大綬章が授与されたところで、叙勲も適切な運用に努めているところだ。万が一、隊員が死亡した際の補償や賞じゅつ金などの制度も充実してきた」

 佐藤氏「自衛隊員はリスクはある程度あるのは承知の上だ。しかしリスクを負う以上、名誉にこだわる。生前叙勲の問題だが、実は自衛隊の幹部の主力となっている『B幹部』、部内からたたき上げで幹部になった方がいる。C幹部とB幹部、入隊時は同じだ。努力して幹部登用の試験を受け、早く幹部になった方がB幹部だ。ただ、B幹部の叙勲は実は2%しかいない。C幹部は95%だ。今回、多くのOBも現役自衛官も、B幹部を含め、名誉という部分についても国会で議論を深めてほしいという要望がある」

 中谷元・防衛相「自衛隊員は本当に意識が高く規律を厳正にしており、常に国を守る使命感のもとに訓練を積んでいる。部内を通じて幹部になった方は非常に意識の面で強固なものを持っているし、任務遂行上も大変、貢献している。こういったB級幹部の処遇も、これからも心がけて取り組みたい」

 佐藤氏「隊員の賞じゅつ金の話をしたい。私が派遣されたゴラン高原のときは6000万円、イラクの場合は9000万円というように、金額が異なる。今派遣されている南スーダンは6000万円だ。一方で、消防隊員が殉職された場合は9000万円だ。公のために犠牲になった場合、公務での死亡という場合に、危険度において違うのは分かるが、イラクの場合は9000万円で、南スーダンの場合は6000万円というのはどうか。消防と同じくらいのレベルに上げるべきではないか」

 中谷氏「賞じゅつ金については、地方公務員である消防官や警察官の最高授与学が、国からのほか、都道府県、市町村の賞じゅつ金が授与され、最高授与額が9000万円になる例があると承知している。自衛隊員の賞じゅつ金の最高授与額は原則として6000万円であり、個々の職務の困難性、危険性などを踏まえ、海賊対処行動および原子力災害派遣については最高授与額を9000万円に増額する措置を行った。今後も自衛隊員に対しては、任務にふさわしい名誉と処遇が与えられるよう、不断に検討していきたい」

 佐藤氏「後方支援について議論したい。現行の『非戦闘地域』は武力行使との一体化を避けるため作った法律上の整理の概念だ。まさに活動開始から終了までの間、戦闘が起きないといわれる場所が非戦闘地域であり、そういう中から、実際に自衛隊が活動する実施区域を設定するのが従来の考え方だ。非戦闘地域という概念は現場の感覚から言っても分かりにくい。最初から最後まで、活動期間を通じて戦闘が起きないというのは、派遣前には政治家も現場指揮官も分からない。今回、新たな法的整理では、『現に戦闘が起きている現場』では行わず、それ以外の地域から選ぶ。今回は法的整理をしただけだ。大事なことは、どこで自衛隊が何をするかだ。どこを実施区域に選ぶかが、自衛官のリスクを議論するときの根本だ。活動の円滑さや任務遂行の容易性、安全性を考えながら実施区域を選ぶと言っている。もう一度、説明を」

首相「今までの非戦闘地域という区分の仕方は、武力行使と一体化しないという憲法の要請による概念だ。イラクのサマーワでも非戦闘地域という指定をした。半年間にわたり、自衛隊がいる間は戦闘が行われない地域だという考え方だったが、実は、その期間でも実際に危険なところもあれば、ずっとそうでないところもある。つまり『現に戦闘が行われていない現場』、例えば2週間、自衛隊がそこで活動するなら、そこは2週間は戦闘現場にならないという判断をする方がより現実的だという整理をしたところだ」

 佐藤氏「例えばイラクで航空自衛隊が輸送支援をした。Aというクウェートの空港からBというイラクの空港までは空自が運ぶ。そこから先は米国が自分の兵站部隊でC、D、Eという地域に運ぶ。一般論から言って、それぞれの部隊の責任地域が重なることはない。指揮統制の問題があるので責任区域を明確に区切る。あるポイントから自分の現場までは自分の部隊が運ぶ。これは自衛隊が日本有事の作戦で行う場合も同じだ。『兵站だから危ない』というのはあまりにも乱暴な議論だ。実施区域をどこに設定するかが大事なポイントで、実施区域を戦闘が行われる現場のすぐ近くで行うように言うのは乱暴だ。実施区域の設定の考え方について答弁を」

 中谷氏「実施区域は防衛大臣が円滑かつ安全に活動しうる場所を指定するとなっている。実際、自衛隊が活動を実施する区域の指定にあたっては、今現在、戦闘行為が行われていないというだけではなくて、自衛隊が現実に活動を行う期間について戦闘行為がないと見込まれる場所を指定するということであり、攻撃を受けない安全な場所で活動を行うことについては、いわゆる非戦闘地域等の概念を設けていた従来と変更はないが、どこが違うかというと、常にその場所を確認して安全な区域であるかどうかを判断して区域を指定するというところで、より厳密に安全に対する配慮がされるというところだ」

 佐藤氏「日本が米国の戦争に巻き込まれるという誤解がある。しかし、日米防衛協力の指針(ガイドライン)には、日米の合意事項として、新3要件に基づき集団的自衛権を行使する際にはこういう条件で、国際協力のときは日本が主権国として主体的に判断するなどと、厳密に明記されている。多くの国民は知らないかもしれないが、今回の集団的自衛権も限定的なものしか行わず、米国まで行って米国を守ることはしないと日米で合意している。日本は米国の戦争に巻き込まれることはないと明言してほしい」

 首相「ガイドラインには、日本が武力を行使するのは日本国民を守るためだと書き込んである。これは日米共通の認識だ。また、政府の判断に加え、実際に武力行使を行うため自衛隊に防衛出動を命じる際は国会の承認を求めることになる。また、国際平和支援法においても自衛隊派遣にあたっては、わが国として法律で定められた要件や手続きに従い、国益に照らして主体的に判断するし、例外なき国会の事前承認が必要だ。法制の成立後も行政府と立法府が法に基づいて主体的に判断を行うため、米国の戦争に巻き込まれることは決してない。国会が例外なき関与をしていくということで、主体性が完全に確立されているということは申し上げておきたい」
=(完)

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2015.05.17

話題の人‣・・植村隆とは如何なる人物かを調べてみた。

以下は全てウイキペディアからの転載である。


植村 隆(うえむら たかし、1958年(昭和33年)4月 - )は、北星学園大学非常勤講師、元新聞記者、元朝日新聞社社員。1991年(平成3年)、いわゆる従軍慰安婦問題において虚偽の報道をした。当該報道は朝日新聞の吉田証言報道とともに慰安婦問題に関わる最初期の報道であったが、2014年に朝日新聞は、吉田証言報道は虚偽であったとして記事を取り消し、植村記事は挺身隊と慰安婦の混同があり誤用があったとして訂正した[1][2][3][4][5]。元慰安婦が親によって売られたことを訴状に書いていたにもかかわらず、そこに触れずに作成された記事であったため、意図的な捏造であったと指摘されている(#記事に対する批判参照)[6][7][8][9]。

慰安婦問題の取材のため訪韓をした際に、従軍慰安婦への日本からの補償に取り組む活動家で「太平洋戦争犠牲者遺族会」幹部の梁順任の娘と結婚している[10][11][1][12]。


経歴[編集]

1958年4月に高知県で生まれる。土佐高校、早稲田大学政経学部政治学科を卒業し、1982年に朝日新聞社入社。仙台支局、千葉支局に勤務し、1987年8月に韓国の延世大学に留学。1988年8月に東京本社外報部に戻り、1989年11月から2年5ヶ月間大阪本社社会部に勤務し民族問題や被差別部落の問題を担当。この期間に問題となった記事を書いた。その後、東京本社外報部に戻り、1993年8月にテヘランの特派員となりソウル、北京特派員を歴任。ソウル特派員時代に従軍慰安婦に関する記事を19本書いた。最後は北海道支社函館支局長を勤め、2014年3月早期退職した。延辺科学技術大研究員や早稲田大学現代韓国研究所客員研究員も勤めた。仙台支局時代に結婚したが離婚。現在の妻は1990年に韓国取材中に出会った当時太平洋戦争犠牲者遺族会幹部梁順任の娘であり、周囲の反対を押し切って1991年に結婚した [13][14][15]。妻女の母、梁順任(ヤンスニム、양순임)は同団体会長であり、日本から補償費金を受け取るとし訴訟参加人を募集、その訴訟費用を詐取した件で韓国国内で摘発・立件されていることで知られている[16][17]。(2014年2月、証拠不十分で無罪[18]。)

1991年(平成3年)8月11日、朝日新聞にて大阪社会部時代の植村は「思い出すと今も涙 元朝鮮人従軍慰安婦 戦後半世紀重い口開く」とのタイトルで、金学順が韓国挺身隊問題対策協議会に元慰安婦として初めて証言した録音テープを聞きその記事を書いた。金学順が日本政府を提訴後の12月25日には、本人を直接取材した記事を出した。これらは、聞き取りに関しては義母の梁順任から便宜を図ってもらったのではないか、記事に関しては金学順がキーセン学校に通っていたことが伏されていることから、故意に隠して強制連行されたように書いたのではないか、慰安婦と挺身隊を混同しているのではないか、と批判されている[1]。 これらの点は1992年から有識者により疑問が呈されていた[19][20]。特に慰安婦と勤労動員によって工場などで働いた女子挺身隊との混同が「戦場に連行」という強制連行を連想する表現とが後に問題化し「捏造ではないか」と疑問視されるに至った[21]。こうした中で朝日新聞は長らく記事訂正を行ってこなかったが、記事の掲載から23年後の2014年8月5日、記事の一部に誤用(挺身隊と慰安婦の混同)があったとする旨の検証記事を掲載した[1]。訂正の遅れについて、朝日新聞上にコラムを持っていた池上彰は同検証記事において「朝日新聞は93年以降、両者(慰安婦と女子挺身隊)を混同しないよう努めてきた」とも書いています。ということは、93年時点で混同に気づいていたということです。その時点で、どうして訂正を出さなかったのか。それについての検証もありません。」と述べ、訂正が遅きに失したこと、訂正するのであれば謝罪もするべきではないかと書いている[22]。なお、このコラムについて、朝日新聞は当初掲載を見送っていたが、社内での検討や池上との話し合いの結果、掲載するに至っている。池上は朝日新聞が当初の掲載見合わせという判断の誤りを認めたため掲載認めた[22]。 この訂正の遅れにより慰安婦問題は国際問題化していったとも指摘されており[20]、朝日新聞社第三者委員会も、挺身隊と慰安婦を混同する誤報(植村記事も混同と釈明[23])を吉田清治の捏造証言よりも国際社会に与えた影響が大きいと批判している[24][注釈 1]。

2008年(平成20年)11月、朝日新聞にて2007年(平成19年)4月から翌年3月まで連載された「新聞と戦争」取材班の一員として、第8回石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム大賞を受賞している[25][26]。

2014年(平成26年)3月、朝日新聞を早期退職。同年4月より神戸松蔭女子学院大学教授に就任予定[6]であったが、当大学は就任前に雇用契約を解消した[27]。

現在は北星学園大学で非常勤講師として国際交流科目の講義を担当し[28]、主に韓国からの留学生を対象に韓国語で講義を行っている[7]。

問題となった「従軍慰安婦」記事[編集]

内容[編集]

植村は署名入りで朝日新聞大阪社会部時代の1991年(平成3年)8月11日と12月25日に元慰安婦金学順の記事を書いたが、捏造が判明している吉田清治証言との直接的な関連はない[29]。しかし、「「女子挺身隊」の名で戦場に連行され」と書かれており、元慰安婦があたかも吉田清治が主張していた「女子挺身隊としての連行」の被害者であるかのように、虚偽の経歴を付け加えたともされている[20]。

読売新聞は、こうした読売新聞の一連の朝日新聞による慰安婦報道を評して、「日本軍に組織的に強制連行された慰安婦」という虚構は、1990年代後半以降に韓国だけでなく、国連、米国などにも拡散していき、国際問題化する過程では、朝日報道を韓国メディアが引用して取り上げることで、韓国世論で日本への批判が高まり、さらに朝日がそれを報じるということが繰り返される朝日と韓国のメディア、世論による一種の「共鳴」とも言える状況がみられたとしている[30]。

植村が1991年8月11日に執筆した記事は以下のとおりである。


元朝鮮人従軍慰安婦 戦後半世紀重い口開く
日中戦争や第二次大戦の際、「女子挺(てい)身隊」の名で戦場に連行され、日本軍人相手に売春行為を強いられた「朝鮮人従軍慰安婦」のうち、一人がソウル市内に生存していることがわかり、「韓国挺身隊問題対策協議会」(尹貞玉・共同代表、十六団体約三十万人)が聞き取り作業を始めた。同協議会は十日、女性の話を録音したテープを朝日新聞記者に公開した。テープの中で女性は「思い出すと今でも身の毛がよだつ」と語っている。体験をひた隠しにしてきた彼女らの重い口が、戦後半世紀近くたって、やっと開き始めた。

尹代表らによると、この女性は六十八歳で、ソウル市内に一人で住んでいる。(中略)女性の話によると、中国東北部で生まれ、十七歳の時、だまされて慰安婦にされた。ニ、三百人の部隊がいる中国南部の慰安所に連れて行かれた。慰安所は民家を使っていた。五人の朝鮮人女性がおり、一人に一室が与えられた。女性は「春子」(仮名)と日本名を付けられた。一番年上の女性が日本語を話し、将校の相手をしていた。残りの四人が一般の兵士ニ、三百人を受け持ち、毎日三、四人の相手をさせられたという。「監禁されて、逃げ出したいという思いしかなかった。相手が来ないように思いつづけた」という。また週に一回は軍医の検診があった。数ヶ月働かされたが、逃げることができ、戦後になってソウルへ戻った。結婚したが夫や子供も亡くなり、現在は生活保護を受けながら、暮らしている

— 植村隆、朝日新聞大阪版27面 1991年8月11日

植村の記事中にある「女子挺身隊」は戦時法令により軍需工場などに徴用された一般女性労働者であり、慰安婦とは異なる。また、記事にある女性とは金学順であるが[31]その証言と、アジア太平洋戦争韓国人犠牲者補償請求事件における金学順の陳述には異なる点も多い[32]。

報道から23年後の2014年(平成26年)8月5日になって漸く朝日新聞は植村記者が資料を誤用し、間違った内容を記載したと訂正記事を掲載した[33]が、長きにわたり訂正記事が出ない間に、本記事および同じく朝日新聞に掲載された吉田清治の証言記事は、日本の教育分野のみならず、国際社会においても、いわゆる従軍慰安婦問題として、日韓関係や国連をも巻き込んだ外交問題に至るまで様々な方面に影響を与えるなど日本に対する誤った認識を広めた一因となり、結果として日本の国家イメージに多大なダメージをもたらしたと指摘されている[34][35][36]。

「金学順」、「吉田清治 (文筆家)」、「クマラスワミ報告」、「マクドゥーガル報告書」、および「アメリカ合衆国下院121号決議」も参照

また、本記事は、宮沢喜一首相の訪韓の直前に報じられ、批判が取りざたされる河野談話の発火点となったとも指摘されている[35]。

記事に対する批判と検証[編集]

批判[編集]
西岡力は「すべては朝日新聞の捏造から始まった」[9]、山際澄夫は『朝日新聞こそ「従軍慰安婦」捏造を謝罪せよ』との論説を掲載している[37]。これに対して、山口智美はジャパン・タイムズで西岡たちの植村に対する論説を中傷(vilification)と批判している[38]。
本郷美則(元朝日新聞研修所長)は、植村のこの金学順についての記事を、「その連中は、日本から賠償金取ってやろうという魂胆で始めたんだから」と、渡部昇一との対談で発言している[39]。
週刊文春とFLASHは、植村隆については「従軍慰安婦捏造 朝日新聞記者」や「自らの捏造記事」として、植村は捏造を行ったという記事を掲載している。これについて、朝日新聞側は「捏造はなかった」として抗議するとともに訂正を求めている[40]。
自民党の石破茂前幹事長(現・地方創生担当大臣)は、植村を参考人として、国会に証人喚問するよう主張している[41]。
八木秀次は、植村への脅迫は許されないが執筆の経緯は本人が説明すべきで、当事者の朝日が報じることに疑問を呈している。古谷経衡は、脅迫は許されないし「愛国」を謳った行動が保守派から批判がされないことは問題だとしているが、朝日の慰安婦報道が国際社会での日本の評価を下げたとしている[42]。

担当デスクの証言[編集]

植村記者の義母が慰安婦訴訟提訴後の、1991年12月25日に「かえらぬ青春 恨の半生 日本政府を提訴した元慰安婦・金学順さん」との記事を朝日新聞に掲載したことについて、この記事を紙面化した大阪本社の担当デスクはその経緯について「植村氏からの売り込み記事だった。彼は義母が遺族会幹部であることを言わなかったし、私も知らなかった」と述べており、知っていたらと尋ねると即座に「原稿は使わなかった」と答えたという[43]。

朝日新聞による2014年8月の検証記事[編集]

朝日新聞は、2014年8月の検証記事中において、(1)元慰安婦の裁判支援をした団体の幹部である義母から便宜を図ってもらった(2)元慰安婦がキーセン(妓生)学校に通っていたことを隠し、人身売買であるのに強制連行されたように書いたという二点の批判に対し、(1)については、「挺対協から元慰安婦の証言のことを聞いた、当時のソウル支局長からの連絡で韓国に向かった。義母からの情報提供はなかった」と植村が否定したことを根拠に便宜供与はなかったとし、(2)についても「証言テープ中で金さんがキーセン学校について語るのを聞いていない」「そのことは知らなかった。意図的に触れなかったわけではない」という植村本人の説明を元に「事実のねじ曲げは意図的に行われていなかった」「義母との縁戚関係を利用して得た情報には特別な情報はなかった。」と結論付けた[1]。

朝日新聞社の「第三者委員会」[編集]

朝日新聞は植村の記事を含む慰安婦記事などの記事作成や訂正の経緯、記事が日韓関係などに与えた影響を検証するために社外の歴史学者、ジャーナリストなどに依頼し第三者委員会を立ち上げ、検証を依頼した[44][45][注釈 2]。

ただし、朝日新聞「慰安婦報道」に対する独立検証委員会[注釈 3]は、第三者委員会にはそれまでに朝日の慰安婦報道を批判してきた側の専門家は入っておらず、ヒアリング対象にも選ばれなかったことについて本当の意味での「第三者」と言えるのだろうかとの疑問を提起している[20][46]。

朝日新聞社「第三者委員会」の検証結果[編集]

第三者委員会は検証の結果、1991年8月15日と12月25日の記事に関して、義母に便宜を図ってもらって情報を得たのではないかとの指摘があるがそのような事実は認められない。「だまされた」と記載してあるとはいえ「女子挺身隊」として「連行」との記述は、強制的に連行されたという印象を与える安易かつ不用意な記載で読者の誤解を招く。12月25日の記事では、すでに訴訟が始まっていた時期であり、訴状にあるキーセン学校に通っていた事実を書かなかったことで、読者に全容を正しく伝えられなかった可能性があるので、事実を伝え読者の判断に委ねるべきであった。一方、他紙の報道と比べて特に偏りがあるとはいえない。ただし、2014年の自社の検証は、意図的な事実のねじ曲げがあったとは認められないと判断しただけで終わるのではなく、読者に正確な事実を伝えるという観点でもっと踏み込んで検討をすべきであった、としている[47]。

産経新聞は、12月25日の記事について『この元慰安婦がキーセン学校に通っていた経歴を知りながら触れなかったことについても、第三者委は「書かなかったことにより、事案の全体像を正確に伝えなかった可能性はある」と批判していた』としている[48]。

第三者委員会報告書格付け委員会による検証[編集]

朝日新聞が慰安婦報道問題を検証するために設置した第三者委員会の報告について評価を行なうために弁護士、学者などのグループで作られた「第三者委員会報告書格付け委員会」は、五段階評価の「格付け」を公表、結果はメンバー8人のうち、不合格のFが5人、残り3人がそれより一つ上の評価であるDであった。メンバーからは「第三者委の独立性と専門性に疑念がある」との批判が相次いだ[49]。格付け委員会委員長の弁護士は「非常に評価が低い」「箸にも棒にもかからないと言わざるをえない」、「(慰安婦報道は)ずっと放置されていたという組織的な原因があったが、その部分についての調査がなされていない」と批判、「しっかりした第三者員会の報告書は公共財になる。メディアの信頼はどのように回復できるのかと期待したが、結果は残念なものだった」と述べている[49][50][51]。

朝日新聞「慰安婦報道」に対する独立検証委員会による検証[編集]

朝日第三者委員会の検証結果について、外部の有識者で作られた「朝日新聞『慰安婦報道』に対する独立検証委員会」は
1.朝日及び第三者委の検証の問題点
2.朝日報道の対外的影響

の二点について検証を行った。朝日第三者委が朝日報道に「強制性」について「議論のすり替え」があったと認めたことを、独立検証委は肯定的に評価し、一方で、朝日の慰安婦報道がおかしくなった背景への分析がなく、国際社会に与えた影響をについては委員会としての見解をまとめられず、各委員の異なる見方が併記されるなど、不十分なものといわざるを得なかったとし、また、その報告を受けた朝日新聞社の対応についても批判した。さらに、独立検証委は朝日新聞社に対し、「プロパガンダ」と「議論のすりかえ」がどの様なプロセスで作られていったのか明らかにしていないと批判した。[52][53][20]。

独立検証委員会は植村の記事について、「「女子挺身隊」の名で戦場に連行され…」と書かれており、元慰安婦があたかも吉田清治が主張していた「女子挺身隊としての連行」の被害者であるかのように、虚偽の経歴を付け加えたとしている。また、彼女が貧困の結果、母親にキーセンの置屋に売られ置屋の主人に慰安所まで連れて行かれたことを訴状や会見などで繰り返し話していたのに対し、訴状提出後の1991年12月25日付記事でその重要な事実を書かず、強制連行の被害者であるかのようなイメージを造成したとしている。また、植村が裁判を起こした団体の幹部の娘と結婚していた点をあげ、元慰安婦らが起こした裁判の利害関係者だったとし、植村が紙面を使って自分の義理の母が起こした裁判に有利になるような報道を行ったのではないかと疑問視している[20]。

また1992年に植村が外部からを批判を受けて、社内用報告書を書いた結果「内容に問題はない」という結論に至ったとされるが、第三者委員会はその内部調査についてまったく検証していないとし[20]、内部調査が行われたのは遺族会の身内であることが問題となった疑いがあるとしている[20]。

疑惑に対する植村本人の反応[編集]

植村は2015年1月の訴訟までの約1年、日本メディアの(慰安婦記事についての)取材を拒否し手記も公表していないが、米韓の新聞や外国特派員協会の会見などでは、批判の対象にされた1991年の朝鮮人慰安婦第1号に関する記事の不備は誤用や混同で、意図的な捏造ではないと釈明していた[54]。

2014年12月2日には、朝日新聞と提携関係のあるニューヨークタイムスの紙上では「記事を捏造した事実は断じてない。」「(安倍首相ら国家主義的な政治家たちが)脅迫的な手法で歴史を否定しようとしている」「(右派が)われわれをいじめて黙らせようとしている」などの主張を行っている[55]。

2014年1月発売の週刊文春では、「記者だったら、自分が書いた記事ぐらいきちんと説明してもらえませんか」という文春記者からの問いかけに対し植村はタクシーに走って乗りこみ、質問に答えることなく逃げたという[6]。同年9月発売の週刊新潮では、記者の直接の取材要請に対し、「取材はお断りします。朝日に出ている通りです。広報を通してください」と取材を拒否している[56]。

2015年1月9日、植村は有楽町の外国特派員協会で記者会見を開き、自身に向けられた捏造批判について反論を行った[57]。

植村は、文藝春秋2015年新年特大号、岩波書店『世界』2015年2月号、月刊『創』2015年緊急増刊に反論を載せている[58][59][60]。

2015年5月、植村はニューヨークにて安倍首相及び櫻井よしこを批判し、「私は闘い続ける」と述べている[61]。

植村擁護の見解[編集]

この一方、2015年1月宮台真司、神保哲生らは、慰安婦問題報道の責任を植村個人に向けること自体が本来事実誤認にもとづくものであるとしている[62]。

植村による訴訟[編集]

2015年1月10日、植村は自身が関わった記事を「捏造」と決めつけたとし週刊文春の発行元、文芸春秋社と西岡力東京基督教大学教授に対し1650万円の損害賠償などを求める訴えを東京地裁に起こし、司法記者クラブ 東京都内で記者会見した[63]。植村は、23年前に自分が書いた2本の記事が「捏造」と批判され続け、家族や周辺まで攻撃が及ぶとし「私の人権、家族の人権、勤務先の安全を守る」と訴えた[64]。

本訴訟に際し、植村側は170人に及ぶ大弁護団を結成した[65]。弁護団は「インターネット上で植村氏や家族を脅迫する書き込みをした人たちも捜し出し、一人残らず提訴していく」と発表したという[66]。

この訴訟に対し産経新聞は植村が朝日新聞や第三者委員会の判断や指摘をも受け入れておらず、自身や家族、大学に対する脅迫や中傷と、言論による批判を混同しているのではないかと疑念を表明[48]。言論に対しては言論にて反論するのが筋であり、自らに対する批判記事などが脅迫を招いたとする訴訟理由には首をひねると報道している[48]。また、被告側も「十分な根拠をもとに批判をした。言論には言論をもって対応すべき」、「脅迫を教唆するようなことは書いていない」と反論している[54]。

秦郁彦は植村による訴訟について、言論(記事批判)と原告に対する人権侵害(脅迫)との間の因果関係が疑わしいことや、弁護団による会見時の「その他の被告となり得る人々についても弁護団の弁護士が力を尽くし、順次訴えていく」という宣言や「(170人が)ネット上で脅迫的書き込みをした人たちを探し出し、1人残らず提訴していく」と発表したことを根拠としてあげ、批判者への威嚇効果を狙ったスラップ(恫喝・威圧)訴訟(裁判によって批判者に金銭、時間、精神的負担を強いて、批判を抑圧する)と判断される可能性について指摘するとともに170人にも及ぶ大弁護団がこのようなスラップや訴権の濫用が考慮される訴訟に乗り出したことについてその真意が不明と指摘[54]。3万5千人の弁護士が所属する日弁連の自浄能力に期待したいとしている[54]。

朝日新聞社への経営的打撃[編集]

2014年に植村の虚偽報道問題が露になり東京電力の吉田調書誤報問題と重なって朝日新聞の契約数は減少している。同年6月では740万部あった契約数が同年12月で約680万部まで減少している(日本ABC協会調べ)[67][68][69][70]。販売部数の減少等により、同社の同年9月中間連結決算では営業利益が50.5%減となった。同社広報部は慰安婦報道・原発報道の問題の影響につき「中間決算には限定的だったが、通期では一定程度の影響が出るものと考えられる」と説明している[71][72]。長年同社の販売部門を担当し新体制において会長職に就いた飯田真也は、新聞販売所や取引先から厳しい叱責を受けていると説明している[73]。

「朝日新聞#慰安婦「強制連行」報道」も参照

北星学園大学講師就任と脅迫事件[編集]

2012年(平成24年)から植村は北星学園大学で講師を勤めていたが[29]、同年5月と7月に大学宛に植村を辞めさせなければ天誅として学生に危害を加えるとの脅迫文が届いた[74]。 また、朝日新聞による同年8月の検証記事後に「なぜ捏造するような人物を採用するのか」という趣旨の抗議が大学に殺到した。同年9月30日、北星学園大学の田村信一学長は「従軍慰安婦問題ならびに植村氏の記事については、本学は判断する立場にない。また、本件に関する批判の矛先が本学に向かうことは著しく不合理である。」として、植村に2014年度後期の授業を継続させることや、来季以降の授業契約を検討することを公式声明として発表した[75]。同年10月6日には、植村との契約を継続するように同大に求め、植村を支援するための「負けるな北星!の会」が学者や弁護士、ジャーナリストらを中心に結成された[76]日本共産党の機関紙赤旗は呼びかけ人として内海愛子、桂敬一、田中宏一、海渡雄一を挙げている[77]。

同年10月31日、北星学園は警備強化の財政負担、抗議電話への教職員の負担、入試への影響を考慮し、また現在の契約期間が今年度末で終了することから、来期は植村との雇用契約を結ばない考えを明らかにした[78]とされるが、大学側は「最終的な決定ではない」としている[79]。

朝日新聞の11月4日の記事の中で田村信一学長が言うところでは、教職員からは賛否が様々であったいう。一方で学生からは「就職活動に悪影響が出る」「(雇用継続は)日本人としておかしい」等の雇用継続に否定的な意見が出ていたと言う。田村学長は、学生が「大学の自治を守る」という意見に同意しておらず、それはネット社会の発展に拠るものだと指摘したという。又、植村元記者を擁護する側からの批判については雇用契約の中途解除でない為、外部圧力による雇い止めではないとし、雇用継続は過大要求であると話したという[80]。

同年12月17日、北星学園は当初の方針を変更して植村の雇用継続を発表した。田村学長は変更の理由について、文部科学大臣の脅迫事件に対する批判や全国の弁護士からの刑事告発などがあったことを挙げている[81]。

脅迫事件[編集]

青木理のインタビューによると植村は、神戸女子松蔭女子学院大学の教員に内定し朝日新聞社を退職して教鞭を執る予定であったが、2014年1月末、週刊文春2014年2月6日号に植村について書かれた「“慰安婦捏造”朝日新聞記者がお嬢様女子大教授に」との記事が出た後、大学に対して「なんでこんなヤツを採用するのか」「右翼が街宣車で行くぞ」といった内容の電話やメール(1週間で250本)があり、大学と話し合って雇用契約を解消したと述べている[14][82]。

植村が非常勤講師として勤務する北星学園大学では、2014年3月中頃から大学や大学教職員宛に、元朝日新聞記者の植村が書いた慰安婦記事は捏造なのでそのような人物を採用しないようにとの趣旨の電話、メール、FAX、手紙等が多数送られてきて、大学周辺で政治団体によるビラまきや街宣活動も行われた。さらに、5月と7月には脅迫状が届き、電話では「大学を爆破する」との内容の物もあり、これらに対して大学は被害届を出して警察に捜査を依頼し、電話で爆破予告をした犯人は逮捕起訴され、11月14日に札幌簡裁は罰金30万円の略式命令を出した [83] [84] [85] [86] [87]。

田村信一学長は10月31日に植村の雇用は継続しないと発表していたが[14]、 11月に全国の弁護士380人が脅迫状事件として札幌地検に刑事告発したこと、下村博文大臣が記者会見で、脅迫は許されない、負けないように対応を考えて欲しいと発言したことを受けて、雇用を継続することになった [88] [89] [90] [91] [92]。

2015年1月8日には学生に危害を加えることを示唆する脅迫状が届き捜査中であることを北海道警が発表した [93] [94] [95]。

翌日9日に植村は外国特派員協会で記者会見を開き、家族にまで脅迫が及んだと話し、「匿名性に隠れた卑劣な脅迫行為は、絶対に許すことができない」と発言している [96] [97] [98] [99] [100] [14]。

2月3日に新たな脅迫文が届いたことを大学が発表した [101] [102] [103]。

東京弁護士会は、北星学園大学や教員に対する脅迫行為を批難する声明と、植村の代理人を務める弁護士の事務所に大量のFAXを送る業務妨害が行われたことを批難する会長声明を出している [104] [105] [106]。

受賞[編集]
2002年度新聞協会賞 - 連載「テロリストの軌跡 モハメド・アタを追う」[注釈 4][107][13]
第8回(2008年度)石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム大賞 公共奉仕部門大賞 - 連載「新聞と戦争」[注釈 5][108][13]

著書[編集]
『ソウルの風の中で』(1991年, 社会思想社)
『マンガ韓国現代史 コバウおじさんの50年』(作画:金星煥, 2003年, 角川書店)

注釈[編集]

1.^ 朝日新聞第三者委員会報告では委員会として見解がまとまらず、各論併記となっており、総論としては国際社会に与えた影響は限定的としている。
2.^ 委員長は元名古屋高裁長官で弁護士の中込秀樹、委員は外交評論家 岡本行夫、国際大学学長 北岡伸一、ジャーナリスト 田原総一朗、筑波大学名誉教授 波多野澄雄、東京大学大学院情報学環教授 林香里氏、ノンフィクション作家 保阪正康
3.^ 委員長 中西輝政(京都大学名誉教授)、副委員長 西岡力(東京基督教大学教授)、委員 荒木信子(韓国研究者)、島田洋一(福井県立大学教授)、高橋史朗(明星大学教授)、事務局長 勝岡寛次(明星大学戦後教育史研究センター)
4.^ 取材班デスクだった
5.^ 取材メンバーだった

脚注[編集]

1.^ a b c d e 「元慰安婦 初の証言」 記事に事実のねじ曲げない朝日新聞デジタル 2014年8月5日05時00分
2.^ 谷垣幹事長「真摯な反省を」 朝日新聞の慰安婦報道:朝日新聞 朝日新聞 2014-09-16
3.^ 従軍慰安婦問題、河野談話で曲解広まる (2013年5月14日 読売新聞) "記事中には「主として朝鮮人女性を挺身(ていしん)隊の名で強制連行した」などと、戦時勤労動員制度の「女子挺身隊」を“慰安婦狩り”と誤って報じた"
4.^ 「済州島で連行」証言 裏付け得られず虚偽と判断 朝日新聞 2014年8月5日
5.^ 産経ニュース 2014.5.23 08:32 (1/4ページ)「事実をねじ曲げて伝えた朝日新聞平成3年8月11日付朝刊(大阪版)の植村隆(今年3月退社、大学講師)の署名記事」
6.^ a b c “慰安婦捏造”朝日新聞記者がお嬢様女子大教授に週刊文春 2014年2月6日号 p.28
7.^ a b 慰安婦火付け役 朝日新聞記者はお嬢様女子大クビで北の大地へ 週刊文春WEB 2014年8月6日
8.^ 光文社 FLASH 2014年8月19日・26日合併号 p.90 「従軍慰安婦ねつ造」朝日新聞記者の“教授転身”がパー
9.^ a b WiLL, 2007年8月号増刊 pp.72-85 西岡力『すべては朝日新聞の捏造から始まった』
10.^ 「韓国団体、「河野談話」作成過程の聞き取り調査映像を公開」 News i - TBSの動画ニュースサイト 2014年9月15日 『この映像は1993年の7月に行われた元従軍慰安婦からの聞き取り調査の一部を収めたもので、 調査に協力した団体の「太平洋戦争犠牲者遺族会」』
11.^ 【歴史戦 第2部 慰安婦問題の原点(3)後半】当事者も否定した「日本軍連行」報道、日本外交歪めた元朝日記者、今も沈黙+(1/4ページ) MSN産経ニュース 2014年5月23日
12.^ 【全文】「私は捏造記者ではありません。不当なバッシングに屈するわけには行かないのです。」〜慰安婦問題で元朝日新聞記者の植村隆氏が会見 BLOGOS編集部 2015年01月09日 15:52
13.^ a b c 岩波書店『世界』 2015年2月号 目次 第865号 p.58 私は闘う 不当なバッシングには屈しない 植村隆 (ジャーナリスト)
14.^ a b c d 青木理 2014, pp. 50-102.
15.^ “OSIPP政策フォーラム”. 大阪大学大学院国際公共政策研究科. 2015年4月20日閲覧。
16.^ 태평양 전쟁 희생자 유족회장 보상금 사기(太平洋戦争犠牲者遺族会長補償金詐欺) 韓国語 KBS(韓国放送公社) 2011.04.22
17.^ 「日本から補償金」3万人だます 韓国の団体幹部ら摘発 MSN産経ニュース 2011.05.09
18.^ 産経新聞 2014.4.3 15:02 対日賠償詐欺で被告を増長させた民主党の甘さ、ソウル中央地裁も認定 [1]
19.^ 文藝春秋 1992年4月号 pp.300-315 西岡力 「慰安婦問題」とは何だったのか
20.^ a b c d e f g h 朝日新聞「慰安婦報道」に対する独立検証委員会報告書 独立検証委員会 2015年2月19日 p.3
21.^ 慰安婦記事の疑惑拭えず 裁判戦術も疑問 元朝日記者の文芸春秋など提訴 産経新聞 2015年1月9日
22.^ a b (池上彰の新聞ななめ読み)慰安婦報道検証 訂正、遅きに失したのでは 朝日新聞 2015年9月4日
23.^ 「元慰安婦 初の証言」 記事に事実のねじ曲げない - 朝日新聞
24.^ 朝日新聞社第三者委員会 報告書 12 国際社会に与えた影響 [2]
25.^ 第8回早稲田ジャーナリズム大賞贈呈式開催|NEWS|早稲田大学 2008年11月7日
26.^ 書評:新聞と戦争[著]朝日新聞「新聞と戦争」取材班 - 赤澤史朗(立命館大学教授) | BOOK.asahi.com:朝日新聞社の書評サイト
27.^ 教員人事に関するお問い合わせについて神戸松蔭女子学院大学 2014.03.17
28.^ 北星学園大学 2015年度シラバス 国際交流特別講義B、E [3]
29.^ a b 岩波書店『世界』2015年2月号 pp.58-66
30.^ [検証 朝日「慰安婦」報道](4)韓国メディアと「共鳴」 読売新聞 2014年08月31日
31.^ 【歴史戦 第2部 慰安婦問題の原点(3)後半】当事者も否定した「日本軍連行」報道、日本外交歪めた元朝日記者、今も沈黙+(2/4ページ) MSN産経ニュース 2014年5月23日
32.^ 秦郁彦 『慰安婦と戦場の性』 新潮社〈新潮選書〉、1999年。ISBN 978-4106005657。
33.^ 「挺身隊」との混同 当時は研究が乏しく同一視 朝日新聞デジタル 2014年8月5日
34.^ 朝日慰安婦虚報「早く正せば深刻な日韓関係にならず」の指摘 NEWSポストセブン(SAPIO2014年9月号) 2014年8月15日
35.^ a b 朝日慰安婦報道 「吉田証言」ようやく取り消し : 社説 YOMIURI ONLINE 2014年08月06日
36.^ 【歴史戦 第2部 慰安婦問題の原点(3)後半】当事者も否定した「日本軍連行」報道、日本外交歪めた元朝日記者、今も沈黙+(1/4ページ) MSN産経ニュース 2014年5月23日
37.^ Will 2007年8月号増刊 pp.106-114 山際澄夫『朝日新聞こそ「従軍慰安婦」捏造を謝罪せよ』
38.^ Japan Times "Right-wing witch hunt signals dark days in Japan" [4]
39.^ 『チャンネル桜』動画
40.^ 「慰安婦捏造」週刊誌報道に朝日新聞が抗議 「そうでなかったら何?」ネットでは厳しい声 - J-CASTニュース
41.^ “「新聞を疑え」は、もはや広告の話ではない 慰安婦誤報問題から考えるメディアの説明責任”. 日本ビジネスプレス. (2014年8月22日) 2014年8月23日閲覧。
42.^ (メディアタイムズ)慰安婦報道 元記者の家族も攻撃 朝日新聞 2014年10月7日
43.^ 前川恵司「朝日新聞元記者・植村氏の反論記事に疑問あり」『サピオ』2015年2月号
44.^ 社長謝罪、朝日新聞はどうして産経新聞に敗れたのか デジタルからの考察 livedoorニュース 2015年9月12日
45.^ 朝日新聞社 - 第三者委員会、7氏で検証します 朝日新聞社の慰安婦報道
46.^ 日本政策研究センター 朝日新聞「慰安婦報道」に対する独立検証委員会が報告書を発表
47.^ 2014.12.22 第三者委員会報告書・全文 pp.16-18,22,42
48.^ a b c 元朝日記者提訴 言論の自由に反している 産経ニュース 2015.1.10 05:04
49.^ a b 弁護士らが朝日第三者委を批判 「調査不十分」 2015-02-26 共同通信
50.^ 「箸にも棒にもかからない」弁護士らが「朝日慰安婦報道」第三者委報告書を「格付け」 2015-02-27 BIGLOBEニュース(弁護士ドットコム)
51.^ 格付け結果 | 第三者委員会報告書格付け委員会 第三者委員会報告書格付け委員会
52.^ 慰安婦報道の独立検証委「朝日の検証は不十分」 2015-02-19 読売新聞
53.^ 「プロパガンダで国際社会に『強制連行あった』の事実誤認を拡散」 外部の独立検証委が報告書 2015-02-19 産経新聞
54.^ a b c d 大弁護団抱える植村訴訟の争点 現代史家・秦郁彦2015-02-23 産経新聞
55.^ “朝日新聞の誤報への批判を「いじめ」「脅迫」と主張 慰安婦報道の朝日元記者がNYタイムズ紙取材に応じる”. 産経ニュース (産経新聞). (2014年12月3日) 2014年12月6日閲覧。
56.^ 庭で週刊新潮を読んでいた問題記事「植村隆」元記者を直撃した!――おごる「朝日」は久しからず(6) 週刊新潮 2014年9月11日号 pp.22-31
57.^ 弁護士ドットコムニュース「私は捏造記者ではない」慰安婦報道の植村隆・元朝日新聞記者の会見スピーチ(全文)
58.^ 文藝春秋 2015年新年特大号 pp.454-482
59.^ 岩波書店『世界』 2015年2月号 pp.58-66
60.^ 月刊『創』2015年緊急増刊
61.^ “元朝日の植村隆氏、NYで安倍首相を批判 櫻井よしこ氏らも 「私はこの闘いに負けない!」”. 産経ニュースWEB (産経新聞). (2014年5月5日) 2015年5月6日閲覧。
62.^ videonewscom「なぜ初歩的な事実誤認が広がってしまうのか・慰安婦報道の元朝日新聞記者会見から見えてきたもの」(2015/01/10)
63.^ 「記事捏造否定「司法の場で証明」 文春など提訴の元朝日記者」『北海道新聞』2015.1.10
64.^ 元朝日記者、文春などを提訴 「慰安婦報道で名誉毀損」 朝日新聞 2015年1月10日
65.^ 「朝日新聞「慰安婦」元記者を支えるのは170人の大弁護団」『日刊ゲンダイ』2015.1.10
66.^ 車学峰「慰安婦:元朝日記者「脅迫には絶対に屈しない」」『朝鮮日報』2015.1.10
67.^ 「朝日新聞が無料で配られた」ネット報告続々 信用低下で部数減り、困ってやった? 2014-10-23 J-cast
68.^ 「朝日新聞」8月は部数減に歯止めだった「ABC調査」の奇怪――「朝日新聞」偽りの十字架(5) 週刊新潮 2014年10月2日号
69.^ 朝日新聞、新社長が謝罪「根底からつくりかえる」 2014-12-05 スポニチ
70.^ 読売新聞広告ガイド
71.^ 朝日新聞、営業益半減=慰安婦、吉田調書問題も影響-9月中間 2014-11-28 時事通信
72.^ 朝日新聞、営業益半減 吉田調書、慰安婦問題も影響 2014-11-29 zakzak by 夕刊フジ
73.^ 朝日新社長会見・詳報(4)「信頼回復、容易ではない」飯田真也新会長 2014-12-05 産経新聞
74.^ 毎日新聞 北星学園大:脅迫文2通 元朝日記者講師の辞職要求毎日新聞 2014年09月30日 19時20分(最終更新 09月30日 23時54分)[5]
75.^ 2014(平成 26)年 9 月 30 日 本学学生および保護者の皆さまへ [6]
76.^ 学者や弁護士ら、脅迫状届いた大学を支援する会 朝日新聞デジタル
77.^ [7] しんぶん赤旗 2014年10月7日[北星学園大学問題 教員ら「会」結成]
78.^ 脅迫受けた大学 元記者を雇用しない考え伝える
79.^ 本日、一部メディアで報道されたことについて 北星学園大学 2014/10/31
80.^ 北星学園大学長「学生安全確保、悩んだ」 朝日新聞デジタル 2014-11-04
81.^ 元朝日記者の雇用継続を正式発表…北星学園大 2014-12-17 読売新聞
82.^ 教員人事に関するお問い合わせについて - 神戸女子松蔭女子学院大学
83.^ 北星大学 - 2014年(平成26年)9月30日 本学学生および保護者の皆さまへ 北星学園大学 学長 田村信一
84.^ 北星大学 - 2014年(平成26年)10月24日 本学に対する脅迫電話の容疑者逮捕について 北星学園大学 学長 田村信一
85.^ 朝日新聞 - 北星学園大脅迫、男に罰金30万円の略式命令 札幌簡裁
86.^ 産経新聞 - 元朝日記者勤務の大学脅迫 男性に罰金30万円の略式命令
87.^ 時事通信 - 北星学園大脅迫の男に罰金=元朝日記者が勤務-札幌簡裁
88.^ 朝日新聞 - 下村文科相「負けない対応を」 脅迫巡り北星学園大に
89.^ 読売新聞 - 元朝日記者の雇用継続を正式発表…北星学園大
90.^ 朝日新聞 - 元朝日記者、雇用継続へ 北星学園大脅迫問題 学長「社会が支援」
91.^ 毎日新聞 - Listening:<記者の目>北星学園大・元朝日記者雇用継続=山下智恵(北海道報道部)
92.^ Record China - 北星学園大、慰安婦問題を広めた元朝日記者の雇用継続=韓国ネット「韓国の真の敵!」「一筋の光が見えた」
93.^ 47NEWS(共同通信) - 北星学園大にまた脅迫文 慰安婦問題元記者が講師
94.^ 朝日新聞 - 北星学園大にまた不審な文書 威力業務妨害容疑で捜査
95.^ 日経新聞 - 北星学園大にまた脅迫文 朝日元記者が講師
96.^ 弁護士ドットコム 「私は捏造記者ではない」慰安婦報道の植村隆・元朝日新聞記者の会見スピーチ(全文)
97.^ 朝鮮日報 - 慰安婦:元朝日記者「脅迫には絶対に屈しない」
98.^ 東スポ - 朝日関係者100人以上に殺害予告 某記者が「身の危険」
99.^ 朝鮮日報 - 慰安婦:朝日新聞への脅迫を助長する日本メディア
100.^ J-CAST - 娘の写真がさらされ、「自殺するまで追い込むしかない」 慰安婦報道の植村元朝日記者、ネットでの誹謗中傷明かす
101.^ 朝日新聞 - 北星学園大に新たな脅迫文 「受験生らに危害加える」
102.^ Christian Today - 入試狙い北星学園大学にまた脅迫状 田村学長「このような卑劣な行為許されない」
103.^ 北星大学 - 2015年(平成27年)2月3日 本学に届いた脅迫状と一般入学試験の実施について 北星学園大学 学長 田村信一
104.^ 朝日新聞 - 元朝日記者弁護団に大量のFAX 弁護士会が非難声明
105.^ 朝日新聞元記者の弁護団事務局長に対する業務妨害事件に関する会長声明
106.^ 北星学園大学及びその教員らに対する脅迫行為等に関する会長声明
107.^ 新聞協会賞受賞作 - 日本新聞協会
108.^ 石橋湛山記念 早稲田ジャーナリズム大賞 これまでの授賞作 - 早稲田大学

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2014.11.21

売国奴新聞・朝日新聞の変節を教えてくれる資料

以下は配信されたメルマガからの転載である。
「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」 
平成26年(2014)11月21日(金曜日)弐
      通巻第4402号
戦前の「朝日新聞」は軍国主義を賛美し、特攻隊を激賛した
  科学的論拠は度外視、もっぱら大衆の扇情に訴え部数を伸ばした


室谷克実『朝日新聞「戦時社説」を読む』(毎日ワンズ)
@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@

 朝日新聞はしたたかなのである。
 「戦後」の朝日新聞のすさまじいまでの偏向報道、それも左翼礼賛、最初にイデオロギーありきという出鱈目な報道ぶりは誰もが知っている。
もっか、「従軍慰安婦」「強制連行」の吉田証言を訂正し、部数を極端に減らしているが、蛙の面になんとか、本気で責任をとる覚悟もない。保守系の人々の間ではかつてない大規模な集団訴訟の準備が進んでいる。
 戦争が終わるや、GHQ命令を唯々諾々と従い、『戦後』の左翼世論を主導し、インチキの世論を形成し、情報を操作して、売国的報道に興じてきた。
その鼻持ちならない朝日新聞の主知主義、傲慢な姿勢を誰もが知っている。
 ところが「戦前」の朝日新聞が「軍国主義を賛美し」「精神力で英米に勝てる」と主張していたことは漠然と知っていても、その詳細を知らなかった。というよりあまり興味がなかった。

 本書は戦前の朝日新聞の社説を65本選別し、これらの分析を通じて、いかに戦前の朝日も面妖な論説を展開していたかを探求する稀な書物だ。
労作である。なにしろ65本の社説をマイクロフィルムなどから探し出す作業だけでも2年間の時間を必要とした。
 それにしても、なぜ韓国問題専門家の室谷氏が、この分野に挑んだのか。「朝日の戦前の社説を研究しています」とは、何回か直接聞いてはいたが、こういう労作を準備していたとは気がつかなかった。
 中村菊男(慶応大学教授)は、反共・愛国の論客として知られ、夥しい著作、論文を残された学者である。評者(宮崎)にとって印象的な著作に『日米安保条約肯定論』、日本にファシズムはなかったことを論じた『天皇制ファシズム論』があり、学生時代にすぐに購入し、夢中になって読みふけり、一度講演のお願いに中野(だっと思う)のご自宅を訪ねたこともあった。いま、鮮明にその記憶が蘇った。中村教授は和服で玄関先に出てこられた。
 室谷氏は慶応時代、この中村菊男ゼミの学生だったのだ。版元の松藤社長も同じゼミ生だったという。
病床に伏される前に中村教授は「つぎは『朝日新聞戦犯論』を世に問いたい」と言われていた。言うならば、中村教授の遺言をふたりのゼミ生が、没後37年にして実現した。

朝日新聞は戦争初期の微妙なスタンスから、勇猛果敢なる戦いを展開した中期、そして敗戦色濃くなる終盤期とで、大きく論調が変化している。
満州事変前後にはやや反軍的だったが、途中から東条英機礼賛に変貌し、「靖国神社は『日本人一人一人の魂の故郷』だ」と断言していた。天皇のために戦死することは「建国のいにしえより未来永劫かわることのない、わが国民精神の伝統」だと主張していた。


▼戦争を賛美し、部数を着々と伸ばしていた

この間に国内情報市場にも大きな変化があった。
当時、部数トップだった毎日新聞をぬいて、朝日が発行部数で日本一となった。世論が時代と大衆に迎合していたからか、朝日の世論操作が巧妙だったからか。ともかく朝日はしたたかなのである。
ライバルの「毎日新聞」は軍部、とくに陸軍を批判して東条首相の怒りを買ったが、その背後には海軍の支援があった。
 朝日は毎日に対抗するかのように「際立って扇動的な紙面つくりを行った」「読者に基金を募り、軍用機を買って軍部に献納するというキャンペーン」まで行った。
日米開戦のスクープは毎日だった。朝日は、この前後から「記者の正義、権力に対する勇気がすっかり姿を消し」ていただけに毎日のスクープにやられたことは痛かった。
「戦局の悪化が国民の目にも明らかになり始めた昭和十九年後半から(朝日は)盛んに叫ばれるようになっていた特攻精神、精神主義を繰り返し煽り、訴える」
硫黄島に米軍が上陸をすると、朝日は元寇を連想せよ、かならず勝てる。
「精神力が物的戦力に魂を打ち込む」(昭和二十二年二月二十六日)と書いた。元寇の精神を連想する、その歴史観!
同年五月二十七日、沖縄に米軍が上陸して弐ヶ月が経過していたが、朝日の社説は「憤激を燃えたたしめよ」と「神意さながらに健闘される皇軍勇士の尊い姿」と激賛した。
朝日は終戦前日にも「精神力で敵に勝っている」と書いた。敗戦の日にも「われわれは勝った」ととんちんかんなことを言いながら「天皇陛下に申し訳ない」と以前の扇動を忘れ、責任を国民に押しつけるかたちで責任を逃れた。
そしていつしか戦争中の偏向報道の張本人等は戦後の激動期を生き延びて、のほほんと出世して行った。
まるで「従軍慰安婦」「強制連行」の誤報を認めても、絶対に責任を取らない、いまの朝日の体質と同じである。
貴重な歴史の証言として、本署はまことに有益である。
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