書籍・雑誌

2008.02.06

小説家と評論家の論争

 今朝の産経新聞の【断】に
【断 佐々木譲】小説は時代をどう描くかという記事が載っていた。

 引用すると以下のようになる。
 

本紙1月10日付のこの「断」というコラムで、呉智英氏が「その時代にこれはないぜ」と題されたエッセーを書いていた。

 拙作『警官の血』が取り上げられており、呉氏はその時代にはない言葉づかいがあるとして、5カ所を指摘している。その指摘のうち2カ所は、わたしが意識的に現代的語感の言葉に置き換えたものだ。残りは「その時代にこれはない」とした呉氏の勘違いである。

 しかしそもそも、小説の時代相描写が正確かどうかは、物語性に従属する問題である。「時代相をそれらしく描く」ことは、読者を物語に引き込むための手法のひとつに過ぎない。描写の正確さそれ自体は、小説が一義的に追求すべき目標ではないし、ましてや小説の条件ではない。わたしの場合、歴史上の人物を同時代人として受け止めてほしいとき、あえて彼らに「いまふうの」会話をさせることもある。

 なので、ふつうであれば呉氏のようなナイーブな批判は、微苦笑するだけでやりすごす。しかし呉氏はわたしの担当編集さん、校閲さんまで引き合いに出して叩(たた)いた。まるでわが担当さんたちが怠慢であったか、能力に欠けるかのように書いたのだ。仲間の仕事ぶりまで無根拠に批判されては、黙ってはいられない。

 ずいぶん高い調子で書いた以上、いまさら誤りを認めることも謝罪も、体裁が悪かろう。「筆が滑った部分もないとは言えない」とでも、どこかに書いてくれたらよい。ならば、わたしは呉氏のエッセーを「小説の時代相描写はいかにあるべきか」という問題提起であったと受け止め直すことにする。この件を、今後多少なりとも生産的な考察交換のきっかけとするために、呉氏にはそうしてはどうかと提案したい。(作家)

  この佐々木譲氏の反論の対象となった評論を探してみると
【断 呉智英】その時代にこれはないぜ
  というのを探しあてた。

 この評論を引用すると以下のようになる。

正月休みに佐々木譲『警官の血』を一気に読了した。「警察小説の最高峰」という惹句(じゃっく)通りの力作だ。だが、少々気になったこともある。おかしな言葉が出てくるのだ。昭和二十年代にこんな言い方があっただろうか。

 ・「民主警察がなんたらかんたら」(ここ二十年ほどの俗語のはず)

 ・「市民にぺこぺこ」(当時は「国民」)

 ・「おれが知ってるとおりの女性なら」(この時代「女性」は使わない。多くは「婦人」、この文脈では「女」)

 ・「南葵集落と呼ばれており、廃品回収をなりわいとする住民家族が」(「南葵部落」である。「バタヤ部落」などと普通に言っていた。「部落」の代用語として「集落」が使われるのは近時)。

 昭和四十年代でも、さすがにわずかだが、おかしな言葉が出てくる。

 ・「空気が全然読めないんだから」(最近の流行語である)。

 作者の責任でもあろうが、編集者、校閲者は何をしていたのだろう。

 ついでに思い出したのが、昨秋テレビ朝日系列で放映された松本清張原作『点と線』だ。主演のビートたけしも良かったし、昭和三十年代の東京駅の再現も見事だった。

 しかし、これも気になることがあった。定年間際の一刻な中年刑事が茶パツ(薄いけど)は変だろう。その養女で福岡に住む固い勤め先の職業婦人(今で言うOL)も茶パツ。殺された女(今なら「殺された女性」)の母親である老婆まで茶パツ。しかもこの老婆、明治生まれで秋田に住んでいる。昭和も末期まで茶パツなんて堅気の人間には見かけなかった。

 小説やテレビの時代劇の風俗描写が不正確だなどと野暮は言わぬ。昭和二、三十年代の話だ。元禄や天保の話ではない。五十年前のことも忘れられてしまったのだろうか。(評論家)


 この論争如何なる展開になるのか興味は尽きない。

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2008.02.02

虚竹の笛―尺八私考・水上勉を読む

 水上勉 著作の
虚竹の笛―尺八私考を読んでいる。

 著者のこの本の創作の動機は次のようなものであったに違いない。

 尺八のことについて興味を持ち調べ始めると禅宗のことが判らないと解明できない。
 そこで広範多岐にわたる禅宗の文献を渉猟した。
 集めた資料は尺八に関するものだけでも膨大である。
 折角集めた資料だからこれを利用しない手はない。

その資料を援用しながら著者の創作の過程が叙述されていく。

中国史年表と歴史地図や現代中国地図を傍らにおいて参照しながら読み進めていく。
頻出する高僧の名前や名山、名刹の名前をメモして地図上で確認しながら読む。

時間をかけ知的興奮を伴いながら読み進めている。

  今朝ウエブサーフィンをしていたら中国製の毒入り餃子事件の記事が圧倒的に多い。そろそろ食傷気味だ。

  ふと 竹細工に関する 
山口・萩で地元産の竹を使った高級家具づくりという記事が目にとまった。
 
 現在読んでいる虚竹の笛に脳が触発されたのであろう。

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2005.02.05

『反日教育を煽る中国の大罪』を読む

 黄文雄氏の最近の表記の著作を読んでみた。この本は宮崎正弘氏の国際ニュース早読み・・1月28日付け通巻1026号所載の書評で知って読んでみようと思ったものだ。

 台湾出身の著者の視点は座標軸が確個としていて、日本人よりも事象の観察が的確である。この本を読んでみて中国という国柄の持つ自己中心性と根深い仇日感情、またその国民性の嫌らしさがよく判った気がする。まさに目から鱗が落ちる感じのした力作である。

 日本人でありながら自国の歴史、特に現代史について、更に絞れば大東亜戦争史について勉強不足で知識が少ないことを恥じ入る思いで同書を読んだ。

目次にある見出しだけを拾っておくことにしよう。

プロローグ むき出しになった中国の反日感情
第一章 日本の中国侵略は嘘だった
第二章 世界を翻弄し続ける中国の経済的詐欺
第三章 日本社会を乱す中国人の凶悪犯罪
第四章 中国の歴史捏造に騙されるな
第五章 日本への主権侵害に中国は謝罪すべし
第六章 北朝鮮を走狗とする中国の犯罪性を見抜け


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2004.04.16

ある大学体育会の年史発行の例

 木村先生が確か3月の上旬に産経新聞朝刊に寄稿された「ブログ」に関する記事を拝見してブログの世界に入った一読者です。本日のコラムに書かれた出版業の将来の見通しについての卓見、興味深く拝読しました。

 小生が現在取り組んでいるウエブサイトを活用した、某大学運動部の百周年記念史の編集について一つの事例としてトラックバックさせて頂きます。

 全国に散在する約1200名の某運動部OBを対象にして「百年史編集室」と称するウエッブサイトを最初に立ち上げました。ついでOBからの原稿や写真をメーリングリストとこのウエッブサイトを通じて広報し、かつ収集してこれを編集しました。出来上った素案をウエッブサイトに掲載しOB達の閲覧に供しています。
 
 掲示板も設置し、これを「校正板」と名付けていますが、サイトにアップした原稿についての事実の間違いや誤字・脱字等の指摘の他、貴重な意見なども書き込まれております。

 お蔭で通信費、旅費交通費や事務消耗品等の経費も最小限に抑えることができています。
 過半の編集も終了し目下最終的な見直し作業を進めているところです。

 やがて編集の終了した原稿は専門の印刷業者に渡すことになりますが、将来の姿は書籍にしないでDVDに焼き付けて配布ということになりそうな予感がしています。

 時間と経費の節約ということで同窓会の記念誌や運動部の年史の出版は将来このような形になるのではないでしょうか。
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