仏教について

2007.01.20

日本人の精神的背景と仏教

 日本の文化を形作る日本人の国民性、精神的なバックボーンは何であろうかという興味は若い頃から抱いていたところである。

 地政学的な立地上の条件、四季のある気候条件、農耕型民族であること、多神教で何処にもサムシンググレートを感じる宗教性などが上げられようが仏教の影響も大きいと思う。

  その仏教の普及に力あった「慈円の詠法華経百首」という著作があることを知った。

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2007.01.12

般若心教と法華経

  般若心経は色即是空 空即是色に端的に表現されているように空の教えである。これに対して法華経は人間礼賛のことが説かれるお経である。

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2007.01.07

やっとここまで暗唱した。

元旦に今年はどれ位時間がかかるかしれないが、法華経の寿量品16を覚え込もうと決意した。寝床に入って寝つくまでの間、覚えた経文を繰り返し諳じてみるのだ。音だけでは覚え難いので表意文字である漢字も思い出しながら唱えてみる。

紙に書いたものを見ながら音読していると判ったつもりでも、いざ暗唱しようとするとたちまち行き詰まってしまう。その度に経文を確認する。このように苦労して覚えこむと般若心経がそうであったように必ず意識しないでも完全に諳じることが出来るであろうと信じてやっているのだ。感覚脳の鍛練のためにと願いながら。般若心経を楽に諳じることができるようになったという実績があるから、この難行にも耐えていけるのだと思う。

自我得佛來 所經諸劫數 無量百千萬 憶載阿僧祇 (じがとくぶつらい しょうきょうしょうこつしゅ むりょうひゃくせんまん おくさいあそぎ )

私(お釈迦様)が仏になってからというものは、数えきれないほどの永い永い歳月が経っている。(久遠実成の仏陀)

常説法教化 無數億衆生 令入於佛道 爾來無量劫 (じょうせつぽうきょうけ むしゅおくしゅじょう りょうにゅうおぶつどう にらいむりょうこう )

ずっと遠い昔より仏として法を説いてきた。そして無数億の数え切れないほどのたくさんの者を教化して仏道に入らしめた。そうしてその時以来無量劫である。

爲度衆生故 方便現涅槃 而實不滅度 常住此説法 (いどしゅじょうこ ほうべんげんねはん にじつふめつど じょうじゅうしせっぽう)

衆生に本当の感化を与えたいが故に、方便で涅槃を現じた。しかし、実には滅してはおらず、常にこの娑婆世界でずっと法を説き続けているのである。

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2007.01.06

如来、菩薩、明王、天

 法華経では如来という単語が題目のところで使われている。般若心経では経文の最初の出だしのところで菩薩という単語が使われる。寺院などで仏像を拝観すると大日如来、普賢菩薩、金剛大明王、吉祥天などという名前もみることがある。その数は沢山あってとても覚えきれるものではないが、悟りに至る段階を評価して如来、菩薩、明王、天、更には羅漢と呼称されているようだ。


そこで講談社の日本語大辞典ではどのように説明されているのか調べてみた。

○如来= 【tathagata 梵の漢訳。真理の世界から来たもの・真理に到達したもの、の意】仏の尊称。仏の十号のひとつ
○菩薩=【仏教語。bodhi-sattva梵の音写で「菩提薩ッタ」の略で悟りを求めるものの意。「大士」「覚有情」と訳す】悟りを求めて修業し、衆生済度の誓願を実践するもの。仏に次ぐ聖者
○明王=仏像の分類のひとつ。密教で、真言をもって諸悪を降伏させる仏教の守護神。一般に怒りの相で表わされる。
○天=仏教で人間界よりも上級の世界。そこの神。
○阿羅漢=【arhat梵の音写で、尊敬・供養を受けるに値する人の意。応供などと訳す】仏教の修業をきわめ、最高の悟りに達したもの。普通小乗仏教の聖者を指す。

こうして並べてみると大乗仏教、小乗仏教、密教などといろいろな要素が加わって一元的には位置づけできないようだ。

一応の理解として悟りを求めて修業する人のランク付けは如来、菩薩、天という系列がありそこへ特殊な要因から明王、阿羅漢が入り込んできたのだという風に考えておくことにしよう。

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2007.01.05

妙法蓮華経如来寿量品16

 もう十年以上も昔、般若心経を苦労して諳じることに挑戦した。僅か278文字の経文であるが諳じるようになるまでかれこれ一年近くかかったように思う。爾来毎朝起床したら仏壇の前に座って般若心経を読経することにしている。覚え込んでしまうと不思議なことに仏壇の前に座ると意識しないでも経文がよどみなくほとばしりでる。

 人間の脳の働きは論理脳と感覚脳の働きに二分することができ、 通常は論理脳で物事を判断しているという。経文を暗唱しようと努力している過程では専らこの論理脳が活躍しているが一旦経文を覚え込んでしまうとこの記憶は感覚脳の領域に移されるものらしい。

 この感覚脳は通常使わないで済ます人が多いらしい。最近の研究によるとこの感覚脳の働きを如何に活性化させるかが惚けの防止にも繋がるらしい。

 そこで正月を機に感覚脳を鍛えてみようと決意した。その手始めに妙法蓮華経如来寿量品16を覚え込むことにした。どれ位時間がかかるか判らないが一つの挑戦である。

 そしてこれを機会に仏教のこともいろいろな角度から勉強してみたいと思っている。そんな次第で仏教についてという新しいカテゴリーを追加した。

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