経済・政治・国際

2016.01.29

政界に蠢く怪しげな大臣秘書達・・・


以下の二つの記事を読むと甘利大臣の突然の辞任の裏に隠された真相は二人の怪しげな大臣秘書の仕掛けた罠であることが良く判る。

以下二つの記事は全て渡部亮次郎氏より配信されたメルマガからの転載である。

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甘利大臣は嵌められた!
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     池田 元彦

これは緻密な計画に基づく嵌め業だ。URとの仲介を求めた相手に対し音声 録音、文書記録、渡した紙幣の記番号コピー、加えて面談現場写真を撮る とは、当初から意図的に用意周到に仕組んだ謀略だ。文春への告発者一式 武氏も甘利大臣秘書の清島健一氏も何故雲隠れするのだ。

集られたと本気で告発するなら、相手は警察だ。それを週刊文春に膨大な 証拠を渡し、事細かく説明し特ダネ献上するのは、甘利大臣をターゲット に選び、最早独走体制にある自民党を混乱させ、7月の選挙での大逆転を 画策する一味かその回し者、或は支援する工作スパイしかいない。

週刊文春記事等によれば、2013年11月14日に「大臣室で甘利大臣に面会。 桐の箱に入った羊羹と一緒に、封筒に入れた現金50万円を『これはお礼で す』と渡し、14年2月には神奈川県大和市の事務所でも50万円渡した」と のことだ。この各50万円は明らかに大臣を狙った犯行だ。

2回で100万円渡し、甘利大臣と一緒に写真を撮るとは証拠写真の意図丸見 えだ。後の千百万円はどうでも良い話だ。甘利事務所・自民党への献金 か、清島秘書の懐か、清島等秘書達とのパブ等での遊行接待に使った費用 だ。清島秘書は強制、或は自主的に共犯化したと推測される。

薩摩興業は50年前創業だが高々資本金1千万円、従業員5名の型枠大工業 だ。URとの係争は薩摩興業の借地部分を地主が勝手にURに売却したことに 端を発するが、清島秘書の口利きで薩摩興業はURから2.2億円をせしめ た。これは利権仲介ではなく、クレーム支援だ。

口利き料は暗黙で3%‐5%が一般だと言う。12百万なら、4億円程の利権 (例えば工事落札額)への謝礼となる。URへの2度目のクレームは1.3億円 産廃撤去費補償の回答しかなかった。要はクレーマー薩摩興業の仕掛け人 が一色氏であり、それに載せられたのが清島秘書と言う構図だ。

清島秘書は江田憲司国会議員の秘書で、江田議員落選時に甘利大臣秘書と なったが、金の匂いを嗅ぎ分ける永田町一のワルと永田町筋では評判と言 う。一色氏の当初の接触は、薩摩興業の件ではなく外国人ビザ申請で利便 を図って貰うことだった。そもそも怪しいお仕事関係者のようだ。

薩摩興業の敷地真南部分東西600m区間は、千葉県道189号線未完成部分 だ。千葉ニュータウンの為に30年前から建設するも、薩摩興業南側東西計 600mの工事が未だ工事中なのだ。偏にこの辺りの地主が頑としてURに売却 しないからだ。薩摩興業はその地主からの借地者だ。

薩摩興業及び土地の地主、そして一色氏は、売却・移転拒否や工事への 様々なクレームで億単位の補償金をせしめ、未だ以て県道完成を邪魔して いると第3者的には見える。そして、甘利大臣退任を引出し自民党混乱・ 参議院選大敗を狙うと思われる、黒幕は誰か、何れ判るだろう。

日経新聞とTV東京が22~24日に世論調査をした。自民党支持率は前回調査 から1ポイント低下の47%、不支持率は34%で2ポイント低下した。11月 以降横這いだ。甘利大臣の金銭授受疑惑の報道直後だが、支持率に影響は なかった。国民は、この悪辣な謀略に騙されていない。

一色氏は、数年前からこの事件とは関係ない形で、甘利大臣の事務所に、 自身の名前でも政治献金を毎年繰り返していた御仁だ。継続は力なり、甘 利大臣も気を許していたに違いない。これが本当に謀略であるなら、かな り根深い謀略だ。

近年反対勢力以外に、海外反日国家からの謀略指示、支援も有り得る。政 治家はご用心の程を。

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ダメージ最小の電撃辞任、野党に肩透かし
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杉浦正章

“捨て身”の甘利に自民に同情論
 
「潔い。滅私奉公の古武士を見る思いだ」と自民党幹部が漏らしているが、前経済再生担当相・甘利明は自らを捨てて政権にとって一番ダメージの少ない選択をした。

勢い込んでいた野党は肩透かしを食わされ、前につんのめった。短期的には後産のような痛みが続くだろうが、野党は景気後退に直結する来年度予算を人質に取ることは出来まい。野党が頼みとするマスコミもさらなる追及をして政権を揺さぶる動きには出まい。

したがって早晩国会審議は安定軌道を取り戻し、首相・安倍晋三の支持率も大きなダメージを回避できるだろう。安倍はデフレ脱却の瀬戸際の経済や、サミットを軸とする外交、さらには夏の国政選挙に向けての基盤作りに専念できる。

甘利の突然の辞任は報道ステーションの古舘伊知郎が「私たちマスコミはもっぱら辞任しないと読んでいた。大きく外れた」と反省の弁を述べていたが、一キャスターに「私たち」などとは言ってもらいたくない。

ちゃんと見通した者もいる。それにしても朝日も読売も全国紙はおしなべて慎重な報道を続けた。というより「辞任へ」と踏み切る読みをする政治記者がいなかった

最近の政治記者はこまっちゃくれているばかりで度胸と、政治記事に不可欠な「動物勘」がない。朝日は29日の朝刊で「数日前に辞任を覚悟」と見出しを取っているが、そんなことを知っていたらなぜ報道に反映しないかと言うことだ。

読売は渡辺恒雄が安倍と本社で会食するなど極めて親しいこともあってか、最初からかったるい控えめの報道であった。

甘利の引退表明はさすがに第一級政治家としての矜恃と潔さを感じさせるものであった。「国政に貢献をしたいとの自分のほとばしる情熱と、自身の政治活動の足下の揺らぎの実態と、その落差に気が付いたときに、天を仰ぎ見る暗澹(あんたん)たる思いであります」は、田中角栄の首相退陣声明の中の「一夜,沛然として降る豪雨に心耳を澄ます思い」を思い起して格調が高い。

「私自身に関わることが、権威ある国会での、この国の未来を語る建設的な営みの足かせとなることは、閣僚・甘利明の信念にも反します」はまさに「滅私奉公」の思想だ。「政治不信を、秘書のせいと責任転嫁するようなことはできません。それは、私の政治家としての美学、生きざまに反します」も文学的で、説得力がある。

筆者は大和市に住んでいるが、これを聞いて次回の選挙は甘利に一票を投ずる気になった。選挙区では同情論が強く、選挙があれば大量票を獲得するかも知れない。

古くは田中角栄、最近では小渕優子の大量票獲得の例がある。安倍は選挙の洗礼を経れば、再び甘利を重要ポジションに据えられる。ダブルなら甘利は半年の辛抱だ。

様々な裏話が出ているが、朝日の話が一番面白い。安倍が「例え内閣支持率が10%下がっても続けてもらいたい」と励まし、甘利は「この言葉にかえって迷惑をかけられないと思った」というものだ。

誰でも首相から「私の支持率が下がっても続投せよ」と言われたら、ヤバイと思うことは間違いない。自民党内の反応を探ると、圧倒的に甘利に対する同情論が強い。

甘利はまさに「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もある」という極限の選択をしたことになる。政治資金報告に合計100万円の記載があるのだから、議員辞職の必要は無い。

野党は民主党幹事長・枝野幸男が「これで幕引きというわけにはいかない。1週間もかばい続けた首相の責任は大きい」と感情論丸出しの反発をしているが、安倍は何も1週間かばい続けてはいない。

逆に説明責任を求めている。それに1週間で辞任は最速の部類に属する。野党は閣僚辞任で振り上げた拳を降ろす場所がなくなったのが実態だ。

「幕引きというわけにはいかない」のなら予算を人質に取るのか。やってみるが良い。この景気の正念場で予算の早期成立は国家的な必須課題であり、野党が審議ストップに出るなら、マスコミの矛先は野党に及ぶだろう。

最速辞任の重要ポイントは安倍が夏の参院選挙を衆参ダブル選挙にすることが可能な選択肢を維持したことであろう。辞任しないままずるずるとダブル選挙をやれば、相乗効果どころの話ではない。

衆参相殺効果をもたらし、政権を失いかねない危機に直面する可能性があった。安倍がダブルの可能性を残したのは政局運営にとって大きなプラス材料となるだろう。なぜなら自民党衆院議員の緊張感を維持出来るからだ。

甘利の後任の元自民党幹事長・石原伸晃は、有能ではあるが、あの病気が再発しないかと心配である。あの病気とは「失言症」である。「胃ろう発言」や「金目発言」を繰り返せばまたまた大問題になりかねない。

よほどきつく戒める必用がある。反安倍の朝日は社説で「幕引きにはできぬ」と吠えているが、読売は社説「政権とアベノミクスを立て直せ」で野党に内政、外交両面での建設的な論戦を求めている。

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2016.01.03

【日韓ウラ戦後史】日本人の常識とは異なる美意識

裏面史に隠された真実には成程そういうことだったのかと疑念が氷解することが多い。日韓関係をめぐる慰安婦問題についての謎が本レポートで解ける思いがした。日本人の美意識・倫理観に照らせば慰安婦のようなことは表沙汰にはしたくないのが常識であるが韓国ではそれが恥ではなくまかり通る文化的背景があるということが良く判った。

以下は全て産経新聞からの転載である。

【「慰安婦」日韓合意】 .

 日韓国交正常化から、51年目に入った。昨年来、半世紀に及ぶ両国外交をふり返る書籍の出版が目立つ。まじめな学術書が多い中、ヤクザや右翼、在日人脈の活躍を取り上げた異色の本が売れている。元公安調査庁第2部長、菅沼光弘さん(79)へのインタビューを、出版プロデューサーの但馬オサムさんがまとめたもの。出版の狙いを菅沼さんに聞いた。(村島有紀)

 東京都新宿区の事務所。笑顔で出迎えてくれたのは「著者」の菅沼さんだ。現在、アジア社会経済開発協力会を主宰する。

 東大卒業後、昭和34年、公安調査庁入庁。旧ソ連や中国、北朝鮮など対外情報の収集に従事し、平成7年に退官した。日本のヤクザ社会、北朝鮮、統一教会などについて情報収集し、韓国へも数多く渡航している。

 昨年11月初旬に発売されたのが、『ヤクザと妓生(キーセン)が作った大韓民国~日韓戦後裏面史』(ビジネス社・1500円+税)。

 「このタイトルでは、『まるで、嫌韓本みたいじゃないか。いまさら嫌韓もないでしょう』と文句を言ったんだけど、出版社がこっちのほうが売れるということで決まった。実際に売れてるみたいですね」


同書は、インターネット書店「Amazon」の朝鮮半島部門で上位をキープする。本を出した理由を問うと、「両国の外務省が表だって交渉しても、100年経っても1000年経っても、折り合うところはない。日韓がうまくいかないのは、汚れ役を買って出る漢(おとこ)がいなくなったことだ。それから、日韓関係は二国間の関係ではなく、米国を加えた日米韓の3カ国の関係で常に考えないとダメだと言いたかった」と話す。

 同書は、菅沼さんの言葉を基に、戦後に形成された在日勢力の成り立ち、日韓国交正常化の内幕、金大中氏拉致事件などについて語られる。ざっくばらんなホンネ話といっていい。その合間に但馬さんが当時の時代背景などを説明している。

 菅沼さんは「日韓関係は常に米国の意向に左右される。日韓国交正常化も、慰安婦問題の解決も、とにかく陰に米国の強い要請があった。特に国交正常化交渉は、朝鮮戦争の後、韓国が疲弊し、このままでは共産政権になるという危機感もあった。朝鮮戦争で経済を立て直した日本から、これまで米国が支えていた財政支援を日本に肩代わりさせようと、交渉を急がせたんだ」


 1965年に実現した国交正常化は、予備交渉も含め14年かかった。51年、最初の交渉相手は、反日で知られる李承晩大統領。翌年には突然、日本海上に「李承晩ライン」を設定、竹島を含めた広大な水域への漁業管轄権を一方的に主張し、日本の漁船を次々に拿捕(だほ)した。当然、交渉は遅々として進まず、経済優先を掲げる朴正煕大統領が61年に政権を掌握し、交渉が本格化した。

 「国交正常化交渉において、日本にとって最も障害になったのが、李承晩ライン。漁業権の問題が非常に大きく、拿捕された漁民は、山口県が一番多かった。そのため岸(信介)さんが、いろいろと動いた」

 著書によると、日韓交渉の裏ルートは2つ。1つ目は、KCIA(韓国中央情報局)の初代部長を務めた金鐘泌と児玉誉士夫ライン。2つ目が、大統領府秘書室長だった李厚洛と矢次一夫ライン。「今の日韓には、裏のチャンネルがないのが問題。当時は国士というか任侠(にんきょう)というか、とにかく、民間人でありながら、国のために尽くす人がいた。今は、議員外交とかいって外国詣でを繰り返すが、半分が自分のためだ。国として裏工作を担うシステムがない。そうしているうちにドンドン、国益が失われていく」

接待役は準公務員

 菅沼さんによると、65年の国交正常化の立役者となったのは、在日人脈と日韓の政治家たちの潤滑油となった妓生たち。李氏朝鮮時代に発展した妓生は、国を挙げて中国からの使節をもてなす準公務員的役割。高い知性と李王朝由来の伝統的な接待術で、日本の政治家を骨抜きにしたようだ。

 「李朝時代、さまざまな問題を和やかな接待で切り抜けるという文化が発達した。今でいうなら、北朝鮮の『喜び組』と同じです。韓国もオイルショックのころ、石油を確保するために、中東の産油国のプリンスたちを読んでトップクラスの妓生を集めた。大統領が職権で、女優や歌手を『国に奉仕せよ』と集めたわけだから」

 65年の日韓基本条約締結前、日韓両国内では激しい反対運動が巻き起こった。朴政権はソウル全域に戒厳令を宣布して、軍隊でデモを鎮圧(6・3事件)。日本の朝鮮半島統治に伴う補償は、韓国政府が一括して受け取り、個人補償義務を負うことで合意して条約が締結された。条約に基づき日本政府は、無償3億ドルと有償2億ドル(低利子借款)を、10年かけて韓国政府に支払ったが、韓国政府は資金の大部分を高速道路建設や送電線などインフラ整備に使い、個人補償に使われた額はごくわずかだった。

 「日韓基本条約で解決していた日韓併合の後始末が、いつまでたっても続くのは、韓国では『そうあるべきだ』が歴史だから。慰安婦問題がこじれるのは、韓国は日本より文化的に優れているという思い込みがあるため。つまり、日本のような蛮族に、わが民族の女性が身を任すわけはないという考えです。日韓併合前の釜山では、餓えから日本人に身を売った女性が死刑になったほど。日本人と寝るのは罪だから、『強制された』といって初めて罪が許される。だから、韓国では『強制』でなければなりません」


手本は芳洲か白石か?

 韓国独自の論理により、振り回され続ける日韓関係。打開策のヒントとして菅沼さんが挙げたのが、藤沢周平の時代小説『市塵』だ。

 『市塵』では、江戸時代中期、徳川将軍の対外的な呼称を「日本国大君」から「日本国王」に変更し、李氏朝鮮国王と対等な関係を築こうとした新井白石と、小中華思想を信奉し朝鮮側の反発を恐れ反対する対馬藩の儒学者、雨森(あめのもり)芳洲(ほうしゅう)の対立が描かれる。

 「事実がどうであろうと、朝鮮には朝鮮の事情があるとして、対馬の貿易利権を守るためも朝鮮の考えを尊重しようというのが雨森芳洲。それに対して、朝鮮の文化や事情を熟知した上で、日本と朝鮮は対等という原則を貫こうとしたのが新井白石だ。今の日本でも、雨森芳洲の考え方が圧倒的多数派でしょう。(昨年12月28日の)慰安婦問題の日韓合意も雨森式に近い。困難であっても原則を貫かないと、いつまで経っても関係は変わりません。朝鮮半島は地政学的に大事。わが国の敵対勢力に牛耳らせないために、どうするかを考えるインテリジェンスが必要です」

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2015.09.15

天津爆発事故の責任者は誰か


以下すべて転載である。

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「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」 
平成27年(2015)9月16日(水曜日)
         通算第4658号  <前日発行>
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 中国の政治家は腹黒いばかりか面の皮が厚い人ほど出世する
  天津爆発の責任は黄興国市長兼党書記代理にあるのではないのか
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 天津大爆発事件から一ヶ月以上が経過した。
危険物倉庫の管理責任者ならびに市当局の雑魚どもが拘束されたが、大物は誰も拘束されず取り調べも受けていない。
危険物倉庫を独占した利権の元締めは前天津書記の張高麗である。かれは石油派の代弁者であり、江沢民の番頭格でもあり、ごますり男として「活躍」するうちに政治局常務委員にするりと滑り込んだ。いまや盛んに習近平にごますりを続けている。

 いま民衆の怨嗟の的は天津市長兼党書記代理の黄興国に向けられている。
 黄市長はなぜ、責任をとって辞職しないのかというわけで、つまり黄興国は習近平の側近であり、次の党大会で政治局入りは間違いないと下馬評が立っていた人物、ここで退くわけにはいかないのだ。

 「孟学農に学べ」という声が日増しに高くなってきた。
 孟学農は共青団出身で、北京副市長から2003年に北京市長になった。ところがSARSの蔓延で責任をとり、あっさりと辞任した。
 五年間の雌伏のあと、08年に山西省省長となった。しかし、ここでもまた土石流事故がおこり274名の犠牲がでたため、引責辞任。現在は政協会常務委員である。
 「天津のボスよ、はやく辞任せよ」と言う声が、この孟学農の出処進退の潔さと比喩されるのだ。

 天津大爆発の死者は158名、経済的損害はすくなく見積もっても、700億元(1400億円)、世界第四位の貿易港が麻痺した。
 習政権にとって手痛い打撃となった。

 しかし責任論なぞ、蛙の面になんとか、黄興国は9月1日、天津常務委員会を開催し、「天津の発展には殆ど影響はない」と豪語したのだ。

 天津は中国の四大直轄市のひとつで、その党書記とは政治局員でないとなれないという不文律がある。
このため、黄興国は市長兼務書記代理と「代理」の肩書きを付けざるを得ない。習近平の部下として浙江省時代に見いだされ、14年に書記だった孫春蘭が中央へ転出した空きを、習近平が市長だった黄に党書記を兼務させることにしたのだ。
 市長から書記になったのは韓正・上海書記(かれは政治局員)、市長と書記を兼務した原型は李瑞環(元政治局常務委員)だった。
     □

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2015.09.08

自民党総裁選と安保改定問題の判りやすい解説

以下は全て渡部亮次郎氏より配信されたメルマガからの転載である。


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“平成の乱”を目指した「野田正雪」
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 杉浦 正章

「正義」を唱え「大義」を忘れる

度し難い女を古典落語で「怒れば泣く。ほめておだてりゃつけあがる。
いっそ殺せば化けて出る」と表現しているが、聖子ちゃんをこんな風に表
現してはいけない、女性団体から怒られる。言うなら講談の「平成の女正
雪」であろう。

由井正雪は3代将軍家光亡き後徳川幕藩体制を覆そうとクーデターを謀っ
た。さしずめ参謀の丸橋忠弥が古賀誠だ。

歌舞伎の名場面で丸橋は江戸城のお堀に石を投げて深さを測ったが、どう
も古賀丸橋は老化現象か「ゴボゴボ」という音が長く続いたのに聞こえ
ず、聖子正雪に「浅いから大丈夫」とけしかけた。

これに乗った聖子は、自らの行為が「政局化」そのものであることを知っ
てか知らずか挙兵しようとした。しかし、結局は安倍の捕り方に囲まれ自
刃してあえない最期となったのだ。

大手紙は20人取れるかも知れないからびびって朝刊で断定していないが、
仮令総裁選推薦人の数が集まっても、あえない最期になる構図なのだが、
結局小泉純一郎以来14年ぶりの無投票再選になるだろう。

政権サイドがうまいのは、安保法案を軸に脅しをかけたことだろう。「野
党が自民党総裁選で決着が付くまで審議ストップに出る」という情報を流
したのだ。これで自民党内は引き締まった。

「安保の印籠」を見せられては、一致団結をせざるを得ない。党内7派は
全てが安倍支持を決め、古賀丸橋が最高顧問の岸田派も懸命の締め付けに
出た。

岸田文雄も禅譲狙いなのか、将来は安倍と戦うであろう石破茂とは対照的
に、安倍大明神をあがめることしきりなのだ。

安倍は将来的には佐藤栄作が田中角栄と福田赳夫を競わせたように、石破
と岸田を競わせれば安泰となるのだが、今は利口だからそんなことはおく
びにも出さない。

一方で、野党は総裁選で審議ストップなどは考えたこともなく、だしに使
われたとカチンときたに違いない。民主、維新共に、否定に懸命。見え透
いているのは否定すれば、正雪が出やすくなり、揺さぶるのならその上で
という魂胆があるのだ。

毎日によれば代表・松野頼久が北海道釧路市での講演で「野田さんが推薦
人集めに苦労している。(自民内で)『野党が安保の審議に出て来なくな
る』と切り崩しているという話がある。我々はそういうことであれば審議
に出る」と野田正雪をけしかけた。

民主の政調会長・細野豪志も「安保法制の議論は、我々はしっかりやって
いく」とやはり野田出馬に呼び水を向けた。

野田は論語を引いて、「義を見てせざるは勇なきなり」と発言したが、い
かにもちぐはぐで訴求力に欠ける発言だ。正義と知りながらそれをしない
のは勇気がないのと同じだというのだが、古くさく女には珍しい表現だか
ら、丸橋に教わったのかもしれない。

それでは野田の正義とは何か。もともと野田は昨年7月1日の集団的自衛
権の行使閣議決定にも反対論を雑誌で表明しており、古賀も共産党機関
誌・しんぶん赤旗が絶賛しているほどの安保法制反対論者だ。いまや反安
倍老人の巣窟(そうくつ)であるTBSの時事放談でも、安倍という名前が
出れば条件反射的に批判を繰り返している。

野田は正義を言うなら、総裁選挙に立候補する理由を述べなければならな
い。理由を述べずに、ひたすら選挙そのものの実施の必用を唱えても説得
力はない。

まるで小泉純一郎が3回も総裁選に挑戦して、数をこなして成功したか
ら、それを猿まねしようとしているとしか思えない。野田は9月3日の北
京の軍事パレードを見たのだろうか。

「平和降臨」とばかりに何もしないで平和が実現した時代は去った。民
主、共産とこれにだまされているデモ隊が「戦争法案」を言うのなら、習
近平の露骨なる「戦争パレード」は今そこにある危機ではないのか。

野田は安保反対の立場でいながら、衆院での採決に賛成票を投じたのは
「正義」を貫いたからなのか。「義を見てせざる」を言うなら「大義」は
どうでもよいのか。答えられまい。だから平成の由井正雪なのだ。

いずれにせよ、野田正雪は老獪(かい)なる隠者の甘言に乗って、政治の
道を誤った。安保法制という大義を見落とし、私利私欲に走った候補とし
て、自ら首相候補としての道を閉ざしたのである。


       
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子息の安全を案ずる自衛隊員の父へ
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           櫻井よしこ

平和安全法案を「戦争法案」と決めつけ、法案反対を唱え続ける人々がい
る。私には全く理解できない。むしろ平和安全法案は、戦争を防ぐための
ものであり、その意味で戦争抑止法案に他ならない。

社民・共産両党や一部メディアが自衛隊に関する政策や法案について、実
態とは正反対の非難キャンペーンを張ることはこれまでにもあった。彼ら
は23年前の国連平和維持活動(PKO)協力法成立のときも、日本が侵略
国になると批判した。

しかし、23年間の自衛隊の実績は国際社会で高く評価され、野党及びマス
コミの批判は的外れだった。今回も同様であろう。

彼らの主張が余りにもひどいので、私は彼らとは正反対の立場から、法案
の内容を事実に沿って見詰め、国際情勢の激しい変化を認識し、平和安全
法制の早期成立を求めるために、多くの人に呼びかけて国民フォーラムを
設立した。

平和安全法制の早期実現こそ日本国民を守り、戦争を抑止するとの認識を
共有した学者、有識者、経済界の人々は318人に上り、うち約90人が同席
して8月13日、憲政記念館で記者会見も行っ
た。

すると、私のホームページには賛否両論の意見が殺到した。その中に「昨
年自衛隊に入った息子の父親」という人物からのメールもあった。趣旨は
以下のとおりだ。

〈中越地震などに際して、身を粉にして人々を守り……人命救助に徹する自
衛隊員姿に憧れて、息子は入隊した。しかし、今回の安保法制で自衛隊員
の活動 範囲が広がり、死のリスクが高まるのは明白だ。これ以上息子を
自衛隊に置きたくな い。父親として毎日心配している〉

子息の無事を願う父親の心情が窺われる。この気持ちは自衛隊員の子息を
もつ他の多くの父や母、或いは小さな子供を持つ若い親たちも共有してい
るかもしれ ない。

そこで右の内容について考えてみたい。まず問題を2つに分けて考えるこ
とが 大事だろう。日本国民と国の安全と、自衛隊員の安全である。

戦争を抑止する法案

前者については少し長くなるが、大別して4つの柱を考えればよいと、元
統幕議長西元徹也氏は指摘する。Aグレーゾーン、B重要影響事態、C国
際平和協 力活動、D集団的自衛権の部分行使、である。

Aのグレーゾーンは、平時と有事の間の防護体制の隙間が広すぎる問題
だ。現在、自衛隊は組織的、計画的攻撃に対してでなければ防衛出動が許
されない。た とえば多数の中国の漁船が尖閣諸島に押し寄せた場合、漁
船員らが武装もしておら ず、粛々と上陸すれば、自衛隊は手を出せな
い。海上保安庁を助ける形で中国人の上陸 を防ぐこともできない。

自衛隊が対処できるのは、中国側が明らかに事前に組織し、計画し、武装
して攻めてくるときである。そうではなく、漁船が「たまたま」大挙して
押し寄せる 場合などには、自衛隊は何もできないのだ。これでは日本防
衛は不可能だ。そこで今 回、海保に代わって自衛隊が動けるよう、電話
閣議で迅速に海上警備行動を発令でき るようにした。

国民も国も守り切れない防護の穴が多数あり、敵対勢力の侵略に打つ手が
ない現状をこのようにして変え、改善するのが今回の法制である。

Bの重要影響事態は朝鮮半島を考えればわかり易い。朝鮮半島有事が勃発
し、事態が収拾できなければ、わが国も危険に晒される。危険を防ぐため
に、米韓同 盟に基づいて行動する米軍への補給を効率的に行えるように
した。

米軍への物品、役務の提供は現在、日本の領域でのみ許されており、その
都度、日本の領域に引き返し てもらわければ支援できなかった。今回、
その場でできるように改正し、日米連携 をスムーズにした。

但し、米軍への武器供与は禁止されている。

Cの国際平和協力活動にも多くの問題点があった。自衛隊は武器使用が厳
しく制限され、海外では外国軍に守ってもらわなければならない。カンボ
ジアPKO ではフランス軍に、イラクでは当初イギリス軍、その後はオ
ランダ軍、そして再びイ ギリス軍に守ってもらった。だが、自衛隊を警
護する外国の部隊が攻撃されても、自 衛隊が彼らを守るために一緒に戦
うことは許されず、有り体に言えば逃げるしかな い。どう考え
ても卑怯である。そこで今回は、共に行動している部隊が攻撃された場
合、自衛隊も彼らを守れるようにした。

そして最後のポイント、Dの集団的自衛権である。日本を除くほぼ全ての
国々が行使する集団的自衛権は、友好国が共同で防衛する権利である。

尖閣諸島など を窺う中国、核攻撃の構えを見せる北朝鮮などに対し、限
定 的ではあっても、日本 が米国などと共に集団的自衛権を行使すること
は、対日侵略を思いとどまらせる大き な効果を生む。集団的自衛権の一
部行使は、戦争をするためではなく、戦争が起こら ないように
抑止するものなのである。

以上4つの柱を見たが、これらはすべて日本と国民を守るためだ。日本が
戦争をしかけたり、他国に戦争をしに行くためではない。

身を賭して公益の為に

さて、「自衛隊員の父」の、隊員の死のリスクが高まるとの懸念について
である。まず、安保法制の有無にかかわらず、自衛隊にリスクは付きもの
である。消 防隊員も警察官も同様である。今も、日常活動で自衛隊員の
尊い犠牲は生じている。

悪天候下、離島の患者の緊急搬送作業で亡くなる隊員もいる。訓練中の事
故で命を落 とす場合もある。

そのような危険を認識したうえで、それでも強い使命感を抱く人々が自衛
隊に入隊する。だからこそ、自衛隊員は国民と国家を守るために、究極の
場合、命を 賭して任務を遂行すると宣誓して職務に就いている。

国防に危険は付きものだと指摘したが、私は国防に携わる人々への感謝と
尊敬の念が、わが国に全く欠落していることを非常に残念に思う。感謝と
尊敬どころか、長年、国民の多くは自衛隊員を偏見に満ちた差別の目で見
てきた。

しかし、長期にわたる自衛隊の地道な働きが少しずつ国民の心を溶かし
た。現在、自衛隊に寄せる国民の信頼度は92・2%と比類なく高い。圧倒
的多数の国民 が、身を賭して公益の為に働く自衛隊員の有り難さを実感
し、彼らがいて初めて国民 も国も守られると感じ始めた。自衛隊への尊
敬と感謝の念が国民の間に漸く生まれて きたと思う。

私は、国民を守り国を守る責務を自らの使命とする自衛隊員たちこそが、
国民と国との一体感の中心軸を成すと考えている。だからこそ、今回、私
にメールを 下さった自衛隊員の父のように、隊員に近い人ほど、平和安
全法案を正しく理解し、 それが決して戦争法案などではないことを知っ
てほしいと願っている。

『週刊新潮』 2015年9月3日号 日本ルネッサンス 第669回
                 (採録:松本市 久保田 康文)

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2015.08.15

沖縄は悲劇の島なのか?

そこまで言って委員会のテレビ番組で「沖縄は悲劇の島なのか?」と題する討論会を視聴した。沖縄米軍普天間基地の辺野古移転問題が紛糾している現在、何が問題なのかを理解するのには好個の番組であった。出演者の中の三人が沖縄出身ということもあって白熱の討論がなされた。沖縄出身者の感情的な被害者意識が赤裸々に表出された。沖縄処分から始まって米軍統治を経て日本へ復帰するまでの「沖縄の悲劇」が史実を交えて俎上にあがり考えさせられるところが多かった。以下のURLで白熱の討論を視ることが出来る。

https://www.youtube.com/watch?v=sbTbkw7cakE

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2015.08.14

大東亜戦争の裏面史

終戦記念日に太平洋戦争についての勉強をしようとウェブサーフィンをしていて次のURLを発見した。
討論番組であるが諸氏の解説を聞き蒙を開かれた。https://www.youtube.com/watch?v=JuPlYk8ITeE

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2015.07.14

にわか「琉球王」の暴走を嘆く

以下は全て産経新聞からの転載である。独善は首長には許されない。翁長氏は国際法を勉強すべきである。


 「苦渋の選択というのがあんた方には分からないんだよ。国と交渉するのがいかに難しいか」。冒頭の発言は、平成24年11月24日付の朝日新聞朝刊に掲載された翁長雄志氏によるものである。当時はまだ沖縄県知事ではなく那覇市長だったが、米軍普天間基地の名護市辺野古への移設について、翁長氏が県議時代に推進の旗振り役だったことを記者から問われ、逆ギレしているようにも受け取れないだろうか。


 翁長氏の発言はこうも続く。「革新勢力は、全身全霊を運動に費やせば満足できる。でも政治は結果だ。嫌だ嫌だで押し切られちゃったではすまない」「本土は、日米安保が大切、日米同盟が大切。沖縄にすべて押しつけておいて、一人前の顔をするなと言いたい」。

 インタビュー中の逆ギレから火がついたのか、その後もまくし立てた翁長氏の怒りの矛先は、日本政府やヤマトンチュ(本土の人)に向かう。「本土の支援はいらないから基地をどかせ」とばかりに持論を展開した翁長氏は、このインタビューから2年後、辺野古移設容認派だった現職を破り知事になった。


米ワシントンでマケイン上院軍事委員長(右から2人目)らと会談する沖縄県の翁長雄志知事=6月2日(共同)

 辺野古移設をめぐり、就任後も一貫して日本政府と対峙する翁長氏を「沖縄の怒りの代弁者」として持ち上げるメディアは多い。ただ、最近の翁長氏の言動は、怒りを超えた「恨み」のように映ってならないのは気のせいか。辺野古移設阻止に固執するあまり、ただのパフォーマンスに終わった単独訪米や、現政権への執拗なまでの批判は、現実的な判断や理性に欠けていると言わざるを得ない。

 「独善」から「暴走」へと変わりつつある翁長氏の政治姿勢は、良識ある沖縄県民なら誰の目にも不安に映るはずだ。自らの立場を勘違いした翁長氏を通して、沖縄の怒りがヤマントチュに伝えられるのは、それこそ沖縄にとっても不幸でしかない。

 沖縄は、先の大戦末期の激しい地上戦で県民の4人の1人が犠牲となり、日本が独立国として主権を回復した後も、米施政権下に置かれ、わが国の安全保障を一身に背負ってきた経緯がある。

 そんな悲しい過去や、戦後70年たった今も癒えることのない「痛み」と向き合う沖縄をヤマトンチュだって忘れてはいない。むろん、在日米軍基地の74%が集中する沖縄の負担軽減も早急に考える必要がある。だが、強大な軍事力を背景に、わが国を日夜脅かす中国の存在はもはや無視できない。日米同盟を支える米軍基地が沖縄をはじめ日本、国際社会の平和に必要な抑止力を形作っている現実からも、決して目をそらしてはならないだろう。

 わが国の安全保障と国益を無視し、「嫌だ嫌だで押し切ろう」とする翁長氏だが、このままでは完全に「裸の王様」になってしまうのではないか。にわか「琉球王」はともかく、沖縄の良識ある「民意」まで孤立させるわけにはいかない。(iRONNA編集長、白岩賢太)

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2015.05.06

国会はまるで「学級崩壊」…離席、読書、スマホ、居眠り…目を覆う国会議員の振る舞い

憤慨すべき記事を産経新聞の中に見つけた。以下全て産経新聞の転写である。

政界徒然草】
国会はまるで「学級崩壊」…離席、読書、スマホ、居眠り…目を覆う国会議員の振る舞い

 上西小百合衆院議員が国会を「病欠」した前後の行動が問題視されて維新の党を除名されたのは記憶に新しい。上西氏は平成27年度予算案の採決を行った3月13日の本会議を「病気」で欠席した。前夜には複数の飲食店を訪れており、国会議員としての責任感の欠如を白日の下にさらした。

 維新幹部に限らず、与野党各党は「けしからん」の一色に染まった。そういう国会議員たちは当然本会議に毎回出席しているのだろう。

 ところが、驚くべきことに衆院は本会議の議員の出欠を公式に記録していない。憲法56条1項には「両議院は、各々その総議員の3分の1以上の出席がなければ、議事を開き議決することができない」とある。「国民の選良である議員が本会議を休むはずがない」との前提で、「3分の1以上の出席」は目視で判明できるということなのだろう。

 一方、衆院のさまざまなルールを定めた衆院規則の第106条には、以下のような記述がある。

 「出席議員が総議員の3分の1に充たないときは、議長は、相当の時間を経て、これを計算させる。計算2回に及んでも、なほ、この定数に充たないときは、議長は、延会しなければならない」

 これは通常は出席者数を正確には確認していないことを意味する。国会議事堂の入り口には、議員の名前を記した「登院ランプ」がある。ボタンを押すと名前の部分が光り、登院したことを表す。ただ、ランプはあくまで議員の登院を示すだけで、本会議に出席した証拠にはならない。

 出席どころか、各議員の法案に対する賛否を確認する術も限られている。

 衆院本会議の採決には複数の方法がある。いわゆる重要法案の採決は、議員名が記された白票(賛成)か青票(反対)の札を投じる記名投票で行うので、各議員の行動を把握できる。

 ただ、一般的な法案は議長が目視で過半数か否かを確認する「起立採決」か、議長が満場一致と認めた「異議なし採決」で可決されることが大半だ。この場合、個々の議員の賛否はいちいち確認していない。

 ちなみに参院は平成10年から「押しボタン」による採決を導入しているので、デジタル化で各議員の法案への賛否は一目瞭然(りょうぜん)だ。議員が自席に着席し、名前を記した「立て札」を立てると出席が確認できる仕組みにもなっている。

 では、実際の本会議の出欠、議場での国会議員の振る舞いはどうなっているのか。4月16日午後1時から約2時間行われた衆院本会議を記者席から観察してみた。その実態は、絶句するほかなかった。

. (【】内の数字はおおよその時刻/目視で数えた空席の概数)

 【12時55分】

 本会議開会5分前。さっそく民主党のベテラン議員が堂々と携帯電話を操作している。衆院規則で携帯電話の本会議での使用は禁じているのに。開会前だからいいということか。机の下で隠れるようにタブレット端末を操作する民主党中堅議員もいる。

 【13時0分/20】

 川端達夫副議長が議場に入り、開会を宣告。町村信孝議長(後に辞任)は体調不良で欠席し、川端氏が議事を代行する。衆院規則第104条は「議長が会議を開くことを宣告するまでは、何人も議事について発言することができない」としているが、場内はざわついたままだ。

 安倍晋三首相はひな壇席に座る。最初の議題は「都市農業振興基本法案」の採決。農林水産委員会の江藤拓委員長(自民)が委員会の議事結果を報告。全会一致の「異議なし」で可決。

 【13時5分/30】

 引き続き、大手電力会社の送配電部門を発電部門から切り離す「発送電分離」を平成32年4月に実施するための「電気事業法改正案」と、29年をめどに都市ガスの小売りを全面自由化することなどを盛り込んだ「ガス事業法改正案」の審議に入る。

 宮沢洋一経済産業相による法案の趣旨説明が始まる。それが何かの合図のように10人以上が一斉に離席し始めた。

 最前列に座る民主党の若手女性議員は、真っ先に自民党議員の席へ。ある自民党議員は野党議員の席を訪ね、書類を片手になにやら話し合いを始める。与野党議員間の立ち話が実に多い。連れだって外に出ていくケースも多数。本会議は「原則」議員が全員出席するので、約束なしでもその場で直接話し合いができる好機なのか。それにしても、全く場所をわきまえていない。

 別の民主党女性議員は、民主党→維新の党→自民党の議員を次々と訪問。自民党国対幹部は所在なさげに議場内をウロウロ。自民党幹部は次々と席を離れはじめる。宮沢氏に対し「元気出せ!」の掛け声がかかり、笑いが起きる。緊張感は全くない。

 次第にやじさえ飛ばず、ざわつきだけが議場内に漂う。開会前に机の下でタブレットを操作していた民主党議員は、ついに机の上で堂々と操作を始めた。

 【13時10分/40】

 宮沢氏の趣旨説明が終わる。自民党中堅が足を組んで文庫本らしきものを読み始めた。衆院規則は「議事中は参考のためにするものを除いては新聞紙及び書籍等を閲読してはならない」と定めているが…。

 自民党の田中良生氏が質問に立つ。このころになると、外に出ていく者がさらに増える。維新若手議員は雑誌を開いたまま、頭を揺らし始めた。何分たってもページはめくられない。

 民主党重鎮は明らかに深い眠りに入った。岡田克也代表と枝野幸男幹事長は自席に着席し、じっと聞き入っている。

 【13時20分/50】

 首相が答弁し、続いて宮沢氏が答弁する。携帯やタブレットを操作する者多数。自民党中堅は「歩きスマホ」のまま外へ。

 【13時25分/60】

 民主党の田嶋要氏が質問に立つ。場内を動き回る議員が減り始める。離席を反省したのかと思いきや、今度は眠り出す人が圧倒的に増えた。それに伴い、場内のざわつきも収まる。

 少なくとも30人以上が寝ている。先輩たちに比べ、お行儀の良かった当選1回生だが、演壇の目の前の席で舟をこぐ自民党議員も。最前列の民主党女性議員は相変わらず場内を行ったり来たりで、自席にほとんどいない。

 【13時35分/80】

 首相と宮沢氏が答弁。複数の自民党幹部も深い眠りにつく。睡眠、読書、スマホ操作と、思い思いの時間を過ごす議員が増える。

 この日は週刊文春と週刊新潮の発売日。そのためか、コピーを含め雑誌を読む人が多い。よほど「議事の参考になる記事」が掲載してあったようだ。自民党席の後方(ベテラン勢)に空席が目立つようになる。

 【13時50分/100】

 維新の鈴木義弘氏が質問に立つ。いつの間にか岡田、枝野両氏がいない。菅直人元首相の姿も消えた。

 開会から約1時間が経過した時点で、一度も「席を立たない」「寝ない」「関係ない本を読まない」「携帯・タブレットを使わない」といった当たり前のことを貫徹している人は早くも100人以下に。

【14時15分/150】

 首相が答弁。場外へ消える議員が急上昇。

 【14時20分/180】

 公明党の国重徹氏が質問。公明党席から大きな拍手が起きる。これにビクッと体を動かし、驚いたように目覚める者多数。まるで目覚まし時計のよう。

 【14時30分/200】

 首相と宮沢氏が答弁。引き続き共産党の藤野保史氏が質問。とうとう谷垣禎一幹事長ら自民党三役席はすべて空席。全議員475人の4割以上が議場にいない状況に。

 【14時50分/190】

 首相が答弁。4月14日に福井地裁が関西電力高浜原発3、4号機(福井県)の再稼働を認めない仮処分決定を行ったことについて初めて言及した。

 「原子力規制委員会の田中俊一委員長から、いくつかの点で事実誤認があり、新規制基準や審査内容が十分に理解されていないのではないかとの明快な見解が示されている」

 「世界で最も厳しいレベルの新規制基準に適合すると認めた原発について、その判断を尊重し、再稼働を進めていくのが政府の一貫した方針だ」

 この時点で72人(川端氏を除く)の民主党席は約半分が空席。閣僚も数人しかいない。「脱原発」に力を入れる菅元首相の姿もない

【15時00分/180】

 議事が終了し、川端副議長が散会を宣告。終わりぐらいは着席していようとの心理か、空席が少しだけ減る。本当に少しだけ。

 川端氏が退席するのを前列の議員の多くは立って見届けるが、後方席の議員はそそくさと退席し始める。衆院規則219条は「散会に際しては、議員は、議長が退席した後でなければ退席してはならない」と明記しているが、ベテランの順法精神は相当低いようだ。


 以上が、憲法で「国権の最高機関」と位置づけられた国会のごくありふれた日常の一コマだ。記者席からは本会議場を一望できず、移動しながら目視で数えたので欠席数は正確ではない。ただ、最初から最後まで「席を立たない」「議事と関係のない本を読まない」「携帯電話・タブレットをいじらない」といった当たり前の規則を守った人は、どうみても全体の1割(47人)以下だった。無法者の集まりかと見まごうほどだ。

 学校でさえ出欠を確認するのは当たり前だ。授業中に勝手に席を立ってしゃべったり、教室を出ていったり、授業と関係ない本を読んだり、携帯電話をいじったりしている生徒を国会議員はよしとするようだ。

 ましてや国会議員には、税金で年間3000万円以上の歳費が支給される。本会議への皆勤出席は最低限の責務であり、重篤な病気や国際会議出席などの外遊などを除いて本会議に出ない選択肢はあり得ない。もし形式的な本会議への出席に意味がないというなら、ルールを変えて別のまともな議論の場を設けたらいい。

 後方支援に参加する自衛隊の海外派遣には国会の事前承認が必要だといった議論が行われているが、その肝心の国会の実態は目を覆うばかりだ。国会議員は何かあると「国会の品位」を声高に主張する。悪い冗談にしか聞こえない。(政治部 酒井充)
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2014.08.17

2004年、中国・雲南省で消息をたったデービッド・スネドンさん

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2014.08.16

日朝関係の歴史・・・拉致問題

【ニッポンの分岐点】
日朝関係(1)金丸訪朝団 正常化目前「償い」で禍根
以下
産経新聞からの転載である。
2014.8.2 13:00 (1/5ページ)[ニッポンの分岐点]

北朝鮮の妙香山で会談する(前列左から)金丸信氏、北朝鮮の金日成主席、田辺誠氏=平成2年9月
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 日朝間の最大の懸案である拉致問題。日本にとっては、拉致問題の解決がない限り北朝鮮との国交正常化もあり得ないが、20年以上前、日朝国交正常化が目前に迫ったときがあった。

◆予期せぬ金日成発言

 平成2(1990)年9月26日。北朝鮮有数の景勝地、妙香山の招待所で自民党の元副総理・金丸信、社会党副委員長の田辺誠、北朝鮮主席の金日成(キム・イルソン)が顔を合わせた。

 金丸、田辺の2人が日朝の友好を進めるため、双方に「連絡事務所」の設置を持ちかけると、金はこう返して2人を驚かせた。

 「いや、そんなのをつくる必要ないでしょう。(日朝の)外交関係をつくればいいんですから。日本と仲良くしたい」

 予期せぬ発言に動揺を隠せない金丸。田辺に「どうする」と目をやった。田辺も「いいんじゃないですか」と即答した。金丸は金に向かって「社会党もいいと言っている。私たち自民党も責任を持つ」と応じた。

 この瞬間、北朝鮮に拘束されていた第18富士山丸の船長、紅粉勇ら日本人2人の釈放と、日朝友好親善が主目的だった訪朝が、政府間の国交正常化を前提とした外交交渉に転換した。

 55年体制以降、対北朝鮮外交は「万年野党」の社会党を中心に展開されてきた。だが、昭和58年に党書記長に就任した田辺は「野党外交では限界がある」と主張し、「万年与党」である自民党を引き込むことを画策する。

2014.8.2 13:00 (2/5ページ)[ニッポンの分岐点]

 北朝鮮も、社会党との関係を維持するだけでは展望を開けないと考えていた。韓国は、平成2年9月末にソ連との国交を樹立。東アジアで孤立することを懸念した北朝鮮が、日本との国交正常化に活路を見いだそうとしている-。田辺は北朝鮮側の変化を感じていた。

 田辺は、同じ国対族で親交の深かった金丸に声をかけた。北朝鮮が政権与党と接点を持ちたがっていることを紹介し、金丸にも注目していることを伝えた。

 だが、金丸は田辺の依頼をいったん断る。東側陣営に冷淡で、外交にあまり縁がなかったことが理由だった。それでも、田辺は半年間にわたって金丸の説得を続け、金丸も最終的に訪朝を決断する。第18富士山丸問題が、訪朝によって解決できる可能性が高まっていた事情も後押しした。

◆5時間続いた密室会談

 「俺が、風穴を開けたんだ!」。平成2年9月28日夜。金丸は帰国の途に就いた日本航空の特別機内で興奮気味に語ると、大きな拍手がわき起こった。

 笹川平和財団会長の羽生次郎(68)は、その光景を今も鮮明に覚えている。羽生は当時、運輸省(現国土交通省)国際航空課長として訪朝団に加わり、日朝間の航空路開設交渉にあたった経験を持つ。羽生によると、世論やマスコミは訪朝団の功績を軒並みたたえ、国交正常化を支持する声が多かったという。

2014.8.2 13:00 (3/5ページ)[ニッポンの分岐点]


 しかし、訪朝団は後に大きな批判にさらされることになる。9月28日に調印された自民党、社会党、朝鮮労働党の3党共同宣言の中に記された「戦後45年間の謝罪、十分な償い」が、北朝鮮への戦後賠償の表明とみなされたからだ。

 共同宣言は、金丸訪朝団事務総長の石井一(79)、同団事務局長の武村正義、社会党訪朝団副団長の久保亘らが中心となった起草委員会で議論された。

 武村ら日本側は「交戦もしていない国の戦後賠償には応じられない」と突っぱねたが、北朝鮮はなかなか折れない。16時間にわたる協議の末、最後は金丸の鶴の一声で「償い」の文言を入れることが決まったのだった。

 金丸は滞在中、金日成と2人だけで5時間近くも密室で会談している。ただ、日本側の通訳や外務省の随員が入っておらず、記録を残していないため、大きな問題となった。この密談の中で、金丸は数十億ドルの「戦後賠償」を約束したともいわれているが、「誤解だ。『償い』までは是認していない」と否定している。

 石井は「金・金会談」の直後、金丸が「国交正常化の調印式を富士山のふもとで行う。金日成に山梨県まで来てもらうんだ」と言っていたことを記憶している。そして「金日成と接してファンになってしまったんだな…」と回想する。金丸の「人の良さ」があだとなった面は否定できない。

 実際、訪朝団に対する金日成の歓待ぶりはすさまじかった。2万人が動員されたマスゲームは代表例で「金丸信先生と田辺誠先生の引率する日本使節を熱烈に歓迎する!」という人文字に金丸は感動した。

2014.8.2 13:00 (4/5ページ)[ニッポンの分岐点]

 産経新聞政治部記者として訪朝団に同行取材した北村経夫(59)=現自民党参院議員=は金丸の様子について「北朝鮮の術中にはまっていた」と振り返る。そのうえで「最終的な北の狙いは戦後賠償だ。『償い』は今も尾を引いており、拉致問題にもつながっている。日本外交にとってマイナスだった」と断じる。

◆拉致は議題とならず

 7月30日、前橋市で自身が運営する老人ホーム「恵風園」に、92歳になった田辺が姿を見せた。つえをついているが、滑舌は往事のまま。田辺は「金丸訪朝団で国交正常化に限りなく近づいたが、政府や外務省を巻き込めなかった。成功と失敗、相半ばだ」と総括した。

 当時、拉致問題はまだ大きくクローズアップされていなかった。国家公安委員長の梶山静六は、昭和63年3月の参院予算委員会で、53年夏に日本海側で連続して発生したアベック行方不明事件について「拉致の疑いが濃厚」と初めて答弁していたが、金丸訪朝団では拉致が議題に上った形跡はない。

 平成2年10月、船長の紅粉らが釈放され、国交正常化の機運はさらに高まっていく。国交正常化交渉は3年1月から始まり、4年11月まで計8回行われた。

 だが、大韓航空機爆破事件の犯人、金賢姫(キム・ヒョンヒ)元工作員の教育係、李恩恵(リ・ウネ)(後に田口八重子さんと判明)に関する日本側の調査要求に北朝鮮が反発し、4年11月に交渉は一方的に中断された。その後、日朝の国交正常化交渉は動かないまま、12年4月まで途絶えることになる。=敬称略(山本雄史)

2014.8.2 13:00 (5/5ページ)[ニッポンの分岐点]

             

【用語解説】金丸訪朝団 平成2年9月、自民党の金丸信元副総理、社会党の田辺誠副委員長らが第18富士山丸事件解決などのために訪朝した。自社両党と朝鮮労働党の3党は、戦後45年間、朝鮮人民が受けた損失について公式的に謝罪を行い十分に償うべきだと認める▽国交正常化のための政府間交渉を同年11月に開始する-などを盛り込んだ共同宣言で合意した。


2014.8.9 08:10 (1/4ページ)[ニッポンの分岐点]

訪朝したカーター元米大統領(左手前)とヨットの上で会見する金日成・北朝鮮主席(右) =平成6年6月(朝鮮通信=共同)

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 平成3(1991)年1月から始まった日朝の国交正常化交渉は、4年11月に北朝鮮が一方的に交渉を中断する。この後、北朝鮮は核開発を本格化し、日本はこれまで経験したことのない非常事態に直面する。

 ◆「へ理屈」の天才

 国交正常化交渉は、中断されるまで8回にわたった。だが、当初の期待感とは裏腹に、巨額の「戦後賠償」を求める北朝鮮と、応じられない日本との距離は回を重ねても縮まらなかった。

 こうした中で、北朝鮮は日本が要求した大韓航空機爆破事件の犯人で金賢姫(キムヒョンヒ)元工作員の教育係、李恩恵(リウネ)に関する調査に反発。交渉は中断され、日朝関係は長い冬の時代に入る。

 「北朝鮮は自分の都合や利益で、いったん約束したことでも理屈をつけてほごにしてくる。まさに『へ理屈』の天才だ」

 5年5月、日朝国交正常化交渉政府代表に就任した外務官僚の遠藤哲也(79)=現日本国際問題研究所特別研究員=は、北朝鮮との外交交渉の難しさを体感した一人だ。

 遠藤は膠着(こうちゃく)状態にあった日朝関係を何とか打開しようと、交渉相手に新任のあいさつ状を送るなどの努力を重ねたが、返事が来ることはなかった。水面下で審議官級、課長級の非公式接触も試みたが、北朝鮮は2年9月の金丸訪朝団のころとは違い、日本に触手を伸ばしてこなかった。

 「李恩恵問題は表向きの理由ではないか。賠償(補償)が早急に得られそうもないとみたのだろう。北朝鮮は、日本の“親分”である米国を落とした方がいいと判断した」。自らの経験を踏まえ、遠藤は当時の北朝鮮の姿勢をそう解説する。

2014.8.9 08:10 (2/4ページ)[ニッポンの分岐点]


 ◆政府高官の“告発”

 日朝関係が冷え込む中で、さらに両国関係を悪化させたのが北朝鮮の「核・ミサイル」開発だった。

 5年6月上旬。事務方トップの石原信雄官房副長官は、北朝鮮が弾道ミサイル「ノドン1号」の発射実験を日本海で実施した情報があることを記者団に明かした。

 射程は約1千キロ。北海道東部と関東東部以外の日本列島がほぼすべて射程圏内に入る計算だった。当時の自衛隊には弾道ミサイルを迎撃する能力はなく、事実とすれば日本の安全保障に深刻な影響を与える。

 石原の発言は、「政府筋」の話として大きく報じられた。だが、政治家はその情報を公にしなかった。6月18日には宮沢喜一内閣不信任案が可決され、解散・総選挙へ突入していく。石原の“告発”は、国家の危機を前にしても政局に明け暮れる政治家への警告でもあったが、その後も政治の混迷は続くことになる。

 同年8月、非自民の連立政権、細川護煕内閣が発足した。国民の期待は高かったが、7党1会派の「寄り合い所帯」はすぐにきしみ始め、翌6年4月に退陣。後継の羽田孜内閣も少数与党という波乱の船出となった。

 そのさなか、北朝鮮は同年6月13日、国際原子力機関(IAEA)からの即時脱退を表明する。北朝鮮を強く非難した米国は、北朝鮮の軍事施設に対する「ピンポイント爆撃」を公然と議論するなど、北朝鮮の「核・ミサイル」問題をめぐる緊張はかつてないほど高まった。

 「半端じゃない切迫感だった。米国は先制攻撃を辞さずという意識で、戦争が起こりうると想像せざるを得なかった…

2014.8.9 08:10 (3/4ページ)[ニッポンの分岐点]


 羽田内閣の官房長官だった熊谷弘(74)は生々しい言葉で回想する。わずか64日間の短命政権だったが、最も緊迫した時期に北朝鮮と向き合った。

 周辺事態法など有事を想定した法整備は皆無に等しい時代。熊谷は「一刻も早く法整備をしないといけない」と焦り始めた。

 危機管理に没頭していた石原は、連日関係省庁と協議を重ね、目前の危機の情報を集めていった。

 米国と北朝鮮が交戦状態に入った場合、何が起こるのか。北朝鮮軍は38度線を越え、ソウルを砲撃し、釜山まで南進する-。官邸はさまざまなシミュレーションを繰り返した。その結果、時の日本政府には安全保障に対する備えが絶対的に不足していたことが明らかになる。

 「北海道から戦車を持ってきたら道路交通法違反になるぞ」「米国の病院船が撃たれたらどうするのか」「日本海側をどうやって守るのか」…。平和ボケともいえるような議論が官邸で普通に行われていた。熊谷は「『そんなバカな話があるか』と言いながら激しい議論をした」と振り返る。

 ◆いったん収束するも…

 ただ、結果的に議論の成果を生かす局面は訪れなかった。米国元大統領のカーターが同月15日に平壌に入り、北朝鮮主席の金日成(キムイルソン)と会談、これを受け金がIAEA査察団の残留などを表明したからだ。国際社会を揺るがせた北朝鮮の核危機はいったんは収束に向かった。

 それから4年あまり。北朝鮮は沈黙を破る。10年8月31日。弾道ミサイル「テポドン1号」を発射したのだ。

2014.8.9 08:10 (4/4ページ)[ニッポンの分岐点]


 テポドンは日本上空を超え、三陸沖に着弾したことが判明する。小渕恵三内閣の官房長官だった野中広務は31日夜、「同日午後0時過ぎに北朝鮮東部沿岸から発射された弾道ミサイルが、三陸沖の公海に弾着した可能性がある」とのコメントを発表したが、情報は集まっていなかった。

 官房副長官だった新党大地代表の鈴木宗男(66)は、官邸で一報を聞いたが「当時、日本は自前の人工衛星も持っていなかったし、詳細はつかめていなかった。それほど緊張もしていなかった」と語る。首相の小渕ですら、記者に「事前に情報は入っていたのか」と聞かれ、「あれ、どうだったかな…」と答えたほどだった。当時、北朝鮮への関心が低かったことがうかがえる。

 その後、国交正常化交渉は一時的に再開されたものの、核・ミサイル開発や拉致問題が重しとなり、前進しなかった。日朝関係は14年9月17日、首相の小泉純一郎による電撃訪朝まで動くことはなかった。=敬称略(山本雄史、沢田大典)

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【用語解説】北朝鮮の核危機


 北朝鮮は1993(平成5)~94年、2002~03年の2度にわたり、核開発をめぐって国際社会を緊張させた。いずれも核拡散防止条約(NPT)からの脱退を表明するなどした。北朝鮮の核問題は現在、日本、米国などを交えた6カ国協議の場で取り上げられる

日朝関係(3)小泉訪朝 「単身で敵地」拉致動く

2014.8.16 12:15 (1/6ページ)[ニッポンの分岐点]

首脳会談を終え、握手する小泉純一郎首相(右)と北朝鮮の金正日総書記 =平成14年9月17日

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 日朝関係は平成14年、歴史的な節目を迎える。首相の小泉純一郎の訪朝だ。北朝鮮は拉致を正式に認め、日本側に謝罪。10月15日には拉致被害者5人の帰国という成果を得る。一方で、「8人死亡」という衝撃的な報告がもたらされ、拉致事件の全容解明には至らなかった。


悲壮な覚悟


 13年4月に発足した小泉政権は同年夏の参院選で大勝し、政権基盤を着々と固めていた。

 その陰で、外務省アジア大洋州局長の田中均は同年晩秋から極秘裏に北朝鮮と交渉を始めていた。窓口役となったのは、日本側が「ミスターX」と呼んだ人物。田中は最高指導者である総書記、金正日(キムジョンイル)に通じる人物と判断し、中国などで接触を重ねながら、拉致問題の解決、国交正常化に向けた準備交渉を進めた。

 小泉の訪朝は、官房長官の福田康夫が14年8月30日、電撃的に発表した。この日以降、首相官邸では訪朝の準備が本格化する。

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 首席首相秘書官だった飯島勲(68)=現内閣官房参与=は、約120人の報道陣の取材を北朝鮮に認めさせるなど持ち前の辣腕(らつわん)をふるっていた。対照的に、警護官(SP)や同行の職員数は最小限に抑えた。「単身で敵地に乗り込んで話をつける」。小泉の悲壮な覚悟の表れだったという。

 同行する政治家は官房副長官の安倍晋三(現首相)だけ。通訳を除き、その他は首相秘書官の別所浩郎、外務審議官の高野紀元(としゆき)、田中らわずか7人だった。

 「握手するときは頭を下げてはいけないんだ。それが(映像に)映るとわびることになる。堂々としておけ」。飯島は金ら北朝鮮の要人と日本側の一行が握手する場面を想定し、同行が決まった首相秘書官らに日本人の癖である「おじぎ」をしないように忠告した。


衝撃的な情報


 9月17日、平壌国際空港に着いた小泉は、首脳会談が行われる百花園迎賓館へ向かった。同館では首相、安倍、秘書官らの控室は別々に用意されていたが、飯島の判断で全員が小泉と同じ部屋で待機した。一体感を保つためだったという。

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 部屋に入ってまもなく、一行に衝撃的な情報がもたらされる。北朝鮮側が拉致被害者について「5人生存、8人死亡」と非公式に日本側に伝えてきたのだ。小泉はしばらく沈黙した後、絞り出すような声で「どういうことなんだ」「どのルートの情報なんだ」とつぶやいた。

 小泉は午前の首脳会談の冒頭、無言を貫き、報道陣の退出後に「強く抗議する。家族の気持ちを思うといたたまれない」と金に迫った。

 昼の休憩は、飯島が東京・銀座で調達したにぎり飯だったが、小泉はほとんど口にしなかった。随員の一人が控室のテレビの音を小さくしようとしたが、小泉が「そのままでいいんだ」と声を荒らげる場面もあった。テレビの音が大きければ盗聴されにくいことを小泉は知っていた。「終始冷静だった」(首相秘書官の一人)という小泉だが、神経は張り詰めていた。

 この時点で、金は拉致自体を認めていない。「拉致したという白状、謝罪がない限り、日朝平壌宣言への調印は考え直すべきだ。認めなければ、席を立って帰国しましょう」。安倍が強い口調で小泉に迫る。小泉は最終的に安倍に同調し、日本政府の方針が定まった。

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 田中らは非公式の安否情報リストを入手し、分析を急いだ。リストには死亡日が記載されていたが、同じ日に亡くなるなど不自然な点が多かった。この重要情報は「未確認」を理由に日朝平壌宣言の署名直前まで小泉には伝えられず、後に外務省による「情報操作」と批判されることになる。

 午後の首脳会談で、金は「妄動主義者と英雄主義者」がやったと拉致を認め、「おわびしたい。二度と許すことはない」と謝罪した。この言葉で小泉の強硬姿勢は薄れ、同宣言への署名を決断した。


思わずこぼれた涙


 小泉訪朝から約1カ月後の10月15日。内閣官房参与だった中山恭子(74)=現参院議員=は午前7時過ぎ、拉致被害者5人の迎え役として全日空のチャーター機で平壌へ飛んだ。

 中山の回想によると、外務省は当初5人については、北京経由の定期便で帰国させようとしていた。だが、中山が「政府が守れなかった人たちなんです。チャーター機でなければ迎えになど行けません」と強く反対。中山の意をくんだ安倍が外務省と交渉し、ようやくチャーター機の使用が決まったのだった。
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中山は、空港の待合室で5人と面会する。5人は大きな声で「おはようございます」とあいさつした。中山は、はっきりとした発音の日本語を聞いて安心し、「日本の心を失っていないと直感した」と振り返る。

 チャーター機に乗った5人は窓際に座った。日本海を渡り終えるとき、拉致被害者の一人、地村富貴恵が「あれ、若狭湾じゃない?」と声を上げた。5人は一斉に窓の外に視線を向け、食い入るように日本の陸地を見つめていた。

 5人は北朝鮮で「日本に帰国したら国民から歓迎されない」とすり込まれていたという。だが、羽田空港に着くと、多くの人々が帰りを待っていた。戸惑う5人。地村はとっさに「みんな、がんばって降りましょう」と声をかけた。それが合図となり、5人はゆっくりとタラップを降りた。真下には肉親や友人が集まっていた。中山は、思わず涙がこぼれた地村を「大丈夫よ…」と励ました。

 小泉は16年に再訪朝し、北朝鮮に残されたままだった拉致被害者の家族を帰国させることに成功した。しかし、拉致被害者全員の帰国を求める家族会の反発は強く、「日朝平壌宣言の履行を優先している」などと厳しい批判を浴びた。

【再会の日へ(3)】
北に死亡宣告された兄と弟、待ちわびて逝った父と母の思い胸に「最後の戦い」
2014.8.29 15:58 (1/3ページ)


 また間に合わせることができなかった。弟との再会がかなわず、この世を去った父、6年前に亡くなった母の胸中を思うと、悔しさをこらえきれなかった。

 今月6日に営まれた拉致被害者、市川修一さん=拉致当時(23)=の父、平さん=享年(99)=の葬儀・告別式。修一さんの兄、健一さん(69)は声を詰まらせながら、「胸が張り裂けそうです」と心境を明かした。

 昭和53年8月12日に修一さんが拉致されてから30年後の平成20年に母、トミさんが91歳で死去。平さんと同様、人生の3分の1を拉致によって狂わされた。

 息子との再会をただ願い、最期まで命の灯を燃やしていた両親。祭壇に掲げられた平さんの遺影、胸の中のトミさんに向け、健一さんは声を振り絞った。「お父さん、お母さんと一緒に天国で修一の帰りを待っていてください。必ずや良い知らせを届けます」

 両親の思いを受け継ぎ、弟の奪還を改めて誓った健一さんもまた北朝鮮の嘘に何度も翻弄(ほんろう)されながら、生存を信じて救出運動を続けてきた。その気持ちは、北朝鮮によって踏みにじられる。


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 修一さんについて、北朝鮮の説明は「1979(昭和54)年に溺死(できし)した」だった。修一さんは泳げず、日本では海水浴に行ったこともなかった。「死亡確認書」という書類も捏造(ねつぞう)の疑いが強く、遺品もないとされた。信じられるはずがなかった。

 一緒に拉致され、北朝鮮で結婚したとされる増元るみ子さん=同(24)=に関しても同様だった。「1981年8月に心臓まひで死亡した」とされたが、弟の照明さん(58)は「心臓疾患のなかった姉が、20代で突然死するとは思えず、北朝鮮の説明は信じるに値しない」と話す。

 帰国した拉致被害者の証言も北朝鮮のうそを裏付けた。北朝鮮は修一さんとるみ子さんが79年4月に結婚したと説明したが、蓮池祐木子さん(58)は78年秋から79年10月25日まで、るみ子さんと一緒に生活していたと証言した。

 2人について、北朝鮮が「死亡」とした後の生存情報も複数ある。北朝鮮の元工作員、安明進氏は91年ごろまで何度も平壌の金正日政治軍事大学で修一さんを目撃したと証言。北朝鮮の工作機関の幹部だった男性が、韓国の北朝鮮向け短波ラジオ放送局に送った手紙では、修一さんとるみ子さんが96年まで生存していたことが記されていた。

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 修一さんとるみ子さんが拉致されて36年となった今月12日。東京都港区のJR新橋駅前で、照明さんは拉致問題の早期解決を政府に求める署名への協力を呼びかけていた。

 るみ子さんと照明さんの父、正一さんは平成14年9月の日朝首脳会談からちょうど1カ月後に79歳で他界。今は母の信子さんが鹿児島県の実家でるみ子さんの帰国を待ちわびる。

 信子さんもすでに86歳。残された時間を考えると、照明さんの焦りは募る。現在行われている再調査を逃せば、るみ子さんと母との再会のチャンスは再び遠のいてしまう。

 9月上旬にも最初の報告が伝えられる見込みの再調査を照明さんは「最後の戦い」と位置づけている。この署名活動でも「これが最後の戦い、最後の交渉です。家族の命を救出し、人生を取り戻すためにも、負けるわけにはいかないのです」と呼びかけた。雨の中、傘も差さずに署名を訴える姿は今回の再調査にかける強い思いを物語っている。

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